闘仙クヌギは鬼よりこわい

榮織タスク

壱 アナタノニクシミ、代行シマス

 いつからか、インターネットの裏の裏。

 違法サイトの奥底に、こんな一文が書かれているとか。


『あなたの憎悪にくしみ、代行します。お代はあなたのその命だけ』


 疑いますか? 笑いますか? あるいはそれとも、縋ってみますか?

 命を賭けても惜しくないほどの、あなたの憎悪。こちらに託してみませんか。


***


 東京府。

 二度目の遷都で首都としての立場を喪いましたこの街は、違法と合法の妖しく入り乱れる魔都と相成りました。

 旧都、東京。

 『フルヤド』、昔は新宿などと呼ばれておりましたこの街は、遷都の後から誰が呼んだか『旧宿』などと通称されております。

 その中に鎮座します一棟のビル。少しばかりうらぶれておりますが、何の変哲もない雑居ビルでございます。

 そこに住まっておりますが、事務所のオーナーであるミタチであります。


「ほう。今日はうら若き女性からのご依頼ですね」


 流れるような黒い長髪、血が通っていないかのような白い肌。挙句に赤く染まった瞳と来ましたら、この者が普通でないことはご理解いただけましょう。

 呆れるような美貌でございます。

 身の丈七尺と申しております、ひょろりと高く、すらりと細く。

 人間離れした美を抱え、ミタチは依頼人を待たせた部屋へと向かいます。


「あなたがご依頼の方」

「はい」


 用意されたソファにちょこんと座るのは、齢八十は超えたかという老女でありました。

 ミタチは口元に柔らかい笑みを浮かべて、問いかけます。


「憎い相手は、どなたですか」

「孫を! 孫の命を奪った、こいつを!」


 老女の形相がぱっと変わりました。憤怒と憎悪。これ以上もないほどの変わりようです。

 ミタチは頷いて、老婆が握りしめた写真を手に取りました。


「ほう、これは悪相だ」

「孫は! 孫はこいつに殺されたんです!」


 ひぃひぃと息を詰まらせながら、老女はミタチに訴えます。自分の孫がどれほど残酷に命を奪われたか、その状況を。

 ミタチはその言葉を聞き流しながら、赤く染まった目でその写真をじいっと見るのです。


「なるほど、あなたの言葉に嘘はないようだ、お嬢さん」

「え?」


 話を途中で遮るような言葉に。老女はきょとんと言葉を止め、笑みを浮かべたミタチの顔を見るのです。

 ミタチは確認をします。今のご時世、契約はきちんと済ませないといけないからです。特に、ミタチに支払うべきものは金銭ではないのですから。


「お代については、存じておいでだね」

「は、はい。全部、全部。片付けてまいりました」

「残るはあなたの命ひとつ?」

「はい」

「よろしい。では、アザカさん」

「こちらに」


 呼んでみせれば、すうっと扉が開いて一人の女性が現れました。

 こちらも随分な美女です。一見して喪服のような和服に身を包み、少々表情が陰を背負っていることを除けば、女優などとして出ていてもおかしくないほどの。

 アザカは老女の手を取りました。


「どうぞ」

「は、はい」


 決して強くは引かず。アザカはしずしずと、老女を別の部屋へと連れて行くのでした。

 ミタチはにぃ、と深い笑みを浮かべます。今までの優しい笑みではなく、抑えきれない感情を吐き出すような。

 契約は成りました。

 ミタチは早速準備を始めます。善は急げ。ならば悪はもっと急がなくてはならないからです。

 写真を懐に入れて、屋上に上がります。

 屋上の、さらにてっぺんに立って、赤い目を出来る限り大きく広げて、ぐるりと首を回すのです。


「見ぃつけた」


 ぺろりとひとつ、舌なめずり。

 契約は成りました。ミタチはゆっくりと、空中に足を差し出します。

 一歩、一歩。ミタチが足を差し出すたびに、とす、とすと軽い音が聞こえます。

 ミタチはまるでそこに道があるかのように、まっすぐ、まっすぐ。夜空の街を歩いていきました。


***


 人は法によって人を裁きます。

 ここは、裁きを下された人々が、それを受け入れるための場所。

 ですが、人にあらざるミタチには関係ありません。

 いや、それなりに関係は深いかもしれませんね。


「こんばんは」


 ミタチの赤い目は、探し始めた人間を見逃しません。

 静かに敷地に入り込んだミタチは、他の人間には目もくれず、すたすたと目当ての人物に向かって歩きます。

 狭い窓から、静かに声をかけますと、彼は目を開けてこちらを見ました。


「あ?」

「君たちが死なせてしまった人のお婆さんからの依頼でね?」

「な、なんだテメエ。だいたい、ここは三階――」

「死んでほしいんだってさ」


 窓から差し伸べたミタチの指が二本、音もなくにゅるりと伸びました。

 たす、っと静かな音を立てて、男の胸元に指が刺さったのです。


「えあっ」

「よいしょ」


 ぐりぐりと、二本の指が男の胸をえぐり、掻き回します。

 彼はとても苦しそうな顔でもがきますが、指を抜くことはできません。

 不思議なことに、胸を撹拌されているのに、男の胸からは一滴の血も溢れてはこないのです。


「ほい、抜けた」

「あぐっ! ううぐっ」


 ぬるりと音を立てて、男の胸からどす黒い何かが抜き取られました。

 掌に収まる程度のぶよぶよとした塊です。大事なものだったのか、男は手を伸ばしますが、ミタチの指は残念ながらそれよりだいぶ早く縮んでしまいました。


「悪相なだけあって、何とも醜い魂魄だねえ。胃もたれしないか心配だなあ」

「あ、か、返せ。それを返せよ! 返してくれ、か、かえ、返してください、お願いします」

「えぇ?」


 男はがくがくと震えながら、ミタチに懇願します。

 本能的に察しているのでしょう、そのどす黒い何かが、とても彼にとって大切な、とても大切なものであると。

 ミタチは笑みを浮かべて。とても綺麗な笑みを浮かべて。


「ごちそうさま」


 その塊を、ひと呑みにしてしまったのでした。


「あぁぁぁぁ! がっ、かっ……」


 男の体が震えだします。こちらを涙目で見上げ、その焦点が合わなくなり、泡を吹いて。

 びくびくと痙攣するその体がまったく動かなくなるのを見届けて、ミタチはその場を後にしたのでした。


***


 老女が静かに座っています。

 窓のない、殺風景な部屋です。空調の音と、一台のモニターがあるだけ。

 ミタチが扉を開けると、老女は深々と頭を下げてきました。


「見届けたかな? お嬢さん」

「はい、確かに」


 来た時の憎悪と憤怒はなりを潜め。そこには静かな、湖面のように穏やかな感情だけが残っていました。


「思い残すことはありません。ありがとうございました」

「うん、そのようだね。あなたの言葉には最後まで嘘がなかった」


 ミタチは穏やかな笑みを浮かべました。


「目を閉じるといい。大丈夫、痛みはないよ」


 老女は言われた通りに、目を閉じました。

 ミタチが右手をかざしますと、その手はまるで刃物のように鋭利な輝きを見せるのです。

 とてもゆるやかに、右手が振り抜かれました。

 老女の顔は穏やかでした。最後まで穏やかなまま、ミタチの手が通り抜けると同時に、粉のように崩れて消えたのです。

 ミタチの手には、白く輝くかたまりが乗っていました。煌々と輝く、ひとつの染みもない真っ白なかたまり。


「うん。この瞬間、人の魂魄は本当に美しいね」


 ミタチはそれを口に頬張り、ゆっくりと飲み込みます。

 その喉ごしの滑らかなこと。

 ごくりと喉を鳴らし、はぁと感嘆の吐息を漏らします。

 美しい形をしたその唇の端から、さらさらと白く瞬く塵のようなものが吐き出されました。

 塵は空中に溶けるように消えていき、ミタチももはや用はないとばかりにくるりと背を向けて部屋を出ました。後には、粉のように崩れて消えた老女だったものばかりが残っているだけでした。


「アザカさん、供養はよろしくね」

「承りました、ミタチさま」


 部屋の前に控えていたアザカが、深々と頭を下げます。

 その目尻に光るものは、果たして老女への憐憫だったのでしょうか、ミタチの御業への感動だったのでしょうか。


***


 今日もまた、この街は人々の喜びと悲しみと、怒りと憎悪に満たされます。

 次にこの場所の世話になるのは、誰なのでしょうね。

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