女の子は名前を真白といった。


 真白はとても小柄で可愛らしい子だった。

 白くてふわふわしたワンピースに身を包んでいて、日光できらきら光る緩くカールしたロングヘアがよく似合っている。

 小さな顔に大きな目。おそらくメイクは何ひとつ施していないんだろうけど、それでも目が離せないほど綺麗な顔立ちだった。


「お兄さんは、ここに何しに来たと?」


 真白の声。吸い込まれそうな程、濁りのない透明感のある声。僕はうっとりと聞き惚れてしまう。


「お兄さん?」

「あ、えと、ごめん。道に迷ったっつーか……、探検してたっつーか」

「よぉ入れたね。ここ、みんな入り口が分からんて言って入って来れんとに」


 そうなのか?

 僕にはハッキリと道が見えた。

 さらに誘われているかのように、まっすぐここまで歩いて来れたのだ。


「お兄さん、お名前は?」

「あ、自己紹介しちょらんかったね。僕は優斗。小鳥遊 優斗」

「優斗、さん」

「くんでいいよ」

「優斗くん」


 真白は笑った。

 とても純粋な笑顔だ。

 こんな風に笑う人、初めて見た。笑顔が綺麗な人って本当にいたんだと感動した。


「真白……は、今ひとりやと?」

「うん。ブランコに乗っちょったとよ」


 ああ、それでブランコが揺れていたのか。


「私、ひとりの時間が長かったから、誰かとこうやってお話できるんが嬉しいと」


 照れくさそうに俯きながら喋る真白。とても素直でいい子なんだろう、とすぐに分かった。


 真白は「こっち」と言いながら、僕をテラスへと案内してくれる。

 テラスに真白が腰掛けると、隣に座るように僕を誘導する。


 人を疑うことを知らないまっすぐな心。もしこれで僕が本当に泥棒だったらどうするんだろう、とか考えながら真白の隣に座った。


 隣同士で座る僕と真白。真白はにこにこしながらこちらを見ている。その可愛らしい笑顔に見つめられていると思うと、僕は何だか恥ずかしくなり、ちょっと目を逸らした。

「あのさ」と僕から話を切り出してみる。


「お願い事が叶ったって、どういうこと?」


 僕と最初会った時に言っていた言葉。僕は突然それを思い出し、真白に尋ねてみた。


「私ね、毎晩お星様にお願い事しよったと。『お友達ができますように』って」

「友達が欲しいと?」

「うん……。私、学校行きたくても行けんから」


 真白は病気だった。

 何やら免疫力がとても低い難しい病気のようで、すぐに体調を崩してしまうという。初めて聞く病気。


「名前が真白やから、私は何もない真っ白な存在。個性も癖も特徴もない。何もないから簡単に病気に染まっちゃうんよ。だからお父さんお母さんは私をおばあちゃんのいるこの家に置いていったんやと思う。一緒におっても、すぐ体調悪くして迷惑かけるから」

「お父さんとお母さんはどこに行ったと?」

「東京。お仕事があるって言って」


 真白はとても悲しそうな顔をしていた。さっきまでの笑顔とは違い、泣きそうな程しょんぼりしている。


「待って、真白」


 僕はキミのそんな顔を見たくなくて、思わず声を出していた。


「今の真白は真っ白な状態だからこそ、たくさんの色が入りやすいとよ。――空の色、海の色、大地の色、風の色」


 僕はiPadを取り出すと、ペイントアプリを開いた。


「ほら、今何もない真っ白やろ? ここに、ほら。ここに植えられている花の色」


 僕は赤、青、緑、黄色、と色を並べていく。ちょうどここに植えられている花の通りに。


「う……わぁ。きれい」

「そうやろ? 真白はこれからもっと綺麗な色に染まることができるとよ。もっともっと綺麗になれるとよ」


 僕はここまで言って、何だか恥ずかしくなった。


 まるで真白のことを「綺麗だ」と言っているようなもんじゃないか。


「あ、うーんと、僕そろそろ帰らんといかん」


 僕は慌ててiPadをかばんに入れる。

 すると、服を引っ張られて僕は動きを止めた。


「もう、帰ると?」


 上目遣いでうるうるとした瞳で僕を見上げる真白。もはや心臓は限界値を軽く突破していた。

 僕の服を握る真白の手に、僕の心臓の音が伝わるんじゃないかって思ってビクビクした。こんな感覚は初めてだった。


「ごめん、突然お邪魔したとに、いろいろ調子のいいことばっか話して」

「そんなことない。私、優斗くんと話せて楽しかった。また、遊びに来てくれる?」


 僕は――、断る理由なんてなかった。ゆっくりと頷いていた。


 ・


 あの時間は何だったんだろう。

 なんだか、とても幸せな時間だったような気がする。


 僕は自宅へ戻り、部屋のベッドに仰向けで倒れ込むと、天井を見ながら真白のことを考えていた。


 そんなに広くない僕の部屋の本棚には、ヘアメイクに関する本がズラリと並んでいる。そしてその下に置かれてあるボックスの中には、高校生の小遣いで揃う程度のメイク道具やヘアセットの道具たちが入っている。

 僕はその本やボックスに視線を向けた。


 真っ白だから、悪いものに染まりやすいと思っている真白。


 ――『何もない真っ白だから、それぞれの色は、それぞれの力を発揮する』



「よし」


 僕はボックスの中身を整理した。


 ・


「よぉー優斗。帰ろうぜ〜。コンビニ寄ってアイス食いてぇ……」

「悪りぃ悟。今日は先に帰るわ」


 いつものように帰りを誘ってくる悟を断り、僕はかばんとボックスを持つと一目散に教室を出た。

 そんな僕の様子に「お、おう」と小さな声で、僕を見送る悟。でもその声は、すでに教室を出ていた僕には届いてはいなかった。



「真白っ」

「優斗くん、来てくれたと?」


 僕は真白の家に向かっていた。


 学校からここまで結構距離があるけど、どうやらずっと走っていたらしい。かなり息切れしている。


「優斗くん、すごい汗」

「あー、ごめん。めっちゃ走ってきたかい」


 テラスの椅子に腰掛けて、本を読んでいた真白。

 ここは家全体が木に覆われて、いい感じに日陰が出来ていてとても涼しい。


 真白は本を閉じるとパタパタと僕の方へ走って来た。


「真白、走ったら危ねぇよ」

「だって、嬉しくて」


 ああ、真白のこの笑顔。

 本当に癒される。

 疲れなんてすぐに吹っ飛んでしまった。


「今日は真白を綺麗にしようと思って」


 僕は真白とテラスに向かうと、ボックスを広げた。


「うわぁ、なにこれなにこれ!」


 キャッキャッとはしゃぎながら僕のボックスを覗き込む真白。


「僕は今からキミに魔法をかけます」


 ドヤ顔でメイク道具を指の間に挟み、かっこつける僕。


「優斗くん、かっこいいっ」


 か、かっこいい……か。

 僕は単純なんだろうか。何だかとても嬉しかった。この言葉は正直いろんな人から言われている。でもキミに言われるのがこんなに嬉しいなんて思わなかった。何をしたらこの子がもっと喜んでくれるんだろうか、と強く強く思うようになった。


「はい、じゃあここに座って。目をつぶって」

「うん」


 白い椅子に座ってもらい、目を瞑る真白。

 まつ毛が長い。

 僕はドキドキする心臓を抑え込み、メイクを始めた。


 僕は土日になると、近所のお姉さんがやっている美容室でヘアメイクの勉強をさせてもらっている。希望がある人には無償でメイクをし、髪をセットする。全然資格もこれからだし、本の知識だけだけど、結構評判はいい。すべては将来の夢のため。僕は出来ることを精一杯やるようにしていた。


 真白の肌はとても綺麗だ。まるでむき卵のようにつるんとしている。なんだかそんな肌に余計なものを被せてしまう感覚になり、少々罪悪感を感じてしまうくらいだ。

 まつ毛はとても長く上を向いている。まさに天然まつエク。すうっと通った鼻筋、滑らかな唇。余計な施しはほとんど必要なかった。


 さらさらとした痛みのない髪質。くせ毛なんだろうが、とてもいい感じにまとまりウェーブしている。


 僕は楽しかった。

 こんなに真っ白なキャンバスの上を、僕の色で染めていける喜びを実感していた。

 手が止まらない。

 次々と溢れ出すアイデア。

 どこをどうすれば真白が綺麗になるのか、たくさん悩み考えた。


「優斗くん、できた?」

「うん、もうすぐ出来る。あとここをこうすれば――」


 ふと全体の確認をしようと、一歩下がって真白を見る。

 やっている時は夢中で気付かなかった。


 僕は――、完成した真白の姿を見て、感に堪える思いになった。

 顔を真っ赤にし、言葉を失い両手で口を抑える。


 春のそよ風がさらさらとなびいて、木々たちが音を出す。

 その隙間から太陽の光が差し込み、僕らを照らした。


「優斗くん?」


 思わず感極まって泣いてしまいそうになった。


 芸能人? モデル?

 そんなの比べ物にならない。


 ここには、天使がいた。

 きらきらと光輝く、澄み切った心を持った天使。


 目の前のキミは、キミという真っ白なキャンバスを上を、僕という色で描かれた、世界でたったひとりの存在だった。


「――綺麗」

「ん?」

「めっちゃ、綺麗」

「んー?」


 僕は真白を見て確信した。


 ああ――、僕は真白にとても惹かれているのだと。

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