第4話、蒼い影

 月が見える。


 仰向けに、寝転んだベッド・・・

 顔を左によじると、小さなテラスが見えた。

 誰も座らないであろうガーデンチェアと、パラソル・・・

 ぼんやりと、それらを、薄明るい月の光が照らし出している。


 誰にも、公平に照らしている、その明かり・・・

 ドアを開けて外に出れば、自分にも、その明かりを体に受ける事は出来る。


 だが、それが何だと言うのだ。


( 勝手に照らしているだけじゃない・・・ )

 なつきは、そう思った。


 ロマンチックな想いに耽る、心のゆとりは無い。

 月は、太陽のように、暖かさを感じる事が出来る訳でもない・・・


 なつきは、月が嫌いだった。


「 ・・・あん・・ 」

 ホテルの一室で、ジーンズと下着を脱がされた、なつき。 男性が、なつきの露になった局部を舐めている。 小声でよがり、顎を突き上げた、なつき。 男性の両手が、なつきの細い両足を抱えた。 顔を左に向け、紅潮した息の中で、うっすらと開けたなつきの目に、再び、月が映る。

「 ・・・・・ 」

 じっと、こちらを見ているような、月。

 なつきは、視線を反らして右を向き、シーツで顔を覆った。

 男性が、なつきの体の中に入って来る。

 やがて、ベッドを軋ませ、男性は動き出した。

「 あ・・ あん、あっ・・! あっ・・! 」

 なつきの声が、明かりを落とした室内に響く。


 月は、じっと、なつきを眺めていた・・・



「 もう、どれくらいやっているんだい? 」

 ゆっくりと、タバコの煙をたなびかせながら、男性は言った。

「 ・・・別にイイでしょ・・ そんなん・・・ 」

 まだ幾分、荒い息の、なつき。

 紅潮した顔を見られるのが恥ずかしく、シーツで顔を覆ったまま、なつきは答えた。

 男性は、天井に向け、ふう~っと、煙を出しながら言った。

「 そりゃ、そうだ・・・ 」

 ベッド脇の、サイドカウンターの上にあった灰皿で、タバコを揉み消す。

 男性は、ベッドから降りると、シャワールームへと入って行った。

「 ・・・・・ 」

 シーツから顔を出し、部屋を見渡す、なつき。

 相変わらず、月が、じっとなつきを見つめている。

( ブラインドがあったら、閉めていたのに・・・ )

 なつきにとって、存在価値の見出せない、月。

 風情や情緒など、生きる為の糧にはならない。 ただ空にあり、全てを見透かすかのように浮かんでいる、月。

 無表情に地表を青白く照らし、その影は、限り無く闇に近い蒼。 全てのモノから、全ての生命力を吸い取るかのような、不思議な蒼い影・・・


 なつきは、月が嫌いだった・・・


 枕元から手を伸ばし、コントロールパネルを操作する。 スピーカーからは、流行の邦楽が流れて来た。 ボタンを押し、選曲する。 幾つかのジャンルの音楽が聴こえ、なつきは、静かな弦楽曲のチャンネルで、ボタンから手を離した。

 ・・・クラシックなど、分からない。 ただ、こういった静かなアンサンブル曲は、気が落ち着く。

 なつきは、着ていたTシャツを脱ぎ、押し上げられていたブラを外した。 ベッドの上で仰向けになったまま、両手を頭にやり、髪をもてあそびながら、ボンヤリと天井を眺める。

( 祥子さん、ウマくやってるのかな・・・? )

 確か、1階下の部屋に、車を運転していた男と入ったはずである。

 祥子は、どれくらいの期間、この『 商売 』をしているのだろうか・・・

 揉みしだかれる、蝶の刺青が、なつきの脳裏を横切った。


「 へえ~、高尚な音楽を聴くんだな・・・ 」

 シャワールームから出て来た男性が、濡れた髪を、備え付けのバスタオルで拭きながら言った。

「 よく分かんないケド・・・ こういうの、好きなんだ、あたし 」

 髪を、もてあそびながら答える、なつき。

 男性が、トイレ横の壁に備え付けてあった冷蔵庫を開け、尋ねた。

「 何か、飲むかい? 」

「 ミネラルウォーターが、あったら・・・ 」

「 天然水、ってのがあるぞ? 」

「 それでいい・・・ 」

 外国製の缶ビールと、ミネラルウォーターの入ったペットボトルを持って、男性はベッドに戻って来た。 ペットボトルをなつきに渡し、缶ビールのプルトップを開けると、バスタオルを首に掛け、イッキに飲み始めた。 なつきも、上半身を起こし、枕を縦にして首筋にあてがうと、ペットボトルのフタを開ける。

「 ふいぃ~っ・・・! たまに飲むと、外国製はウマイんだよな 」

 缶のデザインラベルを、なつきに見せながら、男性は言った。

「 あたし、飲まないから、分かんない 」

両手でペットボトルを持ち、少し笑いながら、なつきは答えた。


 ・・・あられもなく、男性の前に、裸体をさらしたままの、なつき・・・


 男性は、残りのビールを飲み干すと、空き缶をサイドカウンターの上に置き、ベッドに仰向けになっている、なつきの左側に寄り添って来た。

 右手を伸ばし、なつきの胸に手を置く。

「 あたし・・ あんま、大っきくないでしょ? 」

 男性は、小さく笑い、言った。

「 デカパイは、嫌いだ・・・ 」

 男性の手が、胸からおなか、腰へと動いて行く。 やがて・・・ なつきの、まだ薄い下腹部の茂みに触れる。

 なつきが言った。

「 ・・・もう1回、したい・・・? 」

「 追加料金が、要るかな? 」

 少し笑いながら答える、男性。

「 いいよ・・ 今日は 」

 両足を開く、なつき。


 月が、じっと見つめていた・・・



 朝日が眩しい。

 時間は、7時を廻った頃だろうか。 昨夜、月の視線が入り込んでいた窓とは別の窓から、初夏の太陽の光が、なつきの顔に差し込んで来ている。

 なつきは、目を擦った。

「 ・・ん、起きたかい? 」

 なつきが腕を動かす気配に、目を覚ましたらしい男性の声が、横から聞こえた。

 サイドカウンターの上に置いたロレックスの腕時計を手に取り、時間を確認する男性。 やがて、両手を伸ばし、伸びをしながら、大きなあくびをした。

「 会社は? 」

 なつきが尋ねる。

「 ふあぁ~あ・・・ フレックスだよ。 まあ、9時頃に行けば、いいかな・・・ 」

 どんな仕事をしているのかは、分からない。 だが、身なりからして、年収は良さそうだ。 大手の会社の、中間管理職クラスだろう。 生活に、余裕がありそうな感じである。

( 左手の薬指に、指輪が無いってコトは、独身なのかな? )

 夜遊びをする際、外す人もいる。 その推察の信憑性は薄いが、昨夜からの話し方には、生活感が無い。 おそらく独身なのだろう。

 なつきは、シーツを体に絡ませ、右側で横になっている男性に背を向けるようにして、寝返った。

 ベッドのすぐ横の床に、なつきの履いていたジーンズや下着が脱ぎ捨てられている。 横を向いた、なつきの目の前には、Tシャツとブラがあった。

「 ・・・・・ 」

 朝日が差し込み、明るくなった室内に散乱するそれらは、ひどく恥ずかしいものに思える。 今すぐ回収して、男性の目に見えないようにしたい・・・ そんな心境を覚える、なつき。

「 朝食でも、頼むかい? 」

 ベッドを降り、インターホンが掛けてある壁の方に歩きながら、男性は言った。

 とりあえず、目の前にあったTシャツとブラを手に取り、胸元のシーツの中にとり入れながら、なつきは答えた。

「 オゴリ? いいの? 」

「 ははは。 構わないさ。 ナニ食べる? 」

 小さなガラス製テーブルの上にあったメニュー表を見ながら、男性は笑った。

 なつきは、シーツに包まったまま、答えた。

「 じゃあ・・ スクランブルエッグと、オレンジジュース 」

「 分かった。 ・・ああ、フロント? スクランブルエッグ2つと、オレンジジュース。 あと、ホットを1つ。 砂糖とミルクは、要らない 」

 インターホンで注文をし、受話器を掛けると、男性は、ベッドの方へやって来た。

 明るい部屋で見る男性の全裸は、妙に恥ずかしい。

 なつきは、シーツで顔を覆った。

「 さあ、起きて・・・ 顔を、洗っといで 」

 男性が、なつきの顔に掛っていたシーツをめくる。 なつきの首の下に腕を入れ、なつきをベッドから抱き起こした。 ふと見ると、男性の手には、なつきの下着があった。

「 履かせてあげる。 ほら 」

 なつきの体に掛っていたシーツをめくり、下着を履かせようとする男性。

「 い、いいよ・・! 恥ずかしいから、自分で履く・・ 」

「 いいから 」

 男性は、無理やり、なつきの足を掴み、下着を履かせた。

 考えてみれば、他人に、下着を履かせてもらった記憶など無い。 小さい頃、親に履かせてもらっていた記憶が、薄っすらとはあるが、勿論、定かではない。

 何だか、くすぐったいような・・ 嬉しいような・・・

 なつきは、顔を赤らめていた。

 飾り気の無い、シンプルな、白い綿製のセミビキニの下着・・・

( もっと、シルクとか・・ レースのスケスケとか・・・ セクシー系のパンツにした方がイイのかな? )

 客に対してではなく、この男性に対して、そう思ったなつき。

 何度も、自分を選んでくれるリピーターの中には、『 リクエスト 』をする客もいる。 白衣を着ろとか、OL制服・セーラー服・・・ 着用する下着を指示する客もいるのだ。 しかし、彼らの要求には、応えない事が多い。 いちいち要求を呑んでいたら、キリが無いからだ。

 だが、この男性には、自分から『 更なるサービス 』を検討した自分・・・

 何故かは、分からない。 紳士な口調が、そうさせたのだろうか。 そうとは言え、金で女を買っている下俗な輩には、違いは無い。 紳士的とは言え、中身は、下衆な連中と同じだ。 まあ、自分も、そんな連中相手に、体を売っているのだが・・・


 携帯を取り出した、男性。

 なつきは、誰かと携帯で話し始めた男性の横顔を、じっと見つめていた。

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