第21話、それぞれの存在

「 有難うございました~! 」

 店舗を出て行く客を見送り、なつきは、入り口のガラスドアを閉めた。

「 修一郎さん、銀のアクセ、また売れちゃったよ? 」

 カウンター奥の狭い一角で、オリジナルのアクセサリーを制作している正岡に、なつきは声を掛けた。

「 え? また? ・・アレ、手間が掛るんだよなぁ~ 」

 回っていたグラインダーを止め、正岡が答える。

 なつきは、壁一面に掛けてあるアクセサリーの整頓をしながら言った。

「 値段、もう少し高くしたらどうですか? 割が合わないと思うんですけど 」

 エプロンに付いた細かい金属片をはらいながら、正岡が出て来た。 黒いエプロンには『 ダイアナ 』と、店名が英文ロゴでプリントしてある。

「 う~ん・・ 露店で売っていた頃から作ってるヤツだからなあ~・・・ 口伝えで、買いに来るお客もいるしね 」

 なつきが、笑顔で言う。

「 わざわざ、買いに来てくれるお客さんがいるのは、嬉しいですね! 修一郎さんさえ良ければ、値段は、そのままの方が良いかも 」

「 どうも僕は、商売気が無くてイカンなぁ~ ・・あ、そろそろ、お昼にしようか? 」

 店内の壁に掛けてある時計を見て、正岡が言った。

「 今日、ヨネさんのお店、午前からやっていますよ? 」

 ガラスドア越しに、公園の方を見やりながら言う、なつき。

「 お! じゃ、僕は大玉入りにしよう。 ヨネさんのたこ焼き、うまいからな 」

 エプロンを外す、正岡。 なつきも、着ていたエプロンを外した。 正岡とお揃いのエプロンを、レジの上に置きながら言った。

「 あたし、買って来ますね! 飲み物は、緑茶で良いですか? 」

「 OK~! 」


 公園の樹木が、露店の屋根に、涼しげな木陰を落としている。

 AMラジオの音。 芳ばしい香り・・・

 なつきは、店先に駆け寄り、声を掛けた。

「 ヨネさ~ん! たこ焼き2つ~! 1個は、大玉ね~! 」

「 おう、なつきちゃんかえ? よしよし、2個づつオマケじゃ 」

 ヨネが、嬉しそうに答える。

 パックに、たこ焼きを詰めながら言った。

「 もう夏じゃのう。 学校へは、行っとるんかえ? 」

 汗ばんで来た、胸元のTシャツを指先で摘み、パタパタさせながら、なつきは答えた。

「 先日、学年主任の先生に会って来ました。 出席数が足りないから、進級は出来ないけど、2学期からはちゃんと行くよ? 中退せずに、来年もう一度、2年生をやるの 」

 ハキハキと答える、なつき。

 ヨネは、目を細めながら言った。

「 ん~ん~・・ それでええ。 頑張るんじゃぞ? 」

「 はい! 」

 たこ焼きの包みを受け取りながら、なつきは答える。

 タバコに火を付け、店の方を見ながら、ヨネが言った。

「 あのアクセサリー屋は、儲かっとるんかいのう~・・? 」

 笑いながら答える、なつき。

「 安いものばかりだから、そんなに儲かってないよ? でもね~、若い子たちの人気はあるの。 修一郎さんが創るオリジナルアクセ、評判良いんだから! 」

 なつきの胸元には、あのアメジストのペンダントが、夏の日差しに小さく輝いている。

 眩しそうに、それを見ながら、ヨネは言った。

「 モノを創る報酬は、大きさや値段じゃないんじゃ。 人が身に付けるものなら、尚更の事・・・ 修一郎とか言ったかのう? 若いが、見込みがある。 精進する事じゃ 」

 なつきは、満足そうに微笑むと答えた。

「 うん、伝えておくね! 有難う 」


 店に戻るすがら、公園を歩いていたなつきは、正面に立つ高層マンションの横の空に、月が見えている事に気付いた。

 青い空に、真っ白な月だ。 若干、ぼけて見えている。

( 夜の顔と、昼の顔・・・ どちらも、同じ月なのよね。 それぞれの『 顔 』があるんだわ )

 これも、1つの『 存在 』である。

 『 見られている 』と思うか、『 ただある 』と思うか・・・

 どう感じるかも、その人次第だ。


 なつきは、以前から月に対して持っていた嫌悪感が消えている事に気付いた。

 元の生活・・ いや、新しい生活を開始した事が、その心境の変化に大きく影響する要因となっていたのは間違いなかった。

( 明日をも知れない生活に対する不安と、過去の記憶が重なってたんだ・・・ )

 白く、ぼんやりと夏空に浮かぶ、真昼の月を見ながら、なつきは、そう思った。

( あたしを、じっと見張っているんじゃなくて、見守ってくれている・・・ そう思う事にしよう。 いつも、どんな時も、変わらず天空にある・・ そう思えば、心強いものね )

 以前には、考えも及ばなかった思考の変化。

 なつきは、自分が少し、大人になったような気がした。


 生活に、何も不安が無いと言う事実は、心境的にも大きく影響する・・・


 こんな、些細な事に安心感を抱いている今の自分が、ある意味、不思議に思えて来る。

「 やっぱ、少し、幼稚なのかな・・・ 」

 たこ焼きのパックを顔へ持っていき、芳ばしい香りを楽しみながら、なつきは小さく呟いた。


 公園内を、向こうから中年男性が歩いて来る。

 なつきは、気が付いた。 その、小太りの男性には、見覚えがある。 あの、刑事だ・・・

「 お? てめえは・・・ あん時の、小娘じゃねえか 」

 向こうも覚えていたらしい。

 なつきは、無言で通り過ぎようとした。

「 ナンだ? 昼間の仕事に職種変えか? あばずれオンナを雇ってくれる奇特なヤツが、よくいたな 」


 ・・・相変わらず、暴言とも取れる発言。


 そのまま、立ち去ろうとしていたなつきは、足を止めた。

 おそらく彼は、なつきが、まだ裏世界に所属している人間であると思っているのだろう。 こんな口調を平気でするのが、その証拠である。

 なつきは、ゆっくりと刑事を振り返った。

「 ん? ナンだ、その目・・・! 風俗法違反でパクってやっても良いんだぞ、コラ。 てめえらのような下衆な連中が、エラそうに、オレを見るんじゃねえよ 」

 苦々しい表情で、なつきを見る、刑事。 持っていたセカンドバッグの中からハンカチを出すと、額に浮いた汗を拭きながら続けた。

「 見たところ、てめえは未成年だろうが。 ロクに、学校へも行かねえヤツは、クズだ・・・! クズは、考える事をしねえ。 だから一生、クズのままだ。 てめえもな! 」

 なつきは、後腰にしていたウエストポーチの中から、生徒手帳と学校発行の身分証を出した。 それを、自分の顔の横に凛と立て、刑事に見せる。

 なつきは、言った。

「 私は、新堂 なつき。 都立第二高校の2年生です。 あなたは、私を誰か、他の人と勘違いされているようですね。 私は今、そこのアクセサリーショップで働く、アルバイトです。 両親と学校の先生からも、承諾をもらっています 」

 刑事は、ぽか~んとした顔をしている。

 なつきは、続けた。

「 何か、私に問題でもありますか? 」

 少し、慌てたような表情が、刑事の顔に確認出来る。

「 ・・え? いや、あの・・・ 」

 なつきは、生徒手帳と身分証をポーチにしまうと、刑事を見つめた。

 バツが悪くなったのか、刑事は、口をモゴモゴさせ、盛んに首筋辺りの汗を拭いている。

 なつきは言った。

「 あなたは、刑事さんですね? 」

「 ん? ま・・ まあ、そうだが・・・ 」

「 刑事さんは、人に対して暴言を吐いても良いのですか? 」

「 ・・・・・ 」

「 世の中、色んな世界や仕事があります。 中には、好んで、その仕事に就いた訳じゃない人だっています。 そんな事を、考えた事がありますか? 」


 ・・・高校生に説教されている大人の図、である。


 裏の世界で、究極・最低の経験をして来た、なつき。 だからこそ、諭せるのかもしれない。

 刑事は、ただ無言でいた。

( この人だって、最初からこんなじゃ、なかったのかもしれない。 底辺の毎日を、啓発も無く怠惰に生活している人は、確かにいる・・・ そんな人たちを相手しているうちに、いつの間にか、基本を忘れちゃったのかも )

 なつきは、小さなため息を尽いた。

 彼もまた、この街を形成する、『 1つの存在 』である。


 日夜、犯罪を摘発する彼。

 暴言を吐く彼・・・

 その存在は、時により変化する。

 それもまた、彼の中にある『 存在 』なのだ。


 踵を返し、歩き始めた、なつき。

 刑事は、なつきの背に向け、思い出したように言った。

「 ・・・本多 祥子を知ってるか? 」

 その名に、再び、なつきは立ち止まった。

 ふわり、と夏風が木々の葉を揺らし、なつきの頬を滑る。


『 あたし、祥子。 アンタは? 』


 なつきの脳裏に、聞き覚えのある声が甦った。

( 祥子さん・・・ )

 再び、ゆっくりと、刑事の方を振り向く、なつき。

 刑事は、照りつける夏の日差しの中に立ち、なつきを見つめている。 なつきもまた、彼を見つめた。


 くたびれた襟のワイシャツ。

 だらしなく結ばれたネクタイ。

 腕に掛けた上着・・・

 磨り減ったウォーキングシューズからは、哀愁と共に、彼の人生の機微が感じられる。


 なつきは、静かに答えた。

「 ・・・昔の・・ 友達の名前です。 もう・・ 亡くなりました 」

 ひと時の静寂が流れ、わずかに、時間さえも止まったかのような静けさが感じられた。


 遠くに聞こえる、車のクラクション。 横断歩道のスピーカー・・・


 やがて、刑事は尋ねた。

「 その友達の事を・・ 覚えていないか? 何でもいいから 」

 夏風が、再び、なつきの髪を揺らした。

 風の感触に、懐かしさを感じる。 誰かが、なつきの心に、呼び掛けている・・・


『 あたし、祥子。 アンタは? 』


 なつきは、髪を右手で押さえながら、遠くを見るような表情をした。

「 随分、前の事ですから・・・ 」

 呟くように、そう言ったなつきが、刑事を見る。

「 ・・・そうか 」

 刑事も、なつきを見つめながら答えた。


 暗黙の了解。


 なつきが核心を語る事は無い、と彼は判断した事であろう。

 祥子の死から何を追及したいのか・・・ その意図は、なつきにも、おぼろげながら推察出来た。


 裏組織の解体と、違法風俗営業の撲滅・・・


 だが彼は、祥子の『 線 』からの追及は、諦めた事であろう。

 ・・他の方向性からの摸索。

 それを検討する事を決めたが如く、なつきに言った。

「 分かった。 手間を掛けたな。 すまん 」

 視線を、自分の足元に落とし、彼は小さく謝った。

 なつきは、じっと彼を見つめる。

 視線を感じ、顔を上げた彼が、なつきに言った。

「 ・・・いいヤツ、だったか? 」

 無言で頷く、なつき。

「 そうか 」

 視線を、再び足元に移し、ワイシャツの胸ポケットからタバコを出すと火を付けた。

「 前に一度、パクった事があるんだ。 足を洗う約束を、してくれてたんだがな・・・ 」

 刑事は、空を仰ぎ、ふうっと煙を出した。


 ・・柴垣に対し、カタギになって欲しいと進言していたらしい祥子。 その心理の裏には、この刑事との『 約束 』の存在があったからかもしれない。


 履行される事のなかった未来、夢・・・


 なつきは、言った。

「 彼女は、この街の一部だった人なんです・・・ 」

「 ? 」

 なつきを見つめる刑事。

「 私も、刑事さんもね 」

「 ・・・どういう意味なんだ? 」

 人差し指と、親指で摘んだタバコを口に持って行き、煙を吹かしながら、刑事が尋ねた。

「 1つの、存在です 」

 そう言うと一礼し、なつきは、公園の出口に向かって歩き始めた。

 遠ざかる、なつきの姿を、じっと見つめる刑事。 やがて、小さく呟くように言った。

「 1つの存在・・ か・・・ 」

 刑事は、タバコを口にくわえ、腕に掛けていた上着を肩に掛け直すと、なつきとは反対方向へと歩き始めた。


 生まれたばかりの、夏の日差し。

 そよぐような緩やかな夏風に、ゆっくりと、公園の木々の葉が揺れている。

 

 流れて行く存在。

 融和する存在。

 主張する存在・・・

 ある時は、猛々しく。 また、ある時は、孤高に。


 優雅な存在。

 個性的な存在。

 誕生する存在。


 そして、消滅して行く存在・・・


 薄青い都会の空には、ぼんやりと白く、真昼の月が浮かんでいた。

 街に暮らす、沢山の『 存在 』を見守るかのように・・・



                 隻影 / 完










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