疑心暗鬼のエンスー

「この音ですよ、いま出てるでしょ?」

「いや……ちょっと解りませんが、どんな感じの音でしょうか?」

(正常な音しか聞こえないが)

 中川は白いSUVの助手席で車両の音に神経を集中させながら答えた。

「この音が解らないなら話になりませんよ、本当に聞こえないんですか?」

 白髪まじりの男が運転しながら中川に怒気を強めて言い放った。

「はぁ……すいません通常の走行音はしますが異常な音は感じられないので、どんな感じの音でしょうか?」

「このコーって音だよ解んないかなぁ、あんた本当に整備士なの? 何年整備やってるんだよ」

「申し訳ございません。20年程メカニックをやっています」

 長岡に客と同乗して異音を確認してくれと頼まれてかれこれ20分が経とうとしていた、ショールームを出発してから客が音が出やすいと言う手稲山のふもとまで連れて来られたが異常音は確認出来なかった。

 この男は札幌南店のショールームでこのSUVを中古で購入し、半年後エンジン警告灯が点灯し中古車の整備保障でイグニッションコイルを交換して納車直後からこの異音がすると言い南店のメカニックに診てもらったがメカの判断は『何でもない』と言われ納得できずに中川のいる西店に来たのだった。

 運転は車の持ち主である客に任せているのでこの男が納得しない限り西店には帰れず中川はほぼ拉致状態であった。

(上り坂での緩い加速で聞こえる音のことを言っているのか?)

「この音はターボが過給をを始めた時に出ているのでタービンノイズかエアクリーナーからの吸気音ではないでしょうか?」

「ターボがこわれているのか! だったら取り換えてくれ、こんな音してなっかったんだから」

「この音は正常な作動音ですので故障ではありません、ターボの故障では無くターボが効き始めた時の吸気音の可能性が高いです」

「南店で修理してからこの音か聞こえるんだ、修理の時に壊したんじゃないのか?」

「すいません、南店の修理状況を確認していないので分かりませんが、通常イグニッションコイルの交換では吸気系統は触らないのでその可能性は低いと思いますが……」

「私はね、南店が修理の時になにかやらかしたんだと思っています」

(南店は信頼されて無いな、小うるさい客だから適当にあしらったんだろう。完全に拗らせやがって。)

「う~ん、それではこの音が通常の作動音かどうか確認する方法があるので工場に戻ってもらっていいでしょうか? 走行しなくても音は再現できますので」

「そういえばネットでこの車種の3リッターNAエンジンで吸気音が静かになるパーツに交換してもらったというのを見たことがあります、ターボには何か対策部品は出ていないのですか?」

 自称、私は車が詳しいと言う客ほど厄介な客はいない。この手の客はカー雑誌を読み漁り受け売りの知識で武装していて整備士を論破してくる輩が多い、最近はネットの掲示板で修理に関する情報もあふれていて対策部品の情報や無償で修理してもらった体験談などを参考にカーディーラーに同様の対応を求めて来る事もある。

「確かにNAエンジンには対策部品は出ていますが、ターボエンジンはその様な部品は供給されていません」

「3リッターエンジンの部品はターボには付かないのですか?」

「ターボとNAではダクト形状が違うので取り付けはできません」

「兎に角南店で修理してもらってからなんですよ、この音が出始めたのは」

(じゃあ南に行けよ、時間が勿体ない。故障じゃねえし)

 中川はこの男との埒が開かない話しを早く切り上げて溜まっている故障車の修理をしなくてはならなかった。

「状況は分かりましたので工場に戻って頂けますか? 音の原因を再現致しますので」

 男は渋々了承してSUVを工場の方角へ向けて走り出した、その間南店で起きたことを3回繰り返して中川に説明した。

 10分程で工場に戻って直ぐに男立ち合いの下で一番リフトに車を入れてボンネットを開けた。

「先ほどの音ですが、ここで走行しなくても再現出来ますので確認して頂けますか?」と中川はエンジンのエアクリーナーボックスのトルクスねじを緩めて蓋を外して中からエアフィルターを抜き取った。

「準備が出来ましたので、助手席に乗って音を確認してみてください」

 中川は運転席に座るとドアを閉めてギヤをドライブに入れてブレーキを踏みながらアクセルを踏んだ。

 SUVは駆動系に負荷が掛かってはいるもののブレーキが踏まれているので走行できずにうなり音をあげて車体をのけ反らせた。

 その時ターボの吸気音がコーっと大きく響いた。

「おおっ、この音だ! 何なんだこれは?」

「エンジンの吸気音です、今行ったのはストールテストと言いまして車両停止時でも加給圧をかけることが出来ます」

「何でこんなに音が大きくなったんだ?」

「音を遮る部品を外しているので音量は大きくなります、この音は通常のターボの吸気音ですので正常です、心配いりません」

 中川は言い切った、ここで強気に出ないとこの様な神経質な客には納得して貰えないことが多い。

「うーん、そうか……」

 男は明らかにトーンダウンしていた、正常な物を異常だと言っていた自分に自信が無くなったようだ。

「分かった、正常ならいいんだ」

 中川は内心ほっとしながら直ぐに外した部品を組み付けてボンネットを閉めて工場から車両をバックで出し出口方向に車を向けて止めた。

 男はバツが悪そうにSUVに乗り込んで運転席の窓を開けた。

「どうもありがとう、手間とらせて悪かったね」

「いえいえこちらこそ、また何かございましたらお気軽にご連絡ください」

 中川は走り出したSUVを見えなくなるまで見送った。

「いやーお見事っ」

 後ろからサービスフロントの長岡が声を掛けてきた。

「お前なぁ、あの客のせいで一時間は無駄にしたぞ」

「あの客今度から中川さんの担当ね」

「勘弁してくれよ、1円にもならねえし」

「どうやって直したんです?」

「直してねえよ、人の記憶なんて曖昧なもんさ。数日間自分の車に乗ってなかっただけで元の音がわかんなくなるんだからな」

「中川さん、後2時間で予定のオルタネーター交換の客車取りに来るから早く終わらせて」

 長岡はニヤリと笑みを浮かべて早くやってくれと言っているようだった。

「はいはい分かったよ、でもあの作業時間掛かるぞ」

「中川さんなら余裕っしょ」

「まあな」

 二人は軽く笑ってそれぞれの持ち場に戻った。

「今日も残業だな」

 二人とも同じセリフを吐いた。

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