第9話、過去

 8時を過ぎた、渋谷。 相変わらず、人通りは多い。

 昨夜、加賀たちに拾われた場所に、1人で立つ、なつき。

 夜空には、少し欠けた月が浮かんでいた。


『 アメジストには、月の女神と酒神が関係している 』


 正岡から聞いた話しが、なつきの脳裏に甦る。

「 ・・・・・ 」

 胸に小さく光る、アメジスト。

 因果な事なのかも知れない・・・

 月が嫌いな、なつき。 気に入った青年からもらった、アメジストのネックレス・・・

 小さな宝石を指先に持ち、なつきは、夜空の月を見上げた。

( 欠けた分が、修一郎さんの分かな・・・ )

 そう思うと少しは、今日の月は、気に入る事が出来そうだ。 見えないが、全部が嫌いではない。

 小さなため息を尽き、足元の歩道を見やる、なつき。 その視界に、黒い革靴が入って来た。

「 頑張ってるな? 」

 斉田だ。 今日は、舎弟を連れていない。 1人だ。

 なつきは、無言で挨拶をした。 肩から下げていた、いつものピンクのトートバッグから、幾らかの金を出すと、斉田に渡した。

「 昨日の、アガリか 」

 斉田は、金を確認すると、着ていたスーツの内ポケットにそれを入れ、茶色のメガネの奥で笑い、言った。

「 しっかりな 」

 そう言い残すと、斉田は、どこへとなく姿を消して行った。

( 斉田さんの過去は、どんなだろう・・・? )

 おそらく、それを聞ける機会は無いと推察される。

 組の幹部と、組が束ねるシマで仕事をする、1少女・・・

 なつきから見れば、斉田は1人であるが、斉田から見れば、なつきは、大勢いる人間の中の1人だ。 稼げば、それなりに目は掛けてくれるであろうが、普通にしていれば極端な話し、なつきなど、どうなっても構わない存在であろう。 斉田が、なつきに自分の身の上話しをする可能性など、今のところ皆無に思われる。

( 斉田さんの過去を知ったところで・・・ あたしの生活には、何の変化も無いわよね )

 自分で思いついたにも関わらず、妙に冷めた心境になる、なつき。


 ・・・無邪気な少女の想いと、夜の女の顔が同居する、なつきの心・・・


 時々、自分で、自分が嫌になる時がある。

( 明日辺り、カオリに会いに行こうかな )

 なつきは、そう思った。


 昨晩と同じ時間、加賀は、なつきを拾いに来た。 黒いBMWに乗っている。

「 やあ、待っててくれたんだね 」

 左ハンドルの運転席窓ガラスを開けながら、加賀は言った。 車内からは、軽いポップスが聞こえている。

「 拾いに来てくれる、って言ってたからね 」

 先日の祥子のように、開けられた窓ガラスの枠に、右腕をかけながら答える、なつき。 少し『 しな 』を作り、左手で髪を触る。 自分ながら、妙に色香が付いたように思えた。

「 乗りなよ 」

 加賀は、空いている助手席のシートを、右手の親指で指しながら言った。 車道側に周り、車に乗るなつき。 黒皮製のシートが、車内のエアコンで冷やされ、ひんやりして心地良い。

 車は、軽くエキゾーストを鳴らしながら、夜の町へと走り出して行った。


 加賀は、優しかった。 ベッドの上でも、食事中のイタリアレストランでも・・・


 行動も、常に紳士的で、常識的。 どうやら、『 カタギ 』のようである。 現在、知り得る知人・友人の全てが『 裏世界 』に属する人間であるなつきにとって、普通の生活を営んでいる加賀は、新鮮だった。

( どうして加賀さんは、離婚したのかな )

 素朴な疑問が、なつきの脳裏を過ぎる。

 ・・・ルックスは、申し分無い。 生活も安定しているし、収入は平均以上と推察される。 会社では、何人もの部下を持ち、それなりの地位を確保しているようだ。 離婚した妻は、何が不満だったのだろうか・・・

( 仕事本位で、家庭を大事にしなかったのかな? )

 それだけで、離婚にまで至る事はないだろう・・・

 若干、17歳のなつきには、それ以上の想像がつかない。 とりあえずは、最高の『 お客 』である。


 なつきは、加賀と頻繁に会うようになっていった・・・


 ある夜、いつものように加賀と会い、ホテルのベッドで体を預けていた、なつき。 幾分、まだ荒い息で加賀の胸に寄り添い、尋ねた。

「 ・・・加賀さん・・・ どうして、奥さんと別れちゃったの? 」

 無言の、加賀。

 なつきが視線を上げ、見てみると、加賀はじっと天井を見つめたまま、遠くを見るような目をしていた。

( いけないコト、聞いちゃったのかな? やっぱ・・・ )

 なつきが、そう思っていると、しばらくして加賀は言った。

「 オレは、結婚には向かない男なんだ・・・ 」

 なつきには、理解出来ない。 やはり、仕事人間なのだろうか。

 加賀の胸元に顔を寄せ、なつきは言った。

「 ・・そんな人、いないと思う 」

 加賀は左手で、なつきの頭を優しくさすりながら答えた。

「 なつきは、良い子だな・・・ 」

 加賀の微笑を感じながら、なつきは、加賀の胸に抱き付く。


 ・・・どこへも行けない自分。

 どこへ流れて行くのかも分からない自分・・・


 なつきは、加賀に、自分と『 同じ匂い 』を感じた。

 静かに上下する、加賀の胸の向こうに窓が見え、向かいの雑居ビルとマンションの間から、太った三日月が見える。

( また、のぞいてる・・・! )

 こちらを見透かすかのように、夜空に浮かぶ、月。

 なつきは目を瞑り、加賀の胸に顔を埋めた。 月の視線から、逃れるかのように・・・



「 ナッキー、大人っぽくなったんじゃない? 」

 久し振りに会ったカオリが、なつきに言った。

「 そう? えへへ~、嬉しいな 」

 黒いノースリーブに、白いレースのカーディガン。 今日は、ジーンズではなく、ベージュのノープリーツスカートを履いている。 足元は、相変わらず、ほころびかけたミュールではあるが・・・


 渋谷駅前の小路を入った所にある、小さなオープンカフェ。 今日は、土曜だ。 昼下がりの時間帯ともあって、かなりの人が出ている。

 なつきは、店の前を行き交う人々の足元を眺め、飲んでいるブルーのソーダ水に浮かぶ氷を、ストローの先で突付きながら言った。

「 もう、SSじゃないんだ。 ちゃんと毎日、シャワーだって使えるんだよ? 」

「 良かったじゃん。 あたしもサッサと店辞めて、ソッチ行こうかなぁ 」

 アイスコーヒーを飲みながら、答えるカオリ。

 なつきは言った。

「 あたし、顔の人、知ってるよ? 古株で、組の幹部の人とも、知り合いなの。 祥子さんって言う人。 その気があるんなら、紹介してあげる 」

 ・・・そう言えば、祥子とは、ここ1週間ほど会っていない。 シマにも立っていないし、マンションにも帰って来ていない。

( 柴垣、って言う人のトコにいるのかな? )


『 これから、人と会うの 』


 嬉しそうに言っていた祥子の笑顔が、思い起こされる。

 カオリが言った。

「 ありがと。 実は昨日、純が来てさ・・・ 」

 純とは、2歳離れた、カオリの弟である。 高校を中退し、塗装工務店に勤務しているらしいが、カオリは、この弟だけとは連絡を取り合っていた。

「 純クンが? 」

 グラスの氷をストローの先で回しながら、なつきが聞く。

「 うん・・・ お母さん・・ 入院したらしいんだ 」

「 ・・・・・ 」

 カオリの過去は、知らない。

 沈黙する、なつき。

 手にしていたアイスコーヒーのカップをテーブルに置くと、カオリは話し始めた。

「 あたしの、家出理由だけどさ・・・ 」

 聞きたくも無い気がするが、なつきは、無言のままでいた。

 カオリが続ける。

「 お父さんが、交通事故で死んじゃってさ・・・ しばらくは、お母さんと純と、3人で暮らしてたのよね。 でも、お母さん・・ 1年もしないうちに再婚してさ・・・ フツー、考えられる? そんなん 」

 なつきを見る、カオリ。

 当時のカオリは、16歳だったはずである。 大人であれば、それなりに、納得はしていたかもしれない・・・ だが、多感な年頃・・ それに女の子だ。 当時のカオリの心情が、分からなくもない。

 なつきは、少し、頷きながら答えた。

「 ちょっと、イタイよね・・・ そんなの 」

「 でしょ? しかも、再婚したオトコ、あたしに暴力振るうのよ? そりゃ、あたし・・ 反抗的だったから、仕方なかったかもしれないケド・・・ 」

 再婚した父親の暴力に耐えかね、家を飛び出したらしいカオリ。 初めて聞かされた過去である。 おそらく、母親との間にも、多少のイザコザがあったと推察される・・・

 なつきは尋ねた。

「 純クンは? 新しいお父さんと、仲良くやってるの? 」

 再び、カップを手にし、答えるカオリ。

「 純は、男だし・・・ 再婚したオトコは、建築関係の仕事をずっとやってて、今、純が行っている塗装屋も、アイツの会社なの。 いいわね、男は。 仕事だと、割り切れて。 あたしは、ダメだなぁ・・・ 」

 はたして、純も納得して働いているのだろうか・・・

 今度は、カオリが、なつきに尋ねた。

「 なつきは? どうして、家出したの? 」

 この世界では、タブーとされている、他人の過去・・・ カオリから尋ねられるとは、思いもよらなかった事である。 気丈なカオリも、実の母親が入院した事で、気が弱くなっているのだろうか。

 でも、カオリになら話しても良い・・・ そんな心境になる、なつき。

 なつきは答えた。

「 あたし・・・ お父さんに、ヤラれちゃったんだ 」

「 えっ・・? 」

 さすがのカオリも、驚いた様子である。 飲みかけたカップを口から離し、テーブルに置くと、顔をなつきに近付け、小声で聞き直した。

「 ・・それ・・・ ホントなの・・・? 」

「 うん・・・ 」

 伏目がちにテーブルに視線を落とし、なつきは、小さく頷きながら答えた。

 顔を離し、大きなため息を尽く、カオリ。

「 そんなんって・・・! 」

 なつきは続けた。

「 お酒好きでね・・・ いつも、夜は飲んでいたなぁ・・・ お酒が入ると、性格が変わるの。 よく、ぶたれたわ。 そのうち、外でオンナ作って・・・ お母さん、知ってたケド、何も言わないの。 あたし、頭に来て、お父さんとケンカしたのね。 そしたら・・・!  あの日は、相当、飲んでたし・・・ あたし、妊娠しちゃったの 」

「 ・・・・・ 」

 声が出ない、カオリ。

 その後、母親に連れられ、産婦人科の病院で『 処置 』を行った、なつき。 処置室の外で、母親は、泣いていたのであろう。 その後、なつきの前に現れた母親の、真っ赤に腫らした目が、今も鮮明に、なつきの記憶に刻まれている。


 屈辱感は、感じなかった。 ただ、悲しかった。 無性に、悲しかった・・・


「 病院から帰った日の夜、家出したの 」

 ストローの先で、グラスの中の氷を突付きながら、なつきは言った。

 ・・・父親に、無理やり犯されていた時、部屋の窓から、月が見えていた。 見事に丸い、満月が・・・

「 ナッキー・・・! 」

 テーブルの上で、なつきの左手を両手で掴み、泣き出しそうな表情を見せる、カオリ。

 なつきは、無理に作った笑顔で答えた。

「 そんな顔、しないでよ、カオリ。 もう、過ぎたコトだよ・・・ あたしは、家には帰らない。 でも、カオリは、帰った方がいいよ? せめて、病院に行って、お母さんに会いなよ 」

 今まで、なつきの『 先輩 』としてあった、カオリ。 しかし、今は、その立場は逆転したように思われる。

 家出人としての立場は、過去の傷の大小で決まるものではない。 家族を想う気持ちが現れた時点で、経験・年齢の差なく、決まるのだ。 1人で生きて行く、というモチベーションは、自身のキモチによって大きく左右される。 自分の生活より優先される事項が発生し、それを認知した時期が、『 帰る 』時でもある。


 今、カオリは、それを選択する時期を迎えていた・・・

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