永遠には乗れない
「この人、いつまでこの車に乗るつもりなんですかね?」
新人の笹島巧は車齢20年の車をしつこく乗り続けている顧客の執着心に感心している。
「お支払い、あざ~すっ」
副検査員の横山は毎月のように入庫して高額修理をしているこの客を馬鹿なやつと言わんばかりに笑った。
フロントの長岡は何時も俺にこの古い車両の整備を指名する。ハッキリ言ってこの車の整備はしたくない、ブレーキ系統は全ての部品が劣化していて何時ブレーキが利かなくなっても文句は言えないし、オイルは全部の穴から漏れてくる。しかも内装の樹脂パーツはネジを外しただけでクッキーの様にパサパサに砕け、砕けた所で新品部品はとっくに生産終了だ。
内装はカビ臭く車内で作業すると目がかゆくなる。
「で、今回は何だって」
俺はハッキリと迷惑な態度が分かるようにフロントの長岡に言った。
「走行中に唸り音がするんで診てもらえます?」
「何でいっつも俺なんだよ」
「だってこんなボロ触れるの中川さんくらいでしょ」
「若い奴にやらせて経験積ませたらどうなんだ?」
「若者にやらせたら時間掛かるし、経験積んでも古い車なんて殆ど入庫しないから意味無いでしょ」
「どうせデフだろ? 中古部品もこの地上から無くなってくれねぇかな」
「さすが中川さん、見なくても分かるんだ」
俺はそのカビ臭い車のドアを開け車両に乗り込むと工場の周りの自分が何時も走るテストコースを周回し始めた。
車両はガタガタと古い車特有の異音を放つ、ATは今時4速。シフトショックも大きい、そのうちミッションも逝くだろう。
アクセルを踏むと後ろの方からウイーンと唸り音が聞こえた。
「ギアノイズ、デフ異常だ」
アクセルを放すと異音は消える、負荷が掛かった時だけ唸る。何度も聞いたこの音色。
俺は工場に戻り、このボロ車をリフトアップしてギアをドライブに入れてアクセルを踏んだ。
リフトアップされた車両のタイヤは空転し微かな唸り音が聞こえる。車両をリフトアップすると走行負荷が無くなり異音が消える事がある、この車両は走行中異音がはっきり聞こえていたので音は小さくなったがまだ聞こえていた。
俺は1メートルほどリフトアップしている車両のドアを開けて床に飛び降りると、新人の笹島巧に運転を変わってもらいドライブに入れてアクセルを踏んでくれと頼んでリフトを2メートルの高さまで上げた。
車両下で俺は長いマイナスドライバーを取り出して先端をリアデフに当て、柄の後端を自分の耳に押し当てた。
こうすることで聴診器のようにデフの音はハッキリと聞くことが出来る。
プロペラシャフトとタイヤは激しく回転し不用意に接触すれば大怪我は確実。
ドライバーを伝わった音は走行中に聞こえた音と同じ、デフに間違いない。
「笹島、止めていいぞ!」
俺はリフトアップした車両の下から顔を出して彼にパーキングに入れるように頼んだ。
リフトを降ろし、インカムでフロントの長岡に手短に伝える。
「長岡、デフ逝ってるわ、部品無いだろ」
『解体屋に聞いてみる』
長岡はインカムで答え暫くして工場に入って来て俺に言った。
「部品がどこにもない、この車捨てさせるわ」
「それは嬉しい知らせだな」
俺は長岡と笑った。
後日、その車両の顧客から電話が入り、客が自分で海外からパーツを手配すると連絡が入った。
「すごい執念だな、こんなゴミに」
俺は呆れてそのまま預かっている車両を前にして長岡に言った。
「何が良いんだろ? こんな車の。人生損してるなぁ、ホント迷惑だからやめて欲しいですよ」
「重くてでかいパーツだから輸送代高そうだな」
「しかも船便だからいつ届くか分かりませんよ。全く、早く代車取り返したいからこのゴミ客の駐車場に捨ててきますわ」
長岡は早速客に電話をして無理やり車を届けに向かった。
車は20年も乗れば部品は無くなり、そのモデルを直していた人間も引退する。故障は無限ループのように多発し整備工場に入浸る。車検時にも部品の手配に窮し時間が掛かる、ハッキリ言おう旧車はカーディーラーにとっては迷惑だ。カーディーラーは新車を販売し、修理する会社。車を買い替えないで工場に滞留する時間が長い旧車修理を依頼する客は煙たがられている。
旧車趣味は自分で全ての修理が出来る人が楽しむもので、そうでなければ金に糸目を付けない覚悟が必要だ。
車は永遠には乗り続けられない、整備士として愛する車があることは理解する。だが変に固執、執着せずに楽しいカーライフを送ってほしい。新しい車は革新的技術の塊だ、快適で安全な車を所有するのは間違いじゃない。
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