したたかなジャンヌダルク

@kouteipenpen

第1話 頭のいかれた金髪女

『日本を救え。悩める人を…』

  

 ワンルームの狭い部屋。怒りに任せてパソコンのエンターキーを叩く寸前だった私の耳に、低く厳かな声が響いた、ような気がした。


「今変な声、した?」

 答えてくれる人もいない空間に、声に出して問いかける。動揺した時っていうのは大体そんなもんだろう。


 寂しい部屋をにぎやかすBGM代わりにつけていたテレビはバラエティ。さっきから芸人が馴れ合いのトークを繰り広げているから、テレビから聞こえてきたわけではない。


 ストレスで頭でもおかしくなったんだろうか。落ち着かなくなってリモコンに手を伸ばし、次々に番組を変えていく。

 1チャン、2チャン、3チャン…。


『くだらないことをしている暇はない、日本を救うのだ』


 同じ声がもう一度私に語りかけた。

 私は鳥肌を立てながら条件反射的にテレビを消し、ベッドにもぐり込んだ。画面から幽霊でも出てきそうな気がして怖くなったんだ。


 静かになった室内で布団に丸まった私の頭は、しばらくして妙に冷静になった。


 おっしゃる通り、私はくだらないことをしようとしておりました。

 

 インターネットの掲示板に今日まで働いていた企業の悪口を書き連ね、まさに投稿しようとしていた瞬間だった。

 その行為が自分に何の利益ももたらさないことが分かるくらいにはいい歳、アラサーど真ん中の29歳だったけれど、湧き上がる衝動を抑えられなかった。


 私は今日、7年勤めた会社を即日解雇になった。7年勤めたといっても派遣社員だ。だからいともあっさり、担当課長の一存で即日解雇が決まった。

 原因は派遣界隈じゃよく聞く話。正社員のミスと、その結果生じた損失を押し付けられてしまった。


 得体のしれない声に対する恐怖はもうすっかりなくなっていた。


 だって、今更怖いものなんてある?


 仕事がなくてお金もない、私の前途に立ちはだかる真っ暗闇のおそろしさに比べれば、ちょっと変な声が聞こえるくらいなんてことない。


「日本を救え、ねぇ」


 まるでジャンヌダルクだ。

 13歳の時、「フランスを救え」という神の啓示を受けたというジャンヌ。軍を率いて破竹の勢いでイングランド軍を破り、占領されていた多くの都市を解放した。

 まごうことなき英雄。でもその名前を聞くと、私はいつも少し胃がキリキリする。


 私とジャンヌダルクの因縁は大学3年生の時。大学生活を捧げて打ち込んだ部活、演劇部の卒業公演だった。

 私は主役に抜擢され、就職活動の合間を縫って一生懸命ジャンヌを練習した。

 危機に瀕した祖国のために少女は何を思って戦ったのか。兵士を凛々しく鼓舞する一方で、時には乙女のような表情も見せる。そんな姿を表現したいと思った。


 結果、公演は大成功。

 拍手喝采を受けた私は大きな達成感に包まれた。それと同時に、目を背けてきた不安が急に襲ってきた。

 

 そう、演劇にかまけて就職活動をおろそかにしていたんだ! 


 結局私は正社員の職を得られず、仕方なく派遣として働き始めた。


 その結果がこのざま。あっさり首を切られて露頭に迷っている。

 そんな日に限って昔を思い出させるような声が聞こえてくるなんて。いや、この声が私の脳内の妄想なら、そんな日だからなのかもしれない。


「兵士たちよ、私に続け!」

 ベッドに寝ころんだまま天井を指さし、勇ましいセリフを叫んでみた。

 もう7年も演劇から離れているけど、昔鍛えた腹式呼吸で声はよく通る。


 あぁ、段々イライラしてきた!


 真剣に就職活動をしてこなかった自分も悪かった。でも、この日本社会はどうなのか。

 「低賃金・不安定・スキルが身に付かない」の三重苦の派遣社員。さらに、一度派遣社員になると正社員になるのは難しくなる。


 一度の失敗で再チャレンジができない社会だなんて!


 物理的な力を使った争いがほとんどなくなった現代の日本。もしジャンヌが生まれ変わったら、やることがないと困惑してしまうかもしれない。


 でもそんな社会にだってジャンヌは必要なんだ。戦争がなくなっても人の苦しみはなくならないんだから。


『そうだ、そういうことだ』


 また謎の声が聞こえた。この声が神の声なのか、私の脳内の妄想なのか、そんなことはこの際どうでもいい。


 元職場の悪口を書き込まずにはいられなかった消化不良のエネルギーをぶつけるところがほしかったんだ。


「私、ここでジャンヌダルクにならなきゃ!」


 ベッドから勢いよく起き上がってそう宣言した。酔っぱらっているわけではなく、これはやけくそというやつだ。

 ちなみにお酒は、今日の帰りに大量に買って机の脇に置いてあるけど、まだ飲んでいない。


 演劇部の公演後に記念にもらった衣装をクローゼットから引っ張り出した。百円均一で売っているスポンジを加工して作った鎧と、金髪のウィッグだ。


 日本人の黒い目と金髪のウィッグは奇妙な組み合わせだけど、気にしちゃいけない。大事なのはとにかく目立つこと。


 ジャンヌも最初は協力者を探した。何の力もない私が現代社会で同じことをするにはどうすればいいか? それに対する答えがこの奇天烈な恰好だ。…だいぶ分の悪い賭けかもしれないけど。


 私は若者に人気の動画投稿サイトを開いた。ユーザーが映像をリアルタイムで流すことのできる「生放送」が売りのサイトだ。最近のノートパソコンには大体カメラがついているから、特別な装置は必要ない。


 …やっぱりもう少しインパクトがないと!


 他の準備を全て整え、後は生放送開始のボタンを押すだけだったが、私の手は止まった。


 このサイトの勝手はよく知っている。だからこれだけじゃダメだと分かるんだ。


 地方から上京したての社会人1年目。友達もいなくて寂しかった私はパソコンの向こう側の名前も知らない人に構ってほしくて、つまり動画の感想コメントがほしくて、他愛ない料理動画などを投稿したことがある。コメントどころか再生回数すら数件に終わったが。


 そう、注目を集めるというのは大変なことなんだ。


 誰もが情報を発信できる時代、人の興味を引かなければ閲覧されることもなく、ネットの膨大な情報の海に埋もれるだけだ。


 だから私は…。


 机の下に置いていた日本酒の瓶をひっつかんでぐいっと一気飲みした。そのまましばらくほうけていると、一気に酔いが回って来た。


 そして意を決して、生放送開始のボタンを押した。タイトルは『ジャンヌダルクからの宣戦布告』だ。


 ハリボテの鎧を着た奇妙な金髪コスプレ女、しかも泥酔中。強烈なインパクトで、ついつい最後まで見たくなるでしょう?と私は勝手に自画自賛していた。


 目論見通り生放送の視聴者はどんどん増えていく。私は画面に向かって一人、管を巻き続けた。

 放送が終わる5分前。そろそろ最後の締めのセリフを放つ時だ。


「私はぁ、日本を非正規雇用だらけにしてぇ、安心して生活できない人を増やしたぁ…政治家! 大企業! 絶対許さないぞぉ! 宣戦布告だ…ぁ…。そして私が新しい世の中を…zzz」


 あぁ、なんだか急に眠気が…。やっぱり慣れない一気飲みなんてするもんじゃな…い…。


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