第20話、心の旅立ち
「 先月、隅田川で死体で発見された、本多 祥子というホステスだがね・・ 君、知ってるね? 」
無精ヒゲを生やした小太りの男は、手帳をめくりながら、なつきに尋ねた。
・・ホステスとは、店舗内で客を接待する女性を指す。
店舗で『 営業 』していなかった祥子やなつきたちは、ホステスではない。 あえて開き直って言うのであれば『 娼婦 』。
・・まあ、警察にしてみれば、大差は無いのだろう。
最近は、ホステスを『 カウンターレディー 』と称し、一線を画する努力が、業界では見受けられるが、ロクな商売ではない、と思っているのだろう。 特に、なつきたちが属する世界は・・・
娼婦など、誰だって、なろうと思ってなっている者はいないのではないだろうか。 生きる為に・・ 糧を得る為に、仕方なくしている者が大多数と思われる。
「 はい。 それが何か? 」
そっけなく答える、なつき。
幾分、したたかな印象を受ける返答だ。 刑事らしき男は、見かけ年齢から想像していたなつきの口調に少々、誤差を感じたようである。
刑事は一変して、脅すような話し方で尋ねた。
「 知っている事を言ってもらおうか。 隠すと、ためにならんぞ? 」
「 何のためになるんですか? 」
玄関の戸口の壁に寄り掛かり、腕組みをしながら、なつきは答える。
刑事は、イラついた様子になり、言った。
「 お前らが、何人死のうが・・ コッチにゃ、関係ねえんだ! 」
本性を現した感の、刑事。 なつきの顔に自分の顔を近寄せ、凄むような目つきをすると、なつきを睨み付けながら言った。
「 ・・・けっ! どうせ、組同士の抗争にでも巻き込まれたんだろう? いいか、モメごとを起こすんじゃねえっ! 調べたって、ロクな事たぁ、出て来ねえに決まってんだ。 こちとら、早いとこ終わらせてえんだよ! お前ら、そのうち全部、しょっ引いてやるからな! ああっ? 」
豹変したかのように、顔を真っ赤にして怒鳴る、刑事。
全てを知っているなつきではあったが、喋れば、組に迷惑がかかる。 しいては眞由美たち、他の者の『 仕事 』をも、奪う事になりかねない。
それ以前に、なつきは、祥子の事を他人に喋りたくなかった。 特に、自分たちを見下げている警察には・・・
祥子は、死んだのだ。 そっとしておきたかったのである・・・
「 確かに、祥子さんとは友達でした。 でも、何も知りません。 聞きたいのは、こっちです。 早く、犯人を探して下さい 」
「 てめえに言われなくとも、やってるよ! コッチは、これが仕事なんだからな。 ったく・・ 可愛い顔して、何人の男をイワせてんだ、お前。 あ? 楽なモンだよな~、オンナは。 アホな男がいる限り、のうのうと暮らしていけんだからよ 」
おそらく、なつきが、世間から身を隠している者である事を、分かって言っているのであろう。 だからこそ、こんな発言が出来るのだ。 調べられたら困るのは、なつきの方である。 暴力さえ振るわなければ、何を言っても、なつきから告発される事は、まず無い。 『 組 』の庇護の下、なつきたちのように底辺で生きる者たちには、人権すらないのだ。 もっとも、社会を捨てた者に、人道的配慮など、あろうはずは無いのだが・・・
「 オレの所轄で、クスリなんぞ売るんじゃねえぞっ? 分かったか、てめえ! 」
刑事は、捨て台詞を残して帰って行った。
ため息交じりに、玄関のドアを閉める、なつき。
眞由美が、部屋の奥から顔を出し、言った。
「 終わった? 」
「 はい。 帰って行きました 」
「 アイツ、しつこいのよねぇ~ 」
テーブルの上に立て掛けた手鏡をのぞき込み、ファンデーションを付けながら、眞由美は言った。
「 ちょっと、うざったく言ったら、急に怒り出しちゃった 」
眞由美の横に座り、頭をかく、なつき。
眞由美の対面で、同じようにメイクをしていた若菜が、ブラシで髪を梳かしながら言った。
「 なつきちゃん、あしらい方がウマクなったんじゃなぁ~い? オ・ン・ナ、ってカンジよ? 」
「 そうですか? ちょっとは、大人になったかな? 」
眞由美が、クスッと笑う。
キッチンで、食器を片付けていたヨネが、なつきの方を振り返り、言った。
「 今日、仕事はしないのかえ? そろそろ準備しないと 」
なつきは、眞由美の横で、改めて正座をした。
「 ・・・・・ 」
雰囲気を悟ったらしい眞由美が、ファンデーションを付ける手を止め、なつきの方を向き直る。 若菜も、クシを梳かす手を止め、なつきを見た。
ヨネも、気付いた様子だ。 割烹着の裾で手を拭きながら、なつきたちの方に来た。
「 眞由美さん、若菜さん、ヨネさん・・・ 今まで、お世話になりました 」
指先を揃え、お辞儀する、なつき。
「 ・・・帰るのね? なつきちゃん 」
なつきは、眞由美の問に、無言で頷く。
若菜が言った。
「 え・・・ 帰っちゃう・・ んだ。 なつきちゃん・・・ 」
ヨネも、ため息をつきながら、呟くように言った。
「 それがええ・・・ それが 」
眞由美は、なつきの手を取り、笑顔を見せながら言った。
「 おめでとう、なつきちゃん・・・! 新たな旅立ちだね 」
「 眞由美さん・・・ 」
「 よく決心したわね。 偉いわよ? ちょっぴり寂しいケド 」
目頭が熱くなって来た、なつき。
眞由美は、手にとっていたなつきの手を、更に強く握り、言った。
「 ・・・あたしたちのコト、忘れないでね 」
「 絶対・・ 絶対、忘れません! あ、あた・・ あたし・・・ 」
大粒の涙が溢れ出し、声が詰まって後の言葉が出て来ない。
眞由美は、なつきを抱き締めた。
「 さようなら。 あたしたちの妹・・・! 」
「 ・・・眞由美さん・・・! 」
若菜が、顔をくしゃくしゃにしたかと思うと、突然、泣き始めた。
「 うええぇ~えぇ~~ん・・! なつきちゃん、帰っちゃうんだぁ~・・・! イヤだあぁ~、ふえぇ~~ん・・! 」
「 ナニ、泣いてんじゃ、若ちゃん。 めでたいこっちゃ。 笑って送ってやらにゃ 」
ヨネが、若菜をたしなめる。
「 だって・・ だって・・・! うええぇ~~ん・・・! 」
ヨネも少し、若菜の姿に、感極まったようである。 そっと、割烹着の裾で目頭を押さえた。
眞由美が言った。
「 後の事は、任して。 なつきちゃん、まだ入って間もないから、組からは、何も言われる事はないと思うわ。 ただ、ここでの事は、他言無用よ? 特に、祥子の事はね・・・! 」
溢れる涙を頬に伝わせつつ、頷くなつき。
少し、寂しそうに笑って、眞由美は続けた。
「 本当は、あたしたちの事も忘れるべきなんだケド・・・ 」
「 イヤですっ・・! あたし・・ あ、あたし・・・ みんなの事は、絶対に忘れたくないっ・・! 仲間だから・・ 友達だから・・・! 」
なつきは、眞由美の胸に抱き付くと、泣きじゃくり始めた。
眞由美が、なつきの頭を、優しく撫でる。
「 ありがとう、なつきちゃん。 こんなあたしたちを認めてくれるなんて、嬉しいわ・・・ 」
若菜が、子供のように両手足をバタつかせ、泣き叫んだ。
「 イヤだ、イヤだ、イヤだああぁ~~っ! なつきちゃん、帰っちゃダメだあぁ~っ! 」
若菜の、こんな子供のような姿は、見た事が無い。 ヨネは、若菜を抱き締め、言った。
「 2度と、会えないワケじゃなかろう? またどこか、街で会えるて。 のう、若ちゃん・・・ 」
「 うええぇ~えぇ~ん! ヨネさあぁ~ん・・・! 」
・・・なつきは、嬉しかった。
自分の存在を、こんなにも必要としてくれる者がいたのだ。
別れに際して、ここまで純粋に涙してくれる友が、今まで、いたであろうか。
無慈悲・欲望・策略・行脚・・・ 人を殺める事すらある、裏の世界・・・
友情などと言う青臭い事など、一笑される世界だ。
しかし、だからこそ、真の友情に迫れるのではないだろうか。
人を中心に巡り、輪廻とも思える煩悩が、毎日のように交錯する荒んだ世界の中・・・ 実際に、なつきは、色んな人物に出逢った。 それぞれに、それぞれの人生を持ち、それぞれに性格を持っている。 受け入れられない者もいれば、受け入れられる事すら拒否する者もいる。 まさに、人それぞれだ。
そんな、それぞれの存在が寄り集まり、巨大な街は形成されている。
街は、人である。
『 甘い顔をしてると、街に喰われるわよ? 』
いつか、祥子が、そう言っていた。
街を知っていたはずの祥子。 その祥子すらをも飲み込んだ、巨大な街・・・
街は、自らの夢・希望を達成する為に、平気で『 共食い 』をする。
弱みを見せると・・ あるいは、時期・条件・因果関係などの判断を誤ると、あっという間に飲み込まれてしまうのだ。
昼と夜との顔を持ち、多種多様な人が、それぞれの個性と存在を持ち、夢を競っている。
そして、互いの夢を貪っているのだ。 全ては、己の存在を残す為に・・・
なつきの、震えている両肩を掴み、腕の中から離す眞由美。 じっと、なつきの顔を見つめながら、言った。
「 自分の足で、納得して帰るのよ? ここに、戻って来ちゃダメ・・・! 」
なつきは、肩をしゃくり上げながら頷いた。
眞由美は、続ける。
「 よく聞いて、なつきちゃん・・・ やり直す機会はいくらでもある、って、よく言うけど・・ それはウソよ? 経験が無いか、失敗した人の言い訳なの。 機会なんてものは、早々、巡っては来ないわ・・・! 決めたんなら、脇道は考えず、前進あるのみ。 若いんだからこそ、周りをよく見て歩くの。 いい? 」
眞由美の言葉に、なつきは、何度も頷いた。
親身な、眞由美の言葉・・・
なつきの心には、事の他、強く響いていた。 眞由美は、続ける。
「 よく見て歩いて・・ 自分の希望を叶えるのに、最善な道を見つけたら、今度は、迷わず行きなさい。 多少の苦労は、付いて廻るものよ? それを克服してこそ、本当の幸せが待ってるの 」
新たな涙が、なつきの頬を伝う。
眞由美は、なつきを諭すように、優しく、静かに繰り返した。
「 周りを・・ よく見て、歩いて行くのよ? よく見て、ね・・・! 」
一時は、人に絶望していたとも言える、なつき。
飛び込んだ、荒んだ世界の中で、なつきが唯一、見つけた宝・・・
それはやはり、『 人 』であった。
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