第17章
第十七章「死」
春の陽射しが暖かくて、僕はパトロールがてら散歩に出かけた。都会と言えども虫や鳥たちは春が来たことを喜び、あちらこちらで恋人同士のピクニックを催し、それぞれが春を楽しんでいる。
あちらの池では男の子と女の子が石投げをして遊んでいた。どちらが遠くに飛ばせるかを競いあっているようだが、あれ位の年の子供は女の子の成長が早く、やはり体の大きな女の子の方が遠くに石を飛ばし、男の子は躍起になって石を投げているようだ。
僕はそんな平和な光景をぼんやり眺めながら、塀の上の日向ぼっこでウトウトとし始めた。
そのとき。「バシャ」と、何か大きな物を水に投げ込んだ音が聞こえた。
「まさか!」
僕は全速力で池に駆けつけた。男の子が池に落ちた。僕は迷わず池に飛び込んで男の子を助けようとした。
「しまった!」
僕は猫の姿だったことをすっかり忘れていた。男の子は水の中で手足をバタバタさせながら僕の尻尾を掴んだ。二倍はあろう体長の人間を助けられる筈もない。僕はそのまま水の中に吸い込まれていった。
薄っすらとした意識のまま、僕は陸に上げられていた。どうやら僕の早とちりだったようだ。この池は浅く子供でも余裕で足がつく。男の子は水に落ちて慌てたようだが、底に足がつくとわかると冷静になって、溺れた間抜けな猫を助けたのだ。さらに薄れてゆく意識の中、子供たちが池の畔に打ち上げられた僕を、上から覗き込み、何やら相談していた。
「死んじゃったのかな?」
「動かないね」
「どうして泳いでたのかな?」
「魚を採ってたの?」
到底、経緯など解りっこないだろう。
「死んじゃったみたいだね」
学校の理科や保健体育の授業でも、猫の蘇生など習わないはずだ。
「可哀想だから、埋めてあげよう」
「そうしよう」
どうやら、審議の結果が出たようだ。さっそく、子供たちは池の近くに穴を掘り始めた。やがて、僕は男の子に抱き上げられ、彼らが掘った小さな窪みの中央に置かれた。次に、上から土を掛けられたところで、僕は完全に意識を失った。
次の瞬間、体がフッと軽くなり、気がつくと、僕は宙に浮かんで子供たちを見下ろしていた。子供たちは盛った土の上に石を乗せ、手を合わせて、そいつを拝んでいる。どうやら僕は死んでしまったらしい。苦しいわけでも無く、死後の世界に引き込まれるわけでもなく、ただ体が無くなっただけで、やはり幽霊少年のいう通りだった。子供たちに手厚く見送られて幸せだ。僕は子供たちに心の中で「ありがとう」とお礼を言った。
僕は宙に浮いた体がさっきまでの猫の姿ではないことに、ようやく気が付いた。いつか白昼夢で見たあの少年の姿をしていた。幽霊になって軽い体を得て、初めて生きていることの苦を実感した。この幽霊の体なら何処までも飛んで行けそうな気がする。
「そうだ!バンダナにこの体を自慢しに行こう」
僕はいつもの公園に向かおうと歩き出した。しかし、一向に前に進まない。ついさっきまで猫だったわけで、幽霊になって勝手がわからない。人間だったころを思い出し、二足歩行を試みたが待ったく進まない。猫の要領で四足歩行でも無理だ。何せ宙に浮いているので歩行の一連の動作は役に立たない。四苦八苦した結果、頭を進む方向へ傾けると前へ進むことが分かった。
「そうか、この要領だな」
ゆらゆらとふらふらを繰り返し、僕は公園に向かった。時々、意識が飛んでしまうのは何故なのだろうか。
公園に到着すると、いつものベンチにバンダナを見つけた。驚かしてやろうと頭の真上から呼んでみた。
「バンダナ! バンダナ! ここだよー! 僕が誰だか分かるかい?」
彼女はキョロキョロと周りを見渡し、ようやく真上に僕の姿を見つけた。
「あなた、猫なの?」
「どうだい、すごいだろう!」と言った瞬間、意識が遠のいて僕は真っ逆さまに落っこちた。
「あなた、まさか!」と、彼女が叫んだ後、
「ちょっと待ってなさい!」と、僕に言い残し、彼女は目を閉じたまま固まってしまった。
バンダナはすぐに目を覚まし、同時に幽霊少年が現れた。
「幽霊君、僕も……幽霊にな……ったん……だ」
幽霊少年は、僕の体を頭から爪先まで見渡し、僕の体で起こっている状態を察した。
「猫、何処で死んだんだ?」
「え?」
「時間がないんだ。早く答えろ!」
「何処っ……て、向こ……うの池……」
すると彼は僕の手を掴み、僕を引っ張って池のある方角へ飛んだ。
「犬も一緒に来てくれ!」
下を見るとバンダナが全速力で走っていた。
「さすが幽霊だ……ね。僕に飛び……方を……」
「どの位時間が経った?」
彼は僕の話も聞かずに質問をした。
「十五……分位か……なぁ」
幽霊少年はスピードを上げ、あっという間に池に到着した。
「どこだ?」
「僕はこ…んこにん…」
「猫の体は何処にあるんだ?」
「あそこの石の…んした。こっ…んちだっ…んたかな?」
バンダナも直ぐに到着した。
「犬! 石の下を探せ!」
幽霊少年はバンダナに大声で指示をした。
しばらくして、「あったわ!」と、バンダナが叫んだ。
すると幽霊少年はまた僕の手を強く引いて、猫の抜け殻の所まで連れて来た。
「おい、猫! 尻尾を掴んでろ!」
僕は彼の剣幕に圧倒されいう通りにした。
「ずいぶん水を飲んでいるみたいだ」
幽霊少年が猫の胸を何度も両手で押した。すると、猫の口から水がゴボゴボと出てきた。その度に僕の意識が遠退いた。ずいぶん水を吐いたが猫は動かなかった。仕方なく、最後の手段だ、と、彼は猫のお腹を思い切り蹴り上げた。猫はさらにゲボゲボと水を吐いた後、大きく息を吸い上げた。その瞬間僕の意識は全く消えてしまった。
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