05.周りを見ろ
雨中の追跡はわずか五分で終わりを告げた。
無論犯人を捕縛して悠々の帰還、などと言うわけではない。取り逃がしたのだ。アスファルトを蹴り壁を蹴り屋根を蹴り、必死に追いすがった上で見失った。
あの
捕らえそこねた口惜しさに、ルーキーは路上の標識に八つ当たりをした。手の甲が痛んだが、悔しさを忘れるほどではなかった。
せめて雨が降っていなければ。せめて異能に依存してくれていれば。言い訳はいくらでも浮かんでくるが、そんなもので事態が好転することはない。
敗北感を噛み締めて、ルーキーは踵を返した
濡れた身体を引きずってここまで来た時間の五倍を掛けて帰路を歩く。事件が発生したというのに通りを行く人々はいつもどおり、何一つ気付いていないかのように振舞っている。コートを丸めて雨に凍えるルーキーはなお一層の寒さを感じ、背を丸くした。
現場まであと僅かというタイミングでルーキーは立ち止まった。壊滅した店舗のその軒先にフューリアスの姿があったからだ。相変わらずの仏頂面で通りを睥睨している。それを見たルーキーは静かに背筋を伸ばし、自らの頬を張り飛ばした。再開された歩みは朗々と濡れたアスファルトに足音を響かせ、その帰還を知らせた。
足音に気付いたフューリアスが、ルーキーを振り返る。その視線がルーキーの周囲をぐるりと一巡りし、ルーキーがその目の前で足を止めてようやくフューリアスは口を開いた。
「で、成果は?」
「取り逃がしました」
その返答は予測済みだったのだろう。フューリアスは興味もないと言う風情で二度頷いた。いくつかの感情を抑えて、ルーキーは静かに言葉を続ける。
「ですが逃がしはしません。居場所を探査します」
決然としたその言葉は、正しくルーキーの自負の現れだ。逃しはしない。たとえ追い切れなかったとしても探すことができる。そう簡単に負けるわけにはいかないのだ。
おい、と言うフューリアスの不機嫌な声を聞き流してルーキーは店に足を踏み入れた。暴行犯のもたらした破壊の痕跡は当然のこと店内に色濃く残されている。これだけのものがあれば、そこからあの
そのルーキーの肩を、フューリアスの手が掴んだ。
強制的に振り向かされて、ルーキーは苛立ちも露わになんですかと尋ねた。目の前であれだけのことをした暴行犯をいつまでものさばらせておくことなど出来はしない。追うのであれば少しでも早い方が良い。ここに残された痕跡が新しいうちに調べ、次に同じことが起こる前に止めるのだ。それを邪魔される謂れはない。
「ルーキー、調子に乗るな」
「何の話ですか!」
静かながら重いフューリアスの言葉に、ルーキーは咄嗟に反駁した。異能犯の追跡・探査は銀弾機関の職務だ。それを実行しているにすぎないと言うのに調子に乗っていると評されるのは気に食わない。それにまた、追跡の失敗を挽回したいという思いもある。さもなくば何のために銀弾機関にあるのだろうか。
ルーキーの心中の焦りも省みず、フューリアスは睨むように口を開く。
「ルーキー、繰り返して言ってみろ。『プライムはどこだ』。ほら、繰り返せ」
言われて胸を衝かれたルーキーの目が周囲を探す。フューリアスの言葉が暗に示す通り、プライムはここにはいない。であればどこに? 探すうち、そもそもここにいたはずの被害者すらその姿を見ないことに気が付いた。
「……プライムさんはどこに?」
「あいつは病院だ」
事も無げに返されたフューリアスの言葉に、ルーキーは事件の状況を思い出す。巻き込まれた客を庇うプライムの姿。万が一が無いとは言えまい。
「何か怪我をされたんですか!?」
思わず大きくなる声を抑えきれない。乗り出すルーキーを煩がり、フューリアスは呆れたような顔で耳を塞いでみせた。
「あいつがそんなタマか。今頃病院で被害者の身元を確認してるところだ」
一安心に息を吐き、掴みかからんとした手を下ろす。
その姿にフューリアスは舌打ちを一つ、低く声をかけて俯いた顔を上げさせた。
「それで、お前は捜査がしたいってわけかルーキー。プライムがいないことにも気が付かずにか?」
せせら笑うようなフューリアスの言葉に、プライムはカッと顔が熱くなるのを感じた。思わず手が伸びる。殴るか、叩くか、掴み上げるか。いずれとも考えずただ向けた右手は、苛立たしげな舌打ちとともにフューリアスに払いのけられた。
払いのけられたこと、嘲笑われたこと、舌打ちを向けられたこと、それらを綯い交ぜにして沸騰する胸中に煽られて、歯を食いしばってフューリアスを睨む。その目を受け止めたフューリアスは高みから冷ややかにルーキーを見下ろした。
「犯人を追ってはいけないと」
「そんな話はしちゃいない」
何故分からないと言いたげなフューリアスの声。その苛立ちに、同じだけの不満がルーキーの中に満ちる。説明もない怒りに共感し、理解する義務などルーキーにはない。
いいや、違う。それだけがルーキーの怒りではない。負けたくない。要するにそういうことだ。たとえ他のシルバーバレットであろうと、易易と逃げおおせた犯罪者であろうと。
「やり方の話だ、ルーキー」
「あなたの流儀ですか、フューリアスさん」
「俺たちの、だ」
爪先がコンクリートを叩く音が耳障りに響く。不意に伸びた手がルーキーの襟首を掴み、強引に引き寄せられる。至近距離で視線を交わし、フューリアスは低い声を絞り出した。
「何のためのバディだ、ルーキー。なあ。お前の引き立て役を用意するためか? 冗談じゃない。スタンドプレイで自分だけイイ気になりたいならヒーローにでもなるんだな。ただ目立ちたいだけならヒーローショーの役者に紹介してやってもいい」
睨む。互いにだ。そのまま静かに数秒を掛け無言のやりとり。どちらにも分かっている。相手は自分のことが気に入らないのだと。
投げ放つように押しやられ、ルーキーはわずかに一歩下がるのみで留まった。見上げる視線に怒りが滲む。不意とコートを広げ、フューリアスは内ポケットを叩いた。
「取り掛かる前に一度くらいは確認しとけ、ルーキー。ボスから俺たちへ、件の暴行犯を追えとさ。ご丁寧に付け足しもある。二人で協力して、だ」
渋々視線を切って、ルーキーは懐を探る。出てきたPDA端末には着信の痕跡。フューリアスの言うとおり、課長からの指示だ。
「お前が追ってるうちに連絡しておいた」
その言葉に、あたかも鈍間となじられたような気がしてルーキーは歯噛みした。
「……それでどうしろと言うんですか」
自分の声が苦渋に塗れていることに、ルーキーは気付いていた。仲良く? なかなか難しい話だ。どうすればそうできるものかルーキーには皆目見当もつかない。どちらかが折れれば簡単だろうが、ルーキーにそのつもりはないしフューリアスも同じだろう。
「決まってるだろう、お嬢さんよ」
表面ばかりは平静な、しかしルーキーと同じように彩られた声。その感情を鎮めるつもりか、一拍の間を置いてフューリアスは店の中を指さした。
「お前は探査だ。その間に俺は別口を当たる。どれくらい掛かる、ルーキー?」
さも当然と言わんばかりのその態度に、深く息を吸い込んでなんとか暴れだしたい自分を抑えこむ。だが不満までおとなしくなってはくれない。一歩距離を詰め、フューリアスの目を見上げ、そしてルーキーは口を開いた。
「さっきは邪魔をしたじゃないですか!」
「違う話だ、ルーキー」
自分でも驚くほどルーキーの声に、しかしフューリアスは動じない。事件現場から距離を取るようにして通り抜けようとする通行人達ですら一瞬立ち止まったが、フューリアスはそれにすら目もくれない。
「何が違うっていうんですか」
「周りを見ろって話だ。分かってるだろ」
息を呑んで、ルーキーは引き下がった。無論、分からないわけではない。だがそれを素直に認めるのは既存の感情のせいで難しい。
そのルーキーの仕草を肯定と受け取ったか、いいやあるいはただ口を挟めるうちに挟んでおこうということかもしれない。フューリアスはもう一度繰り返した。
「それで、どれくらい掛かる」
「二十分ほど頂ければ終わります」
渋々と、ルーキーは応えた。探査をできるならそれに越したことはない。何もしないより、余程フューリアスの鼻をあかすことになるだろう。
二十分、と繰り返し、フューリアスは訝しげな視線をルーキーに投げかけた。
「随分短いな、ルーキー。見栄を張るなよ」
「少なくとも私は充分なつもりでいます。もういいですか?」
分かった、とフューリアスは一歩離れ、芝居がかった調子で両腕を広げた。異常があれば連絡しろと言葉を残して離れるその背に呪詛の一つでも投げかけたくはなったが、ルーキーは結局そうはしなかった。
ぶるりと身体を震わせてコートに染み付いた雨を払い落とし、ルーキーは爆心地を踏んだ。
「ホントに口煩い……」
口からするりと漏れでた恨み言を慌てて抑え、ルーキーはよしと一言気合を入れた。気にもかかるし気持ちも滅入るが、フューリアスに気を取られて調査もろくにできなかったとなればそれこそ笑いものだ。
準備運動に指を踊らせ、小さく咳払いして懐を探る。ジャケットの内側から取り出した小さな眼鏡ケースの中には細いフレームの小洒落た眼鏡が一つ。ただの眼鏡というわけではない。マジックアイテムの類だ。ルーキー自身の手になるそれは、隠された霊異を見抜く
そのレンズを通せばあらゆるものが変わって見える。ちらと見えた街並はあちこちが燦々と輝き、そこに異能の力が働いているのが明らかだ。常に目の当たりにすれば眼も潰れようが、こうして必要な時に見るくらいなら問題もない。道具は使いようだ、と眼鏡を掛けたルーキーに得意げな笑みが浮かぶ。
振り返って店内に目を向ければ、きらめきを帯びて見えるささくれ立つような力の残滓。目の前で暴れてくれたあの暴行サイキックが残したものだ。それだけではただ揮発して消えていく程度の、顔の無い情報たちに手を伸ばす。
「こちらへ」
ルーキーが手を差し伸べて囁くと、残滓が僅かに震えた。だがそれだけだ。なんでもないものに働きかけるのは難しい。ルーキーはしばらく残滓を眺め、その在りようを確かめる。
ルーキーの理解するところ、魔術の要諦とは物事のカリカチュアライズだ。要素を抽出し、事象の関連性を短絡化させ因果を見出すこと。あらゆる事物を都合の良いように作り変えることにある。
これを使ってあの暴行犯を追う。そう決めて見れば残滓はこれ以上ない素材と言えた。打ち捨てられた形ないそれはかつて暴行犯の一部だったものであり、取り扱いを間違えることがなければ追跡も容易だろう。つまりいかに名付け、いかに操るかという話だ。
戯画化した存在にそれにふさわしい名を与える必要があった。ルーキーは数秒舌で上顎をなぞり、それを探す。形ない残滓に方向性を定め、標として暴行犯を追わせるに足る名はあるだろうか。
然るに僅かな沈黙の後、ルーキーは口を開いた。
「ヱビス」
残滓は動かない。しかし確かな手応えがある。
ヱビス――恵比寿は七福神の一柱、海の向こうから寄り付く神であり、そのルーツをヒルコに見出すことができる。ヒルコは形の整わない不具の神、ちょうどそう、目の前に残る残滓がそうであるように。また、海を越えて来るヱビスはスクナビコナとも繋がる。これは知識の神であり、先導者に相応しい。他にもコトシロヌシに通じることから託宣に関わる名付けとしても悪くはない。
PDAのキルリアンカメラを起動し、残滓を写し撮る。その画像を手製のショートカット儀式アプリに投げ込み、画像中から残滓の輪郭を指先でついと縁取った。続いて傍らに吹き出しを作り、その中にヱビスと書き込んでしまえばあとは命名コマンドを走らせるだけだ。意思のない残滓相手であれば百度も
プログラムによって制御された式が繰り返されるその中で、残滓は――ヱビスはみるみるその姿を変えていく。形ないところに形を作り、その姿は人型へと収束していく。瞬きほどの間に、そこには輝ける二頭身のミニチュアが存在していた。
よし、とルーキーは胸を張る。悪くない出来だ。材料はまだまだあるとはいえ、一度の作業で成功させることが出来たというのは幸先が良い。
「ヱビス」
呼びかけに、今度は反応があった。ヱビスは大きな頭をふらふら揺らしながらその顔をルーキーへと向ける。
「こちらへ」
招きの声に、ヱビスは流れるように宙を滑ってルーキーのもとに辿り着いた。するりと手元に降り立ったヱビスをそっと地図アプリを開いたPDAに乗せる。そこに降り立ったかと思うと、ヱビスは溶けこむように地図上のアイコンの一つとなった。
「あなたを探しています。あなたを放った超能力者を。どこにいるか教えて下さい」
ぶるぶるとヱビスが震えた。ルーキーの平易な言葉はPDAのマイクを経由しプロトコルに従って呪術的な命令文へと変換されている。
画面上ではピンを手にしたヱビスがちょこまかと地図を狭しと走り回っている。なるほど一寸法師とルーキーは呟いた。一寸法師もまたスクナビコナの系譜に数えられる。
ともあれ、あとはもう探知が終わるのを待つばかり。フューリアスに一矢報いることもできるだろう。暴行犯に償いをさせることだってできるはずだ。
確かな手応えを感じて、ルーキーはPDAを待機状態に落とした。
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