第12章

第十二章「映画館」


 つい数日前までは、ジリジリと肌を刺していた槍のような陽射しも、その尖った矢尻はすっかり鋭利さを失い、柔らかなススキの穂先で撫でられたような心地よい肌触りとなった。


 秋の足音が聞こえるころ、僕たちはニセモノの家族を演じていた。車を運転する父さんの隣りで、母さんは鼻歌を歌いながら外の景色を見て僕たちに話しかけた。僕は姉の持ってきたおやつの入ったバスケットをすっかり空っぽにし、お腹がいっぱいでウトウトし、母さんの呟きにも答えられずにいたのだか、姉は丁寧に優しく答えるのだった。

「まだ少し紅葉の季節には早いわね」

 答えるといっても、バンダナは一応は犬であるので、「ワンワン!」と言うだけなのだが、おばあさんはそれでも何だか嬉しそうなのである。そんな光景を見て、隣りのじいさんも顔がほころんでいた。

 夏の終わりの旅行の車の中、過去に無くした者たちがそれぞれの空白を埋め合うように、理想の家族を再現していた。忘れられたおもちゃ箱を思い出し、押入れの奥から引っ張り出して、再びひっくり返しては子供の頃を懐かしみ、もう一度あの頃へ帰還しようともがいているのだろう。


「ちょっと、あなた、起きなさいよ」バンダナが僕に言った。

 僕は子供の頃から遠足の前日は興奮して眠れない性質だった。昨夜も、「何を着て行こうか」、「おやつは何だろうか」と思考を巡らせ、全く眠れなかった。もっとも、猫の姿なのであるから、服など着ることもないのだが。

「全く、仕方がないんだから」とバンダナは姉さん風を吹かせ、寄り添って眠る僕の鼻の先をペロリの舐めた。

「着いたわよ。起きなさい」バンダナの声で目覚めた。

 そこは、長野県の茅野という所。駅のそばで車は止められた。

「あれ? 温泉なんて無いじゃないか」、僕は辺りを見回した。

 そこは「新星劇場」という小さな映画館だった。

「お前さんたちに、本物の芸術を見せてやろう」、じいさんは言った。

 映画館の看板には「東京物語」とあった。古い日本の映画なのだろう。館に入ると家族が出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ!」

 お父さんとお母さん、男の子が二人いた。小さな坊やが僕とバンダナに気付いた。

「ワンちゃん、ネコちゃん、いらっしゃい」と、僕たちの頭を撫で、ケラケラと笑った。

「犬と猫は無料です。おじいちゃんとおばあちゃんは半額ね」と、しっかり者のお兄ちゃんがチケットを二枚、おばあさんに渡した。

「おやじさんはご健在ですかの?」、じいさんは館の主人に話しかけた。

「父のお知り合いですか? 父は五年前に亡くなりました」、主人は答えた。

「そうじゃったか。残念だ。昔、ここらに住んでおってな、よくここへ映画を見に来たんじゃ。全く変わっとらんの。ってことは、あんたは、あん時の坊主か」

「あれ、もしかして、絵描きのおじさん? 家におじさんの絵があります」、映画館の主人は目を輝かせて言った。

「そういえば、ここを離れるとき、絵を置いていったんじゃった。忘れておったわい」、じいさんは頭を掻きながら、そう言った。

「そうだ、父から預かっていた物があるんです。母さん、あれどこだったっけ?」、館の主人は奥さんに尋ねた。

「探してきます。そろそろ上映時間です。映画が終わったら、お持ちしますわ」、主人の奥さんは、そう言い残して、奥の部屋に入って行った。

 近頃はこういった家族経営の映画館は珍しくなった。自宅は館に併設されているようだ。部屋の奥は、どこにでもある日常の雰囲気が漂っている。

 フロントには普通の映画館にはない、駄菓子がたくさん並べてあった。僕がじっとそれを見ていると、バンダナが言った。

「あなた、まだ食べるつもりなの? 私のバスケットのおやつ、全部食べたのに? さあ、行くわよ」、バンダナは僕の尻尾を咥えて上映室まで引っ張った。

 上映室には都会の映画館のようなフカフカのシートは無く、背もたれのない三人掛けの長椅子が並べてあった。僕たちは中央辺りに陣取り、上映を待ちわびていると、上の坊やが何やら抱えてやって来た。

「貸し切りですね。これ、食べてください。父さんのおごりだって」

 じいさんとおばあさんにはオレンジジュースを、僕とバンダナにはミルクを、それにポップコーンが添えられていた。僕はポップコーンに飛びついた。やがて、明かりが消えた。ポップコーンが見えなくなっても、鼻をクンクンと鳴らし、匂いの方を漁った。

 上映開始のブザーが鳴り、僕の頭の真上に光が通過し、スクリーンに映像を映し出した。僕は人間だった頃に見た映画を思い出した。

「ニューシネマパラダイス」。

 映画の中では大人も子供も一緒になって映画を楽しんでいた。映画は大衆の娯楽であり、現実を離れた理想の楽園をその中に見つける。この地域の楽園こそ、この「新星劇場」なのだろう。

 スクリーンにはモノクロの映像が映った。美しい映像とリズムのあるセリフ、映画の世界はどこにでもある「日常」が描かれていた。しかし、ただのホームドラマではない、何か、があった。バンダナとおばあさんは開始からほんの十分でスヤスヤと眠りに就いた。退屈な映画だからではなく、余りにも心地よい芸術表現であるからこそ、眠りを誘うのだ。車の中で散々寝ていた僕も危うく眠ってしまうところだった。

 僕はポップコーンのことも忘れ、映画の中の物語に引き込まれた。物語は、血の繋がりのない老夫婦と息子の嫁の絆の物語だ。戦争でもう息子は死んでしまったのに、嫁を気遣う夫婦と、義理の父と母を気遣う嫁の姿が美しい。これこそが「日常」の芸術だ。じいさんがこれを僕に見せたかった理由が分かった。


 映画が終わり、僕はハッと我に返った。じいさんの顔を見ると、コクリと一回うなづいた。

「あら、珍しく。ポップコーン残しちゃって」、バンダナは起きたようだ。

「何だよ、眠ってたくせに」、僕はバンダナに軽く嫌味を投げ付けた。

 バンダナは舌をペロリを出して照れたように笑った。

「おじさーん、もう一つ短いのがあるんです。続けて上映しますからー」、主人の声が館内に響いた。

 続いてまた映画が始まった。スクリーンには沢山の傷のある映像が映し出された。数分後、まだ映画の途中にも関わらず、じいさんが立ち上がった。じいさんは映像に引き込まれた。


 数分後、映画が終わり、映写室から主人が出てきた。


「おじさん、これ、父に、画家のおじさんが来たら渡せ、と言われていた物です」

 主人はじいさんに丸いブリキの缶を渡した。

「これは、さっきの短編かね?」、じいさんが主人に尋ねた。

「そうです。小津監督の短編です」、主人が答えた。

 僕はその名前に聞き覚えがあった。以前、陶芸じいさん宅を訪問途中で立ち寄ったお墓だ。じいさんはオズ先生の墓だと言っていた。さっき見た「東京物語」にも、その名前があった。じいさんの師匠というのは、小津安二郎監督のことだったのだ。

「この短編、わしは見たことがないんじゃが、小津監督の古い映画には戦争で紛失した物が幾つかあるそうじゃが、もしかしたらそいつかもしれん」

「私はよくは知らないんです。とにかく、画家のおじさんが来たら渡せ、と言われていて、ずっと保管していたんです」

「ここで上映してはどうかね。幻の短編なら、全国から客が殺到するぞ」

「実はおじさん。ここ、もう閉めちゃうんです。ご覧の通りボロい映画館で、建物の老朽化で役所から閉館命令が出てるんです。建て替える予算もないので、残念ですが」

「なるほど、そういうことだったのか。ならば貰っておこう」

 じいさんはしばらく何かを考えるように、顎に手をやり、思い付いたように言った。

「こいつはもうわしの物じゃな。わしがこれをどうしようと構わないってことじゃな」

「はい、自由にしてください。父があなたに貰って欲しいと願っていた物です。閉館前におじさんに会えてよかった」

 じいさんは貴重な小津監督の幻の短編をあっさり貰ってしまった。閉館も仕方がないということなのだろうか。

 映画が終わり、僕とバンダナがロビーに出ると、小さな二人が待ち構えていた。僕は末の男の子に捕まった。頭を撫でられ、お腹をさすられ、思うがままにいじられていた。バンダナはお兄ちゃんにいじられていた。お手だのお座りだのを散々繰り返されていたのだか、僕もバンダナは嫌な気はしていなかった。本物の家族の温もりに触れて、何だか暖かい気持ちになっていた。


 僕たちは新星劇場の家族にお礼を言い、車に乗り込んだ。小さな二人は名残惜しそうに、僕たちを見送った。僕とバンダナは、車の窓に並んでひっ付き、子供たちのサヨナラを眺めていた。


 さあ、これから温泉へというところで、じいさんはハンドルを掴んだまま、ダッシュボードに置いたブリキの缶を見ながら、何やら考えて動かなかった。

 先に口を開いたのはおばあさんだった。

「安田さん、いらっしゃるかしら?」

 その言葉を聞いて、じいさんはおばあさんの顔を優しい表情で覗いた。

「お前さんたち、申し訳ないが旅行は中止だ」、じいさんは僕とバンダナに言った。

「え?温泉行かないの?」と僕はバンダナに尋ねると、

「あなた、お風呂嫌いじゃなかったかしら?」とバンダナが答えた。

「お料理もなし?」

 中止になった理由も分からず、仕方がなく、僕は温泉を諦め、旅館の豪華な料理も幻となり、僕はがっかりとうなだれた。そんな僕を見て、申し訳なさそうな表情を浮かべながら、じいさんは元来た道へ車を走らせた。


 日が沈んでずいぶんたった頃、都会の住宅街にある古い一軒家に到着した。じいさんは車を降りて、玄関の呼び鈴を押した。しばらくして、誰やらが出てきた。

「まぁ、どなたかと思えば、先生じゃないですか」、和服の女性が出迎えた。

「いやぁ、夜分遅くにすまない。ヤッちゃんは在宅かい?」、じいさんは言った。するとそこへまた和服を着た老夫人が出てきた。

「あら、先生、お上りください。奥様もご一緒なんてお珍しい。どうぞ、どうぞ。紀ちゃん、お父さんを呼んできて」

 僕とバンダナも一緒に奥の座敷に通された。

「先生、夕食はお済みですか?」と老夫人が尋ねた。

「いやいや、突然押し掛けて申し訳ない。お構いなく」とじいさんが言うと、バンダナのお腹がグゥと音を立てた。

「あら、猫ちゃん、お腹が空いてるのね」と夫人が言った。お腹が鳴ったのはバンダナなのに、みんなは僕がお腹を鳴らしたと思っている。バンダナは僕の隣で知らない顔をしていた。


 しばらくすると、奥から料理がどんどん運ばれてきた。

「あらまぁ、私もお手伝い致しますわ」、おばあさんはそう言って、腕まくりをした。

 老夫人は、「実はね、今日はあの子の命日なのよ。でも、兄弟たちは仕事で忙しいからって、誰も来なかったのよ。おかげで料理がこんなにあまっちゃってね」、老夫人は愚痴をこぼした。

 そこへ家主が頭を掻きながら入ってきた。

「よう、よく来てくれた。お前さんがわざわざ来たってことは、只事ではないようだな」、家主がじいさんに言った。

「ヤッちゃん、早速じゃが、これを見てくれないか」、じいさんがフィルムの缶を差し出した。

「ほう、お宝の匂いがプンプンするわい」

 安田のじいさんはフィルムの缶の蓋を開け、フィルムの端を掴んで伸ばし、蛍光灯に透かして見た。

「ほうほう、小津さんの幻の短編発掘ってところかい」、安田のじいさんはすかさず正座を直り、眼鏡を掛けたり外したりを繰り返してフィルムを観察した。


 テーブルには沢山の料理が並べられ、僕とバンダナはテーブルの上の料理に釘付けになった。幻となった温泉旅館の豪華な料理が、こんなところで再現された。

「ちょっと、拝見させてくれないか。皆さん、遠慮せずにやっておくれ」、安田のじいさんは、速い口調で告げ、奥に引っ込んでしまった。


「そうか。今日は彼の命日だったんじゃな。それじゃ、ひとまず一番弟子の顔を拝ませて貰いますよ」、じいさんはそう言って、部屋の隅の仏壇へ向かい、遺影に手を合わせた。

 僕とバンダナの料理は、部屋の一角に用意され、二匹で仲良く分け合った。じいさんとおばあさんも安田の家族と昔話に花を咲かせ、料理を摘んでいた。


「もう、十年になるかな。芸術を学びたいと、わしの所にやって来たときのことを思い出すわい。目をキラキラさせて、希望に満ち溢れておった。わしは弟子など取るつもりはなかったんじゃが、あの綺麗な澄んだ目には叶わなかったわい」、じいさんは昔話を始めた。

「あの船の事故が無かったら、立派な絵描きになっておったんじゃがな」、じいさんが言うと、「私、遺体が見つかっていないから、まだ何処かで生きている気がするんです」、紀子が言った。

「あの辺りは、常に霧に包まれておるから、捜索も思うように進まなかったようじゃの」、じいさんがつけ加えた。


 皆のはらぺこが解消された頃、安田のじいさんが戻ってきた。

「これを何処で手に入れたんだ」、安田のじいさんがピカソじいさんに尋ねた。

「いやー、昔暮らしてた信州の田舎町でな、通い詰めた小さな映画館を久しぶりに尋ねたんじゃよ。そうすると、先代の館長がこれをわしに渡せと、長年保管されてたんじゃ」、ピカソじいさんが言った。

「ほう、戦火から奇跡的に免れたようだな。あんたなら、この価値観がわかるということか」、安田のじいさんが言った。

「で、それ、幾らの値がつく?」

「なに、売り飛ばす気か!」、安田のじいさんは顔色を変えて怒鳴った。

「実は、その映画館は閉館するそうじゃ。修復資金くらい何とかならんか」

「閉館? なるほど。こいつは小津監督の幻の短編だぞ! しかも、コピーではなく、マスターテープだ。修復資金どころか、新築の巨大な鉄筋の映画館が立つわい! あははははー!」、安田のじいさんは高笑いした。

「ま、まさか、マスターかい! こりゃ驚いた」

「若干痛んでるが、それは俺に任せろ。世界中の小津ファンが泣いて喜ぶわい」

「預けて構わんか」

「任せろ。お前さんらしいこったい」

「ヤッちゃん、恩にきる」

「いやー、生きてうちに小津監督の幻に出会えるとは思わんかった。こちらこそ感謝だよ。おい、酒の用意だ」

「いやいや、突然押しかけてきて、それはいかん」

「なーに構わん。今日は息子の命日だ。賑やかなのが何より供養だ。こんな深夜に、もうろくじじいの運転じゃ危なかろう」

 そうして、息子さんの命日と小津監督幻の短編発掘を兼ねた宴は朝まで続いた。


 数週間後、じいさんは僕とバンダナを連れて、再び長野の新星劇場を訪れた。劇場はすでに閉館となっていた。

「ご主人はおられるか?」、じいさんは閉ざされた殺風景な映画館のロビーで叫んだ。

 すると、奥の階段の上から主人が顔を出した。

「おじさん、どうしたんですか? どうぞこちらへ」、主人は映写室へ案内した。

「おじさん、とうとう閉館になっちゃいました」、主人はフィルムの整理をしながら、うつむきながら呟いた。「父さんに叱られちゃいますね」、主人は頭を掻きながらまた呟いた。

「そうじゃな。先代の建てた木造のボロい映画館を潰して、最新式の鉄筋の映画館を建てるんじゃから、さぞ怒っておられるじゃろう」、じいさんはニヤニヤしながら言った。

「鉄筋? 何の話です?」

「実はな。あのフィルムをわしの友人に見せたんじゃ。フィルム編集の技術者で小津作品の大ファンじゃ。奴が言うには、あれは小津監督の短編に間違いないそうじゃ。しかも、マスターテープということじゃ。つまり、鉄筋の映画館が建つほどの価値があるということじゃ」、じいさんは主人に経緯を話した。

「しかし、あれはおじさんの物ですので」

「お前さん、わしがあれをどうしようと構わないと言ったな」

「はい」

「ならば、わしの頼みを聞いてくれんか。あれは、世界中の映画ファンの物。そいつを新しい映画館の館主となって上映してくれんか」

「おじさん、どうしてそこまで」

「先代はわしにここで、映画を通して芸術の在り方を教えてくれたんじゃ。ここで見た洗練された映画で、わしの芸術観が生まれたんじゃ。いうなれば、ここはわしの原点なんじゃよ。それに、あれは元々先代のものじゃ。先代は先を見越して、わしにあれを預けたんじゃろう」

 じいさんはそう言って、主人の肩を叩いた。

「おじさん、ありがとうございます。ここから発信したものが、新たな芸術を生むかもしれないのですね」

 主人は全てを受け入れ、新しい芸術の発信の母体となる映画館の建設に向けて動き出した。


 一年後、じいさん宅に新しい新星劇場のオープング上映会の案内が届いた。僕たち家族は、揃って長野に向かった。


 駅前はずいぶん様子が変わった。芝生の公園の中に、それはあった。

「これは!」、じいさんは驚いた表情を見せた。

 すると、公園の隅から館主が現れた。

「おじさん、驚いたでしょう」、館主が言った。

「あの絵が再現されておるわい」、じいさんは驚いた表情のまま言った。

「そうです。赤ん坊のころからおじさんの描いたあの絵を見てきて、新築するならあれを再現しようと決めてたんです」

 それは、何だか懐かしく趣きのあるレトロな雰囲気のある外観で、入り口の扉の上には赤いネオンサインで「新星劇場」と綴られていた。芝生で敷き詰められた公園内の一角には、大きな回転式ブランコやメリーゴーランド、小さな観覧車まであり、まるで何かの映画で見たファンタジックな移動遊園地である。また、劇場の隣にはオープンテラスのフードコートがあり、芝生にシートを敷いてピクニックもできる。

「ステキー!」

 バンダナが芝生を駆け回った。僕もバンダナを追いかけて、はしゃぎ回った。

「まぁ、なんて素敵な映画館なんでしょう」、おばあさんの顔がほころんだ。

「夏の夜には、野外上映も出来るんです」、館主が言った。

「これらのアイデアは、おじさんの絵から拝借しました」、主人はニコニコしながら言った。

 劇場に入ると真正面にその絵があった。昔、じいさんが描いて先代の館主に贈ったものだ。そこには、色鮮やか色彩で描かれた、公園の中にある小さな映画館と、小さな遊園地があり、たくさんの人たちで賑わっていた。

 そこへ見覚えのある老人がやってきた。

「安田さん!来てくださったんですね」、館主が手を差し出して深々と頭を下げた。

「おじさん、安田さんのおかげで世界中の映画のフィルムを借りれることになったんです。それから、新しく映写機も映写室の設計も、安田さんのお世話になったんです」、館主は興奮気味で言葉を走らせた。

 劇場内はどこもかしこも真新しくはあったが、豪華なフカフカの椅子などの最新式の映画館ではなく、やはり長椅子の古い映画館のスタイルだった。観客席の前半分には赤いカーペットが敷かれ、丸や四角のクッションが転がり、寝転んで映画を鑑賞できる。上映時間が近づくとお客さんが次々と入ってきた。


 オープニングセレモニーとして、あの小津監督の短編映画「カボチヤ」が上映された。じいさんとおばあさん、安田のじいさんは長椅子に並んで座った。三人とも子供のように目をキラキラさせてスクリーンを見ていた。


「よっ!待ってました!」上映が始まると、満員の会場からかけ声と拍手が起こった。都会の映画館の静かな様子はなく、場内のあちこちから「いいねー」だの、「泣けるなー」など、感想が聞こえてくる。

「映画館はこうでなくちゃ。誰もが自分の楽しみ方で自由に映画を鑑賞すればよい」、じいさんはうなづきながらそう言った。


 オープン上映会は、老若男女誰もが楽しめるラインナップになっている。午前の部は、旧ソ連のSF「不思議惑星キン・ザ・ザ」、フランスからジャック・タチの「プレイタイム」。昼の部は、ドイツのファンダジー「ツバル」、アメリカの「夢のチョコレート工場」、短編映画の名作「赤い風船」。夜の部は、小津安二郎「浮草」、黒澤明「用心棒」。じいさん曰く、見事なラインナップということだ。

 

 オープン記念の上映会は終わり、夜になると公園のテラスでパーティーが開かれた。集まったのは関係者と近所の映画好きの人たち、何処からかやって来た若者たちだった。。


「テクニカラーの映像はいつ見ても素晴らしい」、じいさんが言った。

「テクニカラーって何ですか?」ひとりの若者が尋ねた。

「モノクロからフルカラーに移行する前に取り入れられた人工的なカラー技術だよ」、館主が答えた。

「レンズに入った光をプリズムで赤、青、黄色の三原色に分解し、それぞれをモノクロフィルムに焼き付けるんだ。赤のフィルムは赤く、青のフィルムは青色、黄色のフィルムは黄色に染料で着色する。それら三本のフィルムを同時にスクリーンの投影するとカラー映像が出来上がるってわけだ」安田のじいさんが説明を付け加えた。

「人工的ではあるが、フルカラーよりも奇抜な色彩、絵画でいうとマティスのフォーヴィスム的な色彩じゃな。さっき見た『夢のチョコレート工場』と『白い風船』は、何処か色が違っていたじゃろ」、じいさんが言った。

「あれがテクニカラーなんですね」、若者が答えた。

「この館で、『テクニカラー祭り』なんて企画も考えてるんですよ」、館主が言うと、

「僕、絶対見に来ます」と、若者が立ち上がって答えた。

 若者は鞄からノートとペンを取り出し、熱心にメモを取り始めた。

「アグフアカラーもいいのー」、じいさんが言った。

「それなら知ってます。僕、写真をやってるんですよ。アグフアフィルムを愛用してたんですけど、なくなっちゃって残念です。でも、映画にも使われてたなんて驚きでした」、若者が言った。

「アグフアの赤色のファンは世界中にいますからね」、館主が言った。

「アグフアカラーは浮世絵のようじゃ。中間色のレトロな色彩と原色の鮮やかさの対比が素晴らしい」、じいさんは言った。

「最後の『用心棒』のモノクロも素晴らしいです。これまでカラー写真ばっかりだったんですけど、モノクロもやってみようかと思いました」、若者が言った。

「『用心棒』は宮川さんの映像美ですね」、館主が言った。

「若いの、『銀残し』って知っとるかね」安田のじいさんが若者に尋ねた。

「はい、スキップブリーチとかブリーチ・バイパスって言われるやつですね。現像液で処理した後、漂白処理を行わないで銀粒子を残すと、コントラストが上がり彩度を落とした像になるんですよね」、若者が説明した。

「セブンやプライベート・ライアンで使われてますね」、館主が付け加えた。

「そいつを発明したのが名カメラマン宮川一夫先生だ」、安田のじいさんが言った。

「えーっ!そうなんですか」、若者が驚いて言った。

「小津監督の『浮草』も宮川さんですよね」、館主が言った。

「赤いヤカンは、ちとやり過ぎじゃがな」、じいさんが言うと、周りでどっと笑いが起こった。

 眠っているバンダナの横で、僕はみんなの映画論の会話を聞いていた。このまま朝方までパーティーは続いた。映画ファンは勿論、映画監督を志す若者や、画家にミュージシャン、若者も年寄りも独自の芸術論を語り、お互いの美学を賞賛していた。インターネットやメディアの普及により、二十世紀に死んだと言われた芸術は、今でも多くの人々の中に生きている。


 ここはいずれ芸術の発信基地になるだろうと、誰もが実感していた。

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