06.お手柄だって言ってくれ

「七十三、か」


 柔らかなソファに埋まるように腰掛けて、フューリアスは数を唱えた。

 傍らに、これもまた同じソファにちょこんと座ったルーキーはぎこちなくはいと応えるのみ。


 ふう、と息を吐くフューリアスに、ルーキーはより一層身を固くする。その頑ななかんばせは、羞恥と怒りと悲哀をないまぜにしたうえでその複雑な感情を無理やり押し込んだが故のものだ。


「ま、よくやった」

 本心のまったく感じられないその言葉に、思わずルーキーの肩に力が入る。よくやったなどと言えるはずがないとルーキー自身が一番良く理解している。本当はこんなはずではないとそう主張したくとも、しかし結果は厳然としてそこにあった。

 ルーキーの手中に収まるPDA。そのディスプレイに表示されたマップには、勤めの完遂に欣喜雀躍するヱビスと、そして彼が指し示したピン。

 ――ヱビスの本体、即ち異能暴行犯を表すはずのピンの表示数は七十三に及んでいた。


◆◆◆


 三度目の探査を行っても、導き出されるのは二本以上のピンがマップ上に存在するという明らかな誤り。その事実にルーキーが焦りを感じ始めた頃に、ようやくフューリアスは帰ってきた。有無を言わせずにルーキーの戦果(あるいは失態だ)を公開させ、何も告げずに車で移動。それからあれよあれよと言う間に場末の事務所で二人、ソファに腰掛けている。


 無数のサーバのフィンが回転する音が、事務所内を満たしていた。奥にある作業室らしき場所からはみ出したいくつものケーブルが、ここがどのような場所なのか朧気に伝えてくる。衝立で囲まれた極僅かな応接空間を除いて、ここには機械の匂いで満ちている。そしてなにより、ここの主が。

 目の前のテーブルで機械仕掛けの駆動体ドローンが転がった。遠隔操作された端末、八脚で本体を支える蜘蛛状の機体だ。目の前で生物の如く振る舞う、機械工学の権化。


「やあ、お待たせ」


 に搭載されたスピーカーから、少年めいた声が響く。本人の声かどうかは分からない。目の前に存在しない目の前の、そしてその同類は機械を操る神デウスエクスマキナのようなものだからだ。即ち電脳接続者ニューロマンサー義体工学サイバネティクスが切り開いた人類と機械の統合を通じて、肉体ならぬ機械を掌握した者。


 そして、彼の歓迎の言葉に従うように独りでにワゴンが進み出る。上には二人分のティーセットとお湯の入ったケトルがある。


「お茶は適当に飲んでよ、オレは飲まないからね。ああそう、オレはパラダイムシフト。よろしく、銀弾機関の新入りさん」


 言われる前に、既にフューリアスはティーカップに手を伸ばしている。砂糖とミルクを一つずつ放り込んで、安物だなと呟きながらすすり込む。

 おずおずと、ルーキーもそれにならった。機械仕掛けの蜘蛛がそれを期待しているのが分かったからだ。これが彼なりのもてなしなのだと言うのは分かる。それを無碍にはできなかった。


「それで」


 と、パラダイムシフトと名乗った奇妙な電脳接続者が言う。


「監視カメラの情報はまだ分析中だよ。暴走サイキックの居所が分かれば連絡するって言っただろ?」


 その言葉に、ルーキーは思わずフューリアスを見た。パラダイムシフトは少なくとも銀弾機関の人間ではない。それが監視カメラの情報にアクセスし、暴走サイキックを追いかけているのだとしたら――それは犯罪では?

 フューリアスはルーキーの視線を受け止め、じろりと睨み返すとティーカップをワゴンに戻した。


「こいつは善意の協力者だ」

「善意? よく言うよ」


 大袈裟なジェスチャーで蜘蛛が嘆いてみせる。軽やかに飛び上がってルーキーの足下に着地し、それから前足二本で何事かアピールしてみるよ。


「君も災難だね。スワロウみたいに病院送りにならなきゃいいけど」

「パラダイムシフト」


 フューリアスの声に圧が籠もる。やれやれと肩をすくめて、パラダイムシフトはテーブルに戻った。せわしなく八本の脚を動かして、二人の目の前を前後する。


「分かったよ。分かった。おふざけなし。オレはパラダイムシフト。見ての通りの電脳接続者ニューロマンサー。色々あってフューリアスの情報提供者ってわけ。それで、フューリアス。もう一回聞くけど別に新人を紹介しに来たわけじゃないんでしょ?」

「ああ。ルーキー、さっきのやつを」


 言われて、ルーキーはPDAを差し出した。ディスプレイには相変わらずいくつもピンが表示されている。二本の手でそれを受け取って、パラダイムシフトは機械仕掛けの目でそれを眺めた。


「このデータだけもらっていいかな?」

「え、ええ。はい」


 答えるが早いか、パラダイムシフトのアームから端子が伸びた。PDAに差し込むと、パラダイムシフトは楽しげに鼻歌を奏で始める。まるで生き物の如く、リズムに合わせて身体を揺らして見せもする。


「いじるなよ、パラダイムシフト」

「失礼だな。こんなので中身を引っ張り出したところでオレの実力の証明にはならないだろ」


 言い終えて、パラダイムシフトは端子を引き抜く。ちょこちょことルーキーに歩み寄り、PDAを差し出した。

 PDAを受け取ると、パラダイムシフトはそのアームのツメをすり合わせた。


「これのデータがどうしたの? 怪しいの? 監視カメラ、この辺に絞り込もうか?」

「いや、もう一つだ。被害者の情報が手に入った」


 そう言って、フューリアスは自身のPDAを操作した。それから付け加える。


「プライムが確認した」


 言ったフューリアスが、つかの間ルーキーを見たというのは錯覚ではないだろう。自分を否定された気になって、ルーキーは思わず俯いた。追い打ちのようにフューリアスの舌打ちが聞こえる。

 だがフューリアスとルーキーのやりとりも、パラダイムシフトには興味がないらしかった。その八脚をせわしなく動かして、データの処理に余念が無い。さらに二度、そのつま先でテーブルを叩く。


「フューリアス、これダミーくさいけど本物の経歴?」

「おそらくだが、更生犯罪者保護あたりで隠蔽されてるはずだ。能力を失った元ヴィランを当たってくれ」

「オーケイ、見つけたよ。バッチリ、逮捕時の状況まで分かるよ。それで、どうする?」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 二人のやりとりにルーキーが割り込んだ。無機質なパラダイムシフトの目がルーキーにフォーカスし、フューリアスもまた半目になってルーキーを見る。


「それは秘匿情報じゃないんですか!」

「それがどうした」


 問い詰めるルーキーを、フューリアスは呆れたようにいなした。


「事件の解決を旨とする限り、銀弾機関は法の束縛を受けない。犯人を追いたいんじゃないのか?」

「ですがパラダイムシフトさんは……!」

「だから俺が使ってるんだろうが」


 呼び捨てにしてくれよなと揺れるパラダイムシフトを余所に、ルーキーとフューリアスはつかの間視線を争わせた。


 ルーキーは、勿論前言を撤回するつもりはない。いくら教育係のやり方がそうだからと言って、ルーキー自身の哲学に従えば肯んじることはできなかった。誰かに任せる負けるのでは意味が無い。

 フューリアスは訝しげな目を向けたままさらに数秒、溜息をついた。


だルーキー」

「なんですか!」


 フューリアスは首を振って、呼吸を一つ。


「良いだろう。じゃあ俺が役所に行って事情を説明したとする。向こうでそれなりの時間を掛けることになるな。そこからこいつにまた調査を任せるか、お前がいうようにそれがダメなら別のルートを探す必要がある。その間にあいつがまた暴走しない保証はない」


 分かっているだろう、とフューリアスは首をかしげてみせる。それを言われれば、ルーキーに否定する言葉は無い。少なくとも、空振りをしているルーキーには。

 確かに、と答えるルーキーに、フューリアスは一度頷いた。そしてパラダイムシフトに促した。


「ということだ。続けてくれ、パラダイムシフト」

「アイアイサ。ははーん、このヴィランの人結構人気者なんじゃないかな」

「余計なことはいい。そいつの関連ヒーローを洗おう。引退済みのやつを優先的に追ってくれ。できるか?」

「誰に言ってんのさ」


 機械蜘蛛がテーブルの上で華麗にステップを踏む。蚊帳の外のルーキーはそれをただ見つめることしかできない。


「二秒でできるさ、こんなの。オーケイフューリアス、関連してたヒーローはリストアップできた。引退してるやつも多いね」

「素顔のデータは?」

「七割割れてる。残りは慎重派だよ。もっとファンサービスしろよなー」


 電脳化を行っていないルーキーでも、ウェブを介してある程度の情報を得ることはできるだろう。しかしこの速度で、とはいかない。打ちのめされた気持ちになって、ルーキーは抱えたコートをさらに強く握りしめた。

 フューリアスが自分を横目に見たのが分かった。一体どんな気持ちですか、と問いかけたくなったが、ルーキーはなんとか抑えた。

 フューリアスの指先がテーブルを叩く。そして不意に手を打ち鳴らし、続ける。


「まずは割れてる連中からだ。そいつらの関係する住所アドレスとルーキーのデータを重ねてくれ。重なった奴を監視カメラ映像からチェック。いいな?」


 パラダイムシフトの軽い返事を無視して、フューリアスは相変わらず不機嫌そうな顔でルーキーを見下ろした。


「こいつでヒットすればお前の手柄だ。ルーキー」


 つまらない慰めはやめてくださいと言うのを、ルーキーはなんとか飲み込んだ。その代わり気丈にフューリアスを見返して「ありがとうございます」と口にした。可愛げの無い新入りにフューリアスは鼻を鳴らす。


「ま、上出来だ」


 何が上出来だと言うのだろう。ルーキーは視線を部屋の中へ巡らし、聞こえなかった振りをした。つくづく、ルーキーからすればこの上役は合わないと言うほか無い。


「オレにもお手柄だって言ってくれよな!」


 パラダイムシフトがその蜘蛛の身体で飛び跳ねた。なんだよ、とフューリアスは呆れたように呟き、身を乗り出した。パラダイムシフトは背中からディスプレイを展開し、そこにまずはマップを表示してみせる。


「できたのか、パラダイムシフト」

「あったり前だろ。ルーキーも見なよ、ホラ」


 促されて、ルーキーも画面に顔を寄せた。パラダイムシフトは身体を器用に動かしてその画面を二人が見よい位置に調整する。マップ上で三点が点滅し、それぞれの地点の画像が表示された。


「引っかかったのは三人。映像を引っ張り出して見つかったのがこいつだ」


 画像のうち二つが閉じられる。ディスプレイ上に残った画像がそのまま動き出し、人々の歩みが映し出される。数秒の映像に、パーカーのフードを被った男が一人。


「はいもう一度」


 映像がリピート。今度はパーカーの男が分かるよう、顔の辺りを丸く囲っている。服装は、どうやら暴行犯と同じものらしい。


「朝の映像だよ。そんで、ヒットしたのがこいつ」


 今度は画面上に免許証のものらしい写真が表示される。神経質そうな男だ。髪は短く刈り込んでいて、その表情に生真面目さがよく現れている。

 その男の隣に、もう一枚の画像が表示される。マスクで顔を隠した、いわゆるヒーロー。銀色の硬質なアーマースーツに身を包んだ筋骨隆々の男だ。


「メギンギョルズか」


 得心した、と言いたげなフューリアスの声。パラダイムシフトが頷いて、ディスプレイに追加の情報を映し出す。ヒーローの名はメギンギョルズ。本名稲田正典。ルーキーには覚えの無い名前だ。


「誰です?」

「知らないだろうな。ルーキー、お前がシアトルにいた頃に活躍したヒーローだ。ま、華の無いマイナーヒーロー止まりだったが」


 なるほど。ルーキーは頷く。となると五年くらい前。知らなくても当然だ。もし当時日本にいたとしても知っていたかどうかは怪しいところ。何しろヒーローも数多い。生まれて消えて、時には名前やコスチュームだけが変わったりもする。意識して追わなければ誰が誰だかわかりもしないだろう。

 続けて動画が更に二つ。片方は雨の中を逃亡するフードの男を捉えたもの。ルーキーが取り逃がした際のものだ。恥ずかしさにルーキーは俯いた。


「おい」

「……はい」


 フューリアスに促されて、ルーキーは動画に目を戻す。次こそ捕らえるためにも、きちんと情報を手に入れなければならないのは事実だった。


 二つ目の動画は誰かが撮影したと思しいメギンギョルズのヒーロー活動時の動画だった。ヴィランを追って大立ち回り、そういう絵だ。驚異的な身体能力で自在に駆けるその姿は、規模こそ違えど確かにフードの男のものとよく似ている。


「ひとまずはこいつに当たってみるか。細かいデータをくれ」

「あいよ!」


 即座にフューリアスの端末に着信。送られてきたデータを確認して、フューリアスは頷いた。パラダイムシフトはそれを見上げ、テーブルの上で踊る。


「よくやった、パラダイムシフト」


 フューリアスの言葉に、パラダイムシフトはその機械の身体を打ち振るわせた。表情は見えないが、きっと見えたならば自慢げなものだろう。

 行くぞ、と立ち上がるフューリアスに従ってルーキーもコートを抱え直した。

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