十年ぶりの再会

第2話 十年ぶりの再会

「ウィル、ごめんなさい。朝ご飯はテーブルに置いてるけど、お昼は自分で食べてもらえる?」

 テーブルの上にサラダを置くと、薄紫の髪の女性は身につけていた薄桃色でフリルのついた可愛らしいエプロンを急いで外す。そのエプロンを木製の食卓の椅子の背もたれに掛けると、居間に用意してあった真っ白のコートを着込み始めた。

 彼女とそっくりな顔の弟は寝間着のまま顔を出す。そして、大慌ての姉を見て苦笑した。

「大丈夫だよ、姉さん。今日は調子が良いし、気にしないで行っておいでよ。今日は、騎士団に呼ばれているんでしょう?早く行かないと」

 優しくそう言う弟に、姉は心配そうな顔をする。

 弟の顔を見る。まるで自分を見ているかのように良く似ている弟だが、身体は彼女より華奢ではかなげな印象だ。彼女の弟は長年の病気を患っている。同じ病であった母は既に帰らぬ人となっていた。とても元気な人だっただけに、今でもその事実は信じられない思いがあったが、それが現実なのである。

 自分の健康をわけてあげたいくらいだが、それは叶わぬ事である。

 だけど今日は確かに本人が言うとおり、調子は悪くないようだ。

「ええ、そうみたいね。だけど無理しちゃ駄目よ?」

「うん、姉さんも気をつけて」

 心配する姉に、弟は優しく笑う。その穏やかな表情は彼女達の父親の表情によく似ていて、何故か安心してしまう力があった。

「……本当は早くお父さんが帰ってきてくれたら、もうちょっと安心なのだけれどね」

 彼女はため息をつく。出張がちの父親は、家を空けることが多い。

 病気の弟を抱える彼女にとって、家を空けることはとても心配な事であった。勿論、父親が息子の心配をしていない訳ではないのは百も承知なのだが、もう少し家に居て欲しいのは本音ではあった。

「まあ、仕方ないよ。父さん、忙しいんだから。ほら、早く行かないと遅れちゃうよ、アリア姉さん」

 心配性の姉の過度の心配癖が現れ始めて慌ててウィルは姉をせかす。こう言い始めたら、姉はどんどん心配を募らせる癖があった。

 遅れると言われて姉の方も、やっと自分の置かれている状況を思い出す。

「あ、いけない! じゃあ行ってきます!」

 アリアは慌てて鞄を手に取ると、玄関へ駆け出していく。

「いってらっしゃい」

 弟はそんな姉を温かく見送った。


 聖都レジンディア。魔法大国で世に名を馳せるラインノール王国の首都である。

 魔法大国と言われるだけあって、魔導関連の研究は他国を上回り、また腕の良い魔導師達も揃っていた。首都であるレジンディアだけでなく、第二都市のアルージャ等、大きな都市では魔導研究所が設けられ、その活動は活発だった。

 勿論、剣士達も存在するのだが、魔法も一緒に扱えるものも少なくはなかった。そのくらい魔法に馴染みのある国なのである。国や首都の防衛にあたる騎士団には武術に長けるものだけではなく、魔導師も擁するなど、国の一部が魔法で構成されているといっても良いほどだった。

 アリアの住む街は、その聖都レジンディアである。

 背中まである長い髪を振り乱して、アリアは全力疾走で街の中を走っていた。

 病気の弟を持つ身ではあるが、彼女そのものはいたって健康である。また、母親譲りの運動神経で、走る事は苦にもならない。

 革靴で石畳の道を駆ける。走るのが得意だといってもさすがにきついものがあるが、そんな悠長な事は言っていられなかった。

 今日は弟が言ったとおり、騎士団に招かれていたのだ。

 彼女の本職は騎士団とは別の所にあるのだが、この騎士団には彼女の幼馴染がいて、その人物から頼まれての招待だった。

 なんでも彼女のような力が必要だという話なのだが、詳しい話はまだ聞いていない。

ただ、この手の話は初めてではなかった。

 街の警備や治安維持に努める騎士団は、剣士や魔法使い等、色々な人材を取り揃えてはいるのだが、反面治癒に長けた人物は少なく、アリアのような神殿に勤める神官に応援の要請が来るのは珍しい事ではなかった。

 だが、これは騎士団と神殿が友好関係を結んでいるから出来る話である。そのような協力体系を遅刻で崩すわけにはいかなかった。

朝の冷たい風が全身を切るが、必死で走る彼女の身体はむしろ暑いくらいだった。

必死で走り、街の中央区に辿りつく。

 アリアは一旦、足を止めて辺りを見回す。確か、騎士団はこの辺りにあるはずだ。

剣のレリーフが特徴的な騎士団だ。見れば必ず分かるはずである。

 見落とさないように急ぎ足でアリアは目印を探す。

「あ、あったわ」

 荘厳な造りの建造物の前でアリアは足を止める。元は真っ白な石で作られたのだろう、今は風化して色もくすんできているが、その威厳に近い感覚は健在だ。また、掘り込まれたレリーフの剣や竜が貫禄をより一層かもし出していた。

「お、アリアちゃんや~。待っとったんやで」

 玄関に入ってすぐにアリアは呼び止められる。そこには気さくな笑顔の赤い髪の青年が立って手を振っていた。

 アリアはその人物を見て、ほっとした顔をする。時々、アリアの勤める神殿に顔を見せる青年だったからだ。

「ラウディさん、お久しぶりです。……もしかして、私を待っていたんですか?」

 彼が呼び止めただけでなく待っていたと言った事を思い出し、アリアは慌てる。早速、気を使わせてしまった。

 その様子を見て、彼はくすくすと笑った。

「ああ、エラン少佐から聞いとってな。迎えにいったろと思うて。アリアちゃんが来るのは俺達んトコなんや。宜しゅうな」

 明るい笑顔で彼はそう言うと手を差し伸べる。アリアはエランという名を聞いて納得し、その手を握り返し笑顔で返した。

 エランはアリアの幼馴染の名だ。二つ彼女より年上で、いつも兄のように親切にしてくれる優しい人である。騎士団に入ってからは数々の功績を上げて、若干二二歳にして少佐の地位を手に入れていた。今はこの街から離れ、第二都市のアルージャの騎士団で指揮をとっている。

「とりあえず、みんなを紹介するな。……まあ、総大将は新しい人やいうから俺らも知らんのやけど」

 にこにこと笑いながら話すラウディに連れられてアリアは騎士団本部の中を歩いていた。

 騎士団に来るのは初めてだから緊張をしていたのだが、ラウディの明るい話し声を聞いているうちに安心して来る。

 彼とはそこまで付き合いがある訳では無いのだが、懐っこい性格のためか神殿でも評判の良い人物だった。

 勿論、すれ違う騎士達は厳しい表情やたくましい人等、アリアが普段出会わない人達が行きかっている。ラウディが迎えに出ていてくれていなかったら、がちがちに緊張して固まってしまっていたかもしれなかった。

「なあ、アリアちゃんってエラン少佐の幼馴染やって聞いたけど……実は恋人やったりするんやないのん?」

 ふと思い出したようにラウディが笑いながら尋ねる。その言葉を聞いてアリアは慌てて手を振った。

「まさか! そんな事言ったらエランに失礼ですよ! 私は兄みたいに思っていますし……彼も妹としか思ってませんよ」

「そうなん? エラン少佐がえらい大事そうに言ってたから、そういう関係なんやと思ってたわ」

「だから違いますって!」

 ころころ笑いながらラウディはからかうような口調で言う。それをアリアは必死で否定するのだが、そんなアリアをラウディは楽しそうに見ていた。

 だが、アリアも何故彼がこういう事を言うのかは分かっていた。やはり緊張が隠せない彼女を気遣って、気持ちをほぐそうとしてくれているのだろう。そういう人だ。

「あ、ここや」

 長い廊下を進んだ突き当たりにある大きな扉の前でラウディは足を止める。他の部屋とは扉の造りが頑丈かつ立派な装飾が施してあった。その部屋が、他とは違い特別な部屋であることは部外者のアリアでも分かる。アリアはごくっと息を呑んだ。

「アリアちゃん、連れてきたで~」

 ラウディが扉を開けると中にいる人達に声をかける。ラウディに背中を押されるようにアリアは中に入る。

 中にはラウディと歳があまり変わらない…アリアよりは三つ四つ上であろう人達が大きなテーブルを囲うように置いてある椅子に座って待っていた。

 一人はラウディと同じ短髪で薄緑色の髪の青年。ぱっと見た感じ、切れのある瞳が剣士のような印象を与えた。もう一人は銀色の長い髪を一つに結い上げた女性で、少しきつい印象はあるものの綺麗な人だった。纏っている衣装は魔導師が好む黒色のローブであることから、彼女もその系統である事は容易に察しが付いた。

「初めまして。自分はセレスと言います。アリアさん、だったかな。宜しく」

 セレスと名乗った薄緑の髪の青年が席から立ち上がると、アリアの元に歩み寄り手を差し伸べた。アリアはその手をとって微笑む。

「初めまして、アリア=ウェルステッドです。宜しくお願いします」

 アリアの笑顔につられるようにセレスも微笑む。この中では一番騎士らしく切れ者で近寄り難い印象を持つ人物であったが、その微笑みは優しくアリアを安心させた。

「私はレシティア。レシィで良いよ。宜しく、アリア」

 次いで魔導師の女性がアリアに手を差し伸べる。アリアはその手をとって、軽く会釈する。レシティアと挨拶をし終えるとラウディが傍に寄ってきて、アリアにそっと耳打ちする。

 「アリアちゃん、レシィはめっちゃ気ぃ強いからいじめられんように気ぃつけえや」

 ラウディの言葉に気がついたレシティアが、キッとラウディを睨みつける。

「ラウ! 何、吹き込んでるんだ?」

「う、レシィ、地獄耳や! な、なんにも言うてへんよ!」

「い~や、何か言ってただろ。白状しろ!」

 レシティアの追求にラウディは視線をそらし、ごまかそうと努める。そんな彼の胸倉を掴みかかりそうな勢いでレシティアは追求した。

 突然目の前で喧嘩になり始めた二人にアリアはどうして良いか分からずオロオロする。だが、セレスは涼しい顔をしていた。

「気にしなくて良いよ。あの二人はいっつもああだからね。あれがあの二人の挨拶みたいなものだから」

「……はあ、そういうものですか」

 確かに言葉どおり、全然気にしていないセレスの言葉にアリアは釈然としないまま答える。だが、確かに二人とも言われてみれば楽しそうな雰囲気もあり、本気で喧嘩しているわけではないという事が分かり安心する。

 何だかんだ賑やかそうなメンバーである。この人達となら馴染めそうだと思った。

「えっと、これで全員なんですか?」

 アリアはセレスに尋ねる。応援を頼まれたとはいえ、アリアを含めて四人である。騎士団のチームとしては多いのか少ないのかは分からない。だが、アリアは先程のラウディの言葉を思い出していた。

 彼は、総大将は新しい人で自分達も知らないと言っていたような気がする。だか、ここにいる三人は顔馴染みで付き合いも長そうな印象だった。

 セレスはアリアの言葉に首を横に振る。

「いや、もう一人来るよ。これからこの部隊を指揮する事になるそうだ。名前は……何ていったかな」

 セレスがその名前を思い出そうとしている時、閉じていたはずの扉が開く。

 扉の向こうから一人の青年が入ってきた。2メートル近いのではないかと思われる背の高さが特徴的で、髪は栗色で長くゆるやかなウエーブを描いたくせ毛を後ろで束ねていた。

 その背の高さ以上に圧倒的だったのは纏っている雰囲気だった。重く威圧感を受けるもので、他人と一線を画しているような雰囲気であった。そしてその碧眼は冷たい色で彩られていた。

 纏ったその雰囲気の重さに皆が圧倒されている事も、その人物にとっては大して気にならないようで、ざっと見渡すと口を開いた。

「ラウディ=ヴォルケーノ。セレス=マイノルド。レシティア=ライアン。そして応援のアリア=ウェルステッド。全員揃っているな?」

 彼は一人一人の顔を見てから名前を呼ぶ。既にもう誰が誰であるのかは確認済みの様だ。名前を呼ばれた者は、その独特の威圧感に押されるように頷く。

 全員揃っている事を確認すると、彼は自分の名前を名乗った。

「今日から、指揮をさせてもらう事になったラディス=オーディンだ。ここに赴任して来たばかりだが宜しく頼む」

 ラディス=オーディン?

 その名前を聞いてアリアは思考が一瞬停止する。その名前は彼女がよく知っている名前だったのだ。

 だが、彼は彼女の名前を呼んだ時、表情一つ変わる事は無かった。

 同姓同名の人違いだというのだろうか。

 纏っている空気は別人のものである。彼はこんなに威圧的な人物ではなかった。

 だけど、髪の色も瞳の色も良く見れば似ている。

 確かめたい。そういう衝動にかられた。

 ラディスと名乗った人物は淡々と話を進める。

「折角集まって貰ったというのにすまないんだが、俺はこれから上層部に挨拶に行ってこないといけない。正式に動き出すのは明日からになると思う。作戦会議はこの部屋になるが、普段は別の部屋を用意してもらった。二階の南館の1号室だ。そこに皆の荷物は運ばせてある。今日の話は以上だ。もう解散してもらって構わない」

 そう言い終わるとラディスはくるっときびすを返すと、再び扉から出て行った。

 一言も喋らせないような威圧的な空気が解放されて、ラウディ達はため息をつく。

「……なんや、めっちゃ怖そうな上司やなあ。俺、上手くやれるか心配や」

 ラウディが漏らした言葉にセレスとレシティアも頷く。

 上司と部下の関係は信頼が一番大切である。まだ会って間もないが、威圧的な雰囲気を持っている人物が上司となると、なかなかやり辛い事は確かと言えた。

 アリアも緊張感が解けて、先程聞こうと思っていた事を思い出す。

 人違いなら人違いで納得した方が早い。

 アリアは扉を開けると、前方をスタスタと早足で去っていく背の高い人物の後を追った。

「ちょっと待って!」

 アリアの呼びかけに、早足で歩いていた人物は歩みを止める。そしてアリアの方へと振り返った。

「なんだ? さっきも言ったが俺はこれから挨拶に行かなきゃならないんだが」

 不愉快そうにラディスはアリアを見下ろした。

 近くに寄ってアリアはその身長の違いに圧倒される。アリアは小柄なので、彼とは頭二つ分ほど身長に差があるからだろう。元々ほとんどの男性は見上げているアリアだが、このくらいの身長差になると、別の意味でも威圧感が十分だった。

 思わずその威圧感に押されて黙りそうになったが、なんとかそれを抑えてアリアは彼を見上げた。そこには澄んだ緑の瞳に栗色の髪の青年の顔があった。

 やっぱり似ている。アリアはそう感じた。

 こんな威圧的な雰囲気を持つような人物では無かったし、アリアの名前を聞いたなら以前の彼ならもっと違う反応を示してくれるはずだ。

 だけどその顔はやっぱり見覚えがある気がした。もうあれから十年経っている。それだけ時間が経てば人は変わるのかもしれない。

 アリアは勇気を出して彼に尋ねた。

「……私が誰だか分かる?」

 その問いかけにラディスは不愉快そうな顔のまま答える。

「さっきちゃんと確認したはずだ。アリア=ウェルステッドだろう?」

 やっぱり別人だろうか。そんな思いがアリアの脳裏を過ぎる。彼女の知っている人物はこんな冷たい反応を返す人間じゃない。それでも、ちゃんとはっきりさせておきたかった。

「そうじゃなくて! 私よ、アリアよ! ……あなた、私の知っているラディスじゃないの?」

 アリアの悲痛な叫びに、ラディスは一瞬驚いた顔をしたが、また先程までの冷たい表情に戻る。

「……そのラディスだな。まさか覚えているとは思ってなかったよ」

 その回答にアリアは目を見張る。その答えは望んでいるようで望んではいなかった。

 あまりにも記憶の中の彼と違いすぎるから。昔のままの彼なら子供っぽい笑顔で微笑んでくれるはずだったから。

 だけど、その答えは望んでもいた。ずっと心配していたのだ。

「……今までどこに行ってたのよ! ずっと心配してたのよ?」

 悲しいのと嬉しいのとで泣きそうになるのを必死でこらえてアリアはそう叫んだ。

 だが、そんなアリアとは対照的にラディスは表情一つ変えなかった。

「……そんな事は俺の勝手だろう? 用はそれだけなんだな。じゃあな」

 そう冷たく言い放つと、ラディスはアリアを置いて再び歩き始める。

 だが、ふと思い出したように振り返った。

「アリア、『あの人』は元気か?」

 ラディスのいう『あの人』はアリアにもすぐに見当がついた。彼が『あの人』と言うなら一人しか当てはまる人物はいない。

「……元気よ。今は出張で出かけていてしばらく戻らないけど」

「そうか。ならいい」

 アリアの答えにラディスは頷くと、きびすを返し館内の奥へと消えていった。もう呼び止める気力も無くて、どうしたら良いのか分からない気持ちを持て余していた。悲しくて泣き出してしまいそうだった。

「……十年ぶりに再会した幼馴染に言う台詞がそれ?」

 やり切れない思いをどうしたら良いのか分からず、アリアはラディスが消えていった方向を悲しげに見つめる事しか出来なかった。



 あまりにも理不尽な幼馴染を見送ってから、アリアは再び元の部屋に戻った。中に居た三人は、ただならぬ彼女の様子に特に何も追求することは無く、これから色々と用事をする事になるであろう部屋に案内された。

 用意されていた仕事部屋は、5人で使う割には広く、南向きの窓があることから日差しも良くて快適に過ごせそうな場所だった。新しい部屋に騎士達はすっかり満足したようで、先程までの不安も無くなってしまったようだった。

 アリアは釈然とはしなかったが、広くて清潔な部屋をあてがわれた事には他の三人と同様の意見であったので一先ず不満は収まった。レシティアが同じ女性だからと色々と気遣ってくれ、アリアもだんだんと打ち解けてくる。

 午後からはしばらくこちらに在籍することになるため、必要な書類を提出したりして、朝早くに自由の身になったはずであったのに、気が付けば夕方まで騎士団本部に居座ってしまっていた。

 石造りの建物を夕日が赤く染め、アリアは夕焼けを見上げる。

 早く帰って夕食の支度をしないと。弟が待っている事を思って、アリアは足早にその場を後にしようとした。

「あれ、アリアじゃないか。今から帰りか?」

 聞き覚えのある声を聞いてアリアは振り返る。そこにはアリアの良く知っている人が立っていた。

 オールバックにした深い紫色の短い髪に、意志の強い金色の瞳、整った顔立ちは優しげな微笑を浮かべている。

「エラン! 帰っていたのね!」

 アリアにエランと呼ばれた人物はにっこりと頷く。

「ああ、ちょっと用事があってね」

「カーラちゃんが喜ぶわよ! ずっとあなたに会いたがっていたもの」

「カーラが? ふふ、あの子はいつまでたっても甘えっ子だな」

 妹が自分の帰りを楽しみにしていると聞いてエランは嬉しそうに笑う。エランの妹のカーラとアリアの弟のウィルは同い年で、その兄と姉の仲が良かった事から兄弟ぐるみで親しい関係だった。

「そういえばどうだった? 無理を言って来て貰ったけど……大丈夫そうかな?」

 エランはにこにことした笑顔のまま、アリアにそう尋ねる。アリアはその言葉にこっくりと頷いた。

「ええ、知っている人もいたし、良さそうな人ばかり。頑張れそうよ」

 そう答えてから、アリアは口をつぐんだ。あの人物の事を思い出したからだ。変わり果ててしまったあの人の事を。

 だが、アリアはふと気が付く。エランは騎士団の少佐に就任している。そして、この件をアリアに依頼してきた人物だ。……この事を知らない訳が無い。そう思ったらいてもたってもいられなくなった。

「ねえエラン、あなたラディスの事知っていたの?」

 大丈夫と答えた彼女にエランは安心していたのだが、急に彼女から怖い表情で追及されて困った顔をした。

「え? まあ知ってるけど、ラディ込みで頑張れそうじゃないのか?」

 エランはそう言いよどみながら、アリアから視線をそらした。

 ラディはラディスの愛称で、そう呼ぶ人はアリア以上に彼との付き合いが長いエランと彼の師だけである。

「やっぱり知っていたのね! どうして教えてくれなかったの?」

 アリアは物凄い剣幕でエランに追求する。先程、ラディスに感じた怒りがエランへの八つ当たりに転じてしまったようだ。一方のエランは、どうやら思惑と違った事が起きた事に気が付いて困った顔をした。

「……いや、どうせ同じ仕事に就く事が決まったから偶然の再会も面白いんじゃないかなって思ったんだけど。……何かまずい事でも起きた?」

 それを聞いてアリアはさらに怖い顔になる。やっぱりエランは分かっていてこの再会を提供したらしい。それは、いかにもエランがやりそうな事でもあったけれど、結果が結果だっただけに腹立たしかった。

「だって私の名前を知ってても、おまけに顔を見ても顔色一つ変えやしないし、挙句の果てに私がラディスかって聞いたら『覚えているとは思わなかった』とか言うのよ? そして唯一聞いてきたのはお父さんの事だけだし! 私が今までどれだけ心配したと思っているのよ、あの馬鹿!」

 積もり積もった怒りが思いっきりエランに向けて放たれる。八つ当たりも良い所だと分かっているのだが、幼馴染である彼には甘えもあって言いやすいのも確かだ。

 困った顔でアリアの話を聞いていたエランだったが、話の内容を聞いて大体の状況が分かったらしい。

 一通りの文句を言い終えて肩を落とすアリアに、エランも溜息をついた。

「……そりゃ怒りたくなるなあ」

 エランも勿論ラディスの変化は分かっているのだが、そこまで酷い状況に陥るとは思っていなかった。ラディスはお世辞にも自分の気持ちを伝えるのが上手いとは言えないのだが、これはさすがに相手の神経を逆なでするだけだろう。

「悪かったよ、アリア。俺からもラディちゃんと言っておくから」

 優しくエランになだめられて、アリアは俯いてしまう。

「ご……ごめんなさい。エランは全然関係ないのに……」

 本当にいつまでたっても兄の様にエランに甘えてしまう自分にアリアは自己嫌悪に陥る。いつまでも甘えている訳にはいかないのに。

 だが、エランは気にしていないよ、と笑うと、アリアの頭を軽く撫でた。

「俺こそ内緒にしていて悪かったよ。それより帰る途中だろう? 引き止めてごめんな。カーラが居たら、今夜には家に戻るからって伝えておいてくれると嬉しいよ」

「ええ、分かったわ。カーラちゃんにはちゃんと伝えておく」

 兄に諭された妹のようにアリアはこくりと頷いた。アリアとエランの関係は昔からこんな感じだ。駄目だと分かっていても、甘えてしまう相手。

 アリアが大分元気になったのを見てエランも安心した顔になる。そして、手を振ると再び騎士団の本部の中に消えていった。

 アリアはエランを見送ってから家路についた。


 早足で家に戻ると、自宅からは良い匂いがしていた。

「ただいま」

 玄関を開けて、その足でキッチンを覗く。

 そこにはシチュー鍋の様子を見ている弟と、その近くに濃い紫色をした短い髪の女の子がいた。彼女はアリアに気がつくとにっこりと笑った。

「あ、アリアさん。おかえりなさーい!」

「あら、カーラちゃん。いらっしゃい」

 アリアも笑顔で応える。カーラがこの時間帯に家に居ることはそう珍しい事ではなかった。

「いらっしゃいじゃないよ。また、夕食目当てで来てるんだから。しかも家に戻ってからも食べるって言うし……どんな胃袋なのか不思議だよ」

 シチュー鍋を見ていたウィルが呆れた顔でカーラを見つめる。それを見てカーラはぷーっと膨れた。

「良いじゃない、遊びに来たんだから!」

 そのやり取りを見ながらアリアはくすくすと笑う。

 病気で家にほとんど引きこもったままの弟を心配して、学校が終わってからカーラはほぼ毎日ウィルの所へやって来て、その日一日何があったとか、教わった授業のノートを貸したりしてくれていた。

 弟もそれには感謝しているのだが、自分より遥かに食欲旺盛な幼馴染の女の子に戸惑っているのも確からしい。

 それでも一五歳という微妙な年頃で、性別の違いがあるにも関わらず、幼い頃と変わらない仲でいられるのは素敵な事だとアリアは感じていた。

 今日はあまり面白くない事があったけれど、やっぱり自宅は落ち着く。心が和む思いがした。

「あ、カーラちゃん。今日エランに会ってね、夜にはおうちに戻るそうよ」

 アリアは先程のエランの伝言を思い出してカーラに伝える。妹がアリアの家に居る事はエランからすれば予想済みだったのだろう。

 その伝言を聞いたカーラは満面の笑みになる。

「本当? 兄さんが帰ってくるんだ! 楽しみ~!」

 嬉しそうにはしゃぐカーラにウィルは冷たい視線を送る。

「……カーラは本当にお兄さんっ子だよなあ」

 それを聞いてカーラがすぐさま反発する。

「それを言うならウィルだって十分お姉さんっ子じゃないか!」

「な……!そんなことないって!」

「そんなことある!」

 すぐにまたわいわいと賑やかになる我が家。家の暖かな雰囲気にアリアはほっとしたのだった。



 辺りは真っ暗であった。夜の闇で小さなランプの明かりが唯一辺りを見渡す術だった。

 その暗闇の一角に光の零れる部屋があった。その部屋の中では一人の青年がランプの光を頼りに、書類に目を通していた。

 黙々と作業を進める彼の部屋にノックする音が聞こえ、顔を上げた。

「どうぞ」

 簡潔にそう言う。それに答えるように扉が開く。そして紫の髪の青年が入ってきた。

「やあ、ラディ。ここの居心地はどうだい?」

 にこやかに青年は微笑みかける。彼は、相手を見てからため息をついた。

「……なんだ、エランか。さして問題はねえよ」

 気の無い返事にエランはやれやれという顔をする。エランはラディスのいる机の近くの椅子を見つけると、そこに腰を掛けた。

 「やれやれ、気の無い返事だね。せっかくちゃんと人選もしてあげたっていうのに。ラウディはスパイや工作活動、セレスは剣、レシティアは呪術に長け、全員魔法を得意とした優秀な人材だよ」

 そこまで言うと、エランは楽しそうに笑う。

「それに外部からの助っ人の腕も俺は保障するけどな?」

 にこにことラディスの反応を楽しむかのようにエランは見ている。その視線にラディスは苦い顔をした。まあ、なんとなく予想はしていたのだが。

「……ああ、アリアだろ。名簿見たときはさすがに驚いたよ。あの小さなアリアがあんなに大きくなったんだなって。……母親に瓜二つになっているな。気性もなんとなく似ている気がするし」

 ラディスはエランの視線を避けるように目をつぶって軽く首を振った。やはり、この幼馴染は自分を驚かそうと企んでいたのだと改めて思ったからだ。

「なんだ、やっぱり驚いたのか」

「……驚かない訳ねえだろ」

 エランが楽しそうに笑う。それにラディスは苦い顔でそう言い返した。

 そう、普通は驚く。記憶にある彼女は十歳の時のままだ。それが、その倍の月日が経って再会すれば驚かない方がどうかしているだろう。

「いや、アリアに今日会ってね。お前が驚いた顔一つしないって怒ってたから」

「……そりゃ、する訳ねえだろ。もう驚いた後だ。いちいち出来るか」

 ラディスはそっけなくそう答える。あまりにもとっかかりが無いその反応にエランも半ば呆れた顔をする。これなら確かにアリアが怒るのも無理は無いだろう。

「ラディ、もうちょっと可愛げのある反応してやれないのか?」

「んな事する義理はねえよ。そういう文句は聞く耳はねえからな」

 エランの言葉がうっとおしいというようにラディスは手を振った。その目は相変わらず書類を追ったままである。真面目に聞くつもりはないらしい。

「……大将たるものは子分の面倒はしっかりと見てやるものなんだろう?」

 エランがからかうような顔でそう言う。その言葉を聞いて、ラディスの書類を見る目が止まり、エランの方を恨めしげに見た。

「……お前さ、子供の頃の話を持ち出すんじゃねえよ」

「そうか? 今でも十分大切な心がけなんじゃないかと思うけど?」

 エランの言い分の方が正しい事はラディスにも当然分かる。苦い顔をしてラディスはエランを見上げた。昔はエランも自分の子分だったはずなのだが、十年も経てば随分変わるものである。今では自分の方が言いくるめられる感じだ。

「……分かった、少しは考えてみる。だけど、もう十年も経ってるんだぜ? 昔と同じにはいかねえよ」

 降参といった仕草でラディスは肩をすくめる。それにエランは満足したように笑ったが、しっかりと釘は刺しておく。

「ラディにも言い分はあるだろうけど、アリアもずっとお前の行方を心配してたんだからな。その辺は分かってやれよ」

 この幼馴染のラディスが突然行方をくらまして、エランもアリアもその安否を心配したが、全く情報も得られず時が経っていたのだ。その気持ちは十分に分かっているエランだからこそしっかりと言っておきたかった。

 それに関してラディスは気の無いような顔で、その言葉をちゃんと聞いているのかその表情では判断が出来ない。だが、ラディスは聞いていないような顔をしていても、ちゃんと聞いている事をエランは分かっていた。いくらそっけない性格だからといっても人間の根本までは変わらない、少なくとも彼はそうであると確信していた。

「まあ、おせっかいはこのくらいにして本題に入ろうか」

 エランは椅子から立ち上がるとラディスのいる机の正面にやって来る。その表情が先程までのからかうような顔とは異なっている事に気がつき、ラディスも真剣な表情になる。

「とりあえずこれを見てくれないか?」

 エランは小奇麗な封筒を差し出す。ラディスは言われるがままにそれを受け取ると、中に入っているカードを取り出した。

 そしてそこに書かれている文面を見て顔をしかめた。

「『明後日、魔導研究所の幹部のお命を戴きに参上する』? 犯行予告って事か?」

 筆跡が分からないように印刷物を切り貼りしたその文面を読み上げる。実に分かり易い犯行予告。テンプレートみたいだ。

 その文面から分かる事は、相手が魔導研究所の幹部に恨みなり何か係わり合いを持っている事と、同時に予告する事で注目を集めようとしている目立ちたがりやな面がある事くらいだ。

 しかし、魔導研究所の幹部を狙う……というのはかなり内部事情を知っている人間なのだろうか。魔導研究所は極秘研究を行っている事も多く、表沙汰には出てこない組織なのだ。

「……早い話、この部隊での初仕事はこの予告の阻止か?」

「ああ。極秘に行って欲しいというのでね。俺が動くより良いとの判断だ。それと……」

 エランは一度言葉を切ると、ラディスの緑の瞳をじっと見つめた。そして、言いかけた言葉をぐっと飲み込む。

「……いや、まだ確定も出来ないからな。推測だけで話を進めるのは良くない」

「わからねえけど…ま…あ、任せておいてくれよ」

 エランが躊躇する理由が分からなかったが、ラディスはカードを再び封筒に戻すとエランへと返した。戻された封筒を受け取ってエランも頷く。

「ああ、宜しく頼むよ」

 封筒を受け取った時にふと目に入ったラディスの書類を見て、エランは驚いた顔をする。彼が先ほどから見ていたものは、騎士団の顔写真入りの名簿だった。その周囲には犯罪者名簿や王都であるこの街の周辺地図や街に関連する資料や郊外のモンスターに関するものなど数々だった。

「……これを見ていたのか? かなりの量じゃないか」

 驚いた顔をするエランにラディスはどうして驚くのかといった顔をする。彼からすればとても自然な行為のようだった。

「……ああ、なんたって十年ぶりだからな。新しい事も増えているだろうし、ここの人間の顔も覚えないと話にならないし……その他の資料も目を通した方が良いかと思ってね。ああ、良かったら魔導研究所の名簿も欲しいな。いくら昔住んでいたって言っても、人間もかなり入れ替わっただろうしね」

 どうやらラディスは目を通しただけで、これらの情報が頭にどんどん入っていってしまうようだった。さも当たり前のようにそう言う彼が特異に感じられるのは仕方が無いだろう。

「ああ、魔導研究所の名簿だね。明日中にはなんとかしておくよ。……子供の頃、どこから現れるんだろうと思っていたけど、魔導研究所に居たんだからな。アリアの父親がラディの師って話を聞いた時に繋がっていれば早かったんだけどね」

 残念そうにそう言うエランにラディスは苦笑いを浮かべる。

「……そもそも、昔から俺は自分の正体を明かしちゃいなかったのに、なんでお前が知っているのかが一番疑問だよ」

 再会した時、ラディスが一番驚いたのはエランが彼の事情を全て知っていた事だった。

 彼の身に何が起きたかも、全部調べ上げられていた。これだけ詳しく知っている人間はそうはいないはずである。しかも、直接の関わりを持たないはずのエランが調べ上げている事が一番驚きであった。

 そこまであまり深く考えていなかった小さな頃でさえ、話した覚えは無いのに。

 だが、そんなラディスにエランはにこやかに笑う。

「そりゃあ、あんなに不自然に友達が消えたら疑問に思うさ。俺も俺なりに探してたんだよ。地位ってのは良いね。騎士団の中枢に関わるようになってから色々知る機会が出来たから。まあ、最終的なところはウェルステッドさんに聞いたんだけど。最初は中々話してくれなかったけど、俺が真剣なのを分かってくれたからね」

 ウェルステッド。その名を聞いてラディスは納得したような顔をする。おそらく、一番ラディスについて詳しい人物だろう。見た目は穏やかな感じの人だが、実は物凄く頑固な一面があり、秘密はそう話す人間ではない。エランが聞き出すのも相当の苦労を重ねた末なのだろう。

「だけど、お前も物好きだな。別に俺一人が消えたからって、お前の人生に大きな影響を及ぼすわけでもねえのに」

 エランが心配して探してくれたのは嬉しいと感じるが、その言葉は本音だった。何故、そこまで彼が自分にこだわるのか分からなかった。

 そう、昼間のアリアもそうだ。何故、あんな反応をするのかラディスにはよく分からなかった。自分一人が居ようが居まいが関係無いはずなのに。

 そんなラディスにエランは優しく微笑み、座ったままのラディスの肩にぽんと手を置いた。

「物好きで結構だよ。ラディは俺の友達で……また会いたかった、それだけだよ。寧ろ、それ以上の理由がいるのか?」

 そう笑うとエランはドアのほうへ向かって歩いていく。そして、ドアを開けてラディスの方にもう一度振り返った。

「じゃあ、また明日。無理しないで早く寝るんだよ」

 そう言い残すと、エランは部屋から出て行った。

 ……子供じゃあるまいし。そう文句を言いながら、ラディスは先ほどのエランの言葉を思い出していた。

 その思いが上手く理解できなくて、気持ちをどう整理して良いのか分からなかった。自分が可笑しいのだろうか? ……まあ、可笑しくても仕方が無い気もするにはするのだけれど。

 でも、エランやアリアに会えて嬉しい、そう思う気持ちはある。

「……友達、か」

 ラディスはそう呟き、その言葉を何度もかみ締めた。

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