第2話

 多華子さんは、高身長と凛々しい顔立ちと少しかけ離れた、とてもかわいらしい趣味を持っている。

 裁縫。かわいい服を作るのが彼女の趣味だった。

 彼女は小学生の頃に裁縫の楽しさに目覚めてからいままで、趣味でたくさんの作品を仕上げてきたらしい。最初は小さな小物から。次第に人形の服、鞄、それから中学三年生の頃から女の子向けのかわいい服に夢中になっている。

 けど多華子さんの作る女の子向けの服は、すべて彼女のサイズではなく、女子の平均的だと言われている身長――たとえば、ぼくみたいな百五十六センチぐらいのサイズのものばかりだった。

 それで多華子さんは悩んだのだという。

 なぜなら多華子さんは、自分の趣味を母親にはおろか友人にも言っていなかったたからだ。彼女は昔から女子の中でも身長が高い方で、凛々しい眼差しから「かっこいい人」として定着してしまった。多華子さんは、友人や家族の前ではかっこいい小物や服が好きな「イケメン系女子」として、見えを張り続けている。いまさら自分がかわいいものが大好きで、かわいい小物や服を作っていると、周囲に知られたくなかったのだという。

 そんな悩み多き高校一年生の春。ぼくと多華子さんは、食パンを口に銜えていなかったのにも関わらず、近所の曲がり角でぶつかるという運命の出会いを果たした。

 それからぼくは、多華子さんの玩具オモチャもとい着せ替え人形もとい趣味を共有しあえる友人になった。

 うん。女装は別にぼくの趣味ではないけど、彼女と一緒にいられる貴重な時間だから、その時間だけでも楽しまないとね。



「え? 出かけるんですか?」


 間の抜けたぼくの声に、多華子さんが楽しそうに言う。


「うん。ちょっとこれから『ツクヤ』に行ってこようと思ってね。いま作ってるやつの材料が足りないんだ」


 『ツクヤ』というのは、手芸用品などを正門に扱っている、街角の小さな店だ。小さい店内の割には、多種多様な素材が手に入ると、いつも多華子さんが絶賛している。まだぼくは一度も行ったことがない。


「じゃあ、ぼくはもう帰ってもいいですか?」


 まだ昼前だ。いつものようにぼくの写真撮影も無事に終えて、いつものように多華子さんがミシンをカタカタさせているのを眺めながら、趣味の読書にでも勤しもうと思ったのだけど。集中すると飲まず食わずでお昼を抜きかねない多華子さんのために、コンビニでおにぎりを買ってきているのだけど。

 部屋の隅にあるコンビニ袋にぼくは目をやる。すると、多華子さんが「うーん」という唸り声を上げた。


「じゃあ、ご飯食べてから出かけようね」

「ん?」


 ぼくは首を傾げた

 出かけようね? 

 ということは、ぼくもついて行ってもいいってこと?


「こーた、もしかしてこれから用事でもあるの? それなら、一人で行くけど……。困ったなぁ。こーたに相談して買おうと思ってたんだけど」


 あれ? もしかしてぼくは勘違いしていたんじゃ。


「でも用事があるならしょうがないよね。あたし一人で行ってくるから、こーた、また来週もこれるよね?」

「用事、ありませんよ」


 てっきりぼくは多華子さんが一人で『ツクヤ』に行くと思っていた。これまで休日は、多華子さんが作った服をぼくが試着して、多華子さんがその姿を気がすむまで写真撮影をして、昼に買ってきたおにぎりを食べて、多華子さんが集中しているのをぼくがこっそり眺めて、そして午後五時。多華子さんのお母さんが帰ってくる前に、ぼくは自分の家に帰る。

 それがこれまでの休日の流れだった。

 多華子さんと出かけたことは、これまで一度もない。だから、ぼくは勝手に多華子さんが一人で『ツクヤ』に行くものだと思っていたのだけど。

 どうやら違ったみたいだ。

 高い声をなるべく低くするために、ぼそぼそとぼくが答えると、多華子さんは満面に嬉しそうな笑みを浮かべた。


「よかった! じゃあ、さっさっとおにぎり食べて出かけよっか!」



「……」

「ちょっと、こーた。そんなに顔を顰めていたら、せっかくのあたしの服が台無しじゃない」

「……」


 凛々しい眼差しで言い放つ多華子さんに、ぼくはジト目を送る。

 もう七月で、世間ではもうすぐ夏休みになるという時期。ぼくたちが通っている高校も、来週末から夏休みに突入する。

 夏だ。特に今日は気温が高く、雲がほとんどなく空気もカラッとしている。夏本番と断言してもいい空模様だ。

 そんな天気のいい日に外を歩けば、じんわりと汗がこれでもかと溢れ出してくる。

 それだというのに。

 ぼくはとてもひんやりしていた。というかスースーしている。額に汗が滲んでいるけど、足元だけは慣れることのない風が入り込んできているからか、とても涼しく快適だ。いまのぼくの心境と違い。


「……」


 もう一度ジト目を送ると、やれやれと多華子さんが困ったように肩をすくめた。

 ぼくは多華子さんから視線を逸らし、自分の素足に目を落とす。

 なるほど。スカートって、こんなにも涼しいものだったのか。夏には最適だけど、冬は寒そうだな。

 そんな悠長なことを考えているわけではない。いや、少しはそう思ったけど、それはまたべつの話だ。

 なんで。どうして。ぼくは、女装姿で外を出歩いているのか。

 ぼくと多華子さんの通う高校は、それぞれの自宅から歩いていける距離にある。

 つまり、この地域を歩くということは、少なくとも知り合いに遭う可能性があるということだ。

 もし、ぼくの趣味が女装だなんてそんな風評被害が広まってしまえば、ぼくは明日から学校に行けなくなってしまう。

 いままで休日に多華子さんの家で女装をするのが当たり前になっていたけど、女装姿で外に出たのは今日が初めてだった。いつもは写真撮影を済ませたら、すぐに自分の服に着替えることにしている。間違って女装姿で外に出ようものなら、並々ならぬ羞恥心が湧き上がってくるのが目に見えていたからだ。

 それなのに。

 カツラを被って、女の子の恰好をしているからといっても、ぼくは男だ。たとえ身長が女子の平均的で、筋肉がなく体格がやんわりしているとしても、ぼくは男だ。性別は産まれたときから決まっている。ぼくが男なのは、産まれてこれまで、死ぬ時まで変わらないことなのだ。

 つまり、どうしてぼくが黄色いフレアワンピースに白いカーディガンを併せて、その上黒髪ロングのカツラを被って外を出歩いているのか。

 ――それは、おにぎりという名のお昼ご飯を食べ終えると、間髪入れずに多華子さんに腕を引かれて、外まで連れ出されたからだ。咄嗟のことで反応できなかったぼくにも非があるかもしれないけど、でもやっぱり外に出るのは――ちょっと、恥ずかしい。

 口をむっつりとして、俯きがちに歩いていると、前を歩いていた多華子さんがいきなり足を止めた。思わずぶつかりそうになったけど、ぼくは寸前のところで踏みとどまる。


「ついたよ、こーた」


 その口調と、凛々しい眼差しにぼくは吸い寄せられていく視線を自然にずらした。

 そして、目前に立っている、小さななお店を見る。

 ファンシーに見えるそのお店は、もしぼくが男の恰好をしていたのなら浮いていたかもしれない。そう思うと、ぼくは多華子さんへの冷たい態度を少し改めようと思った。きっと彼女は、男のぼくが浮かないように、女の子の恰好をさせて連れてきたのだ。それならそうと最初に言ってくれればいいのに。


「ごめんね、こーた。こーたなら女装しなくても通用する店だと思ったけど、かわいい女の子と一緒に買い物するのがあたしの夢だったから、つい」


 前言撤回。

 ぼくは、口を真一文字に結ぶと、多華子さんの傍から少し離れた。

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