やべえ奴

「うわっ、気持ち悪」

 新人メカの笹島はエンジンルームを開けて悲鳴を上げた。

「どうした?」

 中川は笹島が作業している12か月点検のセダンに近づきエンジンルームを覗いた。

「これは危険だな」

 そこにはメカニックならば誰もがおののくエンジンルームがあった。

 エンジンはビカビカに塵一つなく清掃され、樹脂パーツには触ればヌルヌルするほどの艶出し剤がかけられていた。

「もうクレーム決定だな、必要最低限以外の作業するなよ」

「中川さん、こいつオイルとブレーキバット前後持ち込みで交換なんですよ」

「しっ! でかい声で話すな。ドラレコ付いてる、常時監視モードだ」

「しかも依頼事項が沢山あるんですよ」

 笹島は小声で言った。

 最近の車両はドラレコが付いている車両が多い、神経質な客は整備工場での作業を録画し整備後動画を確認して整備の仕方や車の扱い、従業員の会話内容にまでクレームをつけてくることが有る。

「依頼事項は……」

 中川は笹島から作業指示書を受け取り、内容を確認して溜め息をついた。

 指示書にはエンジン音が以前よりうるさい、ダッシュボードからの軋み音が気になる、ラジオボタンの周りに新車の時から傷がついている、エアコンが臭い、ハンドルがべたつく、と書いてあった。

「キモイな、笹島、これ全部やらなくていいわ、とりあえずオイル交換とパット交換してろ」

 中川は車の外観もチェックするとアルミホイールの取り付けボルトの穴の奥まできれいに清掃されているのを確認して笹島にホイールの取り外しはインパクトレンチを使わずハンドツールでナットを取り外すように指示した。

 笹島は指示に従い21ミリの駒にビニールテープを巻き慎重にホイールナットの取り付け穴に傷をつけないように外し始めた。

 ここで判断を間違えてインパクトレンチを使ってホイールナットを外すと駒が穴の中でブレながら回転し穴の内側面に回転傷が入ってしまう、通常全ての客のホイールはインパクトレンチで外すが、病的に車を磨いている客はこの回転傷に激怒し最悪の場合店長が自宅を訪れ謝罪し、点検料を無料にさせられ高級ホイールを全て新品に弁償することになる。

「キャリパーと社外パッドにも傷つけないようにな」

 キャリパーは客が自分で赤く塗装をしていたので、外した時に塗料がはがれたり塗装面にすり傷が出来ないようにウエスで包んで慎重に作業し、持ち込みのブレーキパッドにも綺麗な黄緑色で塗装されていたので、汚れないようにパッドの縁を持って作業しないといけなかった。

 この一連の作業で通常の3倍の時間が掛かったが勿論料金は通常料金である、しかもパーツ持ち込みなので利益は通常より少ない。

 中川は依頼事項を手伝ったがエンジン音は何でもないので無視して、ラジオパネルの傷を確認した、確かに傷はあるが1年も経ってから新車の時からと言われてもメーカー請求は絶対に無理なので販社で修理代を被るしかない。

 この時点で点検料をもらっても赤字が確定する。軋み音はダッシュボードをばらさなければ直らないかもしれないので今回は触らない、細かい傷に神経質な客の内装はパーツを外すときにどうしても付いてしまう傷を許してはくれない、外せば外すほど弁償金額が上がっていくのでフロントの口で修理してもらう。

 エアコンの匂いは消臭剤を勧めるとして作業の必要は無い。

 続いてハンドルのべたつきを確認すると確かにベタベタしていたがこれは客の手汗が原因なのでどうしようもない、稀に体質なのか汗で樹脂や革を溶かす客がいるが、そんな事を伝えると激怒は確実なのでこれもまた販社負担で交換させられるだろう。

 ざっと2万円の売り上げと6万円の販社負担額になる。

 こう言う客が今後新車に乗り換える時にはサービス部も営業担当も積極的に売りに行かないのだが、何故かこう言う客ほどまた新車に乗り換え無限ループのようにクレームが終わらない面倒な客になる事が多い。

 中川は点検が終わりそうなので、フロントの長岡にインカムで洗車するか聞いた。

『洗わなくていいわ、因縁つけられたらめんどくさいから、どうせビカビカでしょ』

 長岡がインカムで答えて来たので中川は笹島にそのまま工場から出庫してショールームの玄関前に横付けするように伝えた。

 長岡はそれを見て客のテーブルに向かい点検内容を説明したが通常よりかなり時間が掛かっているようだった。

 30分程客に執拗に作業の説明をさせられ、やっと解放された長岡は玄関前に停めてある車に客を案内した。

 客は舐めるように車を眺めボディーの傷をチェックしてボンネットも自ら開けて確認した。

 納得してボンネットを慎重に閉めると今度はドアを開けて内装を確認し始めるとリア右ドア内張に傷が付いているとクレームが入った。

 長岡はインカムで客に聞こえないように言った。

『中川さん、右リアドア内張に傷付いてるって言われてんだけど……』

『今回の作業でリアドア開けてないぞ、その傷ウチ関係ないから、自分で傷付けといて今気付いたんじゃねぇの?』

 


 暫くして長岡は客と話をつけて工場にやって来た。

「何なんだよアイツ!」

「どうだった?」

 中川は結果が分かりつつも話を聞いてやった。

「絶対うちで傷つけたって騒いで埒開かないから、結局新品に部品交換させられる事になったよ、部品代7万、他のも合わせると全部で13万ウチで負担する事になったよ」

「災難だったな」

「ああ、あんな客帰り事故って死ねばいいのに」

「久々聞いたなそのセリフ」

「大赤字なだけじゃなく、時間も赤字だよ」

 そう吐き捨てると長岡は事務所に戻って行った。

 2人は悟った、今日も残業になるだろうと。





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