第10話、夢と、現実の弱歩

 ビルの壁面に設置された大型のカラービジョンが、タブレット端末のCMを映し出している。 その画面に呼応するかのように、大小、様々なモニターやスピーカが音を放ち、騒々しい都会の風景を増殖させる。

 シルバーコーティングされたビルの窓ガラスに反射する、幾つもの太陽の光。

 時折り、ビルにこだまするバイクや車のクラクション。

 カラー舗装の上を行き交う人、たむろす人・・・

 ポケットティッシュを配る女性の笑顔が、何故か虚しく感じられるのは、今日だけだろうか。 その笑顔の見返りは、彼女の価値観か、報酬か・・・


 カオリに会った翌日の、日曜の昼下がり。

 ハチ公前の広場には、沢山の人が出ていた。

 何食わぬ顔で立つ人、大声で笑い合っている人・・・

 銀色のパイプで出来た『 腰掛け 』に、1人の若い男性が座っている。

「 ごめんなさい。 少し、遅れちゃった~! 」

 なつきは、その男性に声を掛けた。

 大型画面を見上げていた男性が、なつきの方を振り向く。

「 やあ、こんにちは! ね、あのタブレットさぁ・・・ 今度、替えようと思ってるんだ 」

 画面を指差しながら、男性は答えた。 正岡である。

「 修一郎さん、この前、買い換えたばかりだったんじゃないですか? 」

「 だって、あの新型、便利な機能が多いんだよ? 写真だって、光学だけど、ズーム機能が充実してるしさ 」

 歩き出す、なつきと正岡。 時々、こうして正岡と会っている、なつき。

 付き合いは、至って真面目である。 学校の友達同士のような関係だ。 もちろん、手も握った事もない。 なつきの交友範囲の中では、正岡は唯一、素性が分かっている『 カタギ 』である。 加賀も、そうだとは思えるが、私生活は分からない。 しかも、『 夜の相手 』だ。


 屈託なく話せる相手、正岡・・・ 鳥取の田舎から出て来た、経済力の無いフリーターではあるが、なつきにとって、心許せる知人でもあった。

「 バイトしてる先輩の知り合いに、店舗を貸してくれそうな人がいてさ。 今度、会うことになったよ。 まあ、店舗と言っても、5㎡にも満たないスペースだけどね 」

 なつきの方を見ながら、嬉しそうに言う、正岡。

 やはり、路上での販売は、やり難いのだろう。 例え小さな店舗であっても、販売しているのはアクセサリーだ。 そんなに大きなスペースは必要としないと思われる。

 なつきは、笑顔で答えた。

「 良かったですね! 場所は、ドコになるんですか? 」

「 原宿だよ。 雑居ビルの小さなテナントらしい。 でも、1階だからイイな。 客が、入りやすいからね。 これから一緒に、下見に行こうよ! 」

 賃貸契約を結ぶか、『 間借り 』するか・・・

 子細は分からないが、自分の店を持つと言う事は、モノを販売していこうと考えている者にとって、まずはクリアしなくてはならない重要な課題でもある。 正岡は、今、新たなる1歩を踏み出そうとしているのだ。 なつきにとって、その姿は、とても眩しく見えた。

( あたしは・・・ これから、どうしたいのだろう・・・ )

 希望に燃え、輝いて見える正岡の姿に、明日をも知れない自分の身を投影し、その先行きを案ずる、なつき。

 初夏の光が照り付ける、アスファルト・・・ そこに映る、自分の影を踏み付けながら、なつきは、自分の影の薄さを感じ入るのだった。


 正岡が借りる事になるかもしれないと言う雑居ビルは、JRの山手線 原宿駅から東に5分ほど歩いた緩やかな坂の途中にあった。 周りには、小さなブティックや雑貨店がひしめき合い、歩道には、若者が溢れている。 界隈のシチュエーションは良さそうだ。

 間口、7mくらいの小さな5階建てのビルで、歩道から向かって左側には営業中の理髪店がある。 右側が、小さな部屋になっており、以前は、携帯のアンテナショップだったようである。 携帯メーカーの看板が、そのまま放置してあった。 ドアは、ガラス製だが、自動ではない。

「 ふぅ~ん・・・ 小さいケド、前の通りは、人通りも多いし・・ イイんじゃないですか? 駅からも近いし 」

「 だろ? 何と、家賃は7万でイイ、って話しなんだ 」

 それが、高いのか安いのか、なつきには分からない。 だが、正岡の口調からすれば、破格値なのだろう。

 なつきが尋ねた。

「 見たトコ、トイレが無いケド・・・? 」

「 2階にあるんだ。 だけど、ほら、あそこ・・・ 」

 正岡が指差した方角を見やる、なつき。 道を挟んだ斜め東向かいに、小さな公園がある。 どうやら、公衆トイレの存在を指しているようだ。 深夜、公園の水道で髪を洗っていた頃を思い出す、なつき。

( この公園だと、夜でも人がいそうね・・ もっと、住宅街にある公園でないと・・・ )

 もう、そんな心配をする必要はない。 身に染み付いた自分の反応に、嫌悪感を覚える、なつき。

「 あ、噴水がある。 キレイな公園ね 」

 思わず心情を口にしてしまいそうな感覚を抑え、なつきは、そう言った。

「 雨の日は仕方ないけど、わざわざ2階まで行くよりは気分転換にもなるし、公園の公衆トイレを使った方が良さそうだ 」

「 それもそうですね 」

「 もうすぐ、夏休みだからね。 店舗は、それまでには何とかしたいな。 アクセは、夏とクリスマスが稼ぎ時だから 」

 腕組みをし、目の前にある小さな空き店舗を見つめながら、正岡は、呟くように言った。

「 ショーケースとか、店内のディスプレイは、どうするんですか? 」

 ポーチから出したハンカチで、襟元辺りを扇ぎながら、なつきが尋ねる。

「 小さなディスプレイ台は持ってるよ。 基本的には、壁に黒いビロードを貼って、そこに掛けるつもりなんだ。 それより、エアコンを何とかしなくちゃ・・・ 」

 入り口脇に、エアコンの室外機を設置していたと思われるブロックが残されている。 前の居住者が、退去の際、撤去して行ったのだろう。 これから暑くなる。 店舗は南向きで、若干、日の光が店舗内にも入るようだ。

「 小さなビニールテントでも張るかな・・・ レジも買わなくちゃ。 玄関マットも要るし、掃除機にディスプレイライトとスタンド・・・ ウインドウにも、カッティングシートで、文字を入れなくちゃな 」

 何かと、物入りのようだ。

 なつきが聞いた。

「 お店の名前は? 」

「 それが、まだ決めてないんだよね~・・・ 」

 頭をかいて、苦笑しながら答える、正岡。 だが、ある程度の案は考えているような気がする。 なつきは、何となく、そう直感した。 逆に、沢山のノミネートがあり、決めかねているのではないだろうか。

 なつきは言った。

「 ロゴタイプも、考えなきゃね 」

「 そうだね 」

 小さく答えた正岡の目は、何だか、遠くを見ているような目だった。

( やっぱり、幾つかの店名は、考えてあるみたいね・・・ )

 勝手な推測ではあるが、そう思った、なつき。


 ・・・なぜか、正岡の心が読める・・・


 これも、勝手な憶測かもしれないが、なつきは嬉しかった。

 正岡とは、心の会話を共有出来る・・・

 そんな優越感にも似た心境が、心地良かったのだ。


 何のわだかまりも無く、すうっと通り抜けて行く、初夏の風のような存在の正岡。

( 修一郎さんと一緒にいると、何か、ホッとして落ち着くのよね )

 心満たされる心境になる、なつきであった。



 たまには、他の街も良い・・・

 生活の基盤を、渋谷に置いていた、なつき。 この原宿も、人通りが多いが、渋谷に比べてみると、道行く人の年齢層が若いように思える。 開放的で、明るい街だ。


 近くの喫茶店でランチを食べた後、バイトに行く正岡と別れた、なつき。 例の公園のベンチに座り、噴水を眺めながら、ボンヤリとしていた。

( 修一郎さん、店を持ったら、あたしにバイトで来ないか、って言ってたケド・・ どうしようかな・・・ )

 時給は、おそらく低いと推察される。

『 夜の仕事 』に比べたら、雲泥の差であろう。 だが、健全な働き口である。 しかも、好意を寄せる正岡と一緒だ・・・

( そうなったら、今のマンションも出て行かないと・・・ )

 経済的にも、生活してはいけないであろう。

 問題は、『 住む所 』だ。 まさか、正岡のショップに寝泊りする訳にはいかない。 それに、今までの、なつきの『 本当の姿 』が露見する恐れが大だ。

( それだけはイヤ・・・! 修一郎さんには、絶対に知られたくない )

 健全な生活に戻りたい気持ちと、束縛されない、現在の生活を続けてみたいキモチ・・ その狭間で揺れる、正岡への、ほのかな心境・・・

 ため息混じりに、足元を見る、なつき。

 ・・・幾何学模様のカラーレンガの目地を、アリが、隊列を組んで歩いている。 同じような光景を、幼い頃、どこかで見た記憶がある。 あれは、どこであったのであろうか・・・

( 家の近くの公園よ・・・! )

 記憶の源を突き止め、なつきは安堵する。

( 家、かぁ・・・ )

 昨日、カオリと会った時の事を思い出す、なつき。

( ・・・あたしも、潮時なのかな・・・ )

 先程別れた正岡の顔が、なつきの脳裏に浮かぶ。


 いずれは、知られてしまうのかもしれない・・・


 なつきの本当の姿を知った時、正岡は、どんな反応を見せるのだろう。 やはり、なつきの前から去ってしまうのだろうか。 だが、生活していく為には、現在の『 仕事 』を辞める訳にはいかないのだ・・・

 なつきは、アリの隊列に、ふうっと、息を吹き掛けた。 隊列を崩されたアリたちが、右往左往する。 その光景に、少なからず、今の自分の状況・心境を見出す、なつき。


 ・・・流されているのかもしれない・・・


 そう思いたくはないが、現実には、それに近い状況であるのは確かである。

 指標こそは無いが、現在、現実を1人で生きていると言う自負が、わずかに、なつきの心を支えていた。

( 誰にも束縛されない自由が、今のあたしには、ある。 たとえ、それが底辺の生活でも、あたしは構わない・・・ 自分で選んだ道なんだから )

 眞由美も、同じような事を言っていた。

 現在は、それでやって行ける。

 だが、未来はどうなるのだろうか・・・? 尋ねたら、眞由美は、答えてくれるのだろうか・・・


 安定した未来・・・ 心配の無い未来・・・ それは、経済的根拠の上に成り立っていると言えよう。 つまりは、『 計算 』出来る未来を指す。

 収入と、支出。

 その計算で差し引きされた『 残額 』が、安定した未来の根源である。

( 考えてみれば、つまらないコトよね・・・ 凡人のあたしには、そんな計算で弾き出された『 残額 』でしか、未来を計れない・・・ )

 もう一度、ため息を尽く、なつき。

 やがて、隊列を離れた1匹のアリが、なつきの足に取り付き、足首を登って来た。 手を伸ばし、振り払おうとしたなつきだが、ふと、その手を止めた。 くすぐったいのを我慢し、しばらく、アリの好きなようにさせてみる。


 ・・・いずれは、なつきによって振り払われてしまう運命にある、1匹のアリ・・・


 ところが、アリは突然に方向を変え、なつきの足を下り始めた。

 足首から甲、指の先、ミュールの先端・・・

 やがて、アリは地面に降り、目地を行き来していた仲間と合流した。

「 頭、イイじゃん、あんた・・・ 」

 なつきは、クスッと笑った。

「 やっぱり・・・! なつきちゃんじゃないかい? 」

 ふいに、声がした。 顔を見上げると、コンビニのビニール袋を下げた老婆が立っている。

「 ヨネさん! 」

 マンションで同室の、庄田ヨネだ。 薄茶色のワンピースに、割烹着姿。 ビニールサンダルを履いている。

「 こんな所で、ナニしとんじゃ? 」

「 あ・・ 実は、知り合いの人が店を出す事になってね。 さっきまで、その下見をしていたの。 ・・ヨネさんこそ・・・ 確か、新宿の方で、たこ焼き屋さんをしてたんじゃないの? 」

「 先週から、コッチに替わらされてな。 ・・ほれ、あれじゃ 」

 ヨネが指差す方を見ると、公園の反対側の木陰に、出店が見える。 まだ、開店していないらしく、青いビニールシートに包まれた状態だ。

「 焼きソバ屋だったら、どうしようかと思ったが・・・ 同じ、たこ焼き屋でな。 今から開店するトコじゃ 」

「 あたし、手伝います! まだ、仕事に出るには早いし 」

「 そうかい? 助かるのう~ 肩が痛くて上がらんのじゃ。 ビニールシートを外したり包んだりが、難儀でのう~ 」


 なつきの足元では、何事も無かったように、アリが隊列を組んでいた・・・

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