第16話、生と死の狭間にて

「 光りモンを収めろ、柴垣! おめえとは・・ やり合いたくねえっ・・・! 」

 斉田が、搾り出したような声で叫んだ。

 短刀を右手に構え、じっと斉田を見据える柴垣。 他の男たちも、何か動きがあれば斉田を守ろうとしてか、身構えている。


 行き詰まる、時・・・!


 柴垣が、フッと小さく笑い、静かに言った。

「 てめえは、いいヤツだ、斉田・・・ 」

 瞬間、抜き身の光が、闇を切り裂く。

 続いて、2度・3度。 ピュン、ピュン、と言う風切り音が、小さく聞こえる。 なつきは、両手で口を覆った。

「 やめろ、柴垣ッ! 」

 制止を聞かず、柴垣は、短刀を振り回し続けた。

 切っ先が、斉田のスーツの端を切り裂く。 寸前で、刃を避ける斉田。 斉田の陰に隠れていた矢野が、柴垣の前に露になった。

「 し、柴垣・・・! 」

 矢野の顔が、硬直する。

 ゆっくりと短刀を構え直し、柴垣は、矢野を見据えた。 矢野は、蛇に睨まれたカエルのように動かない。 恐怖に怯え、小刻みに唇を震わせている。 柴垣が振り被り、矢野に切り付けようとした時、斉田が叫んだ。

「 てめえは、ここで終わる男じゃねえッ・・! 」

 柴垣の動きが、止まった。

 しばらく固まったように動かず、やがてゆっくりと短刀を、右脇に構え直した。 その切っ先は、矢野の胸を捕らえたままだ。

 顎をしゃくり上げ、硬直したままの矢野・・・!

 恐怖に怯えた矢野の表情を、鋭く見据えたまま、後ろにいる斉田に、柴垣は言った。

「 ・・・終わらなきゃ・・・ どうなるってんだ・・・? 」

 その言葉には、重い響きがあった。

 シマや地位、金よりも大切なモノを欲している・・・ そんな意味合いが織り込まれているように感じられた。

「 ・・・・・ 」

 言ってはみたものの、斉田は、柴垣を満足させるような返答が返せない自分に気付いた。

 何も答えれられない。 逆に、沈黙してしまった。

 柴垣が言った。

「 金では、買えねえモンがあるって事を、あいつは気付かせてくれたんだ・・・ 答えろ、斉田・・! オレを、納得させてみろ! 」

 顎をしゃくったままの矢野の額から、汗が滴り落ちる。 恐怖に慄き、上ずった声で、矢野は言った。

「 し・・ 柴垣・・・! オレは・・・ 」

「 てめえは、黙ってろッ! 」

 矢野を制する、柴垣。

 茶色のメガネの中心を右手で押し上げ、斉田は、静かに答えた。

「 オレは、組の飼い犬だ・・・ おめえが、何を望もうと・・ オレは、組の為に動くしかねえ・・・! 」

 スーツの内から拳銃を出し、撃鉄を起こす斉田。

 コッキングする、チキッと言う音に気付き、柴垣は、少し後を振り返るとニヤリと笑い、言った。

「 ・・・やっぱ・・・ てめえは、いいヤツだ・・・ 」

 短刀を構えたまま、矢野の体に体当たりする、柴垣。

「 うぐぉっ・・! 」

 矢野の体が、後にあったビルの壁に押さえ付けられる。 尚も、柴垣は、その刃で矢野の体をえぐった。 激痛に耐えかね、柴垣の背中を掻きむしる、矢野。 スーツが裂け、シャツがはだける・・・! そして、1発の乾いた銃声が、牡丹の花に散った。


「 ・・・祥・・ 子・・・! 」


 柴垣は、がくりと両膝を地面に突き、矢野に覆い被さるように、ゆっくりと崩れ落ちた。


 辺りに硝煙の匂いが立ち込め、外灯の薄明かりに、わずかな煙が棚引いている。 息を呑んだような、一時の静寂が周りを包み、斉田の指示で成り行きを見守っていた男たちも、微動だにしない。

 スキンヘッドの男が、小さく言った。

「 ・・さ、斉田の兄貴・・・! 」

 斉田は、銃口から煙が立ち上がる拳銃をゆっくりと下し、大きな息を吐くと、言った。

「 車を回せ・・・! 急げっ! 」

 斉田の指示に、男たちは、弾かれたように駐車場へと走り出した。

 1人、残った斉田。

 拳銃を片手に持ったまま、折り重なって倒れている矢野と柴垣の側に、片膝を突いてしゃがみ込む。


 ・・・赤く染まる、牡丹・・・


 斉田はスーツを脱ぎ、その真紅の花に掛けると、しばらく間を置き、小さく呟いた。

「 ゆっくりと、話も出来なかったな・・・ 柴垣よ 」

 1人の足音が、近付いて来る。

 加賀だ・・・!

 斉田は、チラリと加賀を見た。 しゃがみ込んでいる斉田の前まで来て、立ち止まった加賀。 スラックスのポケットに両手を入れたまま、じっと、スーツを掛けられた2人を見つめている。

 やがて、加賀は言った。

「 有望株の若手に、経験豊かな中堅・・・ お互い、駒を1つ、失ったな 」

 加賀の方を見やる、斉田。

 何か、言いた気であったが、何も言わず、視線を戻した。

 加賀が続けた。

「 戦争は、お互いに不益だ・・・ 今夜は、何も見なかった。 何も知らなかった・・ そうしておこう 」

 その言葉に、斉田は再び加賀を見やったが、すぐに、動かなくなった2人の方に視線を戻し、吐き捨てるように言った。

「 ・・・勝手にしやがれ 」



 相殺された、2つの命・・・

 一部始終を目撃していたなつきは、しばらく呆然としていた。

 やがて、斉田に、車でマンションまで送ってもらう事になった、なつき。 その間も、無言でいた。 斉田も、何も話し掛けなかったが・・・


( また、月が見てる )


 車の窓からは、相変わらず、細い三日月が見えた。 愚かにも、果てない『 共食い 』を繰り広げる人間たちを、月が見ている。 じっと。 ただ、じっと・・・

( いいわね、アンタは。 そこでそうして、あたしたちを見ているだけなんだもん・・・ )

 薄く黄色が掛った色で、夜空に浮かぶ、三日月。 こうして、千夜一夜のように繰り広げられて来た人間の争いを、一体、どれだけ見て来たのだろうか・・・

 最後の願いを、掛けた者もあろう。

 志半ばにして倒れ、最後に目に映した者もいよう・・・


 ただ、夜空にある、月。


 なつきは、薄黄色の輪郭を通し、誰かが語り掛けて来ているような雰囲気を感じた。

( 誰? あたしに語りかけてくるのは・・・ それとも、ただ見ているだけなの? いつものように・・・ )

 月に問い掛ける、なつき。

 しかし、それはある意味、自分自身への問い掛けと等しかった。


 誰かと、話しがしたい。


 疑問に、答えてくれなくてもいい。

 優しく自分を見守りつつ、じっと話を聞いて欲しい・・・


 なつきの心は、消えた3つの命の狭間で、揺れ動いていた。


 ・・・もし今、自分が死んだなら・・・


 両親は、悲しむだろうか?

 久方、会っていない級友たちは、どう思うのだろうか?

 眞由美や、斉田たちは・・・?


 なつきの心に、正岡の顔が浮かぶ。

( 修一郎さん・・・ )

 もし、正岡に『 裏 』の顔があったら・・・

 車の、窓ガラス越しに揺れるネオンに重なり、正岡の笑顔が、浮かんでは消えて行く。

 なつきは、正岡に会いたいと思った。

 正岡が、なつきの事を、どう思っていようと構わない。 とにかく今、自分がいる世界とは、無関係な人間に会いたかったのだ。

 しかし、現実には、なつきの周りに存在するのは、夜の世界で生きる者たちと、裏の顔を持つ者たち・・・

 実際、『 人殺し 』に送られている、自分。

 これも、何という現実だろう。


 だが、『 殺人者 』という認識は、なつき自身、斉田には感じられなかった。 ただ、『 義務 』を果たしただけの、一組員。 そう感じられた。

( あたし・・・ 感覚が、マヒしちゃったのかなぁ・・・ )

 義と偽り。 夢と未来。 愛・現実・・・

 色んな情報が錯綜し、色んな経験が想い巡り、なつきは分からなくなった。 自分の指標・夢・希望・・・

 今は、行き着く所さえ、見出せない。


 マンションの玄関前で、車から降りた、なつき。

 車の窓を開け、斉田は言った。

「 全て、忘れろ 」

 ・・・人の命を、忘れろと言うのか?

 存在の記憶も、声も顔も・・ 彼らの生きた意味は、何だったのか・・・?

 彼らとの巡り会いは、なつきの人生に不要であったのか・・・?


 ヨネの言葉が、なつきの脳裏を横切った。

『 ワシの弟は、ナンの為に生まれて来たんかのぅ・・・ 』


 走り去る、斉田の車の、赤いテールランプ。

 なつきの脳裏に、真紅に染まった牡丹の花がシンクロする。

『 あたしの彼さぁ・・・ 背中に、牡丹が彫ってあるの 』

 ヨネの言葉に替わり、なつきの耳に甦る、祥子の声。

( 祥子さん・・・ )

 

 目から一筋の涙が溢れ、頬を伝った。


 やるせない気分が、なつきの心を包む。

 今は・・・ 誰かに会いたい・・・ 誰かに甘えたい・・・!


 夜空に掛かる、薄黄色い三日月・・・

 なつきは、それを、力なく見上げ続けていた。

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