第11話、ひとつの人生
「 バアちゃ~ん、たこ焼き1個な~ 」
作業着を着た中年男性が、店先にやって来た。
「 あいよ~、今日は、早いのう。 仕事帰りかえ? 」
ピックの先に刺し上げ、焼き上がったばかりのたこ焼きを、パックに入れながら、ヨネが尋ねる。
「 今日は非番でね。 やるコト無いから、1日中、スロットだよ 」
「 出たんか? 」
「 3万、ヤラれた 」
「 ナンじゃそら。 ・・・ほれ、2個オマケじゃ! 」
6個入りのパックに、無理やり8個を入れ、輪ゴムを掛ける。
「 お~、すまんな 」
作業着ズボンのポケットから、くしゃくしゃになった千円札を出した男性に、なつきが、おつりを渡しながら言った。
「 有難うございま~す♪ 」
「 お? バイトか? この子 」
半円形の穴が幾つも開いた、たこ焼き用の鉄板に、油を塗りながらヨネが答える。
「 そうじゃ、ワシの孫じゃ。 手ェ出したら、承知せんぞ? 」
ヨネの『 設定 』に、クスッと笑う、なつき。
男性が言った。
「 孫だとぉ~? バアちゃんと全然、似とらんぞ? 可愛い過ぎる 」
「 ほっとけ! たこ焼き、2個返せ、こら 」
ヨネを尻目に、男性が、なつきに尋ねた。
「 高校生? 名前、何て言うの? 」
「 なつきです。 毎度、有難うございます 」
笑顔でお辞儀をして答える、なつき。
ヨネが、ピックを持った右手を、小バカにするようにヒラヒラさせながら、なつきに言った。
「 コイツはな、日給を全~部、パチンコでスッちまうアホじゃ。 相手にしたら、アカン 」
「 ひっでェ~なぁ~、バアちゃん。 いつも、買いに来てやってるのにぃ~ 」
「 たこ焼きを主食にしとるヤツに、大事なワシのなつきが、紹介出来るか! 」
「 じゃ、今度、大当たりした時は、ブランドもんのバックに交換して持って来てやるよ 」
「 あぶく銭で、釣る気かえ? もっと精進せえ、っちゅうんじゃ、お前 」
2人の会話に、なつきは、笑い出す。
たこ焼きを手にした男は、頭をかきながら、夕暮れの街中へと消えて行った。
「 2パック、ちょうだい 」
今度は、買い物袋を、幾つも下げた身重の主婦だ。
「 あいよ。 ・・そろそろ、臨月じゃないのかい? 」
「 ええ。 来月なんですよ 」
大きなお腹を擦りながら、主婦は答えた。
ピックの先で、鉄板のたこ焼きを裏返しながら、ヨネが言う。
「 旦那さん、帰って来れそうかね? 」
「 札幌ですからね・・・ ゴールデンウイークも、イベントの手伝いだとかで、帰って来れなかったし 」
「 商社の課長さんも、大変だねえ~・・・ はい、お待ち~ 」
「 ありがと。 またね~ 」
結構に、客が来る。
なつきは言った。
「 忙しいのね。 いつもヨネさん、1人でやってるんでしょ? 」
「 まあね。 慣れたよ 」
シワくちゃの顔で、笑って答える、ヨネ。
鉄板を熱する火力を最大にし、全ての鉄板を使って、何パック分かのたこ焼きを焼く。それをパックに詰めて保温ケースに入れ、ある程度の『 作り溜め 』をすると、バーナーの火力を絞り、傍らにあったパイプイスを出して、なつきに勧めた。 自分も、座布団を木箱の上に置いて座ると、タバコを出し、火を付ける。
「 ここいらは、元、稲辺会のシマだったんだよ・・・ この屋台も、元、稲辺会のモンさ 」
「 緑風会が取った・・ ってコト? 」
「 ・・ま、取ったか、統合したのかは、知らないがねぇ・・・ 」
煙を、ふうっと出しながら、なつきの問に答えるヨネ。
なつきが尋ねた。
「 ヨネさん・・・ 長いの? この、お仕事 」
再び、煙をふうっと出しながら答えるヨネ。
「 そうさね・・ もう、18~9年になるかねぇ・・・ その前は、仲居・ホステス・踊り子・・・ 考えてみりゃ、夜の世界でしか、働いたコト無いねぇ~ 」
「 ・・・・・ 」
結婚は、していたのだろうか。 一緒のマンションに同居している事から察するに、おそらく家族は、いないものと思われる。 親戚くらいは、いるかもしれないが、高齢だ。 若菜のように、天涯孤独の身も、あり得るかもしれない。
なつきは、少々、小さな声で聞いてみた。
「 ・・・家族は? 」
チラッと、なつきを見やったヨネ。 豪快に、笑い飛ばしながら答えた。
「 は~っはっはっはっは! そんなモン、とうの昔におらんわ! 」
「 ・・・・・ 」
やはり、複雑な事情があるのだろうか? はたしてヨネは、真顔に戻り、鉄板下のバーナーの小さな青い火を見つめながら、呟くように繰り返した。
「 ・・・とうの昔に、な・・・ 」
タバコのフィルターを、シワが寄った口に運ぶ。 より赤く、タバコの先の火を輝かせ、また煙をふうっと出すと、ヨネは続けた。
「 ワシは、自分の本当の名前を、知らんのじゃ・・・ 」
「 え? 」
意外な、発言だった。
なつきは、目を丸くして、ヨネを見つめる。
名前を知らないとは・・・ ヨネもまた、若菜のように施設で育ったのであろうか。
なつきは、身じろぎもせず、ヨネの次の言葉を待った。
「 6歳くらいかのう・・・ 小さい頃の記憶は、微かにあるんじゃ。 家は、木造の2階建て・・・ 小さな庭があってな・・・ くぐり戸の脇に、立派な松があった。 母親からは、『 ヨネちゃん 』と呼ばれていた記憶もある・・ 父親は、海軍さんじゃった。 士官服姿の写真でしか、見た事が無いがのう・・・ 」
「 ・・・・・ 」
ヨネは続けた。
「 あれは・・・ 今日みたいな、よく晴れた夏の日じゃった。 空を埋め尽くすように、大きな飛行機が、編隊でやって来てな・・・ ピュー、ピューって、爆弾を落としたんじゃ。 ワシは、母親に手を引かれ、何歳か年下の弟と逃げた。 あたり一面、火の海じゃ。 火だるまになった人間が、何人も、地面をころがり回っておった。 倒れたゼンマイ仕掛けのオモチャのように、こう・・ 空を掴みながらな・・・! 」
パントマイムのように、両手を振って見せる、ヨネ。
「 そのうち、ワシらの近くで、爆弾がハゼたんじゃ。 母親は、突然に倒れ、動かなくなった。 見ると、首の辺りが切れて、赤い血が、シュー、シューって噴き出しておるんじゃ・・・! ワシと弟は、わんわん泣きながら、母親の側におった。 やがて、火が迫って来て、母親の着ていた着物を、焦がし始めたんじゃよ。 ワシは、必死で、手で叩いて消しておったんじゃが、みるみるうちに、母親は燃え出してしまったんじゃ・・・! 」
「 ・・・・・ 」
声の出ない、なつき。
ヨネのタバコの灰が、ポロリと落ちる。
「 ・・・誰か知らんが、通り掛った男に引き離され、ワシと弟は、防空壕に連れて行かれた。 火は、丸1日・・ 次の日の夕方まで、燃えておったのう・・ ワシと弟は、泣きながら辺りを歩き回っておった・・・ 行く宛てなど、皆目、見当がつかんかったんじゃ。 その後は、ヤミ市や、燃えていない駅の周辺で残飯を漁ったり、イモを万引きしたりして、飢えをしのいでおったのう 」
短くなったタバコを、灰皿代わりの空き缶に捨てる。 組んだ右足の膝を両手で抱えたヨネは、テントの隙間から見える、夕闇が迫った空を見上げながら続けた。
「 ・・・食うモンなんぞ、なぁ~んも、ありゃせん。 雨が降るとな・・ 事の他、ひもじいんじゃ。 弟と、膝を抱えて1日、橋の下じゃ。 寒くてのう・・・ 手足なんか、骨と皮しか無いくらいヤセてしもうた。 あばらの隙間に、小石が乗ったほどじゃ 」
胸の辺りを手で擦って見せる、ヨネ。
なつきは、何も答える事が出来ず、ヨネを見つめ続けていた。
「 弟の名前は・・ 忘れたのう・・・ 終戦の年じゃったから、昭和・・ 20年の暮れか・・ 有楽町の駅構内で、死んでしもうたわ・・・ ぽか~んと、半分、目を開けたままな・・・ 固くなった饅頭に見立てた小石を、両手に握ったままじゃった 」
「 ・・・・・ 」
もう1本、タバコを出し、火を付ける、ヨネ。
吐き出す煙が、バーナーの火で暖められ、暮れかかった空に立ち上って行く。 その煙の行方を見ながら、ヨネは呟くように言った。
「 ワシの弟は・・ 何の為に、生まれて来たんかのう・・ もう、顔立ちも忘れちまったが、『 お腹減った~、お腹減った~ 』ちゅう声だけは・・・ 未だ、よう忘れられん 」
タバコの灰を、空き缶に落とすヨネ。
「 ・・・ワシの、記憶の中にだけしかおらんのじゃ、あの弟は・・・ 確かに、生きていたんじゃがのう・・・ 人なんぞ、そんなモンかもしれん。 ワシは生き残ったが、一族まとめて死に絶えたモンも、数知れんのじゃ。 誰の記憶に残るでもなく、のう・・・ 」
煙たそうにタバコを吸う、ヨネ。 目に煙がしみたのか、右目をこすりながら、続けた。
「 弟の体は、役場のモンが来て、どこかへ持って行ったわい。 片手でヒョイと持って、麻袋に詰めてな・・・ ワシは、その後、施設に収容されたんじゃ。 戦災孤児ってヤツよ。 園の所長さんが、庄田と言う人でな。 養女にしてもらって、新しく戸籍も移されたんじゃ。 それ以来、ワシは庄田じゃ 」
・・・戦争により、何もかも失ったヨネ。 家族のみならず、自分の名前すらも失ってしまったのだ・・・
戦前には、確かに存在した家族・・・ 父親が軍人で、士官であったと言う事から、それなりの家系であったに違いない。 それが今では、跡形も無い訳である。
煙を鼻から出しつつ、空き缶でタバコを揉み消しながら、ヨネは言った。
「 母親から聞いた事があるが・・・ 父親の乗っておった船は、連合艦隊の『 霜月 』と言う名前の軍艦でな。 駆逐艦じゃよ。 施設に入ってから、園長さんが調べてくれたんじゃが・・ もう、終戦の1年以上も前に、フィリピンのボルネオ、とか言う島の沖合いで撃沈されておったそうじゃ 」
「 ・・・・・ 」
その後の人生は、先程に聞いた過去の職歴から、なつきにも想像が出来た。
半世紀以上前の、壮絶なる記憶・・・ おそらく、あまり人には、語ってはいないのだろう。 ヨネの話し方には、封印した過去を思い出すかのような感じが、見受けられた。
これも、ひとつの人生である。 それにしては、惨過ぎる人生だ・・・
なつきは言った。
「 ヨネさん、1人ぽっちなのね・・・ 」
ヨネは、少し笑いながら答えた。
「 生きるのに、必死だったからのう・・・ あまり、そんな事は、考えた事は無いわい。 だがのう・・ 薄ら寒い、雨の日なんぞは・・ 弟と膝を抱えておった橋の下の事を、未だ思い出すのう・・・ もう、寂しい想いをするのは、イヤじゃ・・・」
ヨネの耳には、今も、弟の声が聞こえているのだろう。
住む所も、食べる物も・・ 行く所すら無く、寒風吹き抜ける橋の下に、ただ、うずくまる、幼い姉弟・・・ 息を引き取ったという駅構内も、暖房設備の無かった当時は、身を切るような寒さであったに違いない。
「 2パック、ちょうだ~い! 」
店先に、5歳くらいの子供を連れた、主婦らしき女性が来た。
「 毎度 」
座布団から立ち上がり、ヨネが応対する。
客からもらった代金を、使い込んだブリキ製の菓子箱に入れながら、ヨネは、なつきに言った。
「 ・・帰れる家があるのは、良い事じゃ・・・ 帰れ、とは言わんが・・ その気になったら、帰れる家がある事を『 有り難い 』と、思わなイカンぞえ? 」
「 ・・・・・ 」
ヨネの身の上には、同情する。 でも、だからと言って、家に帰ろうと言う気には、今の所、なれない。 確かに、家を懐古する気持ちは、若干はあるのだが・・・
その事は、ヨネも理解している事だろう。 基本的には、なつきに、家に帰ってもらい、まっとうな生活をして欲しいとは思っているに違いない。 だが、なつきには今の所、その気は無い・・・ それが分かっているからこそ、それ以上の注進を、ヨネは避けているのだ。
・・・ヨネのように、波乱の人生あり、とある機会にてそれを語ったとしても、基本的に人は、自分の人生への同情や、注進に対しての聞き入れを、して欲しいとは思わないものである。 ましてや、自己のコメントはしても、強制などは絶対にしないものだ。 相手が、自分の方向性に拒否を示しても、それはそれで良い、と判断する。
そう・・ 他人には、他人の価値観の上に成り立つ『 指標 』の存在があるのだ。 手助けでの意味合いから、コメントする事はあっても、他人を洗脳するような言動は避けた方が良いだろう。
また、別見地の観点もある。
家を出て来たからには、それなりの理由が存在するはずである。 その理由の大小を決定するのは、本人の価値観であり、他人には、決して計る事の出来ないモノである。 家出理由の大小によって、『 帰る 』時期が判断出来る事など、あり得はしないのだ。
確かに、家出は良い事ではない・・・ 現実からの逃避以外、何ものでもないからだ。 当然、どんな理由があろうとも、正当性は無い。
だが、1人で生きていくと言う強い意志と精神力があり、現実に直面しても尚、その決意が揺るがないのであれば、その逃避の価値観は、誰にも計れない事であろう。 継続と終了は、自身の判断に委ねられるのだ。
その日の夜。
渋谷の街角には、なつきの姿があった・・・
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