入学試験 その1

 曰く、あの年の試験は最悪だった。曰く、あれは幾ら何でもやり過ぎじゃないか。後にそう語られることになる、西暦2037年の東京ダンジョン学園入学試験。

 そしてそう語ったのは誰でもない、当の本人である教員達だ。


 ダンジョン攻略にイレギュラーは付き物。むしろ無い事の方が珍しいくらい。その度に不愉快な気分になる。不意な遭遇戦などその最たるものだろう。

 だが、その逆となると実に愉快ということに気づいてしまった25の冬。鬼嶋幽々子は頬を紅潮させながら必死に笑いを堪えようとし、それでも耐えきれず口元を押さえながら声を漏らしていた。

 ダンジョンの中を進む少年少女達の、後ろ姿を見送りながら吐き出す息は熱を帯びていく。これからのことを考えると楽しみでしょうがなかった。

 来年はうちの学園に来て教員をやってくれないか?と言われた時は全身全霊をもって断りたかった。そう頼んできたのが学園長である赤土朱夏でなければ確実に断っていたことだろう。


 しかし、案外自分は教師に向いていたのかもしれない、そんなことを考え始めた幽々子はようやく笑いを収め静かに呟く。


「さて、イレギュラーを起こしましょうか」


 |幽鬼の支配者(ファントムロード)の異名で同僚からも恐れられる彼女の力。それはその異名通りのアビリティ故にである。


「出なさいファントム」


 その言葉とともに現れるは人の形をした影のような物体。その数総勢30体、そしてその手に持つは体と同じ黒い剣。受験生の数に比べれば30体なんて大した数ではない、だが一体ごとの強さは攻略者の卵にすらなっていない彼らとは段違いだろう。

 幽々子は獲物を狙う猛禽類を思わせるほどに鋭く目を細め、短く命令する。さぁ狩りの時間だ、と。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「あっ!近くにモンスターいるっぽい」


 ゲートをくぐってひたすら真っ直ぐ進んでいた俺達は、柑菜の声とともに立ち止まり身構える。

 感知系のアビリティに優れる柑菜がいてくれたのは幸いだった。本人曰く15m以内に敵がいれば頭に警告音が響き、大体の位置が把握できるらしい。

 右斜め前にある高さのあまりない茂みを柑菜は指差している。


 初のモンスターとの遭遇、大丈夫モンスターと戦うことなんてずっと前から想定している。何も問題はない、冷静にただ落ち着いて状況判断を下し倒せばいい。俺達には戦う術がある、モンスターなど恐るるに足らない。

 それ故に、次の瞬間柑菜の口から放たれた言葉に俺は絶句した。


「真くん、あの……武器は出さなくていいの?」


 冷静に、とにかく冷静に努めようと必死に言い聞かせているということはつまり、自分が平静を保てていないという事の裏返しでもある。モンスターの支配する領域であるダンジョンでなんの得物も持たずに攻略などあり得ない。ダンジョン攻略は子供の遠足ではないないのだ。

 この試験に熱を入れすぎたために気負っていたことをようやく理解し、ほんの少しだけ肩の力が抜けたようだ。


「すまん、忘れてた」


 この2人の前で今更強がる必要もない。素直に謝罪し、気を取り直して武器を出すとしよう。


「【|武器具現化(ウェポンエンボディ)】エクスカリバー!」


 俺の持つアビリティでもある武器の具現化。そのアビリティは言葉の通り頭でイメージした武器を、自身の魔力により具現化するというもの。

 アビリティの系統的に言えば、ダンジョン攻略をサポートするための鍛治師達のように、素材から武器や防具を作る彼らに似てる。しかし武器を状況に合わせ作り出せるという利点は大きいだろう。しかも性能向上や属性付与をできる分相当に使い勝手はいいはずだ。


 そして俺は頭の中で強く、かつできるだけ鮮明にイメージを膨らませる。

 エクスカリバー、アーサー王が抜いたとされる伝説の剣、刀身は傷一つなく洗練され、青と金に輝く装飾の施された柄。


 5年前の能力調査の折に、自身のアビリティが武器を具現化できる能力だと知った際、最初に思い浮かんだのがこの剣だ。そもそも実物など存在しないので完全なオリジナルだが、それでもやはりエクスカリバーと命名しよう。


 見る見るうちに魔力の光が収束していき、光は剣を形作っていく。そして突き出している俺の両手にズシリとした重みが加わる。

 この日のためにイメージトレーニングを重ねただけあって、見た目についてはほぼ完璧な仕上がりと言ってもいいだろう。


「よし行くか」


 今更ながら戦闘準備を整え見据えるは前方の草むら。ファイヤボールなどの遠距離魔法を使えるものがいれば、ファイヤボールで先制を仕掛けたいところ。しかし3人の中で一般にソーサラーと呼ばれる魔法攻撃を主としたタイプはいない。

 防御力を上げ敵を引きつけるパーティの盾となる東、その間に武器を振るいモンスターを倒す俺、敵の感知や味方の強化などの支援を行う柑菜。それが今の俺たちの全戦力なのでこればかりは仕方がない。

 成果がなかったとはいえ、無い物ねだりは先ほど済ませた。であればこそ、今ある戦力を最大限活かしてこの試験を乗り切るしかない。


 準備はいいかと問うような視線を後ろにいる俺と柑菜に送った健悟へと力強く頷くことでもって返す。

 戦闘に入るタイミングは東に一任している。それが前衛の役目であり、義務でもある。

 なんせ前衛が先頭で敵を引きつけなければパーティは機能不全を起こす。前衛も後衛もあったもんじゃなくなる。

 そう、つまり前衛の役目は誰よりも目立て、ということに他ならない。そしてその点について健悟は誰よりも適任だろう。


「アビリティ発動、ディフェンシブスタイルッ!ほら出てこいモンスター!」


「出たっ、これがゴブリンだな。初めての肩慣らしには丁度いい」


 背丈100cmほどの土で汚れた緑色の肌、体つきは子供のよう、写真でしか見たことのないモンスターだが一目でわかる。これがゴブリンだ。

 健悟の怒声に驚き草むらから飛び出すように出てきたゴブリンは3体。それが奇声を発しながら一番近くの健悟へと殺到する。


「そうだっ!俺に攻撃してこい雑魚ども」


 明確な殺意を持って殺到するゴブリンだが、健悟は一切怯むことなく正面を向き立ちはだかる。

 相変わらず大した胆力だ。こいつの何物にも動じない姿勢は是非とも見習いたいものだ。


 流石に体が震えることはないが、静かに息を吐き力の入りすぎている両手の力を抜く。そして全力で駆け出す。もう戦いは始まっているのだ。


 まずは一番右のやつを仕留める。

 剣を振り上げゴブリンに近づき名一杯の力で振り下ろす。


 それは初めての感触だった。

 包丁で肉を切るときのような感覚ではなく、例えるならば、包丁で豆腐でも切るかのような抵抗の少ない滑らかな切り心地。


 つまりだ、この剣の切れ味は恐ろしく鋭いということだろう。

 勢い余って深々と地面に突き刺さる剣を見ながら、そんなことすら考える余裕があるほどだ。


 一瞬の間を置いてちらりと前を向くと、未だ2体のゴブリンが健悟に素手や噛み付きで襲っている。

 完全に敵の目は健悟にいっている。これならやれる。

 ついつい口元が釣り上がり笑みをこぼしてしまったが、この切れ味を知れば誰だってそうなるに違いない。それほどまでに想像を超えて素晴らしかった。

 しかし、ありがたいことだ、見掛け倒して切れ味が貧弱だったなんて言われてしまえば、試験の評価はかなり低くなってしまうところだった。これなら最低でも及第点はいただけるはずだ。後は使い手、つまりは俺次第ということだろう。


 冷静かつ的確にモンスターを駆除する。それが試験合格の必要条件だろう。

 地面に刺さったままの剣を持ち上げ再び駆け出す。今度は突きを試したいところだ、しかもご丁寧なことにゴブリン2体が、丁度横並びになってくれている。


 狙いを定めて一突、我ながら天晴れな一突だ。俺の剣がゴブリンに気付かせる暇もなく2体の横っ腹を貫く。

 そして動きを止めたゴブリンは光の粒子へと変わり、光の粒子は風に乗って消えていく。


「ふぅ、やったな」


 初のモンスター討伐達成で思わず全員から嘆息が漏れる。最弱に数えられるモンスターといえど、明確な殺意を向けられれば緊張の一つでもして当然ということだろう。


「よしっ、先へ進もう」


 少し休憩でもして落ち着きたいところだが、2時間という制限時間もある。ゴブリン相手にいちいち休憩していては、間に合わなくなるかもしれない。それに、どこから監視して採点しているかは知らないが、そんな姿を見せるわけにもいかない。

 そんなことを考えていると、隣から羨ましげな視線を送る健悟と目が合う。


「それにしても今の攻撃凄かったな。あぁその剣いいなぁ」


「でも健悟だって剣と盾借りてるだろ」


「いやいや、この剣なまくらもいいとこだぜ。良くて鈍器扱いだな」


 試験前に貸し出された剣を数度振り肩をすくめる健悟。確かにゴブリン相手に致命傷を与えられなかったところをみれば、なかなかどうしてなまくらなのだろう。

 無いよりはマシだがなと続ける健悟の声にいつもの覇気はなかった。


「まぁ、攻略者になればいくらでもいい剣を使えるようにもなるだろ。そのためにも合格しないとな」


「わーってる、わーってる。ゴブリンすら倒せないなら俺はこっちで見せ場を作らせてもらうよ」


 そう言って健悟が持ち上げたのはもう片方の手にある盾。前衛職の本分ともいうべきパーティーの盾役というところを理解しているのであれば、俺からあれこれ言う必要もないだろう。自分の役割を理解しそれに徹することも大事なチームワークなのだ。


 その後もそのチームワークを見事に発揮し進む。柑奈が敵を見つけ健悟が敵を誘き出し俺が倒す。という風に、ほぼ完璧と言ってもいい連携で順調に進んでいた。

 慣れてきたというにはプロからすればおこがましいレベルだろうが、ゴブリン相手であればかなり上手く捌けるようになってきた。

 そんな少しばかりの自信を持ち始めた頃、付近にいる他の受験生達の悲鳴に近い叫びが、前後左右からほぼ同時に響き渡る。


「ゴブリンか?」


 最初に口を開いたのは健悟だが、その言葉には疑問符がついていたことだろう。

 他の受験生達もここまで数度戦闘をしているはず、それがゴブリン相手でこんな混乱しきった悲鳴をあげる可能性は少ない。であるならばそれ以外の手強いモンスターに襲われた可能性がある。

 一階層にいるモンスターはゴブリン、もしくはオーガと呼ばれる巨体を持つモンスターだろう。


 ……いや、オーガなのか?

 ……例のあいつがまた現れた可能性も。


 うろ覚えながら思い出したのは5年前に現れたイレギュラー。遥か下層からゴブリンとは比べ物にならないような、強力なモンスターが現れるないと言い切れる保証などどこにもない。


 嫌悪、恐怖、憎悪。様々な感情が胸の奥でぐちゃぐちゃに混ざり合う。

 一瞬胃から込み上げてくるものを辺りにぶちまけそうになるが、なんとか飲み込み目元を拭う。

 トラウマとは簡単に克服できないからこそ、トラウマと言うのだろう。

 5年前に現れたイレギュラーにより辺り一面真っ赤に染めた草原の光景を、今だけは必死に頭の隅に追いやらねばならない。

 状況もわからず立ち止まる事なんて愚の骨頂だ。奴が現れたなら即時退却、プロの攻略者でもある試験官に任せるしかないのだ。


「柑奈っ!近くに敵は?」


「えっ、えーっと多分いない……かな。うん」


 しかし柑奈の答えはあやふや。感知系に多少優れているとはいえ、その精度はお粗末そのもの。モンスターの数や位置がずれている事が何度もあったくらいだ。

 これならわざわざ俺が試験の邪魔をしなくても落ちる可能性が高い。


「おいっ!あれじゃねぇか?あの黒い奴」


 健悟が指差しているのは前方で戦いを繰り広げる受験生達。

 黒い奴と言われ一瞬肝を冷やしたが、あれではない。ただしゴブリンでもオーガでもないようだ。

 例えるならば影で出来た兵士と言ったところか。しかし単体ながらかなり強いモンスターのようだ、一対四という状況でも前にいる受験生諸君の戦況はお世辞にも優勢とはいえない。


「加勢したほうがいいかなぁ?」


 躊躇いがちに尋ねてくる柑奈は相変わらずお優しいこと。流石は孤児院で子供達から一番好かれている柑奈だ。

 それに右を見ればもう一人も何か言いたげな視線を送ってくる。もちろん聞かずともわかる、さっさと助けに行こう、だろう。

 俺だって彼らを放っておくつもりはない、こんなところで5年前の再現をやる気は毛頭ない。ここで逃げるくらいならダンジョン攻略者を目指した意味がない。


「わかってる、行くぞ。敵は一体、奇襲して後ろから一撃で仕留める」


 そう言うや否や健悟は前方で戦う受験生達向け駆け出している。

 健悟が正面からの囮役、そして俺が背後から仕留める。既に確立されつつある俺たちの必勝パターン。


 声を張り迫る健悟に敵の視線が、と言っても目が何処にあるかわからないが、おそらく目があるであろう場所が健悟へと向けられる。

 その隙に俺はさらに加速し敵の背後を取ることに成功する。奇襲チャンスは一回こっきり。

 短く息を吐き出し急加速、完璧な奇襲のタイミングで剣を振り下ろす。


 だがしかし、影の兵士は完璧な奇襲すら対応してみせる。まるで後ろにも目がついてるかのような、一瞬の振り返りと同時に剣でのガード。

 一瞬肝を冷やしかけるその反射の速さだが、今更止めるわけにもいかない。勢いそのままに俺はさらに剣に力を込め振り切る。


 結果としてはまさに一刀両断のそれ。剣ごと胴体を縦に両断することに成功したようだ。

 そして影の兵士はというと、霧のように霧散して消えている。


「ナイス真司!お見事」


 健悟や他の受験者達は目を挙げての喝采。それだけの強敵だったということもあるが、何故か違和感がある。

 何かゴブリン達とはあからさまに違うもの。強さとかそういうものではなく、何か根本的に違うものがあった気がする。


 違和感の正体に気付けそうで気付けないもどかしさはあるが、健悟が次はあっちだと既に駆け出しているのでそこで一旦思考を止める。


 そして再び影の兵士を引きつけようと健悟が声を張り接敵する。しかし健悟に一瞥もくれず影の兵士はあろうことか、俺目掛け飛び込んでくる。

 2度目は通じんよ、表情などわかるはずもないが、そう言ってるのではないかと錯覚を覚えるほどだ。


 完璧な奇襲のタイミングを外され、逆に奇襲を受ける形、不味い非常に不味い。現在進行形で必死に剣を振り下ろしているが、一瞬間に合わない。


「やばっ、死んだ」


 そして鳩尾に強烈な突きを食らう。吹き飛ばされ転がり、息すらできない強烈な痛み。痛みにより辛うじて意識ははっきりしているが、腹を抑えうずくまるのが精一杯、立ち上がろうとするのも酷く億劫だ。


 だが不思議なことに自分は生きていた。今頃剣で串刺しになり致命傷を負っているはずが、激痛で涙目になっているだけで済んでいるのは奇跡的と言ってもいいはず。


 ……いや、奇跡じゃないのかもしれない。


 再び募る違和感の塊。なんとか顔をあげれば影の兵士は受験者を殺さず無力化していく。先ほど感じた違和感、今まで聞いていたモンスターとの差異。


 ……あぁ、なるほど。

 そういえばこれは試験だったな。

 忘れていたつもりはなかったけど、なるほどそういうことであれば全て説明がつく。


 とはいっても今更気づいたところで遅かった。このダメージじゃしばらくまともに動けそうにない。

 あぁ、万策尽きたか……。

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