隻影
夏川 俊
第1話、月下の街
『 中点同盟 参画作品 』
月を見上げていると、悲しくなる。
暗い夜空に、たった1人で浮かんでいる自分を見ているような・・・
そんな気分になる。
街は、好きだ。
夜でも、明るいから・・・
自分以外に、沢山の人がいてくれる。 1人じゃない。
例え、それが他人であっても、自分以外に、ヒトがいる事には、違いはない。
それに、都会の明かりは、月を目立たなくさせてくれる・・・
なつきは、渋谷のハチ公前のベンチに両膝を抱えて座り込み、そんな事を想っていた。
膝上20センチくらいの長さの、デニム素材のミニスカート。 英文ロゴがプリントされた黒のTシャツに、白いカーディガン。 肩くらいまである茶髪の前髪を、ヘアピンで止め、左に分けている。
ピンクのトートバッグを両足の間に挟み、ほころびかけた銀色のミュールを指先で触れながら、なつきは、小さなため息をついた。
( おなか、減ったなぁ・・ )
今日は、朝から何も食べていない。
首から下げた、ペンダントに付いているデジタル時計を見ると、午後7時を回っていた。
6月の上旬。 日が長くなったとは言え、さすがにこの時間ともなれば、辺りは薄暗くなって来ている。 空を見上げると、丸い月が、街路灯と見間違うかのように、ポッカリと浮かんでいた。
「 ・・・・・ 」
暮れ切らない夜空の為か、今日の月は、何だか印象が違う。
なつきには、それが、とても美味しい食べ物のような気がした。
( 甘~くて・・ 何か、とろ~っとしたカンジ・・? 美味しそうだなぁ・・ )
半分、口を開けて見上げている、なつき。
やがて、見上げていた月を覆い隠すように、男性と思われる2つの人影が、なつきの視界に入って来た。
「 キミ、ずっとここにいるね? 」
1人の男が尋ねる。
無言で、2人を見つめる、なつき。
声を掛けて来た男性は、中年。 少し薄くなった頭に、白いポロシャツとスラックス姿。もう1人は、多少に若く、グレーのトレーナーに、ジーンズとスニーカーを履いている。
( この格好と、雰囲気・・ )
なつきは、ピンと来た。 私服警官だ・・・!
若い方の男が尋ねる。
「 誰かを、待っているのかな? 」
なつきは、とりあえず、無言で頷く。
「 4時間もかい? 我々が、気付いて4時間だから・・ もっと前から、いたんだろう? 高校生? 名前と住所は? 学校は? 」
・・やはり、警官だ。
なつきが、逃げ出さないようにと警戒してか、2人の男性は、なつきを、斜め前から囲うようにして立っている。
なつきは、トートバッグを掴み、中年男性の脇を、すり抜けるようにして逃げ出した。
「 あ、こらっ・・ 待てっ! 」
若い方の男性が叫ぶ。
雑踏を、かすめるようにして逃げる、なつき。 何人かと、ぶつかった。
「 ひゃあ・・! 」
老婆を、突き飛ばしてしまった。 だが、構ってはいられない。
「 ごめんね、おばあちゃん! 」
声だけを掛け、なつきは、渋谷駅の駅舎の中に逃げ込む。
会社帰りの人たちで、ごった返している駅構内。 おそらく、追っては来まい。 後を振り返る、なつき。
何事もなかったかのように、流れて行く、人の背・背・背・・・
ふうっと、息をつき、なつきは歩き始めた。
( 今日はもう、あそこには戻れないなぁ・・ お気に入りの場所なのに )
常に、人が行き交い、話し声が聴こえる場所。
なつきは、そんな場所が好きだった。
行く宛ては、無い。
しばらく構内を歩き、反対側の出口から外へ出る。
ふと空を見上げると、先程の月が、ビルの間に見えていた。
( カオリのトコにでも、行くか・・ )
まだ『 仕事 』をするには早い。
なつきは、『 109 』前の三叉路を横切り、路地へと入って行った。
「 ハーイ、ナッキー! ヒマしてんの? 」
ナッキーとは、なつきのニックネームである。
路地に面した、小さな雑貨屋の中から、なつきと同じ年頃の少女が、声を掛けて来た。
「 ボ~っとしてたらさぁ、お巡りに職質されちゃってさ・・ うざったくてさぁ~ 」
路上まで、はみ出したダンボール箱に入れられた雑貨を押しのけ、出て来た少女は、着ていたエプロンのポケットから外国製のメンソールタバコを取り出すと、1本を口にくわえて言った。
「 アンタ、また1箇所にいたんでしょ? ダメだって~、そんなん。 ポリがチェックしてんだからさぁ~ 」
ライターを取り出し、火を付ける。
「 分かってんだケドね~ つい、ボ~っとしちゃってさ・・ 」
カラフルな色が着色された、長い付け爪をつけた指先でタバコを挟み、ふう~っと、煙を出す彼女。 ラメ入りのルージュから吐き出される煙が、暮れ始めた夜空に立ち昇って行く。
割と、スレンダーな体付き。 身長は、なつきより少し高い。 腰辺りまである長い茶髪で、ワンレングスだ。
なつきは言った。
「 どう? カオリ。 このバイト、実入りイイ? 」
カオリと呼ばれた彼女は、タバコを挟む指をピンと伸ばし、フィルターを口に持って行きながら答えた。
「 ダメダメ。 あんま、儲かってないもん、この店。 テナント料ばかり高くて、赤字よ。 店長も、ヤル気なしだしさぁ 」
「 店長って・・ あの、おっかない顔の? 」
「 そー。 総和会の幹部だって言ってたケド、下っ端よ、下っ端・・! 」
ふう~っと、煙を出しながら言う、カオリ。
「 いつもいるの? 今は? 」
「 いるワケないじゃん。 あんな、イカつい顔のオッサンがいたら、ダレも来ないって、こんな店~ 」
カオリからは、いつも1人で店番をしていると聞いていた。
ある意味、店を任せられているようにも取れるが、実際は、放ったらかしにされているようである。
吸っていたタバコを、なつきに渡すカオリ。 なつきも吸い、ふう~っと、煙を出しながら言った。
「 でも、気楽でイイじゃん。 あたしみたいに、お巡りに、追い駆けられないしさぁ 」
「 まあね。 住所不定のあたしらを、雇ってくれるだけでも有り難いケドさ・・・ でも、夜は夜で、タイヘンよぉ? 」
「 タダ? 」
「 当ったり前じゃん、そんなん。 あの、アホ店長だけならまだしも、チンピラを連れて来んのよ? それも3人とか。 ヤダね~、モテない男ってのは。 しかも、若い三下みたいなヤツ・・・ 飢えてんのよね~・・ クドくってさぁ 」
眉間にシワを寄せて言う、カオリ。
長い前髪を、かき上げながら続けた。
「 そう言えば、ナッキー。 アンタ、ホテルの受付のバイト、どうしたのよ? 」
「 ホテルじゃないって、あんなの。 雑居ビルの部屋に、受付を作っただけの、ただの『 連れ込み 』だって 」
「 それでも、時給、良かったんじゃない? 」
「 でもないよ? マスターが、売上持って逃げちゃってさ。 支配人、あたしにマスターやれって言うのよ? ヤバそうだったから、逃げて来ちゃった 」
「 ふう~ん・・・ 」
段ボール脇に座り込む、カオリ。
なつきも同じく、店前の路上に座り込んだ。 お構い無しに、路上に尻を付け、持っていたトートバッグを傍らに置く。
日中の、太陽の日差しで暖められた歩道のアスファルトの暖かさが、じんわりと下肢に伝わって来る・・・
なつきは、両手を後に付いて両足を投げ出すと、暗くなりかけた空を仰ぎながら言った。
「 おなか、減ったなぁ・・・ 」
カオリが、申し訳無さそうに答えた。
「 ごめん、ナッキー。 あたしも今、お金、持ってないんだ 」
「 あ・・ ううん、いいの。 そんな意味で言ったんじゃないからさ 」
慌てて補足する、なつき。
・・・生きて行くには、お金が要る。
Ⅰ人で生活をする言う事は、その生活費を全て、自身で補う事を意味する。
家を飛び出して、半年・・・
カオリのような『 同志 』に出会い、互いに何かと助け合いながら、なつきは、この街で生活していた。
他にも、同じ境遇の子たちと、たくさん出会った。 だが、時期が経つと1人、2人・・ と、姿を消して行く。 家に帰った者もいれば、『 その世界の者 』と暮らす道を選択する者もいるのだ。
カオリとは、家出した当初から知り合った、この世界では、付き合いの長い友人だ。 気も合う為、なつきは、相談事などは、必ずカオリにしていた。
家出歴3年のカオリ・・・
確か、歳は19歳。 大人びた顔立ちの為、20歳以下には見えない。 着る服にもよるが、24~5歳を演じる事は、造作もないようだ。
仕事選びの時、カオリは、この『 特技 』を最大限に利用する。 これも、生きる為の手段なのだ。
まず最初に、カオリがバイトなどを見つけ、働き出す。 その後、紹介という形で、なつきが入って来る・・
そんな手法で、過去に、幾つかの職を共にした。 この世界、『 紹介 』『 コネ 』ほど、確かなモノはない。 半年間で、なつきは、身をもってそれを経験した。
カオリが尋ねる。
「 今晩、仕事すんの? 」
ぼんやりと夜空を見上げながら、答えるなつき。
「 うん・・ お金、無いから 」
「 青山の方、中人、変わったらしいよ? 」
「 へえ、そうなんだ。 行ってみようかな・・ アッチの方が、客層、良さそうだもんね 」
『 中人( なかにん ) 』とは、路上で『 商売 』をする者を、監視する役の者の事を指す。 多くは、『 組 』の下っ端の者がやっている。 新参者を排除したり、他の組の者から、自分たちの配下の商売人を、守ったりするのが仕事だ。
『 守られている者 』は、中人に、売上の一部を献上する。 この世界には、暗黙のルールと、犯してはならないテリトリーがあるのだ。
中人が変わったと言う事は、その地域を束ねている『 組 』が変わった事を意味する。ただ単に、人が変わっただけでは、そんな表現はしない。
カオリが言った。
「 気を付けなよ? ここいらなら、あたしや総和会の顔が利くケド、アッチには知り合い、いないからサ 」
「 うん、分かってる・・・ 」
夜空を見上げたまま、なつきは答えた。
・・・都会の夜空は、眠らない。
そんな表現が似合いそうな、黒でいて暗くない、都会の夜空・・・
なつきは、小さなため息をついた。
けだるい夜空には、薄黄色の月が、陰気に浮かんでいた・・・
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