第12話、儚き命
8月の下旬。
江東区 千歳の両国橋近くの隅田川で、女性の他殺死体が浮いているのが発見された。
年齢は、20代半ばから、後半。
パーマを掛け、緩いウエーブの茶髪で、長さは背中辺り。
淡いベージュのワンピース姿で、素足。
両手を、後ろ手で縛られ、胸元には、蝶の刺青があった。
祥子であった・・・
「 死因は、絞殺みたいよ・・・! 」
「 お客と、トラブったんじゃないの? 」
幾つものフラッシュが瞬き、何人もの捜査員が、部屋の玄関の扉を出たり入ったりしている。 ドアの所には警官が立ち、階下を見ると、マンションの駐車場には、赤色灯を回転させたパトカーや、警察車両が停まっていた。 刑事らしき男2人が、3人の女性に何かを聞いている。 祥子の部屋の同室者たちに事情聴取をしているようだ。 祥子が入居していた部屋の階のポーチには、立ち入り禁止の黄色いテープが貼られていた。
なつきは、他の居住者たちに混じり、そのテープ前から、警官や刑事たちが動き回る様子を、呆然と眺めていた。
( 祥子さんが・・ 祥子さんが・・・! )
誰かの手が、なつきの肩に乗った。
振り向く、なつき。
「 大変なコトに、なっちゃったわね・・・ 」
眞由美だ。
思わず、なつきは、眞由美に抱き付いた。 眞由美も、なつきの小さな肩を、優しく両手で包む。
「 どうして・・・ どうして、祥子さんが・・・! 」
肩を震わし、眞由美の腕の中で泣き出す、なつき。
「 分からないわ・・・ なつき、しっかりして。 泣いたってもう、祥子は還って来ないのよ? 」
「 だって・・ だって・・・! 」
泣きじゃくる、なつき。
傍らにいた若菜が、静かに言った。
「 慣れてた祥子が、お客とトラブるなんて考えらんない・・・ 何か、事件に巻き込まれたのよ・・・! 」
「 事件って? 」
「 分かんないケド・・・ 」
同室の者たちからの話によると、検死の結果で、祥子は、川に投げ込まれる前に絞殺されていた事が判明したらしい。 所持品は無く、乱暴された痕跡も無い。
・・身元判明の決め手は、胸にあった、蝶の刺青。
夜の渋谷界隈を中心とし、かなりの『 顔 』だった、祥子。 蝶の刺青から、その身元は、すぐに判明したのである。
皆の前から姿を消し、二週間。 変わり果てた姿で、祥子は発見された・・・
後日、いつもの街角に立ち、客を拾っていた、なつき。
ふと、周りを見渡した。
待ち合わせらしき男性、携帯でメールをしている女性・・・ その中には、数人の『 同業者 』の女性も見て取れる。 なつきは、そんな中に、祥子を探していた。
『 ナニしょげた顔、してんのよ。 客が、逃げちゃうでしょ? 』
そんな声が、なつきの脳裏に甦る。
( 祥子さん・・・ )
手鏡を出し、ルージュを引き直す祥子の姿が、他人の女性と被る・・・
「 ・・・・・ 」
犯人は、未だ見つかっていない。
祥子が死んでから、もう3週間。 最近は、マンションに訪れる刑事の姿も見なくなった。
( 住所不定のあたしらなんか、生きようが死のうが、あんま関係ないって事ね・・・ )
先日の、ヨネの話を思い出す、なつき。
『 ワシの弟は、何の為に生まれて来たんかのう・・・ 』
祥子の人生も、泡沫のようだ・・・
この世界に入る前の事は知らないが、世を去るには、あまりに若過ぎる。
人の命の儚さを、感じずにはいられない、なつきであった。
「 おう、やってるな? 」
斉田だ。
なつきは、ポーチから幾らかの金を出すと、斉田に渡した。
「 ちょっと、茶でも飲まないか? 」
斉田は、渡した金を確認する事もなく、それをスーツの内ポケットに入れると、そう言った。
「 え? あ、はぁ・・・ 」
斉田から誘われた事など、一度もない。 予想外の誘いに戸惑い、あやふやな返事をした、なつき。
「 誰か、予約してんのか? 」
「 いえ 」
「 じゃあ、ちょっと付き合え。 話しがある。 今日の分のアガリは、取っておけ 」
「 はあ・・・ 」
道の、反対側にある喫茶店に入った、なつきと斉田。
席に付くなり、斉田は、辺りを見渡した。 あまり、他人には見られたくないような雰囲気が見て取れる。 なつきは、何となく、胸騒ぎを覚えた。
「 何、飲む? オレは、ブレンドだ 」
おしぼりと水の入ったコップを持って、やって来たウエイトレスを尻目に、斉田が尋ねる。
「 あ、じゃあ・・・ アイスカフェオレ、頂きます 」
「 それを 」
ウエイトレスに目配せする、斉田。
「 かしこまりました 」
ウエイトレスは、一礼するとカウンターへ戻って行った。
「 実はな・・ 祥子の事だ・・・ 」
おしぼりをビニールから出し、手を拭きながら、斉田は言った。
「 祥子さん? 」
「 ・・ああ。 お前も、眞由美や若菜と同じように、親しかったろ? 」
「 ええ。 このシマを通してくれたのも、祥子さんですから・・・ 」
「 そうだったな 」
タバコを取り出し、火を付ける、斉田。 なつきも、おしぼりを取り出し、手を拭う。
斉田は言った。
「 警察が、マンション管理人のウチ事務所の所にも来て、ここンところ、結構ヤバかったが・・・ それは、まあいい。 お前、祥子の交友関係について、何か知っていないか? 」
祥子の、交友関係・・・ あの、柴垣の事だろうか。 斉田は、祥子と柴垣の関係を知っているのだろうか・・・?
( 祥子さんはもう、故人だし・・・ 言っても、問題はないかも )
斉田が、なつきに顔を近付け、小声で追伸した。
「 祥子の死に方にゃ、疑問がある・・・! 」
「 どういう・・ 事ですか? 」
斉田は、茶色のメガネの奥から、鋭い視線をなつきに向けながら、答えた。
「 ナンで、川に捨てる? 」
「 ・・・・・ 」
「 フツー、見つからないように、山に捨てるか、埋めると考えるのが正論だろうが? 川だとしても、山奥の川とかよ。 あんな、都会のド真ん中の川に、フツーは捨てねえぜ? 」
・・・確かに、一理ある。 まるで、誰かに見せたいかのようにも取れる。
「 まさか・・・ 見せしめ・・・? 」
斉田は、茶色のメガネの中心を、右手の中指で上げ、言った。
「 そりゃ、違うな。 慌ててたんだよ 」
「 慌てる・・・? 」
「 お待たせ致しました 」
ウエイトレスが、オーダーを持って来た。
斉田が、なつきに近付けていた顔を離し、イスに、もたれ掛かる。
テーブルに置かれる、コーヒーとカフェオレ・・・
なつきは、ウエイトレスに軽く、一礼した。 タバコを灰皿で揉み消し、ウエイトレスがテーブルを離れるのを待つ斉田。 伝票をテーブルの端に置き、ウエイトレスがカウンターの方へ戻って行く。 斉田は、コーヒーにフレッシュだけを入れると、カップを手に持ち、口へ運びながら言った。
「 これは、オレの直感だがな・・・ 犯人は、祥子の身近な人間。 しかも、山奥まで運んでいけないほど、忙しいヤツだ 」
夜間も、管理されている人間・・・? そんな人間が、存在するのだろうか。 どんな仕事をしていても、勤務時間が過ぎれば、開放されると思うのだが・・・
戸惑い気味のなつき。
斉田は、カップをソーサーの上に置きながら言った。
「 何かあったら、電話一本で飛んで来なきゃならねえ、オレたちみたいな家業のヤツさ 」
「 ・・・! 」
斉田は、同業者・・・ 組の、構成員を疑っているらしい。 それは緑風会なのか、それとも、他の組なのか? 一体、何の為に・・・?
なつきは、おそるおそる言った。
「 ・・・祥子さん・・・ 他の組の人と、付き合ってました 」
斉田の目が、メガネの奥で光る。
「 それは・・・ 柴垣か? 」
無言で頷く、なつき。
ふう~っと、ため息を尽き、斉田は、目を伏せると言った。
「 ・・やはりか。 まあ、仕方ねえだろう。 祥子と柴垣は、オレが、シマを束ねる前からの付き合いだ。 オレだって、ヤボなマネはしたくねえ。 感付いてはいたが、黙っておくつもりだった 」
斉田は、ある程度は気付いていたらしい。
再び、カップを持ち、続ける。
「 アイツは、アブねえ男だ。 ナニ考えてんだか、見当がつかねえ・・! おそらく祥子は、ヤツのトラブルに巻き込まれた公算が、大だ 」
なつきは以前、初めて斉田と会い、対峙していた時の柴垣を思い出した。
柴垣の、不敵な笑い顔が、なつきの記憶に甦る。
「 まさか、柴垣って人が、祥子さんを・・・! 」
「 いや、それはないな。 ヤツは、無愛想だが、オンナに手を掛けるようなヤツじゃない 」
斉田は、言い切った。 祥子は、好意を寄せていた相手に、手を掛けられたのではなさそうである。
なつきは、少しホッとし、カフェオレにストローを入れ、口を付けた。 想像の域ではあるが、最悪のシナリオは、描かれてはいないようだ・・・
斉田は、カップを置くと、タバコを出し、呟くように言った。
「 祥子はな・・・ 柴垣に、カタギになって欲しいと言っていたらしい。 これは、他の女たちからの情報だ。 オレもな・・ ヤツとは、この世界で・・ あまり、向かい合いたくはないんだ。 出来れば、そうだな・・ 一度、じっくりと話しがしてみたい 」
じっと、手にした火の付いていないタバコを見つめる、斉田。
なつきは、ふと、斉田に、柴垣に対する友情のようなものを感じた。
敵対する組の構成員同士ではあるが、柴垣を語る斉田の口調には、どこかしら、敬意が感じられる。 対峙していたあの日・・ 柴垣も、斉田を認めるような発言をしていた。
どこかで、違う出会いをしていたら・・・
もしかしたら、斉田と柴垣は、最強・最良なコンビになっていたかもしれない。 性格的には、沈着冷静な斉田に対し、自由奔放な柴垣・・・
相容れぬ2人だけに、自分には無い、互いの長所を認め合っているのではないのだろうか。 なつきは、そんな事を想像した。
「 あ・・・! 」
なつきが、何かに気が付いたように声を上げる。
「 ・・ん? 何だ? 」
怪訝そうに、なつきを見ながら、タバコに火を付ける斉田。
「 そう言えば、おかしな光景を見たわ、あたし・・・ 」
ストローを摘んだまま、なつきは言った。
「 おかしな光景? 」
ふうっと、天井に向けて煙を出しながら、斉田は聞いた。
「 はい。 えっと・・ この前、斉田さんが連れていた男の人・・ 矢野さん、でしたっけ? 」
「 矢野? 矢野が、どうかしたのか? 」
「 柴垣さんと、一緒にいました 」
「 ・・・・・ 」
斉田の眼つきが、瞬時に険しくなる。 硬直したように、じっと、なつきを見つめ・・ いや、睨み付けている。
やがて、静かに言った。
「 ・・・一緒だと・・・? 間違いねえだろうな・・・! 」
「 間違いありません。 祥子さんとも、一緒だったんです。 黒いベンツで、運転手をしていました。 何で、緑風会の人が、柴垣さんのお付きをしてるのかなぁ、って・・ 不思議に思いましたから 」
斉田の目尻が、小刻みに動いている。
・・これは、ただ事では、なさそうだ。 なつきの証言は、思わぬ事態に発展しそうな雰囲気である。 棚引く、タバコの煙の向こうに、斉田の目が鋭く光る・・・!
やがて斉田は、なつきを見据えながら言った。
「 よく覚えててくれたな、なつき・・! いいか? この事は誰にも言うな。 いいな? ・・もう、誰かに言ったか? 」
「 いえ、あたしも忘れていましたから 」
「 ・・・よし・・・ うむ・・ よし、よし・・・! 」
視線を、なつきから離し、何かを考えながら、1人頷く斉田。
携帯を出し、誰かに連絡を取る。
「 ・・おう、オレだ。 矢野は今、いるか? 」
しばらくの無言。 タバコをくわえ、煙を出す。
「 何・・? 連絡が取れねえってのは、どういうコトだ 」
チラリと、なつきを見やる斉田。 どうも、様子がおかしいらしい・・・
「 分かった。 とにかく連絡を付けろ。 至急だ・・! 」
なつきの、カフェオレのグラスの中で、氷が、カランと鳴った。
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