第3話

 『ツクヤ』から出るころには、ぼくはぐったりとしていた。

 原因である多華子さんは、ぼくとは正反対にとても元気がよく、笑顔ではしゃいでいる。大きな買い物袋を、一つ掲げていた。


「いっぱい買えたね。こーたがいてくれて助かったよ。あたし一人じゃ迷っちゃって」

「……いえ」


 なんというか女子の買い物って、本当に長いんだなと思った。

 最初は多華子さんに「これとこれの生地どちらがいい?」と相談されて、悩みながらも選ぶのが楽しかったのだけど……。その数があまりにも多すぎて、ぼくは途中でげんなりしながらも、楽しそうな多華子さんの笑顔に救われて買い物を済ませた。店内は空いていて、多華子さんと二人きりという状況も良かった。レジで雑誌を読んでいる定員が微笑ましそうに時折ぼくらを見ているのが気にならないぐらい、ぼくらは夢中になって材料を選んでいた。

 でも、疲れた。

 もしいまぼくがワンピースを着ていなかったのであれば、名残惜しいけど多華子さんと別れて、自分の家に戻ってベッドにダイブしたいぐらいだ。けどぼくの服は多華子さんの部屋に置いてあるし、まだ午後五時まで時間があるから、もう少し多華子さんと一緒にいたい。多華子さんと二人きりになれる貴重な時間を、大切にしたい。


「本当にこーたがいてくれて助かるよ」


 少しトーンが落ちた多華子さんの声に、ぼくは顔を上げる。

 多華子さんは目を細めて、ぼくを見下ろしていた。


「こーたがいるから、こんなにも楽しいんだもんね」

「……そう、ですか」

「そーに決まっているじゃない。だって、もしあの日こーたと曲がり角でぶつかっていなければ、こーたに会うこともなく、誰かに着てもらうでもないかわいい服をただ黙々と作るだけだったんだよ? 自分で着るわけでもなく、誰かに着てもらうわけでもない服を作り続けるのは、しんどかったんだ。もうやめようかなと、思っていたときに、こーたと出会ったわけ」


 フッ、とかっこよく笑うと、多華子さんは無邪気な子供のような笑みになった。


「正直、こーたと出会えたのは、運命だと思ってるよ。こーたがいたから、自分の大好きな服を作り続けられる。あたしはそれがとても嬉しいんだ」


 ニコニコ笑う多華子さんの笑顔が眩しくって、ぼくは思わず目を逸らした。

 だって――。

 ぼくの変化に気づいた多華子さんが、ちょっと意地悪く言ってくる。


「どうしたの? こーた、耳まで赤くなってるよ?」

「……な、何でもない、です」

「そう?」

「……そう、です」


 ぼそぼそと、声変わりしていない高い声を隠すため、ぼくは低い声で答える。

 「ふーん」と多華子さんが鼻歌を歌うように声を上げる。

 ぼくは、そんな困ったように首を傾げる多華子さんの顔を横から眺めた。そして改めて思う。

 ――多華子さんの笑み、かわいいな。

 いつも凛々しい眼差しに不敵な笑みを浮かべている多華子さんだけど、ミシンで服を縫っているとき、たまに無邪気な子供のような笑みを見せることがある。どこかあどけなく、無防備な笑み。きっとその笑みは集中しているときか、彼女が自分の趣味を語る時ぐらいにしか見せることはないのだろう。実際、高校で多華子さんをよく見掛けるけど、その時の多華子さんは「かっこいい人」を意識しているからいつも以上に凛々しく感じる。笑顔も一々かっこよく、ぼくにはできない表情を軽くやってのける多華子さんに、嫉妬心と憧れと、それから少し物足りなさを感じることがある。

 かっこいい多華子さん。彼女が、こんなにも無防備で解放的な笑みを浮かべるのは、趣味に没頭している時ぐらいだろう。

 きっとそんな彼女の笑みを知っているのはぼくだけなのだと思う。

 多華子さんの友人も、多華子さんを慕う後輩も、多華子さんを相手にすると自信を無くすと言っていたぼくの友人も、多華子さんのお母さんだって知らない、多華子さんの笑顔。ぼくは、そんな彼女の笑みを見るのが好きだ。だから休日はいつも、多華子さんの家に訪れる。

 へにゃりと、目を細めて笑う多華子さんを見るために。



「そういえば、来週の土曜日って、こーたの誕生日だったよね?」


 突然の問いに、ぼくは頷く。

 来週の土曜日。七月十七日。そして、夏休みの初日。約四十五日間、ぼくたち学生は学校を休むことができる。つまり、来週の土曜日からはほとんど毎日が休日になる。

 そんな長い長い夏休みの初日。その日は、ぼくの十六歳の誕生日だった。

 といっても、歳をとるだけで特に感慨もないけど。敢えていうなら、その日はお母さんがぼくのためにケーキを焼いてくれるぐらいだ。毎年ほとんど夏休みと重なることもあり、友人からプレゼントをもらうことをあまりない。まあ付き合いの長い友人からは、毎年メールを貰うけど。

 うきうきとした様子で、多華子さんは言った。


「こーたのために、プレゼント用意しているから、楽しみにしていてね。とっておきの服だよ」

「……あ、はい。ありがとう、ございます」


 ――服。服、かぁ。

 どうせ女の子ものなんだろうなぁ。

 嬉しいような、そうでもないような複雑な気持ちに、ぼくはため息を吐いた。


「じゃあ、また来週も来てね」

「はい。もちろんです」


 そういえば、今年の誕生日は去年とは違う。今年は、多華子さんがいる。誕生日に、多華子さんと一緒にいられる。

 それだけでも満足だけど。でもやっぱり、女装はぼくの趣味じゃないんだよなぁ。

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