第8話、ルームメイト
熱いシャワーは、久し振りである。
いつも、公園の水道で、夜、人目を避けて髪を洗っていた、なつき。 冬場は、スーパー銭湯などを使用していたが、陽気が良くなって来た最近は、もっぱら公園を利用していた。
他を気にせず、自由に使えるバスルーム・・・ 人間の生活を取り戻せたようで、ホッする。 狭いユニットバスではあるが、湯が使えるのは、やはり最高だ。
先程、テツに弄ばれていた陰部にシャワーを当て、洗う。 指先には、ぬるっとした感触があり、見たくも無い『 汚物 』が、体内から出て来る。
なつきは、執拗に陰部を洗った。
どんなに洗った所で、全てを浄化出来る訳ではない。 しかし、洗う事で、思い出したくも無い過去を、いくらかでも消し去る事が出来るように思えて来る・・・
( あんなヤツに・・・ )
週刊誌を見て、ニヤついているテツの顔が、想い起こされた。 なつきの頬に、また涙の筋が流れて来る。 シャワーを顔に掛け、その雫を流す。
・・・流しても流しても、涙は頬を伝って来る。
じっと、シャワー口から噴出す湯を眺める、なつき。 やがて、その噴出す湯が、涙で、ぼやけて来た。
目頭が熱い。
涙は、頬を伝う事無く、目から直接、バスタブの中へと落ちて行く。
男に体を預け、こんな虚しい想いをしたのは初めてだった。
だが、管理人のテツと、昨夜、ベッドを共にした加賀と、どこが違うと言うのだろう。 金さえ貰えば、今までだって、同じような情事をした事はあった。 なのに・・・
( もう・・ 分かんないよ、あたし・・・! )
小さな肩を震わせ、しゃくり上げる、なつき。
シャワーを、勢い良く顔に向ける。
・・・声も無く、なつきは、泣いた・・・
「 タオル、ここに置いておくからね 」
眞由美の声が、片観音開きの半透明樹脂ドアの外から聞こえた。
「 あ・・ 有難う・・・ 」
感情で、声が上ずっている。 何度か鼻をすすり、なつきは、シャワーを止めた。
用意されたバスタオルで体を拭き、それを体に巻いて、バスルームから出て来る。
「 サイズは、Sだねえ~・・・ コレなんか、いいんじゃないかい? 」
ヨネが、ジッパー式の布製簡易クローゼットから、無地の白いTシャツと、デニム地のミニスカートを出しながら続けた。
「 香水でゴマかしてるけど・・ なつきちゃん、洗濯してないだろ? ダメだよ、そんなんじゃ。 今、洗濯機で洗ってるから、コレ着てな 」
「 すいません。 宿無しだったんで・・・ お借りします 」
Tシャツとスカートを受け取る、なつき。
傍らのフローリングの4畳洋室に数個の座椅子と小さなテーブルがあり、そこで缶ビールを飲んでいた眞由美が言った。
「 前にいた子が、置いてったものだから、遠慮しなくてイイよ? なんだったら、持っていきなよ。 邪魔だし 」
眞由美の隣に、もう1人、女性がいる。
肩くらいの茶髪の髪で、薄いグリーンのサマーセーターに、ジーンズ。 足の指のネイルを手入れしている。 歳は、20代半ば。 目がクリクリっとして、可愛い感じの女性だ。
彼女は、足先に息を吹きかけながら、なつきに言った。
「 あたし、若菜よ。 よろしくね、なつきちゃん 」
なつきは、慌てて若菜の前に正座すると、頭を下げて挨拶した。
「 な・・ なつきです。 よ、宜しくお願い致します・・・! 」
若菜は、眞由美と目を合わせると、びっくりしたように言った。
「 随分と、礼儀正しい子ねぇ~? 」
「 でしょ~? 妹みたいで、可愛いくな~い? 」
ビールで、顔を赤らめた眞由美が、笑いながら答える。
若菜が尋ねた。
「 幾つ? 」
「 17です 」
「 ふ~ん・・ 家出? 」
「 ・・・ええ 」
眞由美が、ビール缶をチャプチャプと振りながら言った。
「 あたしも、したなぁ~・・ 18の時に。 ツレの家、泊まりまくってさぁ~・・・ 結局、親に見つかって、引きずり戻されたケドね 」
「 それで・・ そのまま、家に戻ったんですか・・・? 」
なつきが尋ねる。
「 まさか。 速攻、その日の夜に、逃げ出したわよ 」
残りのビールを、イッキに飲み干す、眞由美。 空になった缶を、コンッとテーブルに置き、ふう~っと息を出すと、眞由美は続けた。
「 あたしなんか、どうでも良かったのよ、あの親・・ 世間体を、気にしただけ。 PTA会長に、一流商社の部長だもんね。 小さい頃から、親に遊んでもらった記憶なんて、これっぽっちも無いわ・・・ 結局、離婚した後は、あたしの事なんか、探しもしなかったし。 清々したわよ、ホント 」
今は、悠々と、自由気ままに生活する事が出来る環境に、満足していると言うのだろうか・・・
その事が気になったなつきではあるが、初対面で、そこまで尋ねるのは、早々だと思い、なつきは沈黙した。
若菜が言った。
「 あたしも、似たようなモンかなぁ~ 施設で育ったからね。 生まれつき、親の顔なんて見た事ないもん。 ある意味、親があるのを、羨ましいと思う事があるケドね・・・ 」
足先の『 手入れ 』を終え、傍らの小さなテーブルの上にあったスナックを手に取ると、口に運びながら続ける。
「 虐待が、ヒドクてさ。 ・・ほら、コレ見てよ。 アイスピックで、刺されたのよ? 」
そう言って、左足の膝辺りを見せる若菜。 彼女が見せた膝の内側には、直径2センチくらいの、丸い赤黒いシミのような跡があった。
「 抵抗すると、連中、もっとヒドイ事するのよ? だから、黙ってたの。 そしたら化膿して、キズが腐っちゃってさ・・・ アイロンを、押し付けられたコトだってあるのよ? 」
「 施設の中でも、そんな事が・・・? 」
なつきには、意外だった。 施設で暮らす孤児たちは、つつましく、平穏に過ごしているイメージがあったのだ。
若菜は言った。
「 すべての施設が、そうだとは言わないケドさ。 でも、少なくとも、あたしのいた施設では、日常茶飯事ね。 特に、あたしに対しては。 ・・だって、あたしをイジメたって、誰も文句、言わないもん。 親戚すら、いないからね、あたしには。 捨て子だから 」
「 ・・・・・ 」
「 あたしを、最初に犯したのは、施設の先生よ? あたしが、12歳の時だったかな・・・ 施設の連中と手を切りたくて、16の時、逃げ出したのよ。 案の定、あいつら、あたしを探そうともしなくてさ・・・ コッチにとっちゃ、好都合だったわ 」
「 ・・・・・ 」
何も言えなくなってしまった、なつき。
眞由美も、若菜も、自分の不幸を自慢している訳ではない。 それは、言葉の話し方からも推察出来た。 今の彼女たちにとって、過去は過去であり、現在の生活には、何の意味も、支障もないからであろう。 堂々と、『 人生 』を語っている。
眞由美が言った。
「 別に、なつきちゃんを見下してるんじゃないわよ? こんな過去、無い方がイイに決まってるしね。 ・・だけど、泣いたらダメよ? 自分で選んだ道なんだから 」
バスルームで泣いていたなつきを、見通していたのだろうか。 眞由美の目は、厳しくもあり、いたわるような優しい視線でもあった。
若菜が、部屋の片隅に置いてあった携帯を持って来て、なつきに渡した。
「 アンタのよ。 自由に使えるケド、通話料は月末、斉田の舎弟が集金に来るわ。 その日に払えないと、ペナルティーとして1日、ヘルスで無料奉仕させられるから、現金を用意しておいた方がイイわよ? 」
スマートフォンではないが、これは助かる。 ペナルティーは御免被りたいが、これでカオリとも、リアルタイムで連絡をつける事が出来る。
眞由美が、操作を説明した。
「 コレを押して、こうすると・・・ 電話帳ね。 この事務所ってのが、斉田の事務所。 『 まゆ 』が、あたしで・・ 『 わか 』が若菜。 ヨネさんのは・・ 無いのよね~ 」
そう言って、ヨネを見る、眞由美。
脱衣所にある洗濯機で、なつきの服とジーンズを洗っていたヨネは、眞由美の視線を背中に感じたのか、なつきたちの方には振り向かずに言った。
「 あたしゃ、どうもケータイは好かん。 大体、邪魔だわ 」
・・・ヨネには、どう言った過去があるのだろう。 眞由美や若菜の、歳をとった姿が、ヨネなのだろうか・・・
なつきが、そう思った時、玄関のチャイムが鳴った。
近くにいたヨネが、玄関ドアに付いている小さなのぞき窓から外を窺う。
「 祥ちゃんだよ 」
眞由美の方を振り向き、ドアのロックを外しながら、ヨネが言った。
「 ハ~イ、なつき! 来たのね? 」
聞き覚えのある、ハスキーボイス。 それは、祥子だった。
「 祥子さん・・! 祥子さんも、このマンションなの? 」
なつきが答えた。
「 そうよ。 上の401。 ・・アンタ、なんて格好してんの? 」
バスタオルを1枚、体に巻いただけのなつきの姿に、祥子が言った。
「 今、シャワーを使わせてもらったの 」
「 そっか、SSだったもんね、アンタ。 これからは、マトモな生活、出来そうね 」
ウインクしながら答える祥子。
なつきは、昼間、祥子を見かけた事を言いそうになったが、やめておいた。 プライバシーに関する事でもあるし、ましてや、組の問題もある。 あの場面は、知る者が少ない方が良い・・・ なつきは、何となく、そう感じた。
「 祥子ぉ~、ビールあるよぉ~? 」
若菜が、部屋の奥から、眞由美が飲んでいたビール缶を手に取り、言った。
「 イイねぇ~♪ でもあたし、これからまた出掛けるんだ 」
「 仕事かい? 」
ヨネが、洗濯機の中から、なつきのジーンズを出しながら聞く。
「 ちょっとね・・・ 会わなくちゃならない人がいるの。 また今度ね 」
なつきの脳裏に、昨晩の事が甦る。
( 加賀さん・・ 今晩、あたしを拾いに来る、って言っていたケド・・・ 祥子さんが相手したヒトは、どうだったのかな? もしかして、そのヒトと会うのかな。 それとも、柴垣さん・・・? )
どちらかと言えば、昨夜、加賀と一緒にいた人物と、会って欲しい・・・
なつきは、そう思った。 柴垣からは、危ないニオイがする・・・
笑顔でドアを閉め、立ち去ろうとする祥子の顔に、傾きかけた夕日が映えている。 なつきに微笑んでいる、祥子の笑顔。 とても楽しそうだ。 おそらく、今から会う人物は、祥子にとって『 特別 』な存在の者なのだろう。 やはり、柴垣と会うのだろうか・・・
ドアを閉め、祥子は出掛けて行った。
「 絶対、オトコよ、オ・ト・コ・・・! 」
若菜が、スナックを口に放り込みながら、眞由美に言った。
「 イイじゃん、そんなの別に。 アンタ、妬いてんの? 」
2本目の缶ビールのプルトップを、プシッと開けながら答える、眞由美。
若菜が、両手を頭の後ろで組みながら言った。
「 妬いてなんか、いないよ? ただ、羨ましいな~、ってサ 」
「 それ、妬いてんじゃん 」
「 違うよ、羨ましいだけだよ。 妬くのとは、違うのっ 」
「 はい、はい 」
呆れ顔でビールを飲む、眞由美。
片ヒザを立て、『 姉御 』のような雰囲気の眞由美。 なつきは、眞由美が気に入った。 以前から、姉が欲しかったと思っていた事もあり、家出仲間のカオリが、現在は、それにあたる。 しかし、歳がなつきと近い為、友だちとしてのイメージが先行していた。
カオリに、近い雰囲気を持った女性、眞由美・・・
歳は、カオリよりも年上であろう。 眞由美こそ、姉らしい存在感がある。
なつきは、嬉しくなった。
「 眞由美さんは、もう長いんですか? 」
尋ねてから、しまったと思った、なつき。 過去を聞くのは、タブーだ。 だが、眞由美は、ニコニコして答えた。
「 3年くらいかな? これでも元は、商社のOLだったのよ? 」
ワンレングスの長い髪が、妙に色っぽく、左目に掛っている。 開いたパジャマの胸元から見える、豊満な胸のふくらみ。 柔らかそうな、そのふもと・・・
オトナの女性だ。 同性である、なつきにしてもドキドキする。
( 男なんて、イチコロなんだろうなぁ・・・! )
なつきは、そう思った。
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