弐 査問と電話と訪問客と

 情報収集が急ピッチで続くなか、椚は大学に顔を出していた。

 城崎という人物についての情報はまだ出ていない。最前線の実働部隊である椚は、彼らの仕事が終わってからが出番である。

 ほとぼりは冷めていないと思うのだが、椚が大学に来たのは理由があってのことだった。

 そこかしこから視線が突き刺さる中を、堂々と中央棟に向かう。


「ご足労を願って済みませんね、椚君」

「いえいえ、事情が事情ですから。それにしても、助教が担当なのですね」

「ええまあ。それまで意気軒高だった方々が、誰が聞き取りを行うのかとなった瞬間に黙り込む様子は見ていて呆れる出し物でしたが」


 碧川助教に与えられた研究室では、碧川がレコーダーを弄びながら待っていた。

 椚が大学に来たのは、言うまでもないことだが骨丸入道の件が絡んでいる。

 骨丸入道を成仏させるために、との目的で集められた仏僧たちは、結果だけを見れば旧宿に入る前に天狗の舞を見て残らず失神させられた、ということになった。

 責任者を務めた金山と、彼と通じて神秘対策室に圧力をかけた府議会議員は、この結果を受けて大いに株を下げてしまった。

 その後すぐに、仏僧たちから神秘対策室に対して強い抗議があったのだ。ご丁寧に『瀛州えいしゅう癸亥山きがいせんの闘仙は、妖魔側のスパイの疑いがある』という難癖をつけて。

 この文言には当然ながら大きな矛盾がある。日本政府は既に正式に鬼多区を特区とし、人対鬼――あるいは鬼対人――協定により鬼種との共存を事実上公式に認定している。

 旧宿については、北区の御前のような明確な統率者が不在のために特区にはなっていないが、国からは特区に準じる扱いを受ける街として扱われている。

 府内の一部の議員は、今もって東京府を人間のみの街と考えて活動しているし、残念ながらそういう議員は一定以上の票を得るものだ。

 ともあれ、その辺りの矛盾からは目を背け、神秘対策室は査問の許可を出した。当然ながら、椚がスパイであるはずがないからだ。


「私個人はやる意味を感じないのですが、それでは始めましょうか」


 そして、査問に際して神秘対策室が出した条件は、査問官は抗議してきた仏僧たちの中から出すということだけ。

 その人員選びはずいぶんと揉めたようで、当初の予定より一日遅れての呼び出しが行われたわけだ。

 結果、碧川が査問官になったということは、誰もが椚と同室で向かい合うことを恐れたのだ。

 碧川がレコーダーのスイッチを入れる。


「あなたの所属を教えてください」

瀛州えいしゅう癸亥山きがいせん。神秘対策室に出向しています」

「年齢は」

「十九」

「役割は」

「府内出張所の所長です」


 最初は既知の情報の確認から始まる。

 碧川も椚もよどみなく答える。


「神秘対策室から委託された業務は」

「人間に害をなす妖魔の排除、悪事を行う違法な拝み屋、祓い師の摘発など」

「今回の要請を再三拒否した理由は」

「少し長くなりますが」


 程なく質問は核心を捉えていき、椚は知っている情報を隠し立てせずに答えていく。


「……とまあ、そんな訳で今回の要請については、成功の見通しが立っていると思えなかったので受けませんでした」

「成程。骨そのものが生きているという生物ですか。それでは経文も通じませんね。確かに」


 碧川は椚の説明を興味深そうに聞きつつ、しっかりとメモを取る。正直なところそれでは査問官の意味がないような気がするが。


「あ、ええと。んんっ。それでは、その情報をどこで入手されたのですか」

「本人に聞きました。旧宿にはなんだかんだで所用があってたまに行くので」

「本人?」

「ええ。骨丸入道は近くを通った強そうな連中に、喧嘩を売るのが趣味というだけのそれ程害のない妖魔です。何度か喧嘩を売られて返り討ちにした時に、色々と」

「喧嘩を売られた、のですか。危険なのでは? 椚君であればともかく、実力の足りない者が通りがかって喧嘩を売られたら」

「旧宿のど真ん中に、実力の足りないヤツが?」

「あぁ」


 骨丸入道の居た場所を思い出したのか、碧川が渋面をつくる。

 椚の言いたいことを理解してくれたようだ。


「骨丸入道を討伐しなかったことについては」

「あの質量の中から、どこに存在するのか分からない急所を探して叩くことが現実的とは思えないので」

「それは確かに」

「向こうも抵抗するでしょうしね。そんな騒ぎを旧宿の中でやっていたら、周りからも妖魔が集まってきますよ。どれだけの被害が出るか」

「ですが、椚君であれば」

「自分とある程度の人数は護れるかもしれませんが、あれだけの人数はとてもとても。失敗すると分かっているのに参加させるのもね」

「その辺りの理由は説明しましたか」

「ええ、何度も。今回は府議会の何とかって議員の肝いりって聞きましたから、それは仕方ないかなと」

「その辺りは公にされていない部分ですね。上が伏せているのか、対策室が黙っているのか」


 碧川は公正無私の人物なので、査問会の意図や企みなどは一切無視して査問を行ってくれている。そういう意味では、こちら寄りにもならないということでもあるが。

 椚としては今回の件が問題になったとしても、道士たちを引き連れて本山に帰れば良いと思っているので、気楽なものだ。


「最後に、骨丸入道はどうなっていますか」

「今は小さい体に意識を移していますので、動いても旧宿の外の連中からはあれこれ言われることはないでしょう。もとに戻りたい場合はこちらに連絡が来ますので、何かあれば神秘対策室が主導して対応できますね」

「なるほど。流石椚君、仕事がしっかりしていますね」


 碧川は椚の対応に非はないと判断したようだ。


「嘆かわしいことですが、仏門の中にも妖魔のすべてを邪悪のものとして排除しようとする者はいます。椚君、君のしたことは間違っていないと私の方から対策室と上に提出しておきましょう」

「それはどうも。まあ、神秘対策室の一員じゃなくなったからどうというものでもありませんからね、俺たちの場合は」

「でしょうね。さて、それはそうと」

「はい?」


 何やら身を乗り出してくる碧川に、自然と腰を引く。

 こういう時の彼は、無駄にアグレッシブで圧力的なのだ。


「そろそろ、君の仕事への同行の件。決めていただきたいのですがね」

「あぁ、本気だったんですね」


 すっかり忘れていた。

 骨丸入道の件もあるが、呪物の件であれこれ動いていたからだ。


「今追いかけている相手は、どちらかというと妖魔より人間が相手っぽくてですね」

「人間が相手、ですか」

「ええ。妖魔と組んでいるようなのですが、人体に悪影響を及ぼす呪物を取り扱ってまして。その摘発に向けて対策室が動いている状況なのですよ」

「そうですか。それなら命の心配はしなくてもよさそうですね」

「は?」


 喜色を顔に浮かべる碧川に、疑問符を浮かべる椚。

 碧川は一切の反論を許さないといった目で、椚に詰め寄ってくる。


「君との話を受けて、まずは人間相手の説法を極めるのが大事だと思い至りました。ちょうど良い機会です。妖魔の相手は椚君が何とかしてくれるのでしょう?」

「いや、あのですね助教?」

「出発の前には必ず連絡してくださいね? 人の心を動かして、その先にこそ妖魔の心をも溶かす言葉が出てくると思うので」

「……わかりました、わかりましたよ」


 椚は圧力に耐えかねて頷いた。一切の二心がないので、断りにくいのだ。

 やろうと思えば査問の結果を盾に言うことを聞かせることもできるのに、彼はそんなことを思いもつかないのだろう。

 椚は満足げに予定を確認する碧川の様子に、もう何を言っても聞かないだろうなと説得を早々に諦めたのだった。


***


「お疲れ様でした、椚様」

「おう」

「お電話です」


 査問という名の雑談から戻ってきた椚を待っていたのは、一本の電話だった。

 誰からかなど聞くまでもない。偶然かと思うほどのタイミングの良さで電話をしてくる相手など、椚が知る限りではひとりしかいない。


「今度は師匠かよ」


 何というか、逆らいにくい相手と立て続けに話さなくてはならず、げんなりしながら受話器を手に取る。


「どうしたのさ、師匠」

『報告書を読んだのでな。お前、まだあの斬妖と付き合いがあったのか』

「サア、ナンノコトカナ」

『誤魔化そうとしたって無駄だ馬鹿モン。大葉と木乃香に確認は済んどる』

「ぐっ」


 電話口の陸杉むつすぎ大将は、椚の反応を完全に予測していたとばかりに先回りをしてくる。

 椚は手近な椅子を引き寄せると、どかりと腰を下ろした。


「御太刀のやつは、今のところ一応落ち着いてるぜ」

『あれは人の魂を食らうのだぞ。人と交わることなど出来ん邪妖だ。今は大丈夫かもしれんが、いつ笑顔で首を掻かれるか分からん。早めに討伐してしまえ。あるいは」

「式にしろって言うんだろ? 御免だね。ああいう意思を奪う術は好みじゃない」

『好むとか好まないとかの問題ではないわ! お前が心配なのだ』

「師匠にとっては大事な弟子の仇かもしれないけどさ。俺にとっては人間社会で無理なく生きていこうと模索している知り合いだよ。もうしばらく様子を見ていてくれ。それに、今回の事件の情報を最初に持ち込んで来たのはあいつだよ」

『そうか。ならば好きなようにすると良い。ただし、裏切られた時にはしっかりと止めを刺せ。そして、無事に帰って来いよ』

「ええ。ご心配をおかけしてしまって申し訳ないです。もう少ししたら新しい報告書を用意できると思いますので」

『楽しみにしておくとしよう』


 小言の多い師からの電話を終えて、椚は受話器を置いた。こちらを心配してくれるのはありがたいのだが、何かと子ども扱いするのは何とかして欲しいところだ。

 結局、報告書については読んだという一言だけで、内容についてはまったく触れなかった。報告書を理由にして、ミタチの件で注意喚起をしたかっただけだったらしい。

 椚が視線を向けると、大葉と木乃香がすっと席を外した。追及を受けるのは気まずいということらしい。


「ったく」


 その程度で叱責するほど心の狭い上司ではないつもりなのだが。


***


 晩。

 事態が動き始めるときは転がるように動き出すのが相場なのだが、夜になって事務所を訪れた来客は、椚さえも予想していなかった人物だった。


「城崎常敬。オカルトアイテム総合取扱業、ね。認可は受けてないからモグリってことでいいんだよな?」

「ま、そうなりますなぁ」


 悪びれず笑うのは、ひどく軽薄な装いの男だった。金色のドレッドヘアにラメの入ったスーツは、明らかに堅気ではないと思わせる。

 渡された名刺に書かれた名前は、探していた人物のものとみて間違いないだろうと思われた。


「例の呪物を流通させていたのはお前か?」

「ええ、そういうことになりますねえ」

「そうか」


 笑みを浮かべて頷く城崎の顔に、罪悪感は全くない。

 椚は特に何とも思わなかったが、それが城崎には意外だったようだ。きょとんとした顔でこちらを見てくる。


「どうした?」

「いえ、罵倒されるくらいは覚悟していたのでねえ」

「この中にもしたがる奴はいるだろうがな。クズがクズらしい理由でここに来たのなら、驚くほどのこともない」

「あちゃあ、これは一本取られましたなあ」


 城崎がおどけた様子で額を叩く。

 と、次の瞬間にはそれまでの様子をかなぐり捨てて、真剣な表情で前のめりに顔を寄せてきた。声を潜めて、自分がここに来た理由を話し始めた。


「……知り合いの弓削ってやつから、自作の呪物の流通を頼まれたんですがねえ。ちょっと思った以上にヤバいブツらしいと聞こえてきたのと、何やら神秘対策室の連中が動き出したのを掴みましてなあ。こりゃあ先手を打った方がいいと思いまして、椚先生を頼らせていただいたというわけですわあ」

「何故俺に?」

「はは、当たり前じゃあないですかあ。神秘対策室で、清濁併せ呑む器を持っているのは闘仙だけってのは、私らモグリの中では常識ですよお」

「ふむ。情報提供の条件は?」

「真っ当とは言えませんが、こちらは頼まれたブツを捌いていただけでしてねえ。神秘対策室からの摘発をされるのは困っちまうんですわあ」

「いいだろう。

「ありがとうございますう。では椚先生、弓削の居場所をお伝えすればいいですかあ?」

「出来ればどんな妖魔と組んでいるかも知りたいんだがな、お前もそれは知らないだろう?」

「ええ、残念ながら知りませんねえ」

「仕方ねえな。木乃香、地図」

「はい、椚様」


 保身のために商売相手を平然と売って、それでいてどこまでも悪びれない様子の城崎に軽蔑の眼差しを向けながら、木乃香が地図を持ってくる。

 軽蔑の視線を向けているのは木乃香だけではない。事務所にいて話を聞いている道士たちは、一人残らず同じような視線で城崎を見ている。そういう目をしていないのは椚くらいだ。

 地図をパラパラとめくっていた城崎が、あるページを開いてそのうちの一ヶ所を指さした。


「中々の屋敷だな」

「え、ええ。とてとても大きななややや屋敷ですわああああ」

「うわぁ」


 カクカクと、突然口調が怪しくなる城崎。

 見ると、城崎の頭部が異様な収縮と膨張を始めていた。歯の根も合わず、頭が蠢くたびにかちかちと歯が鳴る。

 至近距離で見た木乃香が、何とも間の抜けた感嘆の声を上げた。


「な、なななな」

「まあ、当然の措置だろうな。俺が弓削とやらの立場でもそうする」

「ど、どどいう」

「呪詛だよ。裏切られたら相手を殺すタイプのやつさ。どのタイミングで裏切りを判断するのかは分からなかったが、場所を示すまで動き出さなかったのは助かったよ」


 椚は動じずに説明を続ける。

 最終的にこうなることが分かっていたからだ。


「おそらく、自分に対して後ろめたい思いをした場合か、敵意を感じた場合、最終的な安全装置として自分の居場所を第三者に教えた場合あたりを引鉄にしていたんじゃねえかな。いやあ、お前が掛け値なしのクズで助かったぜ。後ろめたさも敵意もなく、ただ保身のために仲間を売るヤツじゃないと、こうなる前に口封じが済んでいたからな」

「たたたすけけけ」

「そうなっちまうともう難しいな。それに、ほら」


 椚は幼い顔立ちに、満面の笑みを浮かべて言い放った。


「さっき約束したじゃねえか。って」

「そん――」


 城崎の断末魔は、そこで途絶えた。

 頭の中身が潰れたものか弾けたものか。ぷしゅうと耳から血を少しばかり吐き出して、力なく崩れ落ちる。


「良かった、頭ごと爆発する呪詛だったら掃除が大変だからな」


 そんな派手な死に方をされたら、いちいち調べられる恐れがあったからだろうと察しつつ。

 椚はごく平然と、スマートフォンを取り出した。


「ああ、仁島さん? ねぐらが分かったぜ」


 そしてその傍らでは、道士たちが何の感慨もなく後片付けを始めるのだった。

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