ゾンビ車

「中川さんはこの車の天張り交換やって下さい」

 サービスフロントの長岡がニヤニヤしながら言った。

「はぁ? マジか、天張りも交換すんのか?」

 サービス朝礼で本日の予定をメカニックに振り分けていると中川は呆れたと言わんばかりに声を上げた。

「その車昨日外注作業でフロントガラス交換したやつだろ?  だったらその時に天張り入れ替えれば良かったのに」

 車の天井の内張は前方の幅が広い車両が多く車の前方から交換した方が作業しやすい、後方から入れ替える場合は若干天張りを歪めて車内に入れ込む為部品に皺が出来る可能性がありクレームに発展する事がある。

「まあいいけど作業は午前中一杯掛かるぞ」

 中川は作業をを頭の中で組み立てた、

(バラシに一時間、天張りのパーツと配線の移設に一時間、組付けに一時間だな)

 早速作業に取り掛かり天張りの交換の邪魔になる部品を外し始めた。

 ルームランプ、グリップ、バイザー、ABCDピラーカバーなど外すものが多く最近の車両は電装品の配線が天張りに接着されているものも有り骨の折れる作業である。

 バラシの作業が半分程経過した頃中川は運転席側のBピラーカバーを外しにかかったが何かが引っかかる感触がありカバーが外れてこなかった。

「プリテンショナーシートベルトの部品が引っかかってんのか?」

 カバーの隙間からLEDペンライトを差し込んで内部を観察すると何か黒い塊が引っかかっているのが見えた。

 中川は注意深く30センチほどの長さのマイナスドライバーをカバーの隙間に入れ引っかかっている部品をかわしながら一気にBピラーカバーを引き抜いた。

 その瞬間カランと黒い部品が配線にぶら下がっているのが見えた。

「何だこれ? 」

 中川がその部品を手に取り確認すると裏側に自動車メーカーの刻印が印刷されていた、

「特殊工具? 何でこんな物ついてんだよ」

 意味が分からず配線が本来接続されるシートベルト側を見ると配線が付いていなかった。

 中川はハッとした、このプリテンショナーシートベルトは作動済みなのではないかと思いベルト引き込みワイヤーを触ってみると弛みがあった。

「作動済み、事故車か……」

 この特殊工具はエアバック系統に疑似抵抗をつなげて配線チェックをする抵抗器だった、エアバック系統の配線点検時にはテスターで抵抗を測るとテスターから流れる電流でエアバックが爆発する可能性が有るためエアバックの配線を外して同じ抵抗の特殊工具を繋げて測定したり、エアバック本体の合否判定の為に異常があると思われるエアバックと入れ替え故障診断機のエラーコードが正常に戻るかチェックする事が出来る物である、無論作動済みの火薬式シートベルトと入れ替えてしまえばシステム上は正常を示しメーター内の警告灯は消灯する。

 どっかの中古車屋で買ってきた新規顧客だとか長岡が言っていたが客はこの事を承知で車を購入したのだろうか、又は中古車業者がオークションで購入した時点で騙されたのか、事故車を購入して外観だけ補修して販売したのかは不明だがエアバックシステムが正常に作動しない状態に変わりは無い。

 中川は気になってインカムで長岡に話しかけた。

『長岡、天張り交換してる車なんだけどエアッバク作動済みの事故車だぞ、システムに抵抗入れて誤魔化してるわ』

 長岡からの返信は無かったが、暫くすると直接工場に車を見に来た。

「細工ってどこ?」

 長岡が運転席の窓から中を覗き込んで中川に話しかけてきた。

「そこのBピラーのエアバック線に抵抗付いてるよ」

 中川は顎で場所を指示した。

「あ~ホントだ、細工してるねぇ」

 Bピラーの根本のカーペットをめくりながら長岡は車内を調べ始めた。

「これピラー交換してるな、雑な溶接痕発見!大事故車だね。まぁ騙されたのか知ってて買ったのかは知らんけど、客に教えてやったら中古車屋と揉めるかもしれないし、そうなったらウチが中古車屋に恨まれるから見て見ぬふりするしかないよね中川さん」

「まあそうだが、客に探りぐらい入れてみたらどうなんだ?」

「何て? お客さん事故車買ったんですかって? 無理無理、わざわざ地雷踏みに行くこと無いでしょ、触らぬ神に祟りなしだよ」

 長岡は腰をかがめて笑いながら答えた。

「ウチはガラスから雨漏りしてガラスと天張り交換を依頼された、それだけ」

 そう言うと背中向きで手を振りながら長岡は事務所に戻っていった。



「わぁ、綺麗になおりましたねぇ。ありがとうございます」

 修理車両を引き取りに来た女性が乳児を抱きながら助手席ドアを開け、中川が交換作業をした新品の天張りを見ながら喜んでいた。

 中川と長岡は女性に貸し出していた代車から客の荷物を取り出し修理車のテールゲートを開け荷物の積み替えを手伝っていた。

「こんにちは、いくつかなぁ?」

 長岡が似合わない高い声で乳児に話しかけていた。

「もうすぐ1歳なんです」

 女性は子供をあやしながら答えていた。

 中川はチャイルドシートを後部座席にシートベルトで固定しながら長岡と客との他愛もない話を聞いていたが事故車の件には触れていなかった。

「お待たせしました」

 中川は客にチャイルドシートの取り付け完了を伝えると女性は乳児をチャイルドシートにのせて自らも運転席に乗り込んだ。

「また何かあればお気軽にお電話ください」

 長岡が運転席ドアを両手で外からしめつつ挨拶した。

 車が走り出し国道に消えるまで2人は見送った。

「結局言えなかったな」

 国道に体を向けたまま中川は長岡に静かに言った。

「これでいいんだよ、中川さん」

 長岡の答えに中川は心の中に何か濁りを感じたが次の修理車が待っているので工場にもどった。

 足取りはいつもより重く感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る