第17話、夜空に彷徨うモノ

 斉田の車を見送った後も、しばらく、その場に立ち尽くしていた、なつき。

 ふいに、後から声がした。

「 なつきちゃん 」

 振り返ると、パジャマ姿の眞由美がいる。

 なつきは、慌てて手の甲で涙を拭いた。

 それを見とがめた眞由美が、心配そうに尋ねた。

「 どうしたの・・・? 斉田さんに、ひどいコト、言われたの? 」

「 あ、ううん。 目に、ゴミが入っちゃって・・・ 」

 言い訳をする、なつき。

「 眞由美さんこそ・・ こんな時間まで、どうしたの? 」

「 何か、眠れなくってね。 最近、暑いじゃん? 窓、開けてボンヤリしてたら、なつきちゃんが、送られて来たところだったから 」

 眞由美は、屈託なく、笑って見せた。 その笑顔に、少し救われるような気持ちになる、なつき。

 眞由美は、何となく、なつきの心情を察したらしい。 植え込み脇のベンチを指差し、言った。

「 少し、話そうか 」

「 はい 」


 時折り吹く、かすかな夜風が心地良い。 足元の芝も、いつの間にか、青々とした色となっている。 芽吹く、命の営み・・・

 今夜、2つの命が失われた。 それも、なつきの目の前で、だ。 命の儚さを、感じずにはいられない・・・

 眞由美は言った。

「 帰りたくなったの? 」

 なつきの心に、優しく響く眞由美の問い。 思わず頷いてしまいそうな心境を押さえ、なつきは、自分に問い掛けた。

( 本当は・・・ 帰りたいの・・・? )

 帰りたくないのであれば、即答が出るはずである。 それが出ない・・ いや、その答えを出そうとしない何かが、心の中にいた。

 自由を謳歌出来る現状、1人で生きていると言う自負・・・

( それが、何だって言うの? )

 もう1人の自分が、第2の自分に詰め寄る。 どちらが、本当の自分なのだろう。  今は、認識する手段すら思いつかない。 特に、今日は・・・

 なつきは、しばらく間を置いてから答えた。

「 ・・・分かんない 」

「 そう 」

 眞由美は、どうなのだろうか。 気丈そうな眞由美でも、そう思う事があるのだろうか?

 なつきは、尋ねてみた。

「 眞由美さんは、どうなんですか? 帰りたいって思うコト、あります? 」

 クスっと笑いながら、眞由美は答えた。

「 あるよ 」

 きっぱりと答えた、眞由美。

「 じゃ、どうして帰らないんですか? 」

「 キッカケかなぁ・・・ 」

「 きっかけ? 」

「 そう 」

 ベンチの上で両膝を抱え、笑いながら、眞由美は答えて見せた。


 ・・・きっかけ・・・


 今のなつきにとって、それは、現状を打破してくれる天使のような存在に思えた。 ある意味、他力本願なイメージを受けるが、姉的な存在である眞由美から発せられた事が、なつきの心には、事の他、大きく響いていた。

「 きっかけがあったら・・ 帰っちゃうんですか? 」

 不安そうな顔で聞く、なつき。

 眞由美は、終始、笑顔のままで答える。

「 なってみなければ、分かんないわ。 でも・・・ う~ん・・ やっぱ、分かんない 」

「 ・・・・・ 」

 誰でも、そう答えるのかもしれない。

 その『 きっかけ 』は、いつ、どんなカタチで眼前に現れるか、誰も知る良しなどないのだ。

 全ては、己が判断する・・・

 自身で納得し、自身の足で『 帰る 』のだ。 そうでなければ、すぐに再び、戻って来る事になるであろう。 そう・・ 眞由美は、過去にそれを経験している。 ある意味、悟っている眞由美だからこそ、笑って答えられるのだ。

 ふと、眞由美が、何かに気付いたように言った。

「 あ・・・ そうそう。 なつきちゃん、カオリって子、知ってる? 」

「 え? カオリ・・・? 」

 突然に話を振られ、なつきは一瞬、誰の事か分からなかった。 だが、すぐに理解した。 ・・多分、あのカオリの事だ。 家出したなつきに、何かと面倒を見てくれたり、アドバイスをくれたカオリ・・・ しばらく前に会った時は、母親が入院したとかで、家に帰るかどうか悩んでいた記憶がある。

 なつきは答えた。

「 あ・・ 多分、前にいたシマで世話になっていた友達です。 センパイってゆ~か・・・ 」

「 ふ~ん、そうなんだ。 ・・昨日ね、客待ちをしていた若菜に、聞いて来たらしいの。 『 なつき、って子、知ってますか? 』って 」

「 カオリが・・・ 」

 何だか、今となっては懐かしい『 友 』の名である。

 眞由美は、続けた。

「 その子が言うには、母親は退院して、自分は、定時制に通う事にしたんだって。 なつきちゃんに、そう言えば分かるから、って、言伝を頼まれたらしいの 」

 どうやら、カオリは、普通の生活に復帰したようである。 もう、街角に立つ事はないだろう・・・

( 久し振りに、会ってみたいケド・・・ もう、カオリは、あたしには会わない方がいいかも )

 カオリは、表社会に復帰したのだ。

 生活が変われば、考えも変わる。 例え、以前は親しい友人であったとしても、暮らす世界が違えば、その思考も自ずと疎通されなくなるものだ。

( カオリとは、気の合った仲間、と言う記憶のままでいたい )

 なつきは、そう思った。

「 前のシマの、友達なのね? いいわね、友達って 」

 優しく微笑みながら言う眞由美。 眞由美には、友達はいないのだろうか。

 なつきは、尋ねてみた。

「 眞由美さんには、いないんですか? 友達 」

 両膝を抱えたまま夜空を仰ぎ、遠くを見つめるような目をしながら、眞由美は答えた。

「 ・・・いるよ? 若菜とか、なつきちゃんとか・・・ ヨネさんも、そうね 」

 自分の名が挙げられた事に、少し嬉しくなる、なつき。

 天を仰いだままの、眞由美の横顔を見つめながら、なつきは言った。

「 この世界・・ 辛い事が、いっぱいだけど・・・ あたし、眞由美さんたちに出会えて、良かったと思います 」

 眞由美は、天を仰いだまま、視線だけを悪戯っぽくなつきに向け、言った。

「 あら、光栄だわ。 ナニも出ないわよ? 」

 クスッと笑って見せる、眞由美。

 なつきも、小さく笑って応えると、言った。

「 みんな、それぞれに色んな過去や性格があるけど・・・ 基本的には、あたしと同じなんですね 」

「 どう同じなの? 」

 顔をなつきの方に向け、微笑みながら尋ねる、眞由美。

「 寂しがり屋。 ・・あ、ごめんなさい・・・! 」

 眞由美は笑った。

「 そう。 そうね・・・ 寂しがり屋なのよ、あたしたち。 それを隠す為に、強がってみたり、あえて何でもない顔をしてみたり・・・ どちらかなのよね。 なつきちゃん・・ よく見てんだ 」

「 あ、いえ、そんな・・・ 」

 眞由美は、再び、夜空を仰ぐと真剣な表情になり、やがて呟くように言った。

「 ・・・寂しいから、逃げ出すのよね・・・ 」

「 眞由美さん・・・ 」


 逃げ出しても、現実からは逃げられない。


 例え、今の状況からは開放されても、違う現実が待ち構えているのだ。 それは、逃げ出した現実より、更に過酷な現実になる場合もある。


 小さな自由の代償・・・


 人によっては、虚像とも言えるであろうフリーダムに、価値を見出せるかどうかの判断は、自身が下すのだ。 その判断と、その後の結果の良し悪しもまた、人それぞれである。


 ・・・カオリは、家を飛び出し、結果的には家に帰った。 きっかけは、母親の存在・・・

 嫌っていた存在ではあるが、病に倒れたのを機に、その存在の大切さに気付いたのだ。 結果的には、良かったと言えるのかもしれない。 その判定も、人それぞれだろう。

( あたしは、どうなんだろうか? )

 自分を犯した、父親・・・ もし、事故や病に倒れ、明日をも知れない状況に陥ったら・・・

( 今は・・・ 分からない )

 なつきは、そう思った。

 冷静に考えてみると、家に帰りたいと言う気持ちの半分は、母親に会いたいと言う気持ちである。 父親への懐古ではない。

 だが実際、酒が入っていない時の父親は、申し分の無い人格であった。 しばらく会っていないと、人の記憶は、良い所だけの記憶が増幅されるものである。 なつきの心に、父親に会いたいと思う領域が、わずかに存在するのもまた、事実であった。


 眞由美が、夜空を扇いだまま言った。

「 あんな、クソ親でもね・・ 会いたい、って思う時があるんだ、あたし・・・ 」

 自分を探していないと思われる親の所へは、よほどの『 きっかけ 』がない限り、自分の意志で帰る事は出来ないであろう。 眞由美は『 帰る 』時が、まだまだ来ない・・ と、自身の中で確信しているのだ。

 家を出た者は、皆、心のどこかで『 帰る 』日を夢見ているのかもしれない。


 夜風に、眞由美の髪が揺れている・・・

 そよぐ髪を、右手で梳かしながら、眞由美は続けた。

「 ・・・でも、帰る時は、ひと言、言ってね? あたしや若菜も・・ 絶対、黙っては行かないから 」

 眞由美は、なつきに帰る時期が来ている、と思っているのだろうか。

 ・・・半分は認めたくない、なつき。

 確かに、心の中には、家に帰りたい気持ちがあるのは否めないのだが・・・


 今夜、目の前で起こった惨劇・・・

 なつきの心に、深く傷を残しながらも、何事も無かったの如く、ただ静かに、夜は更けて行った・・・

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