02.ドラマみたいに名乗りを上げて

 降り止まぬ銀格子の中にサムライはあった。

 手には一刀。呼気は低く小さく、滲む殺気は理性無く、ただ己が目に映る敵を斬るとのみその全身が雄弁に語っている。

 合成皮革の黒いコートを雨滴が叩く。柄頭をしっかと握る革手袋を冷たい雨が凍えさせる。伸び放題の蓬髪からは涙のように白いヴェールが落ちていき、その顔を覆い隠している。

 剣鬼。修羅。

 ――ただし、サイバネティクスとドラッグの恩恵を受けた。

 見よ、革手袋に包まれた手は銀の輝きを帯び、鍛えられた首筋はインプラントの痕跡を覗かせる。低く整えられた呼気はドラッグの幽明境にある証であり、理性は夢現の中に溶けている。

 凶漢。魔人。否、電脳化狂乱者サイバーサイコのストリートサムライ。

 返り血を飲んだ外套が揺れる。手にした刀はただ力なく地へと向けられるのみ。

 豪雨の音の中の静謐。

 ただし、それは嵐の前の静けさにも似る。極限まで張り詰めた弓の美しさにも、津波の前の引き潮にも。

 不意にサムライが顔を上げた。雫が舞い、隠されていた目が顕になる。獣の目だ。鋭く、険しく、ただ凶暴な意志だけを宿した目。

 その目が射抜く。雨中を奔り、飛沫を上げて迫るものを。弾丸。僅か二十グラムに満たない死神。三方から三発。音速の三倍を数える凶弾は、常人であれば回避出来ぬ死そのものと言えるだろう。

 サムライの口が、独りでにきゅうと笑みを作る。

 銀が跳ねた。彼の手にある一刀、ではない。

 銀閃が舞った。三つ――サムライの傍らに座していた四振りの刀のうちの三振りが、あたかも己の主を守らんとするかのように、使い手も無く躍っていた。

 否、使い手の無い刀が一体何で動くものか。使い手はある。それが証拠に、剣の舞はいずれも一寸違わぬ精緻な動きを見せ、その後ろに一人の使い手を想起させる。サムライだ。サムライは笑みを深める。

 そして刀は、自ら弾丸の前に躍り出る。無論よく鍛えた刀とは言え、迂闊に弾丸に合わせれば折れて失せるが定め。仮に切り捨てたとして、二つになった鉛弾はぽとりと落ちるわけではない。軌道をそのままにサムライの肉体を破壊するだろう。サムライの笑みに意味など無い。多勢に無勢に飽きたらず刀剣を以って銃に挑むなどという愚行は、死によって終幕を迎える他はない。

 はずである。その、はずであった。

 浮遊する刀は、弾丸に背を向けた。如何に堅い峰と言えども弾丸を受ければ無事ではあるまい。だが、そうではない。その峰を弾丸の軌道と平行に、その進路に沿うように合わせてみせたのだ。

 刹那、火花が散った。触れ合った瞬間から刀はその弾丸を優しく導くように微かに揺れ、その軌道を捻じ曲げる。瞬く間の邂逅は終わり、一つは上に、一つは下に、一つは右に大きく外れ、そして目標には傷ひとつ残さない。

 サムライはその白痴めいた顔に、歓喜を浮かばせる。

 主の歓喜を寿ぐように、四刀が舞い、そして右手にある一刀もまた、静かに鍔鳴りを響かせた。

 すべては。

 すべては僅か一呼吸の間の話である。



 眼前の光景に、遮蔽代わりのワゴンの後ろでフューリアスは奥歯を噛み締めた。魔人である。化物である。そんなものが野放しになっている状況を、シルバーバレットは見過ごせない。だがそれはそれとして、相手取りづらい輩というのは確かに存在している。


「いやー、参ったねえ?」


 フューリアスの後ろで、一人の刑事がやっていられないと言うように顎を掻いた。深山と言う。今回の件に関する警察側の指揮官であり、フューリアスとも顔馴染みだ。参ったとは言っているがその割には焦燥感や切迫感は薄い。この件の解決を銀弾機関に押し付けるつもりだからだろうと踏んで、フューリアスは舌打ちをして首を振る。

 だが、この事態を解決しなければならないことだけは紛れもない事実だ。雨の中だと言うのに気にもとめずに刃を舞わせる薬物中毒者は、その周囲に切り捨てられた車両をいくつも侍らせている。無論あの四振りの――その手にあるものも含めれば五振りの刀によって成し遂げられた所業である。一際目を惹くのはサムライのすぐ後ろに停車しているバスで、これは運転席より前だけを切り落とされた形だ。勿論中には乗客がまだ残され、いつ凶刃が向けられるかと震えている。周囲に目を向ければ、切り裂かれた車両の幾つかには同じようにまだ怪我人が存在し、あるいはもう苦痛を訴えない者すら存在する。救援が必要だ。しかしそれでもサムライの刀圏が彼らのもとに向かうのを阻むのだ。


「確かに参った、としか言い様がないな。そうだろう、フューリアス」


 プロメテウスが額を叩きながらそう口にした。その目は昏く沈んでいる。罪もない市民が無力なまま命を失っていく光景は、たとえ何度見ても慣れるものではない。


念動力テレキネシスだね、フューリアス。つまり彼は不可視の腕を持つ阿修羅というわけだ。超能力サイオニクスによる無限遠の拳と、おそらく義体工学サイバネティクスによる圧倒的な知覚力。それから剣聖はだしの剣の腕前と来たら、正面から相手にするのは困難だ」

「オマケにドラッグでマトモじゃない。あたしなら刀の五本じゃ対応しきれない2の8乗弾丸メタルをバラ撒いて物量でどうにかしたいところだけど」


 眼鏡状の護符を懐に仕舞いこんだボンドが肩をすくめ、双眼鏡を覗いていたスパイスが額に銀色の指を当てた。


、それじゃあ後ろの要救助者達を巻き込んでしまう。ああ、スパイス。言わずとも君がそう考えていることくらい手に取るように分かるよ。鋼鉄クロームの冷たさは君の心までは包めない」

「……ボンド、少し黙りなよ」


 金属光沢を持たない左足でボンドの爪先を蹴りつけて、緋色の目で睨んでみせる。焦点フォーカスを合わせる機械音が小さく唸る。常人離れした緋色のその目が見た目通りのものではないことは明らかだ。軽く両手をあげて降参の意を表し、ボンドは溜息を一つ。


「酷いな。僕の言葉はいつだって全霊の誠意でできているんだけど」

「時間と場所を選ばない言葉に何の信義が置けて? それにね、ミスタ。まじない師の誠意ある言葉とやらにどれだけ意味があるとでも?」


 君の言うとおりだよと意味のない賞賛を口にし始めたボンドを尻目に、深山が顎を掻いた。


「大丈夫かね、彼ら」

「今更何の心配だよ。銀弾機関に入ろうなんて連中はボンクラ揃いに決まってるだろ。能力自慢がしたいか能力自慢をぶん殴りたいかって連中さ。ま、ボンクラはボンクラなりに仕事はするが」

「……ま、君が言うなら。で、どうする?」


 呆れたような束の間の沈黙に何を読み取ったものか、フューリアスの目に訝しげな色が浮かぶ。

 だがそれも一瞬、フューリアスは無言で視線を巡らせた。動かせる人間は多くない。銀弾機関の人間も、フューリアスの他は同乗していた三人がいるのみだ。


無効化系能力者アンチパワーは?」

「接触型が一人いるが、まあ辿り着く前に真っ二つだろう。そっちにはいないのかい、破幻の瞳バジリスクみたいなのは」

「いれば良かったんだがな。となると……」

「フューリアス」


 ずいと身を乗り出して、プロメテウスが存在を主張した。


「あん?」

「いざとなれば私が、奴を行動不能にさせるという手もある」


 小さく爆ぜる音がして、束の間プロメテウスの差し出した手の周囲を炎が踊る。


「おいおいおい、発火能力者パイロキノが雨の中で無茶を抜かすなよ。殺さないで捕縛だと? 手足を焼ききって転がらせたところであの刀は止まらない。周囲の酸素を焼き尽くすなんて冗談は聞きたかない。周囲を見てみろ、却下だ却下」


 うむ、と頷きながらプロメテウスは思いつめたように目を閉じる。彼ら発火能力者は強力だ。遠隔地に点火可能な彼らは焼き殺す分には余程のことが無ければ十分すぎる威力を用意できる。酸素を焼きつくすと言う少しばかり手の込んだことも、高精度の発火能力者ならやってのけるだろう。それが例え雨中であろうと。しかし。


「すまない。……サムライの意識を失わせる前に何人倒れるか」


 プロメテウスの握る手に力が籠もる。何も出来ない無力さか、それともそれ故に急く気持ちを抑えるためか。フューリアスはあえて慰めようとはせず、雨に濡れた髪を撫で付けた。


「だがプロム。先にサムライのコンディションを落とすって手は悪くない。おいボンド!」

「なんだいフューリアス? 言っておくけど、サムライに魅了チャームを掛けろっていうなら無理な話だよ」


 スパイスとの他愛ない歓談を中断し、振り返ったボンドはそう返した。一瞬真顔でボンドの顔を見つめ、フューリアスは目を細める。ボンドのネクタイにあしらわれた六芒星ヘキサグラムが、雨に濡れて揺れる。


「男になんか魅了チャームを掛けられるわけがないじゃないか……なんて、くだらんおふざけってわけじゃないよな?」

「男に掛けたくない、っていうのは本音だけどね。生憎ながらそうじゃない」

「サムライがトリップしきってるのが原因らしいのさ、お友達バディ。症状と匂いからすると多分黒蓮ブラックロータスだけど、これを投与すると自意識の拡散に由来して精神作用に対する耐性が出来るらしいって話さね」


 黒蓮ブラックロータス。最近ストリートに出回っている非合法の薬物だ。効能は異常なレベルに達する精神集中自我の希薄化と幻覚作用。一部の魔術禅カルトでは新参者ネオファイトでも達人アデプトレベルに達する集中力を得ることが出来るお手軽な強化法として珍重されている。無論楽に手に入る代物ではない。並大抵ではない対価が必要となるだろう。

 そしてまた、この位置から黒蓮ブラックロータスを嗅ぎ分ける嗅覚も並大抵のものではない。サイバネティクスで強化されているのだ。目と同じく、一見分からないように偽装されたそれはスパイスがただ殴るだけしか出来ないパワーファイターと誤解させるのに役に立つ。銀の腕とクロームの脚を見たならば、誰しもストレートにその印象を受け入れるだろう。


「黒蓮は今はどうでもいい。が……精神作用が効かないだと? おいおいおい、それじゃあお前がサムライを無力化するのは丸っきり無理ってなふうに聞こえるぜ?」


 にやり、共犯者の笑み。フューリアスとボンドは一瞬揃って喉を鳴らす。


「いや、生憎ながらねフューリアス。完全に無力化するのは無理だが、多少戦闘力を落とすなら可能だ。そうだね、長くて三十秒に満たない程度、短ければ一呼吸だけど、サムライの刀を抑止出来る。一本か二本分くらいなら、呪祓いディスペル・マジックが可能だよ」


 超能力サイオニクスとは相性が悪いんだけど、と言いながらジャケットの裏側から蹄鉄、金貨、宝石を次々と取り出した。いずれも護符、アミュレットやタリスマンの類だ。そして手のひらに目をあしらった白手袋。小さなポケットに仕舞いこんでいたとは到底思えない量の小物。何か一つの流儀に基づくもの、ではない魔術具達。宮廷魔術師会ウィザーズ・オヴ・コートとして知られる近代魔術学派の特徴だ。学術的アカデミックな魔術を標榜するこの学派の参入者は多いが、質より量を地で行くと言う話もある。公にされている九階梯のうち、火球ファイアボールを放てる程度の第三階梯の魔術師ですら百人に一人ときては、その批判も甘んじて受けるしかないだろう。

 しかし呪祓いディスペル・マジックは少なくとも第三階梯を要する。用意された触媒フェティッシュの数々を見れば、ボンドの位階は明らかにそれ以上だ。


「だがそうされてもサムライが棒立ちだってのは少しばかり都合の良すぎる考えだな」


「勿論動くだろうね。で、目標は勿論僕だ。悲しいかな、集団戦になれば真っ先に狙われるのは魔術師ウィザードハッカーカウボーイか、あるいは癒し手ヒーラーと来てる。で、だ」


 胸の前で手を打って、それを開いて手のひらを見せる。顔に浮かぶのは真意を見せない笑みだ。


「ま、最大限上手く行って二本止めたとしようか。それでも二本残るし本人もいる、時間は良くて三十秒足らず……どう、フューリアス。勝算は?」

「勝算なんざあった試しが無ぇよ」


 だが、と肩をすくめる。


「やるしか無いだろ。二本はボンド。続いてボンド狙いをスパイス、お前が止めろ。同時に奴に弾丸を叩き込めば刀の動きは制限される。プロムは奴の前に火を付けて目隠しだ。強烈なフラッシュを頼む。黒蓮ブラックロータスなにやらESPが開いてる可能性もあるし、確実じゃない。効果的じゃないと思ったら適当に切り替えてくれ。で……まあ、吶喊は俺の役目だな」


 言い置いて深呼吸。スーツの内側に吊られたホルスターから銃を一丁取り出して、撫でる。コルト・ガバメント近接戦仕様ストライクガンカスタム。極至近距離での戦闘を前提とするこの銃は各所にスパイクを擁し、敵対者による妨害を防ぎあるいは近接時の打突への応用も効くと言う趣味の逸品だ。各種近接拳銃術に置いては基本兵装として扱われるが、そうでなければ単なる重い銃以上のものとしては扱いづらい。

 おや、と深山が声を上げた。


「いい趣味してるねぇ」

「ガン=カタもジュウクンドーも披露できないがな。目の前まで行って弾丸を叩き込むならこいつがマシだ」

「ああ、そう。残念だなぁ」


 雨中に火花が二度散って、安っぽいライターが深山の煙草に火を付けた。

 水たまりを蹴って、スパイスがフューリアスに詰め寄った。


「突っ込んでいって死なないところに鉛弾を叩き込むなら、フューリアスよりあたしの方が上手くいくと思うけど」

「代わりにボンドが死ぬってわけだ。そいつは素敵だな、おい」

「そうじゃなきゃアンタが死ぬよ、怒れる雄牛レイジング・ブル。アンタの銃弾がサムライにあたるとこ、あたしにゃ丸っきり想像できない。ぶった切られてお陀仏R.I.P.さ、ご同僚バディ

「かもな。だがそうじゃないかもしれない。スパイス、お前の牽制で奴の刀を一本も止められなけりゃそうなるだろう。だが俺はお前の銃の腕前とナルカミ製サイバネアイの補正を知ってる。勿論ボンドの魔術師としての腕前も、プロメテウスの制御力の高さもな」


 フューリアスの目が、スパイスを、ボンドを、プロメテウスを見る。


「勿論ここにあと一人、ボンドの半分くらいの実力を持ってる魔術師がいてくれれば申し分無いが」

「あるいはまともな格闘能力を持ち、サムライに近接戦を挑める仲間がいてくれればな、フューリアス」


 ざあと雨がフューリアスを濡らした。


「フューリアス、A.C.W.の新作が頭ん中に技術スキルを叩き込んでくれるんだってさ。いれインプラントしてみない?」

「冗談じゃない、コヨーテ。自分じゃ使う気にならないようなものを人に薦めるな」


 どこか空虚な笑いが、フューリアスの口から漏れた。それに合わせて、スパイスが肩をすくめる。


「ここにないものはどうだっていい。やるのは俺達だ。方針は決まった、実行といこうや」

「それじゃあ、ほら」


 小さな小瓶が三つ宙を舞った。二つはフューリアス、もう一つはスパイスへ。放り投げたボンドもまた一つ小瓶の蓋を回し開け、その中身を覗きこんだ。


「霊薬だ。一口飲めば猫なみのしなやかさ。それからフューリアスにはこっち、熊みたいにタフになれる。ま、多分即死だけは免れるよ」

「悪いな。それじゃあさっさと終わらせて、ドラマみたいに名乗りを上げて、とっとと野次馬共を追い返すとするか」

「じゃ、こっちはもう少し野次馬を抑えとくから」


 よろしく頼むよ、と深山の言葉を受けて銀弾機関の四人は散開する。スパイスとボンドは車両を遮蔽にサムライの右側面を狙い、プロメテウスはその逆を。劇場ホールのように開けた場所で、フューリアスはサムライに対峙した。

 彼我の距離は六メートル。辛うじてサムライの警戒範囲ではないのか、それともフューリアスが侮られているのか、刀はただ無為に踊るのみ。フューリアスは盛大に溜息を一つ、銃を保持した手で頭をかいて、霊薬二本の蓋を外した。

 遠巻きに見守る群衆の視線が突き刺さる。誰も『フューリアス』を意識しているわけではない、けれど無遠慮に向けられる幾多の目。フューリアスの口元に苦笑が浮かぶ。生憎と、ドラマのようなことはしてやれない。

 サムライが曲芸を見せて少し経つ。今頃はウェブで動画が流れている頃だろう。そして超人のサムライへの賞賛が語られるのだ。神速の剣技、神業。安っぽい、使い古された言葉で。

 霊薬を二本、立て続けに飲み干した。一呼吸、フューリアスは自らの脚が常以上の軽やかさを持って動くことを認識し、次いで野生の生命力が脈動するのを感じた。借り物に心躍らされそうになった自分を抑えこんで、平静を取り戻す。

 視界の隅で、スパイスが小瓶を投げ捨てた。サムライはまだ動かない。その後ろにあるバスの中から、人の吐息と熱を感じる。雨中に立つ幽鬼の如きサムライとは違うものを。勿論そんなものはフューリアスの錯覚だ。感じ取れるわけもない。

 ただ視線はあった。不安と恐怖と期待を綯い交ぜにしたもの。灰色のノイズのような空の下、ただ影としか認識できない被害者達からのものだ。

 更に一呼吸。余計な重みを捨てて、フューリアスはその手の小瓶をサムライに向けて投げ出した。


「《ハールの失われた目にかけて! 汝のわざ相応しからず!》」


 重い空にそれでもなお朗々と響くボンドの声。効果は迅速だ。サムライに届かず砕けた小瓶に釣られるように一刀が重い音を響かせた。遅れて一刀地に伏せる。宣言通り二刀。言葉にしない賞賛と感謝が踊る。続いて閃光。極彩色の炎がサムライの鼻先で瞬き、その目を焼く。まじないと目眩まし、その二つがサムライの姿勢を崩す。抑えた右手の隙間から覗く片目が動揺を告げ怒りに染まり理解に至る。フューリアスの目にもそれが分かった。

 地を蹴った。フューリアスの肉体はその全霊を以って前へと進む。狙いの甘い右手が銃弾を三発叩き出す。既に一刀ボンドに向けて疾走らせるサムライは残った一刀でフューリアスの弾丸を弾――かない。僅かにサムライを逸れる弾丸をそのままに、スパイスの一射を叩き落とす。片目であっても精度に狂いはないらしい。あるいは他の超知覚に依存しているか。フューリアスは歯噛み、舌打ち、万言の呪詛を心の中で投げかけて更に迫る。

 彼我の距離は近く、一足一刀まであと一歩。サムライは棒立ち、フューリアスは豹の如く走る。構えてすらいないものと襲うもの、こと二者だけを取り沙汰すればその利はフューリアスに味方する。さらに三射。腕がブレるのはどうしようもない。だが地を蹴る脚が精度を補う。ブレてなお弾丸はサムライを捉えている。これが射撃訓練なら満点だ。丸く踊った虚空の一刀が二つまでは叩き落とす。残す一射、しっかと左手で握ったのみの一刀で落とすにはかたい。

 サムライは身を躱す。僅か数センチ位置を変え、跳ねた髪が獅子にも見える。フューリアスは勝利を確信する。棒立ちより更に崩れ、守りを失った今ならばスパイスの銃撃がサムライを仕留めるだろう。

 だが銃撃はない。

 サムライの一刀のみでスパイスとボンドは抑えられた。併せて三刀。数の上ではこちらが有利。だが残るはプロメテウスとフューリアス。攻め手が足りない。

 とっさにフューリアスは横へ飛んだ。かすめる剣閃。手番を譲れば切られるのみ。いや本来は切られていただろう。プロメテウスの眩惑とボンドのまじないが僅かながらに天秤を生に振り分けた。悔し紛れの三射は一つは外れ一つは躱され一つは手の一刀にて切り捨てられた。

 懐に入り込めば届く、けれど僅か一足一刀の間合いがはるか遠い。ボンドの魔術の助けを借りて更に一歩距離を置く。サムライが動けば届く距離、それは不味い。虚空の刀のみならず、その手の一刀もあれば死は確実だ。

 断続的に閃光が赤く燃える。サムライの目は塞がれていて、こちらが多くて、それでもこれだ。いっそ刀に抱きつくか。フューリアスの脳裏にそんな思考が走る。悪くない手ではある。一本無力化できうることを考えれば。だが、それで誰がサムライに挑む?

 余計な思考を振り捨てるより速く一刀が迫る。スパイスの助けはない。フューリアスの耳に響く金属音からして、刀と必死に格闘中だ。ボンドのまじないの加護があってもこの一撃は避けきれない。横薙ぎに脇腹をえぐられる。血が飛沫く。倒れはしない、まだ。霊薬が与える熊の如き生命力は伊達ではないらしい。

 それでも二撃は耐え切れない。覚悟を決める。刀と我慢比べをする覚悟だ。受け止めて死ななければフューリアスの勝ち。そうでなければ刀の勝ち。振りぬいて返した刀が迫る。


「《先の条に従って再度求む!》」


 ボンドの呪祓いを下敷きにした投射キャストの声。フューリアスを狙う一刀が力を失う。ボンドのものではない。声が違う。フューリアスはその主を探す、のではなくサムライに向かう。やるべきことは明らかだ。銃口を向ける。走る。それでもまだ五分にも満たない。サムライが新たな術者を探していても、それでもまだ。

 そしてフューリアスに合わせるように、バスから何かが飛び出した。否、誰かが。疾い、フューリアスよりも。サムライへと突き進みながら、その手は細長い針を撃つ。千本と呼ばれるものだ。一瞬早く気付いたサムライが振り返りざまそれを弾く。フューリアスの脚が止まる。狙う。三射、違わずサムライの腹へ。無論すべて弾かれる。だがそれで充分だった。

 するりと懐に潜り込んだ新顔は、そのままサムライの手へと肘を撃つ。同時に掌底が肺腑を狙う。呆気無いほど軽い音を立てて落ちる刀。

 後は語るまでもない。

 膝をついて荒く呼吸を整えるフューリアス。脇腹の傷はボンドの魔術の加護を受けて半ばまで埋まっている。傍らに立ったプロメテウスがフューリアスを助け起こす。見上げたフューリアスに、物問いたげなプロメテウスの視線がぶつかった。

 彼らは舞台の中心ではなかった。

 中心はサムライと、そしてそれを倒した闖入者だ。誰もがそれを見ていた。少女だった。長い髪をなびかせて少女が振り返る。距離を隔てた観客たちに理解が広がる。魔法のような手わざで、少女がサムライを倒したのだ。

 時折ある、そういうことが。目立ちたがりの超人がヒーロー気取りに振る舞うことが。無論簡単に許すべきことではない。感謝の言葉くらいはしても、危険に首を突っ込んだことは反省を要する。フューリアスにとって、あまり気乗りはしない役目だ。感謝も、反省を求めることも。

 口を開きかけたフューリアスより早く、少女が声を辺りに響かせた。


「皆さん、ご安心ください。銀弾機関シルバーバレットです!」


 ざわめき、安堵、日常への回帰。物見高い連中が気分を切り替えて、輪を崩していく。

 プロメテウスとフューリアスは無言で顔を見合わせ、車の影のスパイスとボンドもまた同じくする。

 フューリアスの表情は、険しく苦い。スポットライトの中央で輝く少女とは正反対だ。そしてその口から、一言絞りだすように、誰にも聞かせるつもりはない言葉が零れ落ちた。


「……超人なんぞ、クソ食らえだ」

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