激混みタイヤ交換
「予約だけでタイヤ交換25件以上入ってるよ」
サービスフロントの長岡邦洋は苦笑いしながら言った。
5日前に札幌に初雪が降り、11月最初の土曜日を迎えた。週間天気予報には雪マークが付きタイヤ交換の臨界点を迎える。
土曜日は一週間で一番来店客が多い日だ、その中でも今日はタイヤ交換の予約で溢れている、しかも勿論他の仕事も普通にこなさなければならない。点検に車検、新車に一般整備、それを4人のメカニックで終わらせる、今日の工数の累計は4人×8時間を遥かに超えている、残業は確定だ、目標退社時間は本日中、つまり23時59分以前にタイムカードを押す。
この目標はタイヤ交換の繁忙期を乗り越えるには重要だ、退社は24時前だとしても自宅に晩飯を調達しつつ帰り、メシを食い、携帯を眺めでもしたら深夜2時になる、朝6時には起きなければならないので睡眠時間は4時間ほど、これが6週間続くとなると命に係わる。
整備士は高齢化が進み平均年齢は突然死しても可笑しくない年齢だ、しかも肉体労働での残業がこの時期だと80時間を超える。
タイヤ交換はハードだ、車両が入庫すると客の車からタイヤを下ろし袋を開ける、車をリフトアップし夏タイヤを外し、冬タイヤを取り付けリフトを下ろしてエアを入れ増締めする。そして夏タイヤを袋にしまい車に積み込む、これを開店前から作業し閉店時間まで続ける。体は立ったりしゃがんだりを繰り返し、重量物の積み下ろしに、タイヤを持ち上げ車両に取付ける、重いインパクトレンチを握り、トルクレンチを締め込む、数日で手首は痛くなり、6週続けると腱鞘炎に腰痛、ひざ痛になったりする。
ガソリンスタンドならこの程度の作業で2000円か、しかも最近の車はタイヤが大径化し重い。但し外車ディーラーだと6000円は請求するのでそれなりの作業を求められる。
夏冬のタイヤのコンディションチェックに冬ワイパーの交換、ブレーキパッドの残量チェックをする。
無論交換が必要なら提案し作業もする、パッドの交換ならプラス30分掛かり、請求金額も3万円ぐらいは掛かるので洗車サービスをする。その分帰宅時間は遅れる。追加作業が無くても装着ホイールはブレーキダストを清掃する、外車のホイールはパッドの設定が高速度に設定されているので材質のせいで黒く汚れている、6000円も払ったのにホイールが汚いと激怒する客も過去に居たことからホイール清掃はこの工場では必須となった。
厄介なのは飛び込み客のタイヤ組み換え作業だ。予約なしに現れ時間の掛かる作業を依頼するこのような客は、メカが作業に取り掛かると決まって「頼むから死んでくれ」だの「ホイール買えよ貧乏人」だの罵倒して気を紛らわせている。予定クラッシャーとでも言うべきか。但しタイヤの組み換えを春と秋に毎回1万円払う客は貧乏とは真逆の金持ちである、5年間これを続ければ10万円だ、庶民感覚では出来ない。それで無くとも予約外に多くの客が訪れる、昼飯など食えたものでは無い、客待ちでの作業待ち車両が溜まって行き一瞬も休めない、この期間メカは交代で食事をするがタイミングを誤ると4時以降に昼飯を食う事になる、しかも昼休みは飲み込む時間だけだ。
『タイヤ交換入りましたー』
インカムはひっきりなしにこの言葉を続ける。
但し俺達は何とも思わない、パニックを起こすわけでも無いし、忙しくてもミスはしない、一台の車に数人が入れ代わり立ち代わり分業し作業するが、皆何の工程がされていないか確認しているので誰が主作業者という訳でも無いがちゃんと作業は終わり、玄関前に車は廻される。
開店前から来た客から作業は始まり夜の6時になるまで永遠にこの作業が続く、その合間にはタイヤ交換と関係の無い一般整備もする。休憩は昼15分だけだ。
全ての客が引けた6時半頃に客に出す余った珈琲でコーヒブレイクをし、今日の予定が始まる。
「中川さん、車検とこの点検やって、終わったら新車納点ね」
フロントの長岡がツナギに着替えて予定を指示する。
「長岡、タイヤ組頼むな」
俺はフロントながら応援に来た長岡の肩を叩いた。
この期間夜の6時は朝の9時と同じだ、これから一日の作業が始まる。
今日は日を跨がないで帰れそうだ、ただ明日も明後日も6週間後までこの流れは変わらない。
俺は言った。
「長岡、若いメカ入らんかな?」
「無理、求人に応募無いもん」
「だろうな」
俺達は苦笑いするしかなかった。
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