第三話

 十二月も残り半月を切り、終業式まで一週間。そして、彼が転校してきて一ヶ月が過ぎた。相変わらず寒いギャグを飛ばしているが、初めのころのような無謀な軽さは消えていた。元々親しみやすい性格なのだろう。周りには途切れることのない人の群れがあった。


「あんこちゃん」

「ん?」


 あの不良にからまれた日から、私の彼に対する態度が少し変化した。おどけていつも馬鹿なことをいっているのは仮の姿であって、本当はとても寂しがり屋で一生懸命に短い思い出を作ろうとしていることがわかったから。と呼ばれるのにも、もう慣れるしかないのであまり気にしないようにした。気にしたところでどうしようもないというのが本音ではあるけれど。


 最近は彼を取り巻くグループの中にいることが多くなった。それは、彼が私を呼んで輪の中に引き込むから。別に輪の中に入れないと言った覚えはないけれど、なぜかいつも私を巻き込む。クールなイメージを失った反面、輪の中に入って楽しく話をしているのを考えれば喜ぶべきことなのは確かだった。


 終業式まで残り三日となったときに、昇降口で彼と一緒になった。「もう帰んの?」と言われ「うん」と答える。


「あんこちゃん。この辺で景色のいい場所ってどこ?」

「んー、どこだろう――でも、なんで?」

「自分が過ごした街の一番良い景色を必ず見るようにしてるんだ。この街は、どの辺に行けば良い景色が見れるのかなと思って」


 転々と住む場所が変わる彼にとって、少しでもその場所の良い所を覚えておきたいのだろうか。しかし、年の瀬も押し詰まったときに見栄えのするところなんてあったかなあと考える。川沿いの土手も悪くはないと思うけど、今の季節は桜どころか葉っぱさえもついていない、ただの禿げた木が並んでいるだけだからイマイチだし、あとは――高台にある公園が街を見下ろせて景色が良いくらいだろうか。昼間は雑多な街が見えるだけなんだけど、その分街の明かりが灯った夜の景色はとても綺麗だった記憶がある。


「駅の反対側に山があるの知ってる?」

「あの、あまり高くない山?」

「そうそう。その山の上に、公園というかちょっとした広場があるんだけど、展望台もあってそこから見る街の夜景が綺麗かな」


 中学のころはその場所へ良く行った。車では途中にある駐車場までしかいけないんだけど、展望台はそこから歩いていける。結構きつい階段を登ることになるので、いつの間にか行かなくなってしまった。そういえば、夜に友達と花火をしに行ったなあと記憶が甦ってきた。


「あんこちゃん、今から行かない?」

「今から!?」


 今から――もう、日もかたむいていてあと数分もすればとばりが降りてしまう。そんな時間から登り始めてしまうと、展望台に行って帰って来たら結構遅い時間になるかもと、ぼんやり考えていた時に疑問が浮かぶ。


「ていうかさ、その前になぜ私が一緒に行くの?」

「道案内かな」

「あそこ行くの結構大変なんだよ? 坂はキツいし、階段多いし」


 道案内するような場所ではない。そもそも遊歩道の一本道だし、山は駅から見えるのでそれを目指せば辿たどり着ける。


「道案内なんていらないはずだよ。迷うことなんてないと思う」

「えーっと、この間不良に絡まれてるのを助けたの誰だったかなー」

「っ……」


 それを言われると返す言葉がない。確かにあそこで彼が登場しなければ、もっと面倒くさいことになっていた気はする。結果はどうであれ、腕を掴まれていた状況から抜け出せたことには変わりない。でも、そのお礼は一目惚れした人がいたら協力するという話だったような。と、思い出しはしたけども、仕方がないのでこの間の恩返しのつもりで道案内することにした。

 


 両脇に木々が生い茂った遊歩道を歩き、やっとひらけた場所に着いた。辺りはすっかり暗くなっていて、広場を照らす街灯だけが煌々こうこうと光っている。もう少し歩けば寄棟造よせむねづくりの東屋があって、そこから街が一望できる。


 私の数歩前を歩く彼。スラリと伸びた長い脚に小さい頭。今は見えないけれど、決して悪くはないと思う容姿。転校を繰り返していなければ可愛い彼女くらいいくらでも作れただろうにと、背中を追いかけながらそんなことを考えていた。


「着いたー」


 東屋がある一番高い場所へ行く最後の階段を登り終えたときに彼が言った。久しぶりに登ったけれど、やっぱりこの階段はキツい。そんなことを微塵みじんも感じていない様子の彼は意外とタフなんだと思った。それとも私が運動不足なだけだろうか。


「おおー、すげー」


 彼は、街全体が見渡せるところに立ち、私もその隣で眼下がんかに広がる夜景を見る。そんなに大きな街ではないけれど、街の中心を街灯の光で照らされた筋状の道路が網の目のように交差していてとても綺麗。手前の方にある明るい場所は、ここに来るとき横切って来た駅。そこから上下に線路が伸びているのがわかる。そして、街のにぎやかな場所を取り囲むように点々と家の明りが全体に広がっていた。やっぱり、この場所から見る夜景は良いなと、改めて思ってしまった。

 隣にいる彼を見ると、まだ街の夜景に見入っている。どうやら満足してくれたみたいだ。私は少しほっとした気持ちになった。


「たぶん明日担任から話があると思うけど、今学期でまた転校することになった」


 街の明かりを見ながらぽつりと彼がつぶやく。この学校に来てまだ一ヶ月半になるかならないかだ。そんなに遠くない時期に転校するのだろうと思っていたけれど、少し早い気がして驚いた。


「今回は早いんだね。まだ二ヶ月経ってないのに」

「そうだね。でも、学期末だし時期的には転校しやすいかな」

「そっか」


 そんなに転校ばかりさせなくても何か良い方法があるんじゃないかと思うけれど、色々と検討した結果なんだろう。高校は義務教育じゃないから、転校するのにも手続きが面倒なはずだし単位の取得状況もある。転校もそんなに簡単じゃないはずだ。それでも選択しているってことは、やはり最善な方法なのかもしれない。


「いつ引っ越しするの?」

「向こうでの準備もあるから、終業式の日かな」


 彼はこの街の思い出を何か残せたのだろうか。これといって何もないところだけど、少しでも何か残ってくれていれば良いなと思う。


「そうだ。誰かに一目惚れできた?」

「んー、出来たと言えば出来たかな。転校初日に見つけた」


 少し照れ臭そうに言った。相手にその想いは伝えていないと雰囲気でわかるけれど、それでいいのかな。


「協力して欲しいときは言いなよ。もう、時間もないんだし伝えなければ何も始まらないんだからさ」


 たぶん私の協力なんて必要ないのだろう。そして、想いを伝えるつもりもないのだと思う。伝えたところで、もうすぐこの街からいなくなるのだから。それでも私は伝えた方が良いと思っている。


「ねえ、知ってる? 恋人の身長差は十五センチが理想らしいよ」


 手をつないだり、抱きついたり、頭をでたりするのにちょうど良いと雑誌に書いてあった。だからと言って、身長差で付き合い始めるわけではない。結果的にちょうど良かったという話であって、あまり意味のある記事ではないと読んだとき思った。


「あんこちゃん、身長何センチ?」

「えっと、今、百五十五くらいだと思う。藤ノ原ふじのはらは?」

「百七十二」


 私の身長があと二センチ足りない。いや、別に付き合ってるわけじゃないんだし、足りなかろうがなんだろうが私には関係がない。なんだか妙に意識してしまった自分が可笑おかしかった。



 あまり遅くなってもいけないので、私たちは早々に山を下りることにした。その途中で彼が手を繋いでみるというので、繋ぐくらいならと思って差し出すとその手を彼は握り「なるほど。身長差十五センチだとちょうどいいかも」と言った。すぐに離してしまったけれど、男の人の手は女の私なんかよりもずっと大きいんだと思った。寒い季節の夜空には、とても暖かい安心する手だった。



 翌日土曜日のクラス内は第二学期の最後の授業ということもあり、みんなが浮かれていた。休みに入ったら何をするか、年末年始を友達同士で過ごそうとしている人たちもいたりと、冬休みの話で持ちきりだった。そんな中に、担任が教室に入ってきてショートホームルームが始まる。


「藤ノ原。ちょっと前に」


 開始早々、担任が彼を前に呼ぶ。いつもと変わらず、クラスメイトと楽しく話をしていた彼が担任の隣まで行くと、昨日教えてもらった通りになった。


「藤ノ原だが、月曜日の終業式が最後になる」


 担任はそれだけ言うと、彼に目で合図をした。


「この学校に来てから一ヶ月半が過ぎました。当初の予定通り、悪い奴を懲らしめに行ったのですが、逆に懲らしめられちゃいました。なので、修行の旅に出ようと思います。短い時間でしたが、お世話になりました」


 そう言って、彼は深々と頭を下げた。

 転校してきた初日にクラスで失笑を買ったはずなのに、彼は本当にブレない。だけど、あの時のように失笑する人はいなかった。この一ヶ月半で、彼の人となりを分かったので自然な笑みがみんなに浮かんでいる。転校慣れしていると言っていいのか分からないけれど、言いよどむこともなくサッパリと挨拶する彼は、どれだけ辛い思いを繰り返してきたのだろうと考えてしまう。インパクトでみんなの中に容易たやすく入り込みあっという間に仲良くなって、出て行くときはそれを引きずらずあっさりとしている。私には絶対出来ない芸当だった。



 月曜日、何事もなく終業式を終えてみんなが下校する。彼も教室に残った私物をバッグに詰め込んで教室を出て行く。それを見て、私も急いで机の中のものを詰め込み後を追った。


「ねぇ。相手にはちゃんと話したの?」


 余計なお世話だと思う。でも、彼の気持ちを知っている私は無視することができなかった。だから、昇降口で彼の背中に追いついたときに声を掛けた。


「いや、いなくなるのに告白されても困るだろうからやめておくよ」

「そうかもしれないけど、絶対に気持ちを伝えたほうがいいよ。じゃないと何も始まらないし、離れちゃうけど付き合っていけるかもしれないじゃん。誰なのか言ってくれれば連れて来てあげるから話してみなよ」


 これじゃ、まるで親切の押し売りだ。そんなことは自分でも分かってる。


 でも――でも。告白しなければ何も始まらない。


「あんこちゃん」

「なに?」

「一目惚れは、あんこちゃん」


 そう言い残して彼は走って学校を出て行った。

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