お客様が可哀そう

「これもうちょっと安く出来ないか? 」

 セールスの名波良二が、休憩室で弁当を広げている中川に後ろから声をかけて来た。

「フロントと相談して下さい」

 素っ気なく答えた中川。

「パーツ少し削れる所無いかな、最低限でってお客さんに頼まれてるんだ」

 五歳年上の名波が中川に車検見積書をテーブルの上に差し出して値引き交渉をしてきた。

 二人とも転職組だが中川の方が二年先にこの会社に入ったので名波から見ると年下の先輩と言うことになる。自動車ディーラーは離職率の高い会社が多く、この店では約八割が中途採用である。

 中川が愛の無い愛妻弁当の蓋を開けると、弁当箱にはおかず3個と大量の白米が入っていた、年々白米の割合が増えているが、以前おかずが少ないと妻に言ったら弁当を作らなくなったことがあるので文句は言えなかった。

「フロントの長岡に相談したら整備の詳細は解らないから中川さんに直接聞いてくれと言ってたんだけど」

 名波は七三分けの髪を撫でながら言った。

「あいつ、丸投げかよ……」

 中川は長岡の態度に腹が立って溜め息をついたがそれよりも貧相な弁当を食べているのを名波に見られていると思うと少し恥ずかしくなった、彼の愛妻弁当はいつ見ても眩しくみえた。見積書を手に取り内容を確認すると作業を省ける項目は無くこれが最低限の見積もりだった。

「無理だわ、これ。全部直さないと車検に合格しないから」

 中川は首を横に振りながら見積書を名波の方に突き返す。

「そこを何とか頼むよ、これを最後の車検にして乗り換える予定なんだ」

 名波は中川の背中をポンポン撫でながら言った。

「今回乗り換えさせろよ、どうせ2年後もこれが最後って言うんだろ?  高けりゃにでも持ってけよ、見て見ぬふりしてくれるから」

 中川は名波がいつも困った時にしてくるボディータッチが嫌いだったので背中の手を払いながら言った。

 名波は照りのある革靴をパタパタさせてイラつきながら「このお客さん去年ミッション交換して高額支払ってるし、息子さん今年大学入ったばかりで学費が大変らしいんだ、今回車検でこんなに金かかったら可哀そうだろ?」と食って掛かる。

「値引きさせられて利益が上がらず給料が上がらない社員おれたちは可哀そうじゃないのか?  営業社員おまえらは値引きダシに客に恩売って次買ってもらいたいんだろうけど、そう言う客ほど他社に乗り換えられてんじゃねえかよ」

 昼休憩に時間を取られて中川は少しイラついて語気を強めた。

「固いこと言うなよ、少しでいいんだ、な? 」

 名波はねこなで声で迫ってきた。

「無理、不正車検になるから。監査来たら一発営業停止、検査員解任、俺の名前は新聞のローカル面に小さく晒される、あんたの名前は晒されないからいいけどな」

 名波に話は終わったと言わんばかりに中川は弁当を頬張りはじめた。

 名波は黙って見積書を手に取り、むくれて休憩室を出て行った。

「全く!」

 中川は名波に意地悪と捉えられたのではないかと思い溜め息をついた。

 車検は修理の匙加減が難しい、一回でも故障に目をつぶったら前回はOKだったのに何で今回はダメなんだと言われかねない、勿論車は使用し続けるから前回見逃した箇所はもっと症状が悪化しているのでさらに金が掛かり負のスパイラルに陥っていく。さらにディーラーは高いと言って車検屋に客が流れると『あそこのディーラーは前回不正車検をした』と客に言いふらされ、客の為に安くしてやった恩を仇で返される事になる。

 店の評判が落ちるくらいなら仕方ないが、整備振興会に相談されると面倒なことになる。

 自動車検査員である中川には危ない橋は渡れなかった。

 中川は弁当を食べ終わると事務所横の給湯室に行き冷蔵庫から麦茶を出して自分専用のマグカップに注いでいると後ろから長岡の声がした。

「中川さん、昼に悪いんだけど出張修理行って来てもらえます? 」

「どうした? 」

 またメシは飲み込むだけだったかと思いながら中川は面倒くさそうに振り向いて肩を落とす。

「岩見沢の遊園地の駐車場でエンジン掛からなくなった車があって、すぐに来いってお客さん怒ってるんですよ」

 申し訳なさそうに長岡は胸の前で中川に向かって両手を合わせていた。

 車種と年式を聞いた中川は、パーツ庫から数点パーツを持ち出し搬送車に代車と一緒に積み込み早速出発した。

 出発してから一時間ほどすると高速道路からカラフルな観覧車が目に入る。

 割と早く着いたとホッとすると中川は高速道路岩見沢出口を下りて遊園地の駐車場に向かった。

 10分ほどで空きだらけの駐車場に着いた中川はゆっくり運転しながらか故障車を探した、すると奥の方で手を振る中年男性か見えた。

 中年男性はこっちに来いと言わんばかりに搬送車に向かって大きく手招きをしている。

「あれか?」

 中川は目を細めて男の横の車を見るとボンネットが開いていた。

 搬送車から降りた中川は神妙な面持ちを作って男に近づき「お待たせして申し訳ございません」と謝罪した。

「何時間待たせるんだ、この間お前の所で点検したばかりだぞ」

 顔を紅潮させた男は「まったく、点検で大丈夫と言ってただろ」とまくし立てて来た。

「申し訳ございません。」

 中川は短く言い、故障車の運転席にシートカバー一式を取り付け、車に乗り込みエンジンキーを回した。

 キュルキュルとセルモーターが元気よく回ったのでバッテリーは正常。

 もう一度今度は長めにセルモーターを回しながらアクセルペダルをパタパタと踏み込んでみたが、エンジンがかかる気配は全く感じられない。

 燃料系統の故障を疑った中川は開いているボンネットをのぞき込みエンジンルームのヒューズボックスの蓋を開け、男に向かって「すいませんがエンジンを掛けて貰っていいですか? 」と頼んだ。

 男はエンジンキーを回した。

 キュルキュルキュルとセルモーターが回るがエンジンは掛からない。

 中川はキーを回した瞬間に燃料ポンプリレーにカチッとスイッチが作動する振動を指先で確かめると、今度は工具箱からハンマーを取り出し車の横に仰向けに寝転がり「もう一度お願いできますか? 」と男に頼んだ。

 キュルキュルキュルとセルモーターが作動すると、中川は車体裏側から燃料タンクにハンマーを持った手を伸ばしてゴンゴンゴンゴンとタンクを叩き続けた。

 すると車はブスブスと音を立てながらエンジンが掛かった。

「おお!」

 男は喜びの声を上げた。

「直ったのか? 」

「原因は恐らく燃料ポンプだと思います、今は振動で一時的にポンプが復帰しただけなのでお車を預からせて下さい。また直ぐにエンジンは掛からなくなる可能性があります」

「燃料ポンプ? いくらするんだ!」

 男は中川に詰め寄って来た。

「部品代、工賃、込みで6万円ほどかと」

 中川は概算で伝えた。

「6万 ! そんなにするのか?  点検したばっかりだぞ、だいたいそんなに早く壊れるのか?  クレームだろそんなもん」

 中川はまくし立てる男をよそに車の点検ステッカーをチラッと確認した所点検時期が切れていたので男に尋ねた。

「お客様、最近12か月点検を受けられたのですか? 」

「あ?  い、いや、あれだ、10ポイントチェックだ、その時は何でもないから安心して乗ってくれって、フロントの太った奴いるだろ、あいつが言ってたぞ」

 無料点検だと悟られた男はサービスフロントの長岡が悪いと言わんばかりの勢いで言ってきた。

「10ポイントチェックは消耗品の点検ですし、燃料ポンプは燃料タンクの内部にあるので簡単に点検する事が出来ません、なので今回の故障個所は点検対象外です、工場に戻りましたら早急に分解点検し良否判断しますのでお車預からせてもらっていいでしょうか? 」

 中川は男を説得すると男は観念したのか渋々承諾して中川が搬送車から降ろした代車に乗り込んだ。

「修理代勉強してくれよ、こないだ診てもらったばっかりだから」

 意気消沈した男は値引き交渉をしてきたが、中川にはそれは織り込み済みだった。そもそも6万円と伝えたのも多めに見積もっての話である。

「フロントと相談してみます、お車の状況が確認出来ましたら一度ご連絡いたします。」

 中川は男の乗った代車が駐車場から消えるまで見送ってから搬送車の横で携帯電話で長岡に電話を掛けた。

「どうでした? 」

 長岡が電話に出るなり聞いて来た。

「すっげー客怒ってたぞ」

 声を低くして中川が伝える。

「えっ、マジすか? 」

 長岡がかなり焦っているように答えた。

「嘘だよ」

「ちょっ、やめてくださいよ」

 長岡から安堵の声を感じ取った中川は「燃料ポンプとパッキンオーダーしといてくれ、あと安くしろってよ。じゃ、戻るわ」と言って携帯を切ると男の車を搬送車に載せて斜めになった荷台を元に戻し運転席に乗り込んだ。

 戻ったら3時は過ぎると思った中川は、帰りにどんな僻地にも存在するコンビニ、セーコーマートで茶を買うことにした。


 札樽道新川出口を降りて10分程で工場に戻ると、搬送車から故障車を下ろそうとエンジンを掛けてみたがエンジンは掛かる気配は無かった。燃料タンクをたたいても掛からず仕方ないので中川は車両置き場の空きスペースに搬送車を近づけて荷台を斜めにしてエンジンの掛からない車に乗り込みギヤをニュートラルにして一気に荷台の傾斜を利用して降ろしつつ惰性で駐車スペースに一発で納めた。

 エンジンの掛からない車はパワステが効かずハンドルが重い上に、ブレーキ倍力装置にエンジンの負圧が掛からないのでブレーキの利きも非常に悪く、操作は力技になるので慣れが必要である。

 事務所に戻ると中川は故障車の鍵に荷札を付けて客の名前と車の4桁のナンバーを書き込んで壁面の鍵置き場に鍵を吊るした。

「お疲れ様です」

 背中から長岡が声をかけてきた。

「今戻った」

 中川は振り返って長岡の方を見ると「名波さんの客の車検、もう完成検査済ませて納車しましたんで」と訳の分からない事を言う。

長岡は昼休みに名波が値引き交渉してきた客の車がもう整備が終わり納車された事を伝えて来た。

「はぁ?  何だよそれ」

狐につままれた様な顔をした中川が意味が解らないとばかりに声を上げた。

「名波さん店長利用して客がすぐ新車買うから車検で取るように圧力かけてきました」

苦々しい顔で長岡が俯いた。

 天ぷら車検とはカラッと揚げる、即ちサラッと車検を上げる事である。

「完検は横山にやらせたのか? 」

「はい」

「お前なぁ、店長にもダメなものはダメだってちゃんと説明しろって、若い奴に危ない橋渡らせるなよ!」

「店長と名波は?」

「もう納車に行きました」

 中川はイラついて工場の鉄扉を開けると副検査員の横山に「横山、お前天ぷら車検やらされたんだって?」と洗車中の横山に聞いた。

「中川さん大丈夫です、俺そういうの嫌だったんで廃車置き場から中古部品外してロアアームのボールジョイント付け替えてから検査しましたから」

「そうか、横山がまともで良かったよ、あの部品は放置したらまずいからな」

「だってあの部品のガタつき酷かったじゃないですか、さすがにあれは車検通せませんよ走行中に外れたら人ひき殺すかもしれないし」

 ホッとしたのもつかの間だんだん怒りが込み上げてきた中川は、事務所で長岡に店長はいつ戻るのか確認する。

「あの二人、車検の客と商談するから直帰するらしいです」

「何だそれ、俺は今日の件、放置するつもりは無いからな」

 中川はそう吐き捨てると工場でつぶやいた。

「何かバカバカしくなった来たな」

 溜め息をつくと朝一で取り掛かっていたタイミングベルトの交換を再開した、緊急対応で時間を取られたため予定は大幅に遅れていたので、今日も残業は確実だろう。

「たまには早く帰りたいもんだな」

中川はため息をつきながら空を見上げると、空は薄暗くなっていた。

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