第13話、嘘

 数日後、斉田から、なつきの携帯に電話があった。

『 矢野とは、どうしても連絡がつかない。 オレの感が当たっていれば、ヤツは今、ヤバイ状態だ。 見かけたら連絡してくれ 』

 どういう風にヤバイのか、なつきには、全く想像がつかない。 祥子の死に、関連がありそうなのだが、祥子と矢野の接点が見つからないのだ。 ただ、車に同乗していただけである。

( 祥子さん・・・ 柴垣さんに、この世界から足を洗って欲しかったのね )

 先日の、斉田からの話しを思い出す、なつき。

 祥子も、女性として、小さな幸せを掴みたかったのであろう。 『 裏の世界 』に長くいた者ほど、『 普通 』の生活に憧れるものである。 祥子も例外ではなかったのだ・・・


 同じ同性として、祥子の気持ちが痛いほど分かる、なつき。 自分もまた、加賀や正岡を意識している・・・


 叶わぬ事かもしれないが、『 夢 』は、誰しも見る権利があるのだ。 例え、それが泡沫の夢であっても、夢見るひと時は、現実から逃れる事が出来る。 それすら無駄だと思う者は、全てに絶望している者であろう。 どう考えるかは、個人の自由ではあるが・・・

( 柴垣さんは、どう思っていたのだろう? 祥子さんのコト )

 単なる、遊び相手だったのか、将来を約束していた間柄だったのか・・・

 個人的希望としては、後者であって欲しいと思う、なつき。

( 最後に見た祥子さん、嬉しそうだったし・・・ )

 あの日、マンションの玄関先で会話したのが、最後になってしまった。


『 これから、人と会うんだ 』


 傾きかけた夕日に映えていた、祥子の嬉しそうな笑顔・・・

 あの後、柴垣にあっていたかどうかは定かではない。 しかし、なつきは、心の中で確定していた。 祥子は、柴垣に会いに行ったのだ、と。

 あの日の、満ち足りたような祥子の表情は、心許せる特定の人に会いに行くからこそ出来た笑顔であったように思えてならないのだ。 自分もまた、正岡や加賀に会いに行く時は、多分、あんな表情をしているのだろう・・・


 ふと、なつきは考えた。

( 柴垣さん・・・ 祥子さんが亡くなったコト、知っているのかしら )

 斉田の話によると、警察には、祥子の叔父とか言う初老の男性が、司法解剖の後、遺体を引き取りに来ていたらしい。 尼崎から来た、との事である。 葬儀には、こちらからは誰も行っていない。 ・・・行かない方が、良いだろう。 夜の仕事に従事していた仲間が参列した所で、遺族は、煙たがるだけだ。 学生時代の友人を装ったとしても、突っ込まれた話しをされれば、すぐにバレてしまう。

 従って、葬儀に柴垣が参列していたかどうかは、確認は出来ない。 基本的に、組の違う柴垣には、情報すら行かないはずである。 だが、この世界では、顔の知れた祥子の事だ。 独自の、友人ネットワークが構築されていたと考えるのが順当である。


 だとすれば、柴垣は、祥子の死を知っている・・・!


( 犯人が誰なのか、斉田さんに、連絡して聞いて来るはずよね・・・ それが無いってコトは・・ 柴垣さんが、犯人・・・? いや、斉田さんも言っていたケド・・ あたしも、柴垣さんが、女性を殺してしまうような人だとは思えない )

 直に話しをした事のない人物ではあるが、なつきは柴垣を、そう評価した。

 正岡と一緒にいた時に見掛けた、ホテルから寄り添って出て来た2人の姿。 その仕草からは、明らかに愛情を感じられたからである。


「 何を、考えているんだい? 」

 なつきの思案を断ち切るかのように、加賀が、ベッドの中で、隣に横たわっていたなつきに尋ねた。

「 ・・あ、ううん。 ちょっとね・・・ 」

 加賀と会っている、いつものホテルの一室。

 なつきは、全裸で、仰向けに横たわっていた。

 加賀が手を伸ばし、なつきの乳房をそっと掴む。

「 あん・・・ 」

 見計らったように、サイドボードに置いてあった加賀の携帯が鳴った。

 小さく舌打ちをして携帯を取り、着信者を確認して携帯に出る、加賀。

「 矢野か? どうした 」


( ・・・・・! )


 今、確かに『 矢野 』と言った。

 聞き違いかもしれないが、なつきの耳には、そう聞こえた。 どうして、加賀が矢野と知り合いなのか・・・?

 同姓の他人かもしれない。 だが、タイムリーとも言える合い間で聞こえて来た、矢野と言う名。

 なつきは、じっと耳を澄ませ、携帯の相手の声を探った。


 ・・・どうやら、男性のようである。

 矢野とも、あまり会話をした訳ではない。 どんな声だったか・・・

 おぼろげに覚えているだけだが、加賀の携帯から漏れ聞こえて来る声には、確かに記憶がある声のように思えた。 ベッドに、仰向けに寝たまま、加賀は会話している。

「 ・・・だから、余計な事をするなと言っただろう? アイツの事だ。 何をしでかすか、分かったモンじゃないぞ・・・! 今、どこだ? 」

 電話の相手からは、少々、焦った状況がうかがえる。

 ビジネス・・ とは考え難い、加賀の返答内容だ。 なつきは、固唾を呑んで聞いていた。


 仕方がない、と言ったようなため息を尽く加賀。 強い口調ではあるが、静かに言った。

「 分かった。 アミューズまで来い。 ・・わめくんじゃねえ。 オレも、今から行く 」

 携帯を切った加賀は、なつきの頬に手を当て、優しく擦りながら言った。

「 仕事が入ってしまった。 今から行かなきゃならない。 またな・・・ 」

 優しく微笑んではいるが、表情には、陰りが見える。

 視線は、なつきではなく、明らかにどこか遠くを見ていた。 その視線の奥に感じる、苦悩。

 なつきは言った。

「 今から・・・? もう、夜の12時過ぎだよ? 」

 ベッドから起き上がり、ワイシャツを着ながら、加賀が答える。

「 ちょいとしたアクシデントさ。 取引先からクレームだ・・・ 」

 そんな内容の会話ではなかった。


 加賀は、明らかにウソをついている・・・!


 もし、今、掛って来た携帯の相手が、あの矢野だったら・・ 一体、加賀の正体は、何なのだろう・・・?

 カタギだとばかり思っていたなつきは、にわかにうろたえ始めた。

「 何て顔してんだ。 また会ってやるから 」

 なつきの表情の変化を察したのか、いつものように優しく言う加賀。

 だが、なつきの表情は、硬いままだった。 不明ではあるが、加賀の私生活に、疑いの兆しが現れ始めていたからである。

 インターホンでフロントを呼び出し、退室を告げる加賀。 服を着て、なつきと加賀は、ホテルを出た。


「 1人で帰れるか? 」

 ホテルの駐車場に停めた車に向かうすがら、申し訳なさそうに、加賀は、なつきに尋ねた。 どうやら、車で送って行けない事を示唆しているようだ。

「 いいよ。 近いから、歩いて帰る 」

 ・・・ドコに、何が近いと言うのか。

 自分で言っておきながらも、意味不明である。 だが、加賀は、納得した様子で言った。

「 悪いな。 今度、旨いモンでも食べに行こう。 じゃ・・・ 」

 エンジンを掛け、なつきに軽く手を上げながら、車を発進させる加賀。


 ・・・嫌悪感を感じる。


 性欲の、捌け口に使われたような気分だ。 ラブホテルから1人で出て来るのは、何とも屈辱的な気分になる。

 もっとも、自分は・・・ そんなオンナであり、『 道具 』に過ぎない。 金で買われたオンナなのだ・・・


 近くのJRの駅まで行き、タクシーを拾う。

 ネオンが煌く繁華街を横目に、なつきは、先程の加賀の言葉を思い出していた。

( 明らかに、仕事の話しなんかのような内容じゃなかったわ・・・ やっぱり、あの『 矢野さん 』なのかしら・・・ )

 思い出せば思い出すほど、加賀の携帯から漏れ聞こえていた声が、わずかな記憶の声と一致して来る。

( アミューズ・・・ )

 なつきも知っている。 中央本線の千駄ヶ谷駅から、北参道へ行く途中辺りにある大きなショッピングモールである。 大規模なゲームセンターもあり、深夜過ぎでも若者を中心に、大勢の人で賑わっているアミューズメント・スポットだ。

( 加賀さんは・・ やっぱり、裏世界の人なのかしら・・・ )

 表面上、カタギの商売を名乗っている者は多い。 いや・・ 今や、ほとんどの者が、そうではないだろうか。 取締りが厳しくなった現在、堂々と、組の看板を掲げている『 事務所 』は少ない。 中には、全く気が付かれないようにしている組もある。 どこから見ても、普通の会社なのだ。 不動産屋だったり、中古車販売の店だったり、土建屋だったり・・・ 何と、警備会社であったりする場合もある。

 加賀も、そんな1人なのだろうか。 出来れば、そうであって欲しくはない・・・


 なつきは、判断に苦慮した。 商社の課長と聞いていただけに、尚更である。 確かに、加賀の身なり・言動からは『 そのスジ 』のイメージは湧かない。

( でも、携帯と話していた時の加賀さんの声・・ いつもとは、違ってた )

 ・・・妙に、ドスの効いた口調。 乱暴な言い方こそしてはいなかったが、声質は、なつきが聞き慣れた『 それ 』そのものだったのだ。

( 広いモールだとは言え、スペースは限られているわ。 駐車場だって、1ヶ所だし・・・ )

 行ってどうなるのかは、予想が付かない。 だが、加賀を発見出来れば、少なくとも『 矢野 』の確認が出来る。

( もし、あの矢野さんだったら、斉田さんに報告しなきゃ・・・! )

 祥子の、失踪と死にも関連しているかもしれないのだ。 それに、加賀の正体も判明する・・・


 知りたくないような、知りたいような気持ちになる、なつき。 だが、このまま、モヤモヤしたままでは、どうにもやり切れない。 事実をハッキリさせたいのが、本当の気持ちだ。 もしかしたら、なつきの、思い過ごしかもしれないのだ。


 ・・なつきは、決断した。


 ベンチシートに両手を付き、タクシーの運転手に告げる。

「 すみません、千駄ヶ谷までに変更して下さい 」

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