第3章

第三章「犬と猫」


 犬が吠えている。暖かな陽射しの下、公園のベンチで僕の昼寝の邪魔をする奴がいる。まったく、犬なんて獣は主人には従順にしているが、気に食わない奴がいるとすぐに吠えまくる。縦社会の奴らはなんて下品なんだろうか。その点、猫はただ品良く振舞い、他人を尊重する自由な生き物だ。そっと薄眼を開けて騒音の主を見た。しかし、よく聞いてみると吠えているのではないようだ。人間社会の一般的犬言語の「ワン」ではなく、人間の言葉として僕には伝わった。

「ニセモノめ!起きろ!ニセ猫!」

「ねぇ君、人間の言葉がわかるの?」

「あなたバカ? 人間に育てられた人間の子は、人間の言葉を理解できるのよ。犬だって猫だって、人間に育てられたら人間の言葉がわかるに決まってるじゃないの」と犬は答えた。

「でも、犬は人間の言葉を話せないし、ニャンとは言わないじゃないか」と反論した。

「それは骨格とか筋肉とか体の構造そのものの問題よ」

「ってことは、君は人間だったのかい?  何だ、君だってニセモノじゃないか!」、彼女は答えなかった。

「どうして人間をやめたの? どうして犬を選んだの? 」、僕は彼女に質問を浴びせた。

「少なくとも、私はあなたみたいに逃げ出したわけじゃないわ。自由を求めたのよ。私はイヌ科の一匹狼になったのよ」


 隣のベンチには、いつの間にかピカソのじいさんが座っていた。

「現代の社会では似通った暮らしぶりの者同士が集団を築いて、別の集団を卑下しながら暮らしている。どこまでもいじめは無くならん。ちょっとでもミスをしようものなら、すぐさま揚げ足を取りにかかる。戦争や民族抗争、宗教争い、人種差別。人間は醜いのぉ。お前たちは種を超えて仲良くやっているんじゃな。いいことじゃ。なんと美しいことじゃ」と呟いた。


 一瞬の沈黙の後、犬は頷いて答えた。

「ワン!」

その後、僕も頷いて「ニャー!」と答えた。

 そして、じいさんの持っていたシャケ弁当を一人と二匹で分け合い、永遠の平和を誓った。


一週間後。


「どう? 似合う?」

 この数日、彼女はそればかりだ。人間の住むこの町では、野良猫は自由に暮らせるが、野良犬はそうはいかない。首輪の無い犬が行き来しようものなら、たちまち役人がやってきて檻に入れられ、数日後に駆除されてしまう。おばあさんは「そんなことになると可哀想だ」と、ピカソじいさんに訴えかけ、とりあえずはじいさん家の飼い犬ということにしておこう、と、首輪を付けようとしたのだが、自由主義の彼女はそれを拒んだ。おばあさんはそれならば、と、赤いバンダナを持ち出してきて、首輪代わりに彼女の首に巻いたのだ。これは彼女も気に入って、以来、毎日僕に見せつけるのだ。やはり女の子なんだなぁ。これがバンダナ犬誕生の経緯なのだ。そういえば、じいさんの家にあったあの写真にもバンダナを巻いた犬が写っていたっけ。一週間にして、僕の役割は犬に奪われてしまった。

 実はそのとき、僕にも小さな鈴の付いたリボンを付けられたのだが、これがまぁ、歩く度にチリン、止まる度にチリン、少しでも動くとチリンチリンと鈴が鳴るわけだ。その度にざまぁ見ろ、と言わんばかりにバンダナがクスクス笑うので、柱の出っ張った釘に引っ掛けて引きちぎってやった。それ以来、おばあさんは鈴を持って僕を追いかけまわすのだ。しばらくはおばあさんの膝もお預けで、バンダナのファッションショーに付き合わされている、というわけである。


 女は見せるのが好きであり、男は見られるのが嫌いである。

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