第3話、泡沫の夜

「 は~い、彼女ォ~? ドライブ、行かなァ~い? 」

 ラップミュージックの男性ボーカルの声が、大音響で聴こえる車内から声を掛ける若者。

 フルスモークの国産高級セダンだ。 高そうなアルミホイールを履き、大口径のマフラーからは、地鳴りのようなエキゾーストが聞こえる。

 助手席の窓を開け、若い男が、身を乗り出して誘っている。

「 うっとおしいわね・・! 」

 祥子は、腕組みをしたまま、眉間にシワを寄せながら呟いた。

 ・・・こういう連中は、なつきたちの『 お客 』ではない。 金もないし、この世界の『 常識 』も知らない。

 祥子は、腕組みしたまま、叫んだ。

「 サッサと家に帰って、ママのおっぱいでも、しゃぶってな! 」

 若い男の顔から、笑いが消えた。

「 ・・ンだと? コラ 」

 ドアを開け、外に出て来る、若い男。

「 ちっ・・・ 」

 腕組みしたまま、祥子は舌打ちをした。

 若い男が、歩道を横切り、こちらへと近寄って来る。

「 もういっぺん、言ってみなコラ・・ おお? 」

 凄む、若い男。 意外と筋肉質で、屈強そうな感じである。

 なつきは、ドキドキした。

( 祥子さん、どうする気なんだろ・・ あたし、とばっちり受けんの、ヤだな )

 だが祥子は、お構いなしのようである。 例の、ハスキーボイスで言った。

「 アンタ、若いのに、耳が遠いの? ウチ帰って、エロ本で1発、抜いとけって言ったのよ! 」

 ・・物凄い、挑発発言である。 若い男は、キレたらしく、祥子のワンピースの胸元を捻り上げ、凄んだ。

「 てめえッ! ナマ言ってんじゃねえぞ、コラァっ! 」

「 あら、どうする気かしら? この手。 殴るの? 殴んなさいよ、ホラ。 どうなっても知らないわよ? 」

 平然としている祥子。

「 て~ンめえぇ~~・・! 」

 あまりに無抵抗で、あまりに平然としている祥子に、若い男は、どうしたら良いのか、分からなくなったようだ。

 

 『 何かある 』


 そんなメッセージみたいなものが、祥子の態度からは読み取れた。

 車の運転席から、別の男が声を掛けた。

「 おい、マサト! やめとけって・・! その女、ヤーさんの女かもしれねえぞ? 」

 祥子の胸倉を掴んでいる若い男が、ビクッとした。

 祥子は、薄笑いを浮かべながら言った。

「 ・・・あたしら、高いわよ? 払えなかったら、アンタらの体で払ってもらうかんね? 腎臓とかでさ・・・ 」

 慌てて手を離す、若い男。

「 ・・フ・・ フカシてんじゃねえよ・・・! 」

「 なら、試してみる? ・・イイ車、乗ってんじゃん。 付き合おうか? ヒルトンのスゥイートまで 」

 若い男は、1歩、後退りすると踵を返し、逃げ込むように車に乗った。 タイヤを軋ませ、走り去る車。

「 あっはははは! 」

 高らかに笑う、祥子。

 なつきは、胸を撫で下ろした。

( 怖かったぁ~・・・! やっぱ、コッチは客層が違うわ。 駅の方は、ヤンキーもいたケド、突っ掛かってくるコト、なかったもん )

 祥子の挑発するような言動も加味されてはいるのだろうが、所を変えれば、状況も変わるものだ。 今晩は、この祥子と、行動を共にした方が良さそうである。

 祥子は言った。

「 この位置が、ココいらでは、一番イイのよ? 大きなビルの前で、覚えやすいでしょ? リピーターの目印になるの。 うざったい連中をスルーする為に、場所を替えるのは、自分の客を捨てるのと同じよ? 」

 経験から悟った知恵であろう。 普通、自分の掴んだコツは、他人にはレクチャーしないものだ。 自分の稼ぎが減ってしまう事にもなる。 だが、祥子は、なつきに教えてくれた・・・

( いいヒトかも )

 なつきは、そう思った。

 ふと見ると、先程から、少し離れた所に立っている女性に、中年男性の酔っ払いが絡んでいる。 彼女もまた、なつきたちと同業者のようだ。

 ・・どうやら彼女は、男性を客として拾ったようである。 タクシーを停め、乗り込むと、どこかへと出掛けて行った。

 祥子が言った。

「 あれは、エミコね・・・ 最近、見ていなかったケド。 あのオヤジ、お金、持っていなさそう・・ 歩きだもんね 」

 なつきは、なるほど、と思った。 確かに、今までの経験から言っても、車で拾いに来る客は、羽振りが良かったように感じる。

 祥子が、なつきの肩を、腕組みしたままの指先で小さく突付きながら、小声で言った。

「 ・・見て、あの車・・・! 絶対に、拾いに来たのよ・・! 」

 車道の方を見ると、1台の車が路肩に寄り、ゆっくりと走って来るのが見えた。 銀色のベンツだ。 型は、比較的に新しい。 運転者の男の他に、助手席にも男が乗っている。

 なつきたちの目の前に、その車は停まった。

 祥子は、車の方を凝視しながら、小声で続けた。

「 ・・フルスモークの車に、近付いちゃダメ。 イキナリ、連れ込まれちゃう。 でも、普通ガラスの車だったら、人相が見えるし、この場合・・ 」

 そう言いながら、停まった車に、腕組みをしたまま近付く祥子。

 運転者も助手席の男も、こちらを見ている。 なつきも、祥子の後を追って、車に近付いた。

 運転席の、高級そうな、ブ厚い窓ガラスがゆっくりと開く。 運転席にいた、ハイカラーのシャツに黒いブレザーを着た中年男性が声を掛けた。

「 やあ、今晩は・・・ 空いてるかい? 」

「 いいわよ? ソッチは、2人? 」

 車の窓枠に肘を掛け、しなを作りながら、祥子が答える。

 祥子の、口調のトーンが高い。 おそらく、ハスキーボイスを隠す為だろう。

「 ああ。 その子は? 」

 なつきの方を見ながら言う、男性。

 助手席には、黒いポロシャツを着た、比較的若い男性が座っていた。

「 空いてるわよ? ラッキーね、あなた達 」

 ウインクしながら答える祥子。

「 よし、乗りなよ 」

「 失礼しまぁ~す♪ 」

 明るく挨拶をしながら、車の後部ドアを開け、祥子は乗り込んだ。

「 なつき、早くしなよ 」

 祥子に手招きされ、呼ばれたなつきも、車に乗り込んだ。

「 なつきちゃん、って言うのかい? 」

 助手席の男が、後部座席を振り返りながら尋ねた。

 祥子が答える。

「 そうよ。 あたし、祥子。 宜しくねぇ~♪ 」

 先程、若い男をあしらっていた女性とは、全く別人だ。

 祥子のリードに、飲まれっぱなしの、なつき。 まあ、今晩は『 初出勤 』だ。 『 先輩 』に任せておくのが、一番かもしれない。

( おかげで、お金を持っていそうな客も拾えたし・・ ま、いっか )

 車は、夜の目抜き通りを、滑るように疾走して行った。


「 君、いつも、あそこにいるね? 前から、気になっていたんだ 」

 左ハンドルの運転席にいた男は、ハンドルを切りながら言った。

 祥子が答える。

「 いつも、見ててくれたの? 嬉しいなぁ~ やっと誘ってくれたのね ♪ 」

 バッグの中から手鏡を出し、ファンデーションの手直しを始める祥子。

 助手席の、黒いポロシャツの男が尋ねた。

「 3つで、いいかい? 」

「 ええ 」

 すかさず答える、祥子。

 男は、1万円札を6枚出すと、小さく折りたたみ、運転席シートの間から祥子に手渡した。

「 ありがと 」

 それを受け取り、3枚をなつきに渡す。

( 駅前では、2つだったケド・・・ )

 受け取った札を見て、一瞬、躊躇したなつき。 チラリと、祥子を見る。 祥子は、ニッと笑うと、なつきにウインクした。 皆まで言わなくとも、祥子には分かっているようである。 はたして、なつきが思った事への答えなのかどうかは分からないが、とりあえず、金を自分のバッグに入れる、なつき。

 運転席の男が、ウインカーを出しながら言った。

「 そっちのコは、初めて見るな 」

 なつきは答えた。

「 アソコでは、今日が初めてなの 」

「 ふ~ん・・ 幾つ? 若そうだね 」

「 これでも、22だよ? 」

 年齢をゴマかす、なつき。 祥子が、男たちに気付かれないように、クスッと笑った。

 助手席の男が尋ねた。

「 最近、警察の巡回が厳しくなって大変だろう? 」

 祥子が答える。

「 そうね~ でも、あたしたちを必要とする殿方がいる限り、頑張っちゃう。 需要と供給の関係よ 」

 運転席の男は笑った。

「 はっはっは! そりゃ、そうだ 」


 車は、繁華街を抜け、赤坂の方へと走って行った。

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