第二話

 家と学校を往復する道はふたつある。商店街を抜けていく道と、少し通学距離は長くなるけれど商店街を通らない道。私は、いつも遠回りの道で通学をしている。理由は、商店街には柄が悪い人が多いから。どこにでもあるような普通のアーケード街なんだけれど、昔ながらの薄暗いゲームセンターやすすけたパチンコ屋などもあって、学校をてきた人たちがそこでたむろしている。


 学校を出たときの空は今にも雨が降り出しそうな雲で覆われていて、傘を持っていない私は少しでも早く帰宅しようと商店街ルートを選択したのだった。しかし、それが間違い。アーケードに入ってすぐのところにあるゲームセンターの前を通り過ぎようとした時に学生達が出てきた。うちの制服がっこうではない色のブレザーを着た三人組は、いかにもヤンキーの風体。これにからまれるのは勘弁かんべんして欲しかった私は足早に通り過ぎようとする。


「ねねね、今学校の帰り? これから俺たちと遊ばない?」


 そう、これが面倒くさいからこの道は通りたくないのだ。一応ここは商店街であって、人の目もそれなりにあるので強引なことはしてこない。ただ、しつこいのだ。私は「結構です」と小さな声で言うが、そんなのは初めから聞く耳を持っていない彼ら。


「そんな冷たいこと言わないでさー、こっちで遊ぼうよ。楽しいことしよーよ」


 楽しいことと聞いて「わーい。んじゃ行くー」とでも言うと思っているのだろうか。あまりの知恵の無さにアホ臭くなって、前に立ち塞がる三人の間をすり抜けようとする。


「離して!」


 間に割って入った瞬間ときに腕を掴まれた。掴んだ男は、空いている手をポケットに突っ込み何かを取り出そうとしている。『ナイフ!?』と、瞬時に私の脳裏をよぎ鳩尾みぞおちが寒くなる。


「いいのかなー、言うこと聞かないとこれでとやっちゃうよ」


 ポケットから取り出したのはくぎ――釘!? なんで釘? このシチュエーションだったらナイフじゃないの? と、咄嗟とっさにそんなことを考えてしまう私は馬鹿なのだろうか。


「この五寸釘で刺したら痛いだろうなあ、だから俺たちと楽しいことして遊ぼうよ」


 釘を脅しの道具に使うようなやからにそんな勇気はない。精々腕の辺りをチクリと刺して脅すくらいなものだと思った。この腕さえ自由になれば走って逃げることも出来るのにと、振り解こうとするけれどはずれない。


「あんこちゃん。何してんの?」


 この耳障みみざわりな声は藤ノ原ふじのはら。私は声のした方向へ振り向き、自分の予想が当たっていたことを確認した。

 三人組が強引な手段には出ないと分かっていても、実際のところ何をするか分からない怖さはある。もしかしたらキレて、プスッとやる可能性はあった。彼は自分の味方ではないと思っているけれど、それでも見知った顔がそこにあるだけで心強さを感じる。


 しかし、「何してんの」って――この状況、どこからどうみてもからまれているようにしか見えないはずなんだけど、この馬鹿の能天気のうてんきさに多少の苛立ちをおぼえた。


「藤ノ――」


 私が名前を口に出そうとしたとき、彼は自分の口に手をやり何も言うなという仕草をした。そして、私の腕を掴んでいる男の手首を掴んで力を入れる。いつもの目じりが下がった顔ではなかった。こんな怖い顔もするんだと、彼の意外な一面を見た気がした。


「すみませんが、この人僕の彼女なんで離してもらってもいいですか?」


 いつもよりも声のトーンを低くした彼は、転校初日にクラスから失笑を買った人物とは思えないほど力強く、そして頼もしく感じる。


「へえ。あんた、この子の彼氏なんだ。そっか。んじゃ彼氏に遊んでもらおうかな」


 そう言って私の腕を離すと、掴まれていた手首を振り解いて首を斜め後ろに振って一緒に来いと無言で彼を誘った。


 男の後に彼が続き、その後ろに残り二人が続いて歩いて行く。私は、大丈夫なのだろうかと心配になってもう一つの名前を叫んだ。


七星ななほし!」


 彼は、それに応えるように軽く手を挙げて男達と細い路地へ消えて行った。

 ひとり残された私は、本当に大丈夫なのだろうかとそればかりが気になった。彼のあの余裕のある感じは、喧嘩慣れをしているのかとも思えたけれど相手は三人。心配するなと言う方が無理な話だ。


「悪い奴らを懲らしめに来ました」と、彼の言葉が私の脳裏に浮かぶ。あれは嘘ではなくて、懲らしめることが出来るほどの強さを本当に持っているのだと私は信じることにした。


 細い路地から聞こえてくる、何かにぶつかって倒れるような音。一分――いや、四十秒くらいだろうか。音が止み静かになった。


 人は見た目とは違う一面を持っている。私は、それを目の当たりにしているのだろう。彼が男を睨んだあの目はそれを物語っていたのだと思ったけれど、路地から出てきたのはポケットに手を突っ込んで余裕綽々よゆうしゃくしゃくとした三人組だった。


 彼は三人組をものともせずに瞬殺したのではなく、瞬殺された方だったのだ。路地に駆け寄ろうとしていた私は慌ててそばの建物の影へ身を隠す。そして、三人組がいなくなったのを見計らって路地へと急いだ。


「やあ、あんこちゃん。大丈夫だった?」


 私が路地に入って近づいたときに、彼はそう言った。


「大丈夫だったかじゃないわよ。こんなに弱いのに何故助けたりしたのよ」


 喧嘩が弱ければ素通りすればいいだけなのに、なぜ私を助けたのだろう。一度だって彼に好意のひとかけらも向けたことがないのにと、なんだかやるせない気持ちになった。


「まあ、これでも頑張った方だ。俺にしたら上出来だよ」


 私はハンカチを取り出し、痛がる彼を無視して顔に付いた血を拭う。格好つけて助けようとするからこんなことになるのだと思いながらも、なんだか放っておけなかった。


「あんたってさ、変な奴だよね。くだらない冗談ばかり言うし、いつもヘラヘラと笑ってるし」

「ヘラヘラとは、酷い言われようだな」


 私は、彼にハンカチを渡して血が止まるまで傷口を押さえるように言った。


「俺さ、転校ばっかだから親しい友達って出来ないんだよ」


 傷を押さえていた手を下ろして上を向く彼はどこか寂しそうだった。


「そうなんだ」

「でも、あんこちゃんが言うヘラヘラって、俺にしてみれば大切なことなんだ。新しいところで大人しくしているよりも、馬鹿だアホだと思われたとしてもそれが切っ掛けで話してくれるのなら、短い期間しかいることができない俺にとっては嬉しい。だって、ただ黙って過ごしてしまうと一言も会話をしないうちにおさらばになるからな」


 だから彼は初日からあんな馬鹿みたいな言動をしたのかと初めて理解した。今、彼に感じている雰囲気が本来持っているものなのだと分かった気がする。


「大体、どれくらいの間隔で転校を繰り返してるの?」

「んー、そうだな。短くて二ヶ月、長くても半年くらいだな」


 そんな短い間隔で転校していることに驚いた。親の関係なのは予想できるけれど、それにしても短すぎる気がしてならない。二ヶ月やそこらで場所を変える仕事って何だろう。すぐに思い浮かぶのは大道芸人。他には、各地を転々と渡り歩くサーカス。それとも、今では少なくなった劇団一座。彼に親の仕事を尋ねてみようかと一瞬口を開きかけたけれどやめた。なんとなくだけど、訊かない方が良い気がした。


「そんなんじゃ、友達どころか彼女もつくれないじゃん」


 ぴくりと彼が微かに反応したのを感じて、マズいことを訊いてしまったと思った。沈黙が二人の間に流れる。落ち気味だった雰囲気を少しでも明るくしようとしたのが失敗だったと思ったけれど、私の言葉に沈黙していた彼が口を開いた。


「そんなもん、いないよ。一目惚れできる女の子にでも会わない限りは無理だな。それに例え出会ったとしても、すぐに転校するんだから意味ないよ」


 確かにそうかもしれない。数ヶ月で転校を繰り返し友達も出来ない彼にとっては、一瞬で惚れ込むような相手じゃないと厳しい。しかも、例え付き合うことになったとしても、すぐに遠距離恋愛になるのだ。そんな二人が上手く行くようには、あまり思えなかった。


「もし誰か気になる人がいたら言ってね。今日のお礼に協力してあげる」

「――そう、だな。そんときは頼むわ」


 彼は苦笑いをしながら、私にそうやって言った。

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