第18話、真昼の月

「 修一郎さん、久し振り! 」

 明るい初夏の日差しの中、なつきは、待ち合わせ場所の、ハチ公前に現れた正岡に声を掛けた。

「 やあ、お待たせ 」

 笑顔で応える、正岡。

 ・・もう1人、男性を連れている。 なつきには記憶に無い人物である。

( 友達なのかな? 修一郎さん、何も言っていなかったケド )

 友人にしては、年齢が離れている。

 チャコールグレーのスーツを着込み、手には、黒いブリーフケースを持っていた。 髪には、白髪が混じっており、一見、サラリーマンのように見える。

( 店舗の、関係者なのかな? )

 怪訝そうな、なつきの表情に、正岡は言った。

「 紹介するよ。 こちら、村井さん。 なつきちゃんに、用事があるそうだ 」

「 ? 」

 なつきにとって、おそらく初対面の男性である。 過去の記憶を探したが、この男性に会った覚えはない。 しかし、なつきに所用があるようだ。 男性は、なつきを知っているらしい。

「 ・・・なつきです。 あの・・ どちら様でしたでしょうか? 」

 なつきは、相手の表情をうかがうように挨拶をした。

 はたして男性は、名刺を出しながら言った。

「 初めまして。 村井と申します 」

 受け取った名刺の肩書きには、『 有限会社 トラスト代表 村井 慎二 』とある。 住所は、新宿区。 だが、業種や職種の明記が無い。

 あまり名刺など貰った事が無いなつきは、困惑した。

( 名刺って、会社の職種なんかが、分かるように印刷してあるものじゃないのかなぁ・・・? )

 あえて、職種を伏せてあるのかもしれない。 しかし、そんな職種の仕事とは・・・?

 なつきは、困惑の表情を隠し切れないでいた。

 そもそも、正岡が連れて来ている事に、疑問が湧く。 なつきにとって今日は、正岡との『 デートの日 』、と認識していたからである。 出来れば、2人きりで時間を過ごしたかった・・・

 少々、不満気な、なつき。

 正岡にとって、なつきと言う人物の存在は、やはり『 ただの知人 』としての認識しかないのだろうか。

( あたしの・・ 一方的な、片思いだしなぁ・・・ )

 なつきは少し、寂しさを覚えた。

 正岡が言った。

「 村井さん、実はね、探偵なんだ 」

「 え・・・? 」

 車のクラクションが、ビルの壁に、長く尾を引いて鳴った。



「 お待たせ致しました 」

 ウエイトレスが、アイスコーヒー2つと、レモンスカッシュをトレイに乗せてやって来た。

「 有難う 」

 正岡が、軽くお辞儀をしながら答える。

 運ばれて来た注文を、なつき・村井の前に置く、正岡。 なつきが、小さくお辞儀をした。

「 すみませんな 」

 村井が、そう言いながら、フレッシュをグラスに入れる。

 路地を入った所にある、小さな喫茶店に入った3人。 なつきは、切り出した。

「 村井さん・・ でしたっけ? あたしに、用事とは? 」

 村井は、コーヒーにひと口、口をつけるとグラスを置き、言った。

「 あなたは、新堂 なつきさん・・・ 間違い無いですね? 」

 小さく頷いて答える、なつき。

 村井は、上着の内ポケットから1枚の写真を出し、テーブルに置いた。

「 ・・・! 」

 その写真には、見覚えがあった。

 確か、今年の正月、初詣に行った神社で撮った写真だ。 鳥居脇に立つ、なつきの横には、優しく微笑む母親が立っている。 撮影したのは、デジカメを買ったばかりの父親・・・

「 ・・・・・ 」

 どうしてこの写真を、村井が持っているのか・・・?

 なつきは、直感した。 母親か父親が、村井に、なつきの行方を依頼したのだ。

「 ・・・・・ 」

 写真を見つめながら、沈黙するなつき。

 次の疑問が、なつきの脳裏に展開する。


 なぜ正岡が、村井を連れて来たのか・・・?


 更に、最悪の予想が連想された。

( あたしの『 正体 』が、修一郎さんにバレた・・・! )

 どこで、どう正岡と村井が、つながったのかは定かではない。 しかし、最後に連想された、自分の素性が正岡に知れたかも知れない、と言う事実だけはどうしても避けたい。


 胸の鼓動が、急速に高まる・・・!


 やがて、事実を肯定するが如く、村井が言った。

「 お父さんが、探しています 」

「 ・・・・・ 」

 やはり、なつきの感は当たった。 自分が家出少女だという事も、正岡には知れた事であろう。 だからこそ、正岡が連れて来たのだ。

( 修一郎さん・・・! )

 正岡の顔を見られない、なつき。 写真を見つめたまま、無言で、うつむいている。

 村井は続けた。

「 先月の上旬、お父さんから依頼を受けました。 実際、行方調査は・・ TVの特集でも、よくやっていますが、そう簡単に見つかるものではありません。 約、1ヶ月間、カンを頼りに新宿・渋谷・原宿を中心に、聞き込みを続けました 」

 正岡が言った。

「 びっくりしたよ。 新宿前で、アクセを売っている知人の手伝いをしててさ。 突然、村井さんが知人に写真を見せて、この子知らないか? って聞いて来たんだ。 僕が、写真を見せてもらったら、なつきちゃんが写っててさ・・・! 」

 偶然とは、こんなものなのだろう。

 正岡の知人の所へ辿り付いた、村井の努力も然る事ながら、そこに正岡が居合わせたのは、まさに偶然の賜物である。


 しかし、これで正岡が、なつきの真の姿を知った事は確実となった。 恐れていた事態が、現実の事となったようである。 正岡は、どう思っているのであろうか。 なつきは、正岡の気持ちが、真っ先に気になった。

( あたしから・・ あたしから離れて行かないで、修一郎さん・・・! )

 先日、加賀の素性を知り、心許せる相手と思っていた知人を1人、失ったばかりである。 もっとも、なつきの方が、一方的に想いを寄せていたのではあったが・・・

 なつきは、蚊の鳴くような声で言った。

「 ・・・ごめんなさい、修一郎さん・・・! あ・・ あたし・・・ 」

 正岡が、なつきの言葉を制するようにして答える。

「 いいんだ、なつきちゃん。 イヤな事は、誰だって言いたくないモンだ。 大切なのは、未来だよ? これからどうするか、なんだ 」

 優しい正岡の言葉が、なつきの心に触れる。 その言葉からは、なつきに対する思いやりが、確かに感じられた。

( ああ・・ この人は、あたしを裏切らない・・・! あたしが、想っている通りの人・・・! )

 大粒の涙が、ポロポロとなつきの頬を伝い、テーブルに落ちた。

「 あたし・・・ あたし・・・! 」


 ・・・正岡になら、良い。 許されるのであれば、全てを知り、理解して欲しい・・・!


 なつきは、そう思った。

 肩をしゃくり上げ、声を殺して泣き始める、なつき。

 村井が言った。

「 全ての内容は、お聞きしていませんが・・・ お父さんは、なつきさんに随分と酷い事をされていたようですね。 酔うと見境がつかなくなる事に関しては、お父さんご自身も真剣に悩んでいた事だそうで・・・ 精神科の医者にもカウンセリングに行き、指導を受けたそうです。 なつきさんが失踪されてから、お父さんは、お酒は辞められました。 今までを反省し、お酒に関しては今後、祝いの席でも一切飲まない、とおっしゃっています 」

 なつきは、肩を震わせ、村井の話しをじっと聞いている。

 村井は続けた。

「 商売柄、この渋谷で、どうやって半年間を生活していたかは、私には想像がつきます。でも、報告書には記載しません。 友人・知人宅を泊まり歩いていた、とでもしておきましょう。 本当は、報告書の捏造は、厳禁なんですがね・・・ 」

 正岡に苦笑して見せる、村井。

 なつきの前に置いてある、レモンスカッシュのグラスの中の氷が、カランと音を立てた。

 一面に、汗をかいたようなグラス・・・ なつきの心を投影するかの如く、ゆっくりと一筋の水滴が伝って行く。

 少し顔を上げ、やがてなつきは、涙で上ずった声で尋ねた。

「 本当に、お父さんは・・・ あたしを探しているのですか・・・?」

 村井は、微笑みながら答えた。

「 だからこそ、私は、ここにいるのですよ? 」

 ・・・自分を虐待した、父親。 自分を犯した、父親・・・

 だが、そんな父親でも、なつきにとっては、この世で、ただ1人の父親である。

『 親がいる事を、羨ましく思う事もあるケドね 』

 いつか、若菜が言っていた言葉が、なつきの脳裏に甦る。

 なつきは、消え入りそうな声で言った。

「 でも・・ 今のあたしには・・・ 父親の存在が、分かんない・・・ 」

 レモンスカッシュの氷が動き、また小さな音を立てた。

 手に持っていたグラスをテーブルに置き、正岡は言った。

「 父親じゃないよ。 『 家族 』だよ。 家族は、一緒に暮らすモンだ。 例え離れて暮らしていても、いつでも、連絡が取れる状態でなきゃ 」

 村井が追伸する。

「 お父さんには、なつきさんの現住所は伏せておきます。 心の整理が付いたら帰って来る、と言っていた、と申し上げておきましょう。 多感な時期の娘さんですから、自身で納得して頂いた方が良いかと思います。 お父さんには、探し出して連れ帰る事の無いよう、ご提案しておきますから 」

「 ・・・・・ 」

 無言のなつき。

 村井は、確認するように尋ねた。

「 また行方を眩ます、なんて事はしないで下さいね? ・・約束、して頂けますか? 」

 更に視線を下げ、やがて小さく頷く、なつき。


 テーブル横の窓ガラスからは、ビルの横に見える空に、真昼の月が見えていた・・・

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