第2話、夜の街角にて

 午後8時。

 繁華街には、そろそろ、ほろ酔い気分のサラリーマンが姿を現す。

 赤ら顔で、仕事の不満を演説する者、上司のプライベートを、スキャンダルよろしく暴露する者・・・ たいていは、4~5人連れだ。 そのうち数人は、足元をフラフラさせながら、路上を歩いて行く。


 『 連れの客は、ダメよ? せいぜい、2人連れまでね 』


 カオリの訓示が、なつきの脳裏に甦る。

( まずは、中人に話しを通さなきゃ・・・ )

 とあるオフィスビルの入り口付近に立ち、なつきは辺りを見渡した。

 帰りを急ぐ、OLやサラリーマン。 ラフなTシャツ姿の、学生らしき若者も歩いている。 2車線ある車道には、ヘッドライトを点けた車が、引っ切り無しに走っていた。

 ふと、左の方を見ると、若い女性が数人、なつきと同じようにビルの壁を背にし、立っている。

( 待ち合わせ・・・ じゃないよね。 こんな、中途半端なトコだし )

 おそらく、『 同業者 』だろう。 なつきと同じく、仕事を拾いに来ているのだ・・・

 すぐ近くに立っていた女性が、なつきを見た。 彼女の視線が、なつきの顔から胸・腰・足元へと移って行く。

 再び、視線をなつきの顔に戻し、彼女は言った。

「 ・・初めて? ココ。 見ない顔だね 」

 24~5歳くらいに思える年齢からは、想像もつかないような、しゃがれた声。

 背中辺りまである茶色の髪には、緩やかなウェイブが掛っており、ルックス的には、目鼻立ちの通った、割と美人の女性だ。 開いた、白いワンピースの胸元から見える乳房のふもと辺りには、蝶の刺青があった。

 なつきは、答える。

「 初めてです。 駅の方で、やっていたから・・・ 」

「 ふう~ん・・・ 」

 もう一度、じろりと視線を体の方にやる、彼女。

 ニッと笑うと、自己紹介をした。

「 あたし、祥子。 アンタは? 」

「 なつきです 」

「 歳は? 」

「 17 」

「 ・・・若いのね 」

 過去は、聞かない。 この世界の、暗黙のルールだ。 ここに立つようになった他人の経緯など、知っても、何の得にもならない。 それに、大体、おおよその見当は付く。 マトモな生活をしていれば、こんな所に立つはずは無いのだ・・・

 祥子、と名乗った彼女は言った。

「 もうすぐ、中人が来るわ。 アタシ、ココの顔だから、通してあげる 」

 どうやら彼女は、ここの『 常連 』らしい。

 『 通す 』とは、紹介を意味し、ここで、仕事が出来る事を示唆する。

「 ありがとう。 ・・祥子さん、だっけ? 親切なのね 」

「 ヤメてよォ~・・! アンタみたいな若いのが横にいると、アタシにも、おこぼれが来る確率が高いからよ。 ヘンな、親切心からじゃないわ。 稼ぐ為の手段。 アンタ、甘い考えしてると・・ 街に喰われるわよ? 」

 祥子は、笑いながらそう言った。

 肩から下げていた、ブランドもののバッグの中から、市販のミントの小粒を出し、なつきに勧める。

「 要る? 」

「 あ、持ってるんで・・・ 」

「 そう 」

 数粒を口に入れ、祥子は言った。

「 アンタ・・ タバコの匂いがするよ? 」

 先程、カオリにもらって吸っていたタバコの事だろうか。 なつきは、右手を口に当て、言った。

「 あ・・ さっき・・・ 」

 祥子は、視線をなつきにに向け、悪戯そうな目で言った。

「 オトコにとって、ゲンメツもいいトコよ? 」

 慌てて、トートバッグの中をまさぐる、なつき。

「 あははははっ 」

 何が、おかしいのか、祥子は笑った。

「 ほう・・ 今日は、ゴキゲンだな、祥子。 いいコトでも、あったのか? 」

 なつきの右側から、突然に声が聞こえた。 声の主を見やる、なつき。

 流れるヘッドライトをバックに、短めの髪をワックスで逆立て、胸元の開いた濃いグレーのシャツを着込んだ男が立っていた。 細い縦縞の、濃紺のスーツを着ている。 腕には、金のベルトのロレックス・・・ いかにも、そのスジの人間だ。

( この人が、中人だわ・・! )

 なつきは、そう思った。

「 アンタ、こんなトコ、うろついていて・・ イイの? ヤバイんじゃないの? 」

 そう言う、祥子。

 男は、笑いながら答えた。

「 ドコをどう歩こうと、オレの勝手だろう? 組にゃ、カンケー無いこった 」

 30代前半、のような印象を受ける。 スーツの襟には、銀バッジが光っていた。

 祥子は言った。

「 先週から、ココは緑風会のシマよ? 成和興業 幹部のアンタが歩いてて・・ 緑風会の連中が、イイ顔するワケないじゃん 」

 どうやら、この男は、前の中人なのだろうか。 ・・祥子との会話からは、ヤバそうな雰囲気が感じられた。

 なつきは、男と祥子の成り行きを、じっと見守る。


 『 余計な事には、首を突っ込まない 』


 これは、この世界で生きて行く為の、心構えでもある・・・

 はたして、男の後ろに、2人の男が立った。 1人は、大柄でスキンヘッド。 鼻の下と、顎下にヒゲを生やし、ハデな柄のTシャツを着て、ダブダブのチノパンを履いている。

 もう1人は、背が高く、30代後半くらい。 やはり濃紺のスーツを着ていた。  ノーネクタイに、白いカッターシャツの襟元をはだけ、薄いブラウンが入ったメガネを掛けている。

「 成和の暴れん坊、柴垣か・・・ 元気そうだな 」

 メガネを掛けた男が、静かに言った。

 柴垣と呼ばれた男は、チラリと後ろに視線を向けたが、振り返らず、首を回したままで答える。

「 ・・・斉田か。 イイ気になってんじゃねえか、おまえんトコの叔父貴・・・ 」

 突然、スキンヘッドが叫んだ。

「 ナニ、イキっとんじゃ、コラァッ! おお~っ? 兄貴の方、向いたらんかい、コラァッ! 」

 メガネの男が、スキンヘッドの男を右手で制し、言った。

「 さわぐんじゃねえ、トシ・・! 」

 スキンヘッドは、コメツキバッタのように、何度も小さく頷き、頭をかいた。

 メガネを掛けた、斉田という男が、柴垣に言った。

「 上のモンが何してるのかは、オレたちにゃ、関係無い。 与えられた仕事をするだけだ。 騒動は、起こしたくねえ。 柴垣・・ おめえも、分かってくれるよな・・・? 」

 柴垣は、相変わらず首を回したまま、フッと笑うと、答えた。

「 斉田・・・ てめえは、いいヤツだ。 緑風会の中で、話しの分かるヤツは、てめえだけだぜ。 あとは、ボンクラだ 」

 しばらく間を置いて、斉田は、メガネを右手で掛け直し、言った。

「 組のモンを、ボンクラ呼ばわりされたとあっちゃ、オレも黙っているワケにはいかねえ。 ・・ま、今のは、聞かなかったコトにしておくぜ 」

 初めて振り向き、柴垣は言った。

「 口が過ぎたな・・・ 以後、気をつけよう 」

 その言葉に、ニッと笑う、斉田。 メガネに、車道を走る車のヘッドライトが、光って流れる。

 斉田が言った。

「 てめえの口が悪いのは、重々、承知だ。 せいぜい、その口が元で、災いを背負い込むなよ? 」

 柴垣は、斉田の忠告に、無言で軽く手を上げ、答える。 やがて、行く宛ての無いような、ゆっくりとした足取りで、ネオン街へと消えて行った。


 行き詰まる会話を、微動だにせずに聞いていた、祥子となつき。

 ふうぅ~~っと、長いため息を尽きながら、祥子が言った。

「 どうなるかと思ったよ・・・! 」

 柴垣が消えて行った方角を見やりながら、斉田は言った。

「 あいつも、バカじゃないさ。 だが、挑戦的な態度は、直しようがないな・・・ ヤツが、中人だった頃は、苦労したんじゃないのか? 」

「 まあね。 でも、アタシらには優しかったよ? 」

 笑いながら答える、祥子。

 斉田は、なつきを見た。 祥子が、紹介をする。

「 ・・あ、この子、新人ね。 なつき、って言うんだ。 駅の方でやってたらしいよ? 」

 なつきが、ペコリとお辞儀をした。

 斉田は言った。

「 緑風会の斉田だ。 住むトコは、あんのか? 」

 無言で首を振る、なつき。

「 SSか・・・ 」

 SSとは、ステーション・ステイの略で、業界造語だ。 いわゆる、路上生活者を指す。

 斉田は続けた。

「 明日、連れていってやる。 5時頃、ココへ来い。 いいな? 」

 無言で頷く、なつき。

 『 連れていってやる 』とは、アパートなどを紹介すると言う事であり、組で保有する『 ねぐら 』を持っている事を意味する。 そこに、住めという訳だ。 たいていは、4~5人が、同居している。

( ラッキー♪ これで、雨がしのげるわ )

 シャワーなども、毎日、浴びられるだろう。 今までの、駅方面のシマを仕切っていた組には、そういった『 施設 』が無かった。

( ・・と、言う事は・・・ )

 なつきが、そう推察しかけた時、その答えを斉田が言った。

「 アガリは、半分だ。 ちょろまかすなよ? 調べれば、すぐにバレる 」

 儲けの半分は、組に持っていかれるらしい。 まあ、仕方がないだろう。 新人でもある、なつきには、反論する事すら許されない。 イヤなら、他で仕事をするしかないのだ。

 なつきは、お辞儀しながら、小さく言った。

「 宜しくお願いします 」

 斉田は、ニッと笑うと、スキンヘッドを従え、柴垣が歩いて行った同じ方向へと消えて行った。

 祥子が言った。

「 さて、仕事開始ね・・・! 」

 ビルの壁に寄り掛かり、腕組みしながら続ける。

「 アンタ、どういったタイプが、イイの? 」

 なつきは答えた。

「 若いのは、ダメ。 くどいから 」

「 あっはははは! 言えてるわね。 アンタ、中々と手馴れてるじゃん? 」

 高らかに笑いながら、祥子は言った。

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