第7話、屈辱

「 待ったか? 昼間は、悪かったな。 あの兄ちゃんは、どうした? 」

 斉田が、茶色のメガネの奥から悪戯そうな目をしながら、なつきに言った。

「 ひとまず、滞在先の友人宅に帰りました。 斉田さんに宜しく、との事です 」

 お辞儀をしながら答える、なつき。

 ・・・夕方、5時前の、渋谷。

 斉田は、少し早めにやって来た。 1人の男を従えている。 昼間の、赤いシャツの男ではない。 幹部である斉田には、きっと何人もの舎弟がいるのだろう。 会う度に、違う男を従えている。

( あれ? この人・・・ )

 なつきは、斉田が従えていた男に気付いた。

 短めの髪に、白い開襟シャツと、黒の縦縞スラックス・・・ 昼間、祥子と柴垣が乗って行ったベンツを運転していた男だ。 柴垣を送って行ったと言う事は、成和興業の人間のはずである。 なぜ、緑風会の斉田と共にいるのか・・・?

 まあ、深い事情もあるのかもしれない。 深入りは、禁物だ。 なつきは、男の事に干渉するのはやめた。

 斉田の携帯が鳴る。

「 おう、オレだ。 どうした 」

 カッターシャツの胸ポケットからタバコを1本出し、口にくわえながら応答する斉田。

「 ・・・なに? 」

 斉田の表情が変わる。

 しばらく、無言の斉田。

「 ・・分かった、すぐに行く。 いいか? この事は、誰にも言うんじゃねえ。 白黒、ハッキリするまでだ。 いいな? 」

 くわえタバコのまま、そう言うと、携帯をスーツの内ポケットにしまい、斉田は、白シャツの男に言った。

「 ・・矢野。 コイツを、マンションに連れて行ってやれ。 オレは、少々、用事が出来た 」

「 分かりました、兄貴 」

 答える、矢島とか言う、白シャツの男。

 斉田は追伸した。

「 その後、すぐ事務所に来い。 アセるコタぁねえが、急いで来い。 いいな? 」

「 へい 」

 お互いの視線からは、何やら、暗黙の了解が読み取れる・・

 斉田は、なつきの方を見ると言った。

「 なつき。 今晩から、屋根付きだ。 しっかり、稼ぎな 」

 ニッと、茶色のメガネの奥で笑う斉田。

「 宜しくお願い致します 」

 お辞儀をしながら答える、なつき。

 斉田は、なつきの右頬に左手をそっと当てると、軽く数回叩いた。 やがて、遠くを見るように視線を泳がせると、スッと真顔になり、くわえていたタバコに火を付ける。 ライターをスラックスのポケットにしまうと、なつきたちに背を向け、込み合い出した夕方の街へと、姿を消して行った。

( 何か、あったのかな・・・ )

 斉田が姿を消して行った方角を見つめる、なつき。 一瞬、不安な気持ちが、その脳裏を過ぎる。

「 何してんだ。 行くぞ、なつき。 コッチだ 」

「 ・・あ、はい 」

 なつきは、歩き出していた矢野の後を、慌てて追った。


 銀座線 表参道駅から神宮橋の方へ行った神宮前4丁目辺りに、そのマンションはあった。築、そんなに経っていない5階建ての比較的に新しいマンションである。 外壁は、茶色のレンガ風。 オートロックではないが、ローマ風の柱が玄関に立ち、中々に洒落ている。 玄関ポーチも、綺麗に清掃されており、集合ポストには、良く見かけるチラシ類も無く、管理が行き届いているようだ。

 ふと、集合ポストの表札を見る、なつき。

( どの部屋も、表札が無い・・・ )

 どうやら、このマンション全体が、組のものらしい。 住んでいるのは、全員、なつきのような、家の無い者たちなのだろう。 となると・・・

 集合ポスト脇にあった、管理人室を見る。 明らかに、組の者と思われる男が、小さな窓越しに見えた。 幾つものピアスを耳に付け、ハデなアロハシャツを着て、金髪を逆立てた若い男が週刊誌を読んでいる。 傍らの事務机に置いたテレビからは、バラエティー番組の音が聴こえていた。

 矢野が、小窓を軽く叩きながら言った。

「 おい、テツ! 新入りだ。 斉田さんから、連絡が来てンだろ? 」

 テツと呼ばれた若い男は、読んでいた週刊誌を放り出し、慌てて管理人室から出て来ると言った。

「 矢野さん、お疲れっス! ・・ありゃ? 随分と若いですねぇ~ 稼げるんスか? こんなんで 」

「 テメーよか、よっぽど稼ぐだろうよ。 ・・おい、玄関脇の観葉植物の水、やったんか? テレ~としてると、街金集金に回すぞ、コラ! 」

 テツとか言う男は、慌てて、玄関ポーチの脇にあった水道ホースに取り付く。

 矢野は、なつきに言った。

「 部屋は、コイツに案内してもらえ。 オレは、事務所に行かなくちゃならねえ。 いいな? 」

「 はい、分かりました。 お世話になります 」

 お辞儀して答える、なつき。

 矢野は言った。

「 お前は、礼儀正しくていいな。 まずは、礼節からだ。 それでいいぞ 」

 ニッと笑う、矢野。

 プランターに、水をやっているテツを振り向き、言った。

「 事務所に戻る。 後は頼むぞ、テツ! 」

「 へいっ! お疲れっス! 」

 矢野の姿が見えなくなると、途端にホースを放り出し、テツは、履き捨てるように言った。

「 けっ・・! エラそうに・・・ おい、お前。 名前は、なんつーんだ? 」

 管理人室に戻り、台帳のようなものをパラパラとめくりながら、テツは尋ねた。

「 なつきです 」

「 なつき・・・ね。 え~と・・・ 205号室は、いっぱいか・・・ んじゃ、305号室だな。 うるせーババアがいるが、ガマンしろ 」

 台帳に、何やら書き込んだテツ。

 やがて、なつきを手招きして言った。

「 コッチ来い 」

 管理人室に入る、なつき。

 綺麗に清掃管理された玄関ポーチに比べ、この部屋は、散らかし放題である。 壁際には、雑誌や新聞がうず高く積まれ、段ボール箱や毛布、シャツ・コートなどが、そこいら中に散乱している。 コンビニ弁当の空き箱や、ビールの空き缶などがコロがる中、男は、事務イスに座って言った。

「 そんじゃ~ま~、試させてもらうか 」

「 ? 」

 なつきが、きょとんとしていると、テツは突然、イスに座ったまま、ズボンのジッパーを下ろした。

「 ・・・! 」

 テツが、ニヤニヤしながら言う。

「 まさか、ネンネじゃねえだろうな? 客を満足させられるかどうか、オレが試験してやるよ。 乗れ 」

 ・・・逆らう事は、出来ない。 この男は、管理人である。 今後、ずっと、顔を合わせていかなくてはならないのだ。 ここで命令を拒否し、目を付けられては、後々の生活に、支障が出る事も懸念される。 しかし、この部屋・・ この状態で・・・

「 早よせんか、このガキ! 客が、待ってんじゃねえか、コラ! 」

 テツが、荒々しく叫ぶ。

 なつきは、ジーンズと下着を下ろすと、男の股間の上に跨った。

 男の体が、イキナリ、なつきの中に入って来る。

「 ・・あ・・・ 」

 屈辱的であった。

 今まで随分と、男に体を預けては来たが、こんな場所で、しかも『 奉仕 』のようにさせられるのは、初めての経験である。

「 動かんか、コラ。 そうそう・・! 中々、イイじゃねえか、お前 」

 テツは、傍らにあった週刊誌を手に取り、巻頭のヌード写真をめくり始めた。

「 イイねぇ~、このデカパイ。 そそるねぇ~! ・・・コラ! ちゃんと、動いてろ、てめえ! ・・そうそう、分かりゃイイんだ 」

 テレビからは、番組司会者とタレントたちの笑い声・・・

 テツは、視覚的にはグラビアのヌード写真を見て興奮し、体感的には、なつきの体を代用していた。 週刊誌のグラビアを見ているテツの顔が、いやらしく笑っている・・・


 ・・・最低だ・・・!


 この、シチェーション・・ この男・・・! そして、こんな男に体を預けている、今の自分・・・!


 なつきの頬を、涙の筋が伝わった。

 悔しさではない。 自分自身の不甲斐なさに、腹が立ち、情けなくなって来たのだ。

( 何であたし・・ こんなヤツに、してあげなくちゃならないの? )

 家を飛び出した自分に、元凶があるのは分かっている。 だが、今更どうしようもない。 自らの意思で終止符を打ち、家に帰らなければ、このような屈辱には、今後も、何度となく出遭う事だろう。 そこまでして得る自由の価値は、果たしてあるのだろうか・・・?

 テツに悟られないように、指先で涙を払う、なつき。

 男に、体を預ける事に対しては、もう何の抵抗も無い。 だが、今回の事は、なつきにとっては、大いにショックな事だった。 まだ、月が出ていない夕方だった事が、せめてもの救いであった・・・


「 ここだ。 お前の他に、3人いる。 1人は、ババアだ 」

 3階の一室に案内された、なつき。

『 情事 』を済ませたばかりだと言うのに、テツは、あっけらかんとしていた。

 305号、と表札のあるドアを叩く、テツ。

「 ババア~、いんだろぉ~? 新入りだ。 仲良くやんな 」

 やがて、ロックを解除する音が聞こえ、1人の老婆がドアを開けた。

「 叩かなくても、チャイムがあんだろ? ったく・・・! 」

 薄くなった白髪を後で縛り、ベージュ色の、麻のワンピースを着ている。 足は、素足だ。 痩せた体型で、落ち込んで窪んだ目の周りには、幾重にもシワが刻まれている。 年齢は、70代前半だろうか。 左目の上に、太陽の黒点のようなシミがあった。

 テツが、老婆に言った。

「 なつきだ。 仲良くな 」

 老婆は、じろりと、なつきを見る。

「 宜しくお願いします・・・ 」

 お辞儀をしながら、小さな声で挨拶をする、なつき。 老婆は、怒ったような表情をしながら、なつきに言った。

「 ・・入んな。 他の2人も、丁度いるから 」

 テツが言った。

「 いるんか? 眞由美も、若菜も? 」

 部屋の奥に向かって、続けて言うテツ。

「 仕事せんか、お前ら! 」

「 まゆちゃんは、朝帰りだよっ! 若ちゃんは、生理! 用務員が、エラそうに命令すんじゃないよっ! ダレのお陰で、おまんま食ってると思ってんだいっ? 」

 荒々しく、ドアを閉める老婆。 テツの顔面に、ドアが当たった音がした。

「 ・・ってえぇ~~・・っ! ダレが、用務員だ、コラァっ! ババア、早く死ねっ! 」

 外から、テツが、ドアを蹴り上げる。

「 いい気になってんじゃねえぞっ! 」

 捨てセリフを残し、テツは階下へ降りて行った。


「 あんま、用務員をからわない方がいいわよ? ヨネさん 」


 1人の女性が、玄関の狭いフローリング廊下に立ち、言った。

 グリーンのストライプが入ったパジャマ姿。 白いカーディガンを、肩掛けしている。 両手を腰に当て、ため息をついた彼女は、右手で、長い髪をかき上げながら続けた。

「 402のアキコ、用務員とケンカして・・ マンション、追い出されちゃったのよ? アイツに、デタラメ、組に告げ口されてさぁ・・・ 」

 ヨネ、とか言う老婆は言った。

「 いつか、あのバカにゃ・・ 毒入りタコ焼きでも、食わせてやるよ・・・! 」

 それを聞き、クスッと笑う女性。

 ヨネが、女性に言った。

「 起こしちまったようだね、まゆちゃん。 寝不足じゃないかい? 」

 ・・おそらく、この女性が、テツの言っていた眞由美と言う女性なのだろう。 なつきは、お辞儀をしながら、女性に挨拶した。

「 初めまして。 なつきです。 宜しくお願い致します 」

「 眞由美よ。 宜しく 」

 再び、長い髪をかき上げながら、眞由美が答える。

 ヨネが言った。

「 あたしゃ、庄田 ヨネ。 新宿の駅前で、たこ焼き屋をやってんだ。 今度、来な。 食わせてやっから 」

「 有難うございます 」

 小さく答える、なつき。

 ヨネが言った。

「 なつきちゃん・・ か・・・ アンタ、その顔・・ 用務員に、ヤラされたね? 」

 少し、ビクッとする、なつき。

 ヨネは、ため息をつきながら続けた。

「 ・・ったく、あのバカは・・・! タダのモンは、何でも食っちまうからね。 大丈夫かい? ナニも付けずに、ヤラれちまったんだろ? 」

 なつきは、下を向き、小さく答えた。

「 今日は・・ 多分、大丈夫です・・・ 」

 眞由美が、玄関脇を指しながら言った。

「 そこにバスルームがあるから、洗っといで。 キモチ悪いでしょ? 」

「 有難うございます。 ・・使わせて頂きます 」

「 そんな、他人行儀にしなくってもいいわよ? もっと楽にしなよ、楽に 」

「 はい。 有難うございます 」

 お辞儀をしながら答える、なつき。

 眞由美が言った。

「 だ~からぁ~・・! そんなかしこまった挨拶、しなくてイイって 」

「 はい。 有難うございます・・ じゃなくて、えっと・・・ すいません。 あれ・・・? 」

「 あはははっ! 面白い子ね、アンタ! あはははは! 」


 眞由美は、高らかに笑った。

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