第6話、アメジスト
アクセサリーを売っていた若い男は、正岡 修一郎と名乗った。 25歳、フリーター。 鳥取県出身。 東京の大学を中退して、専門学校で宝飾技術を学び、一時、故郷に帰っていたが、この春からまた東京へ舞い戻って来たとの事。
なつきが言った。
「 修一郎さんって、宝飾が好きなのね 」
「 まあね 」
商品をまとめて入れた紙袋を軽く叩きながら正岡は答え、続けた。
「 オヤジが、時計屋をやっているんだ。 アクセサリーも、多少は置いてあってね。 ガキの頃から、こういったモンを見ていたから・・ 何となく、ね 」
「 コレ・・ ホントに、もらっていいの? 」
なつきは、首にかけていた正岡からもらったネックレスに、指先で触れながら尋ねた。
「 いいって。 そんな大した原価のモンじゃないから・・・ あ、定価設定にクレームが入るかな? 」
悪戯そうな目で、なつきに微笑みながら答える正岡。
なつきは言った。
「 アメジストって、2月の誕生石なんでしょ? あたし、2月生まれなんだ。 嬉しいな 」
「 そりゃ、良かった 」
正岡は、ジーンズの左ポケットから、クシャクシャになったタバコを取り出した。
箱の潰れを、指先で直しながら、残り少なくなったタバコを1本取り出すと、右のポケットからジッポーライターを出し、火を付けた。 くわえタバコのまま、続ける。
「 アメジストは、月の女神 ダイアナに仕える女官 アメシストの悲劇から、名が付けられた宝石だよ 」
「 月の・・・? 」
正岡は、タバコの煙をくゆらせながら続けた。
「 酒神バッカスは、ある日、悪戯をしかられた腹いせに、今から最初に出会った人間を、自分の家来であるピューマたちに襲わせようと決めたんだ。 そこへ現れたのが、無口で信心深い、美しい少女 アメシスト。 ピューマたちが、一斉に襲い掛かって・・・! 」
「 食べられちゃったの? 」
不安気な表情の、なつき。
正岡は、微笑むと、なつきに言った。
「 逃げ惑う彼女が、ピューマの餌食になりかけた瞬間、彼女の体は、見る見る小さくなり、あっという間に、透き通った石になった。 月の女神 ダイアナが、アメシストを守る為、純白に輝く水晶に変身させたんだ 」
なつきは、ホッとした表情を見せ、言った。
「 助かったのね? ・・でも、水晶になっちゃったんだ・・・ 」
正岡は続けた。
「 バッカスは、水晶になったアメシストの、あまりの美しさに呆然として、自分の罪の深さを懺悔したんだ。 反省の意を込めて、その水晶に、ぶどう酒を注いだ。 すると、それは透き通った紫水晶に生まれ変わった・・・ ギリシャ神話の話しさ 」
なつきは、小さなため息をつきながら言った。
「 そんなお話しがあったなんて・・ 全然、知らなかったわ。 修一郎さんて、物知りなのね 」
「 ははは、やめてくれよ。 単なる、物好きなだけだ 」
一笑する、正岡。 初夏の日差しに、正岡の歯が、白く映える。 爽やかな青年だ。 大都会で出会った、『 日向 』の匂いがする青年である・・・
なつきは、この正岡が気に入った。 どちらかと言えば、『 夜 』のイメージを先行させる友人・知人が多い中、唯一『 昼間 』の表情を見せる、数少ない存在人になりそうである。 もっとも、彼が、なつきの『 商売 』を知れば、正岡の方から去って行く感はあるが・・・
( 昨日の加賀さんは、知人。 この修一郎さんは、友人・・・ かな? )
勝手に、設定を決め込む、なつき。
・・・正岡の前では、仕事を悟られてはいけない・・・
本当の自分の姿を見られれば、間違いなく正岡は、なつきの元から去って行く事だろう。出会って間もないが、屈託なく話し掛けてくれる正岡は、なつきにとって、失いたくない人物になりつつあった。
( あたしは、修一郎さんの前では、普通の女の子・・・! )
なつきは、固く、そう心に誓った。
販売場所を追われた、正岡。 明治通り辺りに、場所を替えるとの事で、なつきも付いて行く事にした。
「 なつきちゃんは、大学生? いいね、もうすぐ夏休みで 」
通りを歩きながら、正岡が尋ねる。
「 ・・あ、いや・・ 専門学校だよ? 簿記を習ってんだ 」
とっさに、適当な返事をする、なつき。
「 ふう~ん、オレも高校、商業科だったからさ。 懐かしいな 」
やぶ蛇だ。 そのまま、なつきは、口を閉じた。
正岡が、再び尋ねる。
「 家は、ドコ? 」
「 ・・・・・ 」
答えられない。 その『 家 』を紹介してもらう為、今日の5時に、あの斉田と待ち合わせなのだ。
なつきは、また適当に答えた。
「 ・・五反田の・・ 方 」
正岡が、学生時代に所縁のある、日暮里・田端などの荒川方面は避け、山手線で言う、反対方向で答えた、なつき。
はたして、正岡は言った。
「 五反田には、ツレが多くてね~! 奇遇だなぁ~♪ 目黒や恵比寿なんかには、良く行ったよ 」
( あっちゃ~・・・! )
なつきは、再び、沈黙した。
神宮前交差店を、東郷神社の方へと歩く。
しばらく歩道を正岡と歩いていると、比較的大きなシティホテルがあった。 歩道を横切るように、車道までビニールテントのアーケードがある。 その端の車道に、1台のベンツが停まっていた。 黒とシルバーのツートンで、フルスモーク。 アーケードの傍らには、運転手だろうか、1人の男が立っている。
短く刈り込んだ頭に、口ヒゲ。 白い開襟シャツに、黒の縦縞スラックス姿・・・ いかにも、そのスジの人間であるかのような風体である。
アーケードを通り過ぎようとした時、ホテル玄関のガラス製自動扉が開き、中から1組の男女が出て来た。
( ・・あ・・・ )
男は、見覚えがある。 ワックスで、髪の毛を逆立てた男・・・ 柴垣だ。 その傍らには、何と、祥子がいた・・・!
スラックスのポケットに入れた柴垣の右腕に、祥子が、抱きつくようにして寄り添っており、そのまま、歩道を横切るアーケードの下を通って、なつきたちの目の前を歩いて行く。 祥子は、幾分、柴垣の方に頭を傾け、微笑んでいた。
( 祥子さん・・・ )
なつきに気付くかと思ったが、祥子は、歩道の方には一度も振り向かず、そのまま、なつきたちの目の前を通り過ぎて行った。
アーケード脇に立っていた男が、ベンツの後部座席のドアを、うやうやしく開ける。 最初に祥子、後から柴垣が乗り込んだ。 男は、ドアを閉めると、運転席のドアを開け、車内に乗り込む。 やがて車を発進させ、なつきたちの、右横の車道を走り去って行った。
( 柴垣って言う、前の中人と祥子さんは・・ デキてたんだ・・・! 祥子さん、シマの組が代わって、やり難いだろうな )
本当に、愛人関係なのかどうかは、分からない。 だが、今の祥子の表情からは、そう言った間柄である事実が窺い知れた。 『 女の直感 』、とでも言おうか・・・
・・・しかし、禁断の恋でもある。
昨日の、柴垣・斉田とのやり取りからは、組同士のイザコザも推察出来た。 シマを束ねる緑風会と、柴垣が所属しているらしい成和興業との間には、暗雲が立ち込めている感がある。 ともすれば、一瞬即発のような感じだ。 祥子は、緑風会のシマで仕事をし、対立している成和興業の幹部と、愛人関係にある・・・
なつきは、心配になった。
( 祥子さんは、イイ人だと思う。 何も起こって欲しくないな )
走り去り、小さくなって行く車の後ろ姿を見送りながら、なつきはそう思った。
「 どうしたの? 知り合い? 今の人 」
じっと、祥子と、走り去る車を目で追っていた、なつき。 その行動に気付いた正岡が、声を掛けた。
「 え? あ・・ ううん。 知り合いに、良く似ている人だと思ったの。 違う人だった 」
微笑みながら、正岡に答える、なつき。
正岡は、祥子たちが出て来たシティホテルの玄関を見ながら、言った。
「 暴力団幹部と、そのオンナ・・ ってカンジだったね 」
「 ・・・・・ 」
なつきは、何も答えなかった。
・・・実際、誰が、誰と付き合うか・・・
それは、本人たちが決める事だ。 他人が、とやかく言う事ではない。 しかし、それが通らぬ世界がある。
なつきが、身を置いている世界・・・ まさに、その世界が、そうである。 個人の意思は、皆無だ。 組に雇われ、組に従う究極の世界・・・
自由を求め、この世界を抜け出すには、相当なリスクを背負う事となろう。 義理人情で渡って行けたのは、遠い昔の話しだ。 どんな者に対しても、入り口は甘く広く、出口は皆無。 下の者を宛がわられ、いつの間にか舎弟が出来、組の内部へと入り込んでいくに従い、上を見るしか無くなっていく・・・
なつきのような女性には、まだ選択の余地はあるが、祥子のように、幹部と情事を重ねるようになると、その身の振り方にも、危険を伴うようになる。
( 祥子さんは、この先、どうしたいのだろう )
それは、ある意味、自分への問い掛けでもある。
日々を過ごすのに、精一杯の今・・・ しかし、今なら、元の生活を取り戻すのに、最も近い位置にいるとも言えよう。
( でも・・・ あたしは・・・ 家には、帰らない )
その気になったら、帰る事の出来る家がある、なつき。
( まだまだ、充分に甘いのかもね・・・ )
歩道に映る自分の影を踏みながら、なつきは、そう思った。
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