景品貰い

「中川さん、今週末、イベントで高級ジャム配るらしいよ」

 長岡はサービスのカウンターに座り、迷惑そうな顔で俺に言った。

「うわ、マジか、鬱陶しいな」

 景品配りのイベントは来店客が多い、それが販売に結びついているとは言えないが、ショウルームに賑わいが起きる、高級外車店の敷居を跨ぐのを躊躇する国産車乗りが客のいない店に入りやすいように他の客がいる事は重要ではあるが、セールスには良くてもサービスは内心このイベントを辞めて欲しいといつも願っている。

「ホント勘弁して欲しいですよ、景品貰いに来たの誤魔化す為に異音するだの何だのって下らない事言ってきますかねぇ」

「入り口にジャム置いとくから勝手に持って帰れよ、まったく」

「何で金持ちのくせにたかだか千円のジャムに群がるんだろ? 中川さん千円のジャム食いたいですか?」

「興味ねえ。けど、まあ、セレブはそのジャムの為に高級食パンを高級トースターで焼いて楽しむんだろ」

「80円の食パン食ってる身分には理解できませんね」

「高級パンには発がん性物質入ってるから食わない方がいいぞ」

「何スカそれ?」

「添加剤だよ、そのお陰でフワフワになるらしい」

「さすが、雑学王」

「雑学王じゃねえって」

「訂正します、ネットニュース閲覧王」



 3日後、土曜日午前10時


『中川さん、ジャム貰いがエアコンの効きが悪い気がするって、見て貰えます?』長岡がインカムで言った。

「今日は暑いからだろ、長岡、入り口に今日は暑いからエアコンの能力は低下しますって紙に書いて貼っておけ」インカムで俺は答えて取り掛かっている待ち点検の手を放し、客駐に向かう。

 俺はその車に乗り込み工場外の駐車場に車を移動しアイドリング状態でエアコンを入れ、温度を最低に下げて吹き出し口に温度計を挿して放置した。

 その間予約の点検をこなし、五分後にその車に乗り込み温度計を確認する、9℃……正常だ。「長岡、エアコンの車正常、出すぞ」俺はインカムで有無を言わさず客駐に車を戻す。

『ドアがキコキコ鳴るってお客さん来てますけど、誰か診れます?』ショウルームレディーの佐々木がインカムで言う、長岡は接客中らしい。

「今行く」俺は短く答えた。

 客駐で俺はドアヒンジを確認した。運転席の摩耗が激しい、俺は工場からスプレーグリスとウエスを持ち出し、ヒンジに吹きかける。音は少し静かになったがまだ音はする、その事を客に告げると見積もりが欲しいと言って来た、「かしこまりました、少々お待ちくださいませ」俺はナンバーの番号をメモり顧客データーから車両を検索し、部品を調べ、概算見積書を作る。その間、待ち点検は放置中だ、工場が暇なら応援が入るが今日は全員が急ぎの仕事を抱えていて応援は無い。

 見積もりを印刷し、俺は客に提示した。

 客は言った。

「そんなにするの? 高えな、じゃあいいわ」

「そうですか、お電話いただければ直ぐに部品を発注しますのでご検討下さい」

 俺はそう言って見積書を折って封筒に入れて客に手渡した。

「そうだ、ジャムある?」

「はい、少々お待ち下さい」俺は佐々木に近寄ってジャムあるか? と聞いた。

 佐々木は席の後ろにある段ボール箱から箱入りのジャムを取り出して俺に渡そうとした。

 俺は小声で言った。

「客はオッサンだから佐々木が渡せ、喜ぶから」

 年増だが綺麗なショウルームレディーの佐々木みゆき、彼女からジャムを受け取って不愉快な男はいない、俺が渡すよりはマシだ。

 俺はその客の見送りを彼女に任せて中断していた定期点検を再開する。

『客駐満車だから誰かスペース作って』

 セールスがインカムで言った、サービスは全員それを無視する、そんな事にかまっている程暇でも無いし、それはノルマを達成していないセールスの仕事だ、車を売らないセールスに生存する権利は無い。

 ノルマに厳しい会社ならこう言われるだろう「何で生きてるの?」と。

 俺は点検を済ませ、洗車をバイトの爺さんに頼んでいる内に点検記録簿を書く。

 バイトの洗車は遅い、自分でやるより2倍の時間が掛かるが俺の知った事ではない、記録簿を書き終わり、洗車中の車に乗り込み点検ステッカーを張り替えてグローブボックスに車検証入れを戻す。

「終わったら、玄関前に車廻して長岡に言って」俺はバイトの爺さんに頼んで次の仕事に取り掛かる。

『下回りぶつけたから見て欲しいそうですけど、誰か行けます?』また佐々木の声、長岡は客に捕まっているらしい。

 次の仕事を進めなくてはならなかったが、俺はその車をチェックする為工場に車を入れリフトアップする。

 車両下部を点検したが特に損傷はない、軽く擦っているだけだ。

 客にそのことを伝えにショウルームに出向き、俺は説明をした。

「そっか、大丈夫ならいいんだ」

 俺は工場に戻り車両をリフトから降ろし、玄関前に横付けして客に車を返す、「あっそうだ、ジャムある?」

 そんな事を散々繰り返し午後を迎える、忙しいけど金にならないのが景品配りイベント、来客はセールスとユーザーの接点を作るためでもあるが、セールスは倉庫影の喫煙エリアで同僚と盛り上がり中だ。

 俺は午後から始めた修理の客が車を取りに来たので完成車両を客駐に止めて引き渡しを行う。

「ABSの修理でしたね、これが交換したセンサーです」俺は客に交換部品を見せて説明した。

「ああ、ありがとう。所でセールスの人に言ってあったんだけどジャムある?」

「あっ、そうでしたか? 少々お待ち頂けますか?」俺は佐々木にジャムを貰いに走った。

「もう無いですよ、ジャム」

「は? マジか……」俺はタバコを吸ってサボっている担当営業にジャムを取り置きしていないか聞きに行った。

「ヤバ、忘れてた」担当営業は焦ってタバコを消した。

「もうジャム在庫無いですよ」俺は内心死ねよと思いながら年上の営業マンに言った。

 俺とそのセールスは玄関前で待つ客に詫びた、客は唇を震わせて激怒し言った。

「責任者を出せ!」と、久々に聞いたこのセリフ、出来る事なら一生聞きたくないセリフだが。

 整備不良や車の不具合でキレられる事は稀にあるが、このような下らない事でクレームに発展するのは勘弁して欲しい。

 結局このクレームは炎上し、店長が謝罪し、後日ジャムとプラスアルファの謝罪の品を持って店長と担当営業が自宅に出向いて詫びを入れた。

「中川さん、貧乏くじ引きましたね」

 フロントの長岡が俺を見て苦笑している。

「まったく、気分悪いわ」

 担当営業がコソコソと背中から近寄り俺に言った。

「中ちゃん、ゴメン!」

 謝罪はそれだけ、下らなくてホントに疲れる。

 俺は数日間、この出来事を引きずった。


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