女装ほりでー 多華子さんとぼくの秘密

槙村まき

 

第1話

 ぼくの休日は、彼女の家の呼び鈴を鳴らすところからはじまる。

 彼女は、ぼくの一学年上の先輩で、ぼくが中学三年生の頃に近所に引っ越してきた。身長が高く、いつも凛々しい眼差しで前を見据えている彼女は、「かっこいい」と主に女子から人気を得ている。そんな彼女と出会ったのは、ある日の休日。食パンを口に銜えて慌てていないのにも関わらず曲がり角でぶつかってから、なんやかんやで仲良くなった友人である。少なくともぼくは友人だと思うことにしているし、彼女もそう思って接してくれるのだろう。いや、彼女の場合、ぼくのことを友人ではなく、単なる玩具オモチャぐらいの認識しかないのかもしれないけど。そう思うとぼくの中の何かが唸り声を上げそうなので、噛み殺すことにしている。

 呼び鈴を押してから約二分。

 玄関の扉が慌ただしく開いて、彼女が顔を出した。


「五分待って!」


 ぼくが頷くよりも早く、玄関の扉は閉じる。

 いつものことだ。休日の彼女は、ぼくのチャイムを目覚まし代わりにして目を覚ます。そして手入れされていないボサボサの髪と、寝間着姿のまま玄関を開けると、返答などわかり切っているとばかりに扉を閉めるのだ。

 いつもの休日の光景だ。

 ただ今日は少し違った。いつもはのんびりと時間をかけて玄関まで出てくるのに、今日は少し慌てているように見えた。

 些細な違いだ。ぼくは気にするのをやめて、五分待つ。



「さあ、入りたまえー」


 おちゃらけたように言いながら玄関の扉を開ける彼女――高見多華子たかみたかこさんに誘われるがまま、ぼくは部屋の中に入る。多華子さんは母親と二人暮らしなのだけど、休日はいつも仕事に行っているらしく一度も会ったことはない。てか親がいたら、ぼくみたいな年齢の近い男子を家の中に上げたりはしないだろう。うん。別にぼくが男に見られているのかどうかはこの際おいておこう。

 2LDKの標準的なマンションの一室。

 台所のある通りを抜けると、ぼくは多華子さんの部屋に向かう。

 多華子さんが横開きの襖を開いて、自分の部屋に入って行く。ぼくはその跡に続いた。


「……」


 うん。いつ来ても、多華子さんの部屋の光景には驚いてしまう。

 ピンク。それと、白と赤。水色や黄色もあるけど、濃紺色は極力使わないようにしているかのように、眩いほどのピンク色の部屋。どうしてこんなにピンクが好きなのかはわからないけど、僕はどちらかと言うと濃紺色のほうが好きなので、居心地の悪さを感じてしまう。

 さて。

 と、ぼくは多華子さんが意気揚々と取り出した服に目を向けると、ため息を吐いた。


「えー。ため息を吐くだなんて、そんなにもあたしの作った服、かわいくない?」

「そ、そんなことないです、よ」


 思わずため息を吐いてしまったのは、別の理由だ。多華子さんの服がかわいくないわけではない。というより、多華子さんの部屋の小物もそうだけど、多華子さんの作るものは男のぼくから見てもかわいいと思うし。

 見かけと言動に似合わず、繊細で、洗礼されたかわいさを感じる。

 けど。

 そう、けど違うのだ。

 ぼくは、彼女が見せびらかしてきたできたばかりの服を見て、「またか」と思っただけなんだ。

 だって彼女の作った服は、真っ先にぼくが試着することになっているのだから。

 男のぼくが、彼女の作ったかわいい服を、着なければいけないのだから。

 屈辱だと、並大抵の男なら言うだろう。いやぼくだって並大抵の男のつもりだから、屈辱だと喚き散らしたくなる。

 けど、ぼくはそんなことをしたくはない。

 せっかく彼女と二人っきりになれる、学校の友人には秘密な彼女との時間を共有できるのだから、それを守りたいとさえ思っている。

 だから、ぼくは渡された服を受け取ると、多華子さんに部屋から出るように促す。

 大人しく多華子さんが部屋の外に出て、扉もきっちり閉まっていることを確認すると、ぼくは着ている半袖と短パンを脱ぎ、多華子さんが仕上げたばかりの「かわいい服」の袖に腕を通す。

 なんか、足元がスースーする。



 ぼくは姿見の前に立ち、自分の着ている服を隅々まで眺める。

 ワンピースだった。夏らしく黄色い柄のフレアワンピース。裾が膝までないのが気になって仕方ないけど、いまは我慢だ。ぼくはワンピースと一緒に渡された、白いカーディガンを羽織ってから、一度くるりとターンをすると、多華子さんを呼ぶ。


「いいですよ」


 扉が勢いよく開く。

 多華子さんの長身が姿を現した。


「かわいい!」


 ずいっと近づいてくると、キラキラとした瞳でぼくを見下ろして、多華子さんはぼくの頭を撫ではじめた。

 くっ、恥ずかしい……。

 ぼくは俯く。


「こーた、それに合うように黒髪ロングのカツラ被って」


 多華子さんはそう言うと、ぼくの頭にカツラを被せてきた。こーたとはぼくのあだ名だ。本名は提島虎太郎つつしまこたろう。虎太郎は長いからと、多華子さんはぼくのことを「こーた」と呼ぶ。

 カツラを櫛で梳いて整えると、多華子さんはよしっと満足そうな顔をした。ぼくは、彼女のそんな顔を見るのが好きだ。多華子さんが喜んでくれると、ぼくまで嬉しくなってくる。

 屈んでいた多華子さんは背筋を伸ばすと、大きく伸びをした。

 多華子さんの身長は、女子の中では高い方だ。前に身長を訊ねたら、百七十一センチだといっていた。

 対してぼくは、男子の中でも身長が低く、背の順では絶対といってもいいほど一番前になる。というよりぼくより前に誰かが並んだことはないし、前倣まえならえで腕を伸ばした思い出もない。腕を腰に当てていた覚えしかない。悲しい思い出だ。

 昨日の夜、ぼくは身長を図ったのだけど、これもまた悲しいことに、一年前から変わらず百五十六センチのままだった。ちょうど多華子さんと十五センチも差があることになる。もしぼくが女子なのであれば、平均値となるだろう。そして多華子さんが男子であったらば、とても理想的な男女になることができるに違いない。

 けれどやっぱり、現実は非情だ。多華子さんは女の子で、ぼくは男の子。これは一生変わることのない、性別の壁だ。

 ぼくはこの身長でいままで散々な嫌な思いをしてきた。

 まだ小学生の頃はよかった。でも中学に上がって、周りは成長期がきてすくすく育っていくのにもかかわらず、ぼくの身長はほんの六センチしか伸びることなく、高校一年生になってしまった。去年のぼくは、まだ望みがあると思っていたけど、今年度健康診断の結果で、ぼくの身長はもう伸びないのだと悟った。悲しくなったけど、伸びないものは仕方ないし、その頃にはもう多華子さんに出会って半年ぐらいが経っていて、多華子さんの仕立てた服を着るのが休日の楽しみになっていたこともあり、ぼくは自分の身長の低さが役に立てるのだと思うことができていた。

 きっともしぼくがもっと身長のある男子で、多華子さんを見下ろせるほど高かったのであれば、多華子さんが繕ったかわいい服の着せ替えに巻き込まれることもなかったのだろう。けど、ぼくはこの身長のおかげで、多華子さんと仲良くなることができたのだ。

 すらりと身長が高く、凛々しい眼差しが魅力的なかっこいい多華子さんは、ぼくの憧れだった。

 たとえ休日の楽しみの中でとても屈辱的である女装をしなければいけないのだとしても、多華子さんと一緒にいられるのであれば、ぼくはいくらでもそれを受け入れることができるだろう。

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