10.予測不可能
無差別に立ち上る紫電が刹那目を眩ませた。あたりに鼻をつくオゾンの匂いが立ち籠めた。
しかし彼らに被害は無い。流れた電流はボンドの仕込んだ護りの呪いでほぼ無害化されている。手中で弾けた護符を認めて、目を瞬かせながらボンドが呻く。
「次の直撃はヤバ」
言いかけ、そのまま膝をついた。片手を煤けた壁に預け、ボンドは取り繕う暇も無く嘔吐した。
「ボンド!」
フューリアスの声。雨の中に吐瀉物のすえた匂いが漂いはじめた。スパイスが僅か、ボンドを気遣うように意識を向ける。彼女の
メギンギョルズ。ありふれた超人種だった男。
ルーキーもまた、ボンドに起きた不調の原因を理解した。いや、同じ苦しみを今、ルーキーはやっとのことで耐えていた。
稲妻を凌いだ直後に見えたメギンギョルズ。その姿は以前見た強化されたものとなにも変わらない。ただその物理的な外見を問うならば。
しかし、違う。眼鏡越しに
ルーキーは眼鏡の機能を停止させ、唇を噛みきった。視界に構造体は消えたが、それは未だにルーキーの脳裏に焼き付いている。血の味が僅かにそこから意識を逸らさせてくれる。
見えたモノの意味を考えるなら、あれがメギンギョルズの異能の根源と見るべきだろう。それがなんなのか分からない以上、意味は無いのだが。
そしてそれを考える時間もまた無かった。二度、無作為にメギンギョルズの肉体から放電が迸り、なにも無い場所を撃った。制御しているようには見えない。食いしばる歯の隙間から漏れる呼気は何かを押し殺しているようだ。
そのメギンギョルズに、亜音速の弾丸が迫る。警官隊による狙撃だ。工場施設内の高所から二発。人体を破壊するのに充分すぎる威力。一つは胴を、もう一つは脚を狙う。過たず命中する軌跡、見事な腕だ。これが射撃訓練なら賞賛の一つもあるだろう。
だが、メギンギョルズの肉体はブレた。
そう。本当ならここでボンドがメギンギョルズを食い止める手筈だ。しかしそれはできないだろう。ルーキーは素早くベルトから鎖の小片を取り出し、メギンギョルズに擲った。
「《おれたちは鎖に繋がれるんだ、そして自由がなくなるんだ》」
鋭く呪文を
「ボンドさん! 可能なら援護を!」
返答を確認する余裕はない。薙ぎ払うような
銃声が一つ、後方から飛来した弾丸がメギンギョルズの肩を掠める。その肉体に傷は無い。ただ血走った目がそちらへと向けられただけ。肉体の頑強さは交戦時と遜色ないらしい。荒く息を吐くその姿は、ヒーローというより狂った
声にならない叫びとともに、更に電撃が三条奔る。今度は無作為という訳では無い。向ける怒りに従って、フューリアスを狙う。電撃はフューリアスには届かず、彼の盾代わりとなった壁面を粉砕するにとどまった。
その間にも駆けたスパイスが
「ああ、もう!」
蹴撃と電撃、しかしどちらもメギンギョルズを無力化するほどでは無い。振り回すような手の一撃がスパイスを襲う。その身体を蹴って、スパイスは距離を取った。
軋む義腕の指先から鋭い
いいや、速いのはスパイスだけではない。ルーキーもまた、常とはかけ離れた速度でメギンギョルズへと迫る。
鋭い一撃がメギンギョルズの腕を裂き、重厚な掌打がその腰を撃つ。更に跳躍したスパイスがメギンギョルズの頭上を越えざまにくるりと弧を描いて蹴りつけた。首筋への一撃、さすがのメギンギョルズもぐらりと揺れる。
だが、まだだ。メギンギョルズの顔が歪み、その激情が一際露わになった。
同時に
「なに、これ」
スパイスの小さな呻き。
「おそらく」
息も絶え絶えにボンドが声を張り上げた。
「それがこの状況の本質だ」
おそらくはこの無秩序な暴走の。そして異能の獲得の。
ルーキーにも異論は無い。届いた
ある意味ではメギンギョルズもまた被害者なのかもしれない、そう思った。
「……だけどまずいな。無力化を急ごう」
「どうまずい」
ああ、とボンドのかすれた声。その間にもスパイスとルーキーはメギンギョルズの一撃を避け、放たれんとする電撃を誘導し、そして好機を探した。
「転写だよ、フューリアス。精神の変容と
特に制御できていないのなら、とボンドは告げる。メギンギョルズの視野を得たということは繋がったということだ。それが長く続けばあるいはそういうこともありえるだろう。
「……そうか」
フューリアスの声が苦渋に満ちる。
「ルーキー、プランは変更だ。増援を待つのは危険らしい。俺達だけで――」
「言うまでもありません!」
ルーキーはフューリアスに叫んで返した。その危険性があるのならば、一刻も早く事態を沈静化できるようにと全力を尽くすのみだ。
白兵戦に限っても二対一。腐っても元ヒーローと言うべきか、単純な格闘においてもメギンギョルズは脅威だ。しかし無敵ではない。酷く厄介なのは事実だが、敵わないわけではない。
ルーキーは千本を打ち、メギンギョルズの雷電をいなす。更に左手で結印し、短い呪句を口走る。負のエネルギーが行き場を求めてルーキーの体内を駆け巡った。その生命力を流出させる死の一触れを右の掌に載せ、メギンギョルズに叩きつける。
身体が冷えていく感覚に、ルーキーは内功を調息した。無理矢理に温度を取り戻し、更に内力を回す。メギンギョルズがその手で掴みかかるのを辛うじて躱して距離を取った。その隙をスパイスが引き継ぎ、翻弄する。速さにおいて、今ボンドの援護を受けたスパイスを越えるものはいない。引くか攻めるか、巧みな動きは熟練の技を感じさせる。
メギンギョルズの膂力に任せた一撃は、ゆるやかにその精彩を欠きつつあった。ルーキーの魔術は意外なほどに成果を上げている。よし、とルーキーは脳内でいくつかのプランを作り出す。
だがそれは即座に切り上げざるを得なかった。メギンギョルズの動き、怪力を頼みとしたそれが今、目の前で変化を遂げていた。
鋭い刺突がスパイスの眼を襲っていた。伸びた手を躱したところで手刀がスパイスの胸元を狙う。冷や汗とともに一歩下がる。次の瞬間には、スパイスの襟をメギンギョルズが取っていた。まるで手品の如く、意識の虚を衝く。こうなれば加速の有無など些細な問題だ。
そのまま投げ上げ、叩きつける。スパイスは血を吐いた。地面が未舗装だったのは行幸だろう。そうでなければ一撃で無力化までありえたのは明白だ。
スパイスはコートを脱ぎ捨て、メギンギョルズからなんとか逃げ延びる。
「冗談、そんなことまで?」
余裕の無い中で、笑い混じりに口にしたのはそんな言葉だ。つまり、新たに武術を獲得したということ。直前までの動きとは打って変わったそれは、紛れもなく熟練の技、練達者の証である。
メギンギョルズは武を見せた。しかし、その肉体に蓄積した負荷は失われていないはずだ。都合一時間以上の暴走もある。
それに、とルーキーは自らに言い聞かせる。学んで身につく技術に関しては、ルーキーもおさおさ引けは取らない。ことにそれら複数を操ることにかけては。
「スパイスさん!」
擲った千本は、メギンギョルズの手にしたコートに打ち払われた。雨を受けて重くなったコートは音を立てて水を跳ね飛ばした。
「全力で白兵戦を!」
「やれ、って言うならやるけどね?」
加速した感覚の中、それでもなお驚くほどの速度でスパイスは動いた。銀の輪郭が雨粒の中に残影を残す。旋転、メギンギョルズの肩から血が飛沫く。
無論メギンギョルズもやられっぱなしではない。本来なら首筋を狙った危険な一撃だ。それを肩で受けたのみ。流れるもので左腕を赤く染めたまま、メギンギョルズは技を奮う。ルーキーとスパイスの眼には遅鈍と映るそれが、しかし高速のスパイスの動きを鳥籠のように包み込もうとしていた。スパイスの足が蹈鞴を踏む。
大きく開いた手が迅雷の速度で掴みにかかる。スパイスはその頬に鮫のような笑みを浮かべ、あえて受けた。白銀の手がメギンギョルズの手と組合い、そのまま機械仕掛けの力で締め上げる。ボンドの魔術がそこにさらなる力を加え、メギンギョルズとて対応しきれぬほどのものに仕上げている。
それがただの人間ならばスパイスの速度が殺されるところだ。しかしスパイスはメギンギョルズの右腕と組んだまま、重厚な蹴りをその右側頭部に見舞った。通常の人体を越えた関節駆動を許す
その指がねじれかけたとき紫電が奔った。弾けるようにして、強引にスパイスを振りほどく。
「ッた!」
スパイスの顔が苦痛に歪む。しかしそれも一瞬だ。力強い不敵な笑みがその唇に浮かんだ。
そして、虚空から伸びたルーキーの一撃がメギンギョルズの喉を襲った。
剣指を刃に見立てた必殺の刺突。触れると同時に、ルーキーの魔術が弾けてメギンギョルズの経穴を襲う。雨の中に溶け込んだ身体がその色を取り戻す。
メギンギョルズの身体が揺れる。そうして力なく膝をつく。
その目が裏返るのを、ルーキーは確かめた。一際強く吹いた風が、その顔に雨を叩きつける。
音を立ててメギンギョルズの身体が泥に塗れた。
「……これで終わりかな、
自らの魔術の成否を、ルーキーは確かに感じていた。間違いなくメギンギョルズの意識を奪った。無力化は、これで完了だ。
その肩から力が抜けて、ルーキーは安堵に頬が緩むのを感じていた。
「ええ、はい」
湧き上がる誇らしさが表情に浮き上がるのを許す。ルーキーは眼鏡の魔術的性質を呼び起こしながら、言葉を続けた。
「これで、メギンギョルズは」
「まだだ、ルーキー!」
割り込むように叫んだのはボンドだ。同時に、ルーキーの視界にもその理由が分かる。非物質の世界を見る眼、その視界の中でメギンギョルズの精神構造体が巡るのを見た。
「スパイスさ、」
飛びすさる。何故そんなことをしたのか分からないまま。
だが、その理由はすぐに分かった。
刹那天から堕ちたその一撃がメギンギョルズを打ちのめす。
眼を灼く白光、耳を聾する轟音。何故と問う声は形にもならない。
再度見えるようになった世界、最初に見えたのはメギンギョルズだ。両手を広げ、空に浮かぶメギンギョルズ。
「……あ、あ?」
呆けたような声を上げる。理解が及ばない。いいや、何が起こったかが、ではない。その眼に映るものだ。
それはつまりメギンギョルズだった。人の精神ならぬもの。無数の精神構造体からなる完全なる球体。交雑しながら一つであるもの。
高次の領域にある精神を、
「――ルーキー! メギンギョルズに擬似的な神格が宿りはじめている!」
ボンドの声に、ルーキーはやっと正気を取り戻した。
メギンギョルズはいまやメギンギョルズではなかった。神の端末とでも呼ぶべきもの――擬人化された神の力そのもの。
既に事態はルーキーの理解の範疇を越えていた。
対話不能な神という完全なる災害。そんなものが出現することなど、複雑な儀式の果てにしかありえないというのが通説だ。
だがそんなものはなかった。ならばこれはいったいなんだというのか。
気付かぬうちに、ルーキーの身体は瘧にかかったかのように震えはじめていた。
力なく見上げる空は黒雲が渦を巻き、雨脚は次第に強く、そして雲の中に無限の雷電を孕みつつある。それがメギンギョルズによるものだと考えるまでも無く理解する。
「ルーキー!」
肩を強く揺さぶられ、ルーキーは自分が立ち尽くしていたことに気付いた。フューリアスが肩を掴んでいる。呼吸を忘れかけていた喉をようやく空気が通り抜ける。
メギンギョルズは宙空にある。手を出そうにも届かない場所。
「状況は分かるか。説明できるかルーキー」
フューリアスの言葉を遮るように轟音が一度。雷鳴に、ルーキーは思わず身を竦ませた。
その肩を抱いて、フューリアスが走る。導かれるままにルーキーは足を動かした。
工場施設に滑り込む。雨から逃れて、ルーキーは却って寒さを実感した。雨のヴェールが外と中を分ける。その白い壁の向こうに、光を纏うメギンギョルズの姿がある。
「大丈夫、ルーキー?」
続いて飛び込んだスパイスが犬のように水を払い飛ばしながら尋ねる。小脇に抱えられたボンドは落とされ、床に自身に似た型を残す羽目になった。
「それで、どうする? 今のあたしじゃ、あいつにできることはフューリアス以下だけど」
大型の拳銃を見せて、スパイスはお手上げだとジェスチャーを一つ。
「もし飛ばしてもらうにしたって、今のあいつなんだか得体が知れない感じ。それで」
「落ち着けスパイス。まずは状況の整理だ」
低いフューリアスの声に、スパイスは腰に手を当てて口を閉ざす。
「ルーキー、頼む」
「は、はい……」
ルーキーは思考を巡らせた。ボンドと眼を合わせ、互いに頷く。足りないことはボンドに委ねる他は無い。
「まず……メギンギョルズは現在、神に限りなく近い存在になっています」
フューリアスの眉が動いた。
「神の物質的な顕現。まだ完全なそれとは違いますが、意識の無いままに権能を振るいだせばおそらく被害は甚大なものに」
例えばこの雨と雷だ。飛び交っていた時とは比べものにならない範囲を、今メギンギョルズは危機に陥れている。
「……そうか。メギンギョルズ、か」
フューリアスの言葉に、ルーキーは小さく頷いた。メギンギョルズ、即ち北欧の戦神トールの持ち物。雷神でもあるトールと縁ある名がこの権能を導いていると言うのは、魔術師としては実に理解しやすい道理だ。
しかし、とフューリアスは眉間にしわを寄せたまま、額に指を当てて束の間黙考する。
「何故だ?」
その問いに、ルーキーは応えを出せない。
「何故神に、なんて僕が聞きたいよ。フューリアス。これはそんなに簡単なものじゃない。おそらくは事故だろう。まあ、最悪な事故だけどね」
濡れたコートの裾を払って、ボンドは空を見上げた。
「最後のトリガーは分かってる。メギンギョルズの意識が途絶えたことだ。精神のかたちに対して枷になっていたメギンギョルズの主観が消えたからだよ」
見ていたから、とボンドは疲労混じりに口にする。だから分かるのだ、と。
その言葉に、ルーキーはぎくりと身を震わせた。ぎこちなくボンドの顔を見る。けれどその顔に、疲労以外の色は見えない。
「気にするな、ルーキー」
「で、ですが……」
メギンギョルズの意識を刈り取ったのはルーキーだ。気にするな、などと。渋るルーキーに、フューリアスは尚も続けた。
「予測不可能な状況だ。お前に責任はない」
「ま、そうね。フューリアスの言うとおり」
スパイスが、ルーキーにそっと手を添えた。
「責任を問うより先に、奴への対処が必要だ。それで、ボンド? 続きを頼む」
「分かってるよ。メギンギョルズが最終的に神格を獲得したのは精神の変容が原因だ。僕の見たところ、これは獲得した異能を操るための変容だ。つまりだね、」
「適正の無い異能を操るための、か?」
「そう。それも外部から獲得してる線が濃厚だね」
「ならさ、それが無くなればメギンギョルズは
ボンドの指先が、こつこつとコンクリート壁を叩いた。雷鳴は止むこと無く響き続け、時折長い影が工場内に浮かび上がる。
「可能性は高いね。そもそも不自然な変容が原因なんだ。身の丈に合わない、とでも言えばいいかな」
「でも原因が……」
「そうね。でも」
スパイスは楽しげに指を鳴らした。
「フューリアス。
フューリアスは端末を取り出し、キーを叩いた。
「思い当たるところでもあるのか」
「分からない。でも」
スパイスは首筋をなぞる。
「やり合ってる時に
生身の腕を眺め、その眼が駆動音を立てる。
「あいつの動き、A.C.W.のデモンストレーションで、確かに。最後の、ほら」
「格闘技能。……そうか」
フューリアスは頷いた。A.G.W.の新作、技能拡張サイバーウェア。ほらこれ、とスパイスが差し出した端末では、これと言った特徴の無い男が、埋め込んだサイバーウェアの起動によって見違えるほどの動きを成し遂げている様が映し出されている。
「だが、こいつは実際には動作補助がメインだって話だろ。最後の格闘技はともかく、異能なんて」
「そいつはあたしにもわかんないよ。ただ、可能性はあるって話」
頷いたフューリアスの手中で端末が震えた。届いたメッセージを確認し、フューリアスはにやりと笑う。
「ビンゴだな。メギンギョルズに最近の通院歴はない」
「なら、
「サイバーウェアを止めるなら……どうする? 僕はそっちには疎いんだけど」
簡単さ、とスパイスは笑う。
「
いける? とその笑顔を向けられて、しかしフューリアスは首を振った。
「アドレスがはっきりしない上にこの落雷だ。遠隔からのクラッキングは難しいらしい」
なら、と言いかけてスパイスは唇を尖らせた。代替手段はすぐには出てこない。メギンギョルズは空に静止し、雨中にその神々しさを振りまいていた。
苛立ち混じりにコンクリート壁を蹴り、その欠片を毀れさせる。しかしどうしようもない。束の間の沈黙。
「あの」
そして、それを打ち破ったのはルーキーだった。
ルーキーは考える。できるだろうか。多分、おそらく。
「……一つ、思いついたことがあります」
◆◆◆
工場の屋上から、ルーキーはメギンギョルズの姿を見る。ルーキーより3、4メートル上を悠々と揺れるその姿。意識は無いまま、神の権能を震い続けている。降り続く雨は街のあちこちを飲み込みはじめ、そろそろ避難が必要な場所もでてきているはずだ。
ルーキーは息を整え、手にくくりつけた端末を見た。その画面からは、蜘蛛を象ったアイコンが静かにこちらを見返している。パラダイムシフトの送ってきたデータ、つまりこの端末を含めて近距離のあらゆる端末に潜り込み、自動的にシステムを破壊する
「いけそう、ルーキー?」
スパイスの質問に、ルーキーはこくりと頷いた。ボンドのかけた
「大丈夫です。任せてください」
「そう。……あたしが行ければよかったんだけど」
だが、それは無理な話だ。この端末は、言うなれば極至近距離すべての機械を灼く電子的な爆弾になる。機械仕掛けに身を委ねたスパイスには、それこそ命取りになる。なにより自分の考えたことだ。だから、ルーキーは自分こそがと主張した。
「できるだけ、離れていてください」
ルーキーの言葉に、分かったよと応えてスパイスは踵を返した。屋上の雨を蹴立てて、その姿が施設内へと消えるのを見届けてからルーキーは宙に足を進めた。
酷い雨が顔を打つ。身体はどんどん重くなるというのに、それに反してルーキーの身体は空へと舞い上がる。
ルーキーの案は、取り立ててたいしたものではない。遠距離がダメなら近距離で、指定できないなら無差別にというだけのものだ。
PDAの画面上で、蜘蛛にヱビスが戯れる。その構成をほどいて、ルーキーはメギンギョルズへと伸ばす糸にした。その流れに手を掛けて、空を歩く。
雷鳴、落雷。少し離れたところで樹が燃え上がった。それがルーキーの身体を撃っていれば、きっとひとたまりもあるまい。
けれど、ルーキーに焦りは無い。眼下にボンドとフューリアスの姿が見えた。フューリアスの確保していた護符を一通り受け取り、更にボンドが
だから、ルーキーは歩く。雨を受けながら、向かい風に向かっていく。
呆気なく、あまりにも呆気なく空の歩みは終わりを告げた。
目の前にはメギンギョルズの姿。神聖さを装いながらも哀れな、元ヒーローの姿。その
ルーキーは端末の画面を確認した。蜘蛛は動き出す時を待っている。
逡巡なく、ルーキーは蜘蛛の起動コマンドを入力した。蜘蛛は画面から消えて、そして端末画面が光を失う。
目の前で、メギンギョルズの球体がほつれた。自ら無数の糸へと解れ、そしてかたちを維持できずに、自ら崩壊していく。
不意に聖性を失ったメギンギョルズを、ルーキーはなんとか抱え止めた。意識の無い身体は酷く重い。一際強い風が吹いて、濡れた髪を泳がせた。けれどそれを皮切りに、暗雲は静かに、雷鳴は止んで雨は小さく、そして消えていく。
「メギンギョルズ」
緩やかに大地へ向けて降下しながら、ルーキーはそう口にした。
「異能による暴行、その他の犯罪によって――」
フューリアスとボンドに目を向ける。
「シルバーバレットが確保します」
そう口にして、ルーキーは大地に降り立った。メギンギョルズの重たさが腕にかかる。思わず倒れそうになりながら、それでもなんとか踏ん張った。
空の雨雲は迅速に消え去って、いつの間にか空には星が見え始めていた。濡れた身体が、風をいつも以上に冷たく感じる。
やっとのことでメギンギョルズを地面へと横たえて、ルーキーは自慢げに胸を張った。
「終わりました。フューリアスさん」
見上げる先には、相も変わらない不機嫌そうな顔。
「そうか」
そう、フューリアスは言う。そうしてあとの二人が駆け寄るよりも先に、その顔のまま口にする。
「よくやった、ルーキー。たいしたもんだ」
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