弐 現代の仙人はスマホも使う
昼の東京府には人もまだまだ多い。
もちろん、魔境となり果てた
人に害を為す怪物――妖魔が跋扈するようになった地域はある程度隔離・閉鎖されたが、だからと言って他の地域の安全が担保されたわけでもない。
しかし、旧都としての東京府は今も大都市であったし、安住の地を求めて逃げ去った者もあれば、今度はその妖魔たちを相手に商売をしようなどと考えて入り込んでくる強かな者もいた。
「鬼、ねえ」
依頼人を前に小さく溜息をついたのは、ずいぶんと横柄な態度の青年だった。背も低く、椅子に座っている姿は童顔もあいまって子供のように見えるが、しかしその横柄な態度が妙にしっくりと来ている。
一方、依頼人は彼の反応を見てぷるぷると体を震わせているし、その表情は子供のそれとは違う一種の凄みを湛えてさえいた。
「
「分かっているよ
青年――椚の隣に直立していた巨漢が伺いを立てるように聞いてくる。
顔も体格も
「闘仙と名高い椚先生のお力がなければ、私どもは生きながら奴らに踊り食いされてしまいます! どうか、どうか先生!」
「すいませんがね、
「ぞ、存じていますとも! ですから、拝み屋たちからの紹介状を、このように!」
と、震える手で依頼人が取り出したのは数枚の書状だ。
巨漢が撒き散らされた書状を丁寧に拾って、一つひとつ開いて確認する。
「椚様、偽造じゃありませんね。ああ、協会本部の書状もありますよ」
「何だって? 穴見さん、あんた一体、どこの何を相手に商売なんぞ持ち掛けたんですか」
「ええ、北区から流れて来たという『シユウドウジ』を名乗る鬼ですが」
その返答に、事務所の奥で茶を吹き出す音が聞こえた。
「
「す、すいません椚様。で、でもですね! 四熊童子ですよ!? あの化け物が鬼多区の壁から出てくるなんて」
「ま、八割がた偽モンだ。奴は自分の名前を騙る雑魚には寛容だからなあ。しかし、二割がたの本物が出てきたとなると、協会が嫌がるのも無理はない」
ふうむ、と椚は顎を掻いた。
じろりと依頼人の穴見を見れば、何かを察されたと理解したのか、顔色がみるみると青ざめていく。
「穴見さん。あんた、誰に何を言い含められて来たね?」
「あの、その」
穴見が陥落するのに、それ程の時間は必要なかった。
***
「素ン晴らすぃ! 穴見さん、あなた本当ぉに良い仕事をなさいますねっ」
北区にほど近い、放置された雑居ビルの地下駐車場。
満面の笑みで穴見を迎えたのは、悪趣味なラメ入りのスーツに身を包んだ細身の優男だった。
しかし、その額からは白い角が一本生えており、男が人間ではないことを如実に示していた。
穴見の後ろには人はたった二人。椚と、大葉が立っているだけだ。
「お、お願いです! 弟を、弟夫婦を帰してください!」
震えながらも、しっかりと頭を下げる穴見。
「ああ、そうぉでしたねぇ。失敬失敬っ! 商売というのは信用が大事だと言います。お前たち、返して差し上げろ!」
と、物陰から穴見に向かって放り投げられるものがあった。
数は二つ。所々に赤い染みのついた頭骨だ。
「えっ」
「おい、お前たち! これだけか!?」
「すんません、小熊の兄ぃ。他は四熊の兄ぃが齧りきっちまいました」
「そうか! すいませんねぇ、穴見さぁん。うちの四熊は少々大食いでして。ま、これだけありましたら大丈夫でございましょ?」
「い……」
「はい?」
「生きて、帰していただけるのではなかったので」
「おぉ、それは失礼いたしました。てっきり後で供養なさる分だけ返して欲しいという意味だとばかり。なさるんでしょ? ご供養」
「そんな。だって、二人は」
「ええ、ええ。頼むからどちらも自分じゃなくて相手のことを助けてくれって、そういえば食いちぎられながら言ってましたっけねぇ。大丈夫、死んだのはほぼ同時ですから」
「あ、ああああああ!」
二つの頭骨――血や肉のかけらがついているのが生々しい――を抱え、泣き崩れる穴見。
椚が細く長く、息を吐き出した。
「穴見さん。こいつらを相手に商売っ気なんてモンを出しちゃいけない。あんたを商売に誘ったやつは、つまりこうやってあんたを売ったのさ。餌としてね」
「椚、先生」
「そして、商売が終わりましたからね。この時点であんたも、こいつらからは商売相手じゃなくて餌になったわけだ」
きちきち、と。
小熊の兄ぃと呼ばれた鬼が笑い声をあげた。
「さすが、当代の仙人様は私たちのことをよぅくお分かりでおられる。仙人さまの生き胆は、私どもにとっては長寿の妙薬。本日はわざわざおいで下さり、ありがとうございます」
その向こうから、べたん、べたんと音を立てて歩いてくる巨大な影。
三メートルを優に超えている。二メートルに近い大葉が、子供にしか見えなくなるような大きさの鬼。
頭に熊の毛皮を被った、巨大な鬼だ。額の部分に熊の頭が乗り、二本の角が両前脚を刺し貫いている。
「今時、徳の高い僧侶も仙人も数が減ったからな。ガタイに似合わず小賢しく知恵を絞ったかい、四熊童子とその取り巻きども」
「うるせぇ、チビ仙人。てめぇ、この数が見えねえのか!」
腹立たしげに吠える巨鬼。
「後ろのでかいのは仙人にもなってねえ半端だし、仙人はチビで食いでがねえ。せっかく小熊が知恵を絞ったってぇのに、こんな小っちぇえのしか用意できないたぁ、どういう了見だ、人間ッ!」
「……さい」
びくりと体を震わせた穴見が、しかし立ち上がって、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を四熊童子に向けた。
「ふざけるな化け物がっ! お前たちは、私から大事なものを奪った!」
「ほぅ?」
「絶対に許さない、許さな――」
「大葉ぁ」
「お平らかに。ここは鬼が多いですので、激情に駆られると鬼になってしまいますれば」
そっと穴見の肩に手を乗せて、大葉が諭す。
「大葉、さん?」
「ご心配なく。お平らかに。椚様を信じ、委ねてください。『闘仙』椚様はあなたと弟様ご家族の無念を晴らしてくださるでしょう」
「椚、先生」
いつの間にか、穴見と四熊童子の間に、椚が立っていた。
だが緊張感なくスマホに指を這わせている。四熊童子の方は見もしない。
「おし。大葉、協定外だ」
「木乃香さん、協定外です。許可下りました!」
満足できる回答が帰ってきたらしく上機嫌に顔を上げて、スマホを胸ポケットに。椚の言葉に頷いた大葉が、ヘッドセットにがなり立てる。
椚はどんな手品か、右手に銀色の長い棒――自分の身長よりも長い――をどこからか取り出し、四熊童子に突きつける。
「鬼多区の御前が許可を
「何言ってやがる。姐御がそんな」
「フレンド登録してあるんだな、実は。信じられないなら見てみるか?」
「舐めるな、チビがぁ!」
驚いたように狼狽する小熊童子、激高する四熊童子。周囲の鬼たちは、煽り立てるようにゲラゲラと笑う。
だが椚はそれには構わず、銀棒の石突を地面に軽く置いた。印を組み、唱える。
「大樹、萬天に至り――」
鬼たちが反応する暇はなかった。あっという間に準備は始まり、そして終わったのである。
「銀枝、邪なるを貫く」
瞬間、棒から吐き出された無数の光線が、まるで狙い定めたかのように鬼の額を刺し貫いた。
「
静寂が訪れる。
ゲラゲラと笑っていた鬼も、慇懃無礼な小熊童子も、果ては四熊童子に至るまで。
枝のような銀色の光に頭部を貫かれて息絶えていたのである。
「え」
穴見は理解できずに、ただそれだけを口にした。
鬼とは怪力で頑丈で、人では手に負えない化け物ではなかったのか。
四熊童子ではない、たった一匹の鬼を前に、泣き喚いて許しを請う拝み屋を彼は何度も見てきた。
果敢に挑んだものの、いかなる術も通じずに、生きたまま貪り食われる退魔師だって見た。
それを。その頭領である四熊童子を。何もさせずに。
「一体、何が」
「鬼の手先になって人を売ってきたあんたを、許すことは出来ない」
「あ、え」
「だが、俺たちには人を裁く裁量はない。しっかり裁かれて、償うんだね」
「は、はい」
棒をどこかにしまって背を向ける椚と、それに付き従う大葉。
見送る穴見の心には、ぽっかりと穴が開いたようだった。
失ったものと、残されたもの。呆然と椚の背中を眺める。
裁きを受けて、罪を償うこと。そうだ、償うのだ。
「 」
ああ。だが、考えてしまうのだ。
最初に知り合っていれば。最初に出会っていれば。
弟たちは死ななかったのではないかと。鬼に食われることもなく、余分な夢を見ることもなく、平穏無事に今も生きていたのではないかと。
心の奥底から湧き上がる何か。
灼熱が胸からこみあげて、口から吐き出されることなく、頭に。
思考がクリアになる。なにをすれば良いのかが、明快に分かる。
そう――
「ったく。感情を高ぶらせるなと言ったろうに」
椚が呟くように言った。
立ち上がる。
額の部分を、内部からせりあがる灼熱が貫いた。
膨れ上がる五体。
耳元に囁きかける何か。
コノウラミヲハラスタメニ、メノマエノオトコヲヒキサケト。
「何せ、あんたは知っていたはずなんだからな。鬼に人を預けることが、何を意味するのかってことを」
振り返りすらせず、椚は言い放った。
穴見は、最早その意味を理解することはできなかった。
椚の腹を引き裂いて、その生き胆を喰らえば良いのだ。
「椚様?」
「ああ、大葉。お前は気にしなくていい。先に行って、車を暖気しておいてくれよ。鬼どもの所為か、どうにも肌寒くていけない」
「はい、分かりました。ええと?」
「振り返るなよ。これも修行だ」
「え、あ、はい」
大葉が離れた。チャンスだ。
腕を振り上げる。
「馬鹿なやつだ」
椚は振り返らない。大葉も振り返らない。
後は振り下ろすだけ。それだけで――
「あぇ?」
目と目の間を、何かが通り過ぎた。
体から力がくたくたと抜けていく。踏ん張れない。力が入らない。
「人でなくなったなら、あとは俺の仕事なんでな」
いつの間にか椚の肩には、銀棒が担ぎなおされていた。
振り返ったその顔には、形容しがたい苦笑のような表情が張り付いていて。
「本当に、馬鹿なやつだ」
銀棒が振り上げられ――
***
椚は小さく溜息をついた。
商売で妖魔と関わったもので、碌な死にざまというのを見たことがない。
それでも一定以上の数が関わりたがるのは何故なのか、椚には理解できなかった。
「まったく、馬鹿なやつらだ」
穴見だったものを冷たく見下ろし、呟く。
左手に抱えていた骨に目を下ろすことさえ出来れば、人として償う機会はあっただろうに。
椚は再びスマホを取り出すと、出口に向かって歩きながら連絡を待っているだろう木乃香に電話をかける。
「木乃香か? 回収班を頼む。四熊童子は大きいから、ちゃんと処置してあるトラックを手配しろよ」
『ええっ!? 四熊童子、本物がいたんですか!?』
「本物も本物。これでしばらく食費には困らんね」
『椚様、御山から給料出てるじゃないですか』
「御山は俗世の金回りとか知らねえからなあ。お前、明細見てるから知ってるだろうが」
『そ、それはそうですけど』
車のエンジン音が聞こえる。
椚は倉庫を出て、ぴったりと扉を閉めた。
「椚様、お待たせしました! あれ、穴見さんは?」
「ああ、別の出口に車を停めてるってんで先に行ったよ。帰るか」
「はい!」
こちらの言葉を疑いもしない、愛すべき部下に笑みとも苦笑ともつかぬ表情で答えながら、車に乗り込む。
自分もまた、碌な最期は迎えないだろう。
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