あんこ

本栖川かおる

第一話

 彼が転校してきたのは、高校一年の寒い冬の季節だった。誰がどこからどうやって入手して来たのか不思議だけど、前日にもたらされた転校生情報にみんながいた。どうやら、このクラスに入って来るらしい。

 転校生という響きは不思議なもので、誰しもが悪い想像を抱かない。男子は可愛い女子を望み、女子はイケメンな男子を望む。マンネリと化したクラスメイトの顔に新風が吹くのだから期待しないわけにはいかない――これこそが転校生マジック。私も期待するひとりであり、翌日を少し楽しみにしていた。



「今日からこの学校へ通うことになりました、七星柄杓ななほしひしゃくです」


 翌日、朝のショートホームルームで挨拶した彼は聞き慣れない姓名なまえだった。こんな珍しい苗字もあるのだと、クラスの全員が思っていたはず――担任教師が黒板に氏名を書くまでは。


藤ノ原ふじのはら康介こうすけ』これが彼の本当の名前らしい。

 黒板に書かれた漢字でと読むなんてことはさすがにないだろう。なぜ、名乗る名前を変えたのか知らないけれど、クラスの誰もが苦笑していることを彼はどう捉えているのだろう。だがしかし、そんな心配をしてあげるのが馬鹿らしくなるくらいに、アウェイに立たされているは心折れることなく挨拶を続けた。


「僕の胸には七つの傷があります。この街の悪い奴らを懲らしめに転校して来ました。どうぞよろしくお願いします」


 まず、男子が失笑する。一方、イケメン男子を望んだ女子は、おそらく期待通りの転校生であったのにも関わらず大半は男子と同じ反応だった。

 転校初日にクラスの失笑を買ってしまった彼は、頭のネジが一本、いや十本くらい抜けている。もしかしたら、ネジなんて初めから締められていないのかもしれないと私は冷淡な眼差しで見ていた。


「安西!」


 担任に名前を呼ばれ、考え事をしていてた私の身体がビクリと反応する。


「藤ノ原、今ビクついた生徒の隣に座れ」


 担任の言葉の意味を頭の中で数百回反復する。大脳の左半球にある言語の理解を司る後言語野がオーバーヒートを起こし、解読するのにかなり時間を要した。


 空いている席はもう一つある。その隣の生徒は二分の一の確率で当たらなかったという安堵した目と、ご愁傷様しゅうしょうさまと言わんばかりの意地の悪い笑みでこちらを見ている。


 激辛がひとつだけ入っている『たこ焼きロシアンルーレット』の残り二つから、見事に当たりを引く自分の幸運を呪ったけれど、それは間違いだと考えを改める。これはみずからの選択ではなく、ある意味アカデミックハラスメントによるものだと悟った。


「先生! 意義ありです!」


 そうだ。このような地位による力の行使を職権乱用と言わずになんという。決して泣き寝入りしてはいけない。だが、担任教師は私の申し立てにまゆを少し動かした程度で、何も聞こえなかったようにホームルームを進行する無慈悲な性格であることをこのとき知った。そして、意義申し立ての内容を理解しようとするはずのない彼が、何食わぬ顔で隣へ座って私に笑顔を向けた。


安西由紀子あんざいゆきこです……」


 私は眉端まゆはじをひくつかせて笑顔で挨拶をする。ジリリと焦げ付くような内心を必死で抑え込んで、大人の対応をした自分を褒めてやることだけに集中した。しかし、そんな必死の自制心も、彼の一言で崩壊した。


「安西由紀子――あんざいゆきこ、あんゆきこ、あんこ――あんこちゃん!」

「誰が、あんこちゃんよ!」


 私は、不旋律ふせんりつな椅子の音を教室中に響かせて上からにらみ付ける。静まり返る教室にクスクス笑う声が至る所から聞こえてきて我に返った。

 顔で茶が沸かせそうな私のことなど知るものかと、この男は満面の笑みを浮かべ楽しそうにしている。ハラワタが煮えくり返り、高圧洗浄機並みの鼻息で教室の掃除が出来そうだったけれど、これ以上は何を言っても泥沼にハマるだけだと思って大人しく席に座り椅子を引いた。


 翌日、教室に入ると彼の周りには人が集まっていた。転校してきたばかりの人は、まず様子見ようすみをするものだと勝手に思っていた。実際に転校をしたことがない私には転校生の心境など分からないけれど、まず自分の置かれた環境を把握するのが先なのではないかと、そんな根拠のない確信めいたものが脳裏に浮かんだ。だが彼は、大人しくしているどころか寒いギャグを連発で飛ばしてみんなと仲良くやっている。私には真似することが出来ない順応力だった。


 正直、誰とでもすぐ打ち解けられる彼の性格を好きになれそうにない。慣れない環境でも瞬く間にクラスに馴染み、楽しそうに過ごせる彼に嫉妬しっとしているのは確かだった。


「おはよう、あんこちゃん」

「だから、その呼び方やめて!」


 自分の席に座るや否や、聞こえてくる不愉快な声に過剰反応する。彼を取り巻いていたクラスメイトも、笑いをこらえられず声が漏れていた。


 楽しい会話や我を忘れてお喋りするのは好きだ。しかし、その輪に入れず蚊帳かやの外にいることが多い。だから私は、輪の中に上手く入れないことを正当化するためにクールをよそおって頑張ってきた。なのに、その苦労をの一言で消し去ってくれた彼を誰が許せるというのだろう。道化どうけにされて喜ぶほど、私はお笑いの境地には至っていない。もちろん、至りたくもない。


 その日以降、私は「あんこちゃん」と呼ばれることになった。「安西」や「由紀子」と呼んでいた仲の良いクラスメイトも、「あんこちゃん」や「あんこ」と最近では呼ぶようになって、担任までもが「あんこ」と呼ぶ始末。もう、私が否定したところでこの流れは止められないし止まらない。この学校を卒業するまで、私は「あんこ」と呼ばれなければいけなのかと憂鬱ゆううつな気持ちになった。

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