3.おしゃれな街と劣等感

 十四時四六分パディントン駅に到着した。パディントンベアのブロンズ像とリグル二世のツーショットを撮影した後、バーガーを買って食べた。

「グルルル」

 リグル二世はアンリに「自分だけずるい」と、餌をせがんだ。

「グリルもお腹が空いたの?」

 アンリはひまわりの種を出して与えた。小腹を満たすと、ロータリーに出てブラック・キャブ(ロンドンタクシー)を拾った。

「どこまでだい?」

「ブルームベリー地区のダウディ・ストリート……」

 念のため、運転手に住所の書かれたメモを渡した。

 

 XX Dought St, London WC1N2LX


「ああ、ディケンズの家の辺りだな」

 ディケンズは『クリスマス・キャロル』『オリバーツイスト』で知られる十九世紀の作家だ。どうやら、目的地の通りに彼の住居兼博物館があるらしい。

「お嬢ちゃん、リスと一緒に観光かい?」

「ええ、そんなようなものです」

 面倒なので訂正しないでおいた。

「そうかい。中学生なのにすごいね」

 一五〇センチで童顔なら、大半はそう捉えるでしょうよ。瞳と髪の色から、東洋人の旅行者と思われているようだ。幼く見られるのは毎度のことだが、さすがに「中学生」は胸に刺さった。もはや言い返す気力もない。

「子どもに手は出さんよ」という父親の言葉が痛く響いた。どうせ、私は一生誰からも相手にされず朽ち果てていく運命よ。

 旋毛を曲げる中、車は新天地を目指す。車内から繁華街に目を向けると、おしゃれな服に身を包んだ若者があちらこちらで見受けられた。まるで、この街道がランウェイのよう。田舎の通りとはまるで違う。ガラス越しに眺めている自分は、味気の無い服を纏った灰かぶり姫の気分であった。だからといって魔法にかけられ、あの人だかりに入っていきたいわけではない。彼女の視線は女性たちの足元にいく。

うわぁ、あの細さ、ポキッていきそう。よくあんな靴が履けるものだ。背にコンプレックスがある自分ですら、足場の不安定なヒール靴にすがることはないというのに。だから、余計に彼女たちがあれを好む理由が理解できなかった。果たして自分は、半年後、一年後、このおしゃれ街に適応した人間になっているだろうか。そうでなかったら、尻尾巻いて田舎に帰るしかない。

 いつもの癖で、思想に耽ってしまった。だが、仕方がない。話し相手にめぐまれない日々を送ってきたために、そちらの活力が勝ってしまったのだから。

「お嬢ちゃん、ダウディ・ストリートに着いたよ」

「ククククク」

 運転手とリグル二世の呼びかけで、アンリはうたた寝から覚めた。慌てて料金とチップを払う。

「いい旅を」

「ありがとう」

 住宅密集地に挟めれた街道に立つと、肌が蕭々(しょうしょう)たる都会の空気を感じ取った。バイブリーのマイナスイオンが恋しい。早くもホームシックの兆候が。陥りかけるとは思っていなかっただけにショックを受けた。

(しっかりしなさい、アン。まだ辿り着いてもいないのよ)

 アンリは自分を叱咤した。

「お嬢ちゃん、道に迷ったのかい?」「まあ、可愛いリスちゃん」

 通りすがりの老夫婦に声をかけられた。誰に会っても「お嬢ちゃん」からは逃げられない運命なのだ。一五〇センチの背が憎い。

「迷子ではありません。ご心配なく。親切にどうも……」

 旅行鞄をカラカラ鳴らし、フラットのハウスナンバーに目を走らせた。

「ここだ」

 該当するナンバーを発見した。玄関脇に小さな表示板がついていた。


 ジェイス探偵事務所


 ついにアンリは、新たな人生の扉の前に立ったのです。




 


 



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