第16章

第十六章「幽霊」


午後の昼下がり、公園のベンチでウトウトと昼寝をしていると、誰かが僕を呼んだ。

「おい、猫!」

 またバンダナ犬が悪さをしているのだろうと聞こえない振りをした。

「おい、猫ちゃん!」

 それはバンダナの声ではない。そっと目を開けて見ると、目の前に見知らぬ少年が立っていた。

「何だ、人間か」

 隣で寝ていたバンダナに「追っ払ってくれ」と足でチョンチョンと合図を送った。

 猫になったばかりのころは、人間たちに愛想を振りまいて、餌が貰えるようにとアピールをしていたが、人間世界では意外と簡単に餌を貰うことができると分かった今では、それほど愛想良く振舞うこともなく、ようやく僕も猫らしく無愛想になってきた。バンダナも犬らしく、番犬の真似事くらいやってくれればいいのだが。と思いを巡らせていたとき、

「何だとは、何だ!」と、予想外の少年の言葉に驚いて、隣の役立たずの番犬の背中をポンポンと叩いた。

「君は猫の言葉が分かるのかい?」と少年に尋ねると、答えたのはバンダナだった。

「またそのはなし? だから、人間に育てられた…」、バンダナは話の途中で少年に気づき、僕以上に飛び上がって驚いた。

「あ、あなたは!」

 バンダナはこの少年を知っているようだ。

「君の友達かい?」と僕が尋ねると彼女は答えた。

「彼は、私のパパよ」


少年はもう向こうの方で大暴れしている。子供たちが遊んでいるボールを遠くへ蹴ったり、お弁当をつまみ食いしたり、女の子のスカートをめくったり、やりたい放題だ。しかし、やられた人たちは怒っていないどころか、何だか不思議そうな顔をしている。

「いったい君には何人のパパがいるんだい。島で会ったゼロの息子のこともパパって言ってたよね」、バンダナに尋ねた。

「パパといっても、ずっと昔、生まれ変わる前に偶然親子だったことがあったらしいの。彼は少年の姿をしているけど、今は幽霊なのよ」と答えた。

「幽霊だって?」

「そう、だから他の人には見えないの。いい気になって大暴れしているわ」

 幽霊少年は、イタズラに飽きたらしく、こちらに戻ってきた。

「ねぇねぇ、君は幽霊なんだって?」

「そうだよ」

「死後の世界ってどんなの? 天国ってどんなところ?」

「あはは。死後の世界も天国も、人間の勝手な想像さ。そんなものあるわけないよ」

彼は馬鹿にするように笑いながら言った。

「じゃあ、死んだら何処へ行くの?」

「何処にも行かない。みんなその辺にいるさ」

「じゃあ、死んだらどうなるの?」

「どうにもならないさ。ただ、肉体が無くなるだけ」、彼は面倒臭さそうに答えた。

「君はどのくらい死んでいるんだい?」

「どのくらいって?幽霊には時間も空間の概念も無いんだから、そんなの分からないよ」

 今度は少年の方から語りかけてきた。

「幽霊だったころの君を知っているよ」と言われて僕は驚いた。

「何だって! 僕はまだ死んでなんかないさ!ほら、ちゃんと生きてるよ」、少年とバンダナは笑った。

「生まれる前はみんな幽霊なんだよ。何にも知らないんだな」

 僕は少年の言葉にムッときた。バンダナは空かさずフォローした。

「生き物は死んだ後、肉体は無くなるけど魂は残るのよ。それが幽霊ね。幽霊は次にまた肉体に宿って生まれ変わるのよ。死んだ後は、生きているときの記憶が無くなり、生まれ変われば幽霊のときの記憶が消えるのよ」、その話を聞いて僕には疑問が残った。

「僕は猫に生まれ変わったけど、人間の記憶が残っているよ。どうしてだい?」

 すると、少年が答えた。

「君は死ななかったからだよ。つまり、幽霊にならなかったから、記憶が残っているのさ」、少年は話を続けた。

「本来僕たちの種族では、雄型の幽霊は人間の男性か犬に生まれ変わるんだ。次に幽霊になるときは、やっぱり雄型の幽霊なんだ。雌型幽霊は人間の女性か猫になり、雌型幽霊に戻るのさ」

「何だって! やはり僕の理論は正しかったんだ! 男は犬であり、女は猫である、わけだね」と僕は得意になったが、同時に疑問が残った。

「どうして僕は人間の男性から猫になったの? 雄型は猫にならないはずなのに」

「それは私たちにも分からないのよ。一つ言えることは、私たち三人共、通常の順番を介さずに他の者に生まれ変わったの。前世の記憶を残したままね」とバンダナが答えた。


 そのとき突然、いつからいたのかピカソのじいさんが僕たちの話に割り込んできた。

「お前さんたちに、真実を伝える時が来たようじゃ」

じいさんは、お気に入りの緑色のベレー帽を被り直し、ベンチの真ん中に座った。

「まぁ聞きなさい。まだ詳しくは解明されていないが、現代の壊れつつある環境やストレスの多い社会の影響で、魂の器である人間や犬や猫の肉体が衰え始めていることが原因のようじゃ。魂と肉体の隙間に歪みが出来て、バランスが崩れたんじゃ。そうやって生まれた突然変異、ムタチオンがお前たちじゃ」

 やはり、じいさんは僕が人間だったことを知っていたようだ。

「ムタチオン?  僕たちは他の人たちと違うの?」、少年がじいさんに尋ねた。

「お前さんたちは、人間だったころに他の人たちとは違うと感じておるはずじゃ。精神面に異常を感じておるお前さんたちの他にも、肉体の方に異常が表れる者もおる。しかし、その欠陥部分を補う別の能力が己の体に備わり、偶然にもそいつは純血種のアナロイドを癒す効果があるということが判明したんじゃ。お前たちの役割はアナロイドを救うことじゃ。他にも違いはある。普通の幽霊は時間と空間の概念が無い。ムタチオンはそれを超越し、三つの時間、三つの空間に、三体の存在を現すことが出来るのじゃよ。お前たちがここで出会ったのも偶然ではない。以前にも遭遇しているじゃろ。 今もお前たちのアルタラチオンが、いつかの時代のどこかの国に存在しておるのじゃ。お前さんたちは、人間たちのいう神に最も近い存在なのかもしれんな」、じいさんは語った。

「じいさん、あんたは神なのか?」、少年は尋ねた。

「神というのはアナロイドたちが作った架空の者じゃ。宗教によって違う様々な神々が存在し、彼らが作った社会の方向性のよりどころを示す思考の案内役みたいなものじゃ。お前さんたちはその神の名を借りて、アナロイドたちに奇跡を見せればよい。それで彼らは救われるのじゃ」

「なぜ、僕らはアナロイドを救わなくちゃならないの?」

「あはは!その理由は単純なことじゃ。お前さんたちの方こそアナロイドによって生かされているからじゃよ」、そう言い残して去っていった。


 結局、じいさんは何者なのだろう。やはり、ゼロの子孫には特有の力があるのだろうか。じいさんの奇想天外な理論はむちゃくちゃだが、一応の筋は通っている。しかし、それが本当なのかは分からない。僕が猫になった理由は解明できたのだろうか、まだまだ多くの疑問が残った。猫になったことも、人間の言葉をしゃべる犬も、少年の幽霊も、全てが夢を見ているような気がした。

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