7-2


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「ふざけんなよ、てめぇ」

 頭に血が上り、一瞬痛みが消えた。カテリーナのことを知られた。身動きが取れない体に力を込める。ハンスの顔を殴ってやりたいが出来ない。悔しさ。苦しいだけだ。

「妹に手を出すな。首斬ってやるぞ」

「怖い、怖い」

 ハンスがおどけた。「あー、怖い」

 ハンスが背を向け部屋から出て行く。

「戻ってくるまでに決めておけ。次はもっと酷い」

 拷問部屋に残された。部屋の音が消える。耳の裏に自分の鼓動。傷口が傷む。ナイフが刺さったままだ。天井が湿っていた。地下だろうか。経験上、拷問部屋は地中にあるのを知っていた。

 このままじゃ死ぬ――。

 エリオットは思った。

 目を瞑り呼吸を整えようとした。妹のカテリーナのことが思い浮かぶ。

 腹違いだが、大事な家族だった。一家の死刑執行人稼業からは切り離して、大事に育てた。それが父親と自分の願いだったからだ。厄介ごとから遠ざけていたはずなのに、自分のせいで悪夢の渦に巻き込んでしまった。不甲斐ない。とにかく助けたい。

「クソ――」

 死にたくない。死にたくない。

 ここで死んだから、何もかもが無駄だ。妹を助けたい。金持ちにもなってないし、贅沢もしてない。何も成し遂げられないまま死ぬなんて嫌だった。

 無駄な足掻きと知りながら体を動かした。後ろで縛られている両手を擦るように揺らす。結い目が緩むかと思ったがそんなことはない。

「エリオットー、エリオットー」

 扉の向こうからハンスの陽気な声が近づいてくる。

 やばい。戻ってくる。

 殺される。

 結い目を解こうと体を揺らした。

「エリオットー、エリオットー」

 唄ってやがる。むかつく調子だ。

 ん――。

 指。指輪だ。エドゥアールの仕込み指輪。刃が仕込まれてる。

「エリオットー、エリオットー、エリオットー」

 扉を見る。ハンスの声はすぐそこだ。

 仕込み指輪。外側の輪を回転させる。刃が飛び出した。見ないでやってるので指を切った。だがもうこれくらいの痛みならどうでもいい。指輪を外して、刃で縄を切る。

「やったぞ。クソったれが」

 手が解けた。急いで足も解こうとするが、扉を見る。もう開く直前だった。間に合わない。足はそのままで、椅子についたまま後ろで手を組んだ。縄で結わかれているフリをした。

 近づいてきたら殺してやる。エリオットは俯いて、死人のように待つ。

 ハンスが入ってきた。

 上機嫌だ。皮袋を持っている。皮袋を口に近づけた。口の端から、赤い液体がこぼれる。ワインか。

「話す気になったか?」とハンス。

「こっちにこい」

 呟いた。

「なんだよ、きこえねぇな」

「いいから」

 さらに小声だ。

「弱ってんのか。随分、血を流してたもんな」

「早く――」とエリオット。

 ハンスが近づいてきた。

 そうだ。もっと来い。

 俺の腕が届く距離だ。

「アンナはどこにいるんだ?」

 もっと。もっと来い。

 今だ――。

「くたばれ」

 エリオットが左腕に刺さったナイフを抜き、そのままハンスの喉元へ。

「おっと危ない」

 空振りだった。

 ハンスは後ろへ身を交し、エリオットの一撃を回避した。微かに喉元が切れているが、それだけだ。

「どうやって縄を解いた」

 ハンスが喉元を流れる血に指を当てて確かめている。

「秘密だ」

「じゃ死ね」

「お前がな」

 ハンスがエリオットの前で崩れる。

「遅いじゃないか」とエリオット。

 崩れたハンスの後ろにアンナが立っていた。

「いつ約束した?」

 アンナがいった。

「信じてたよ」といいながら、足の縄を解く。「クソが。二度と俺を投げるな」

「お前も私を川で離したろ、これでチャラだ」

「まだ根に持ってるのかよ」

「もう精算した。根に持ってるのはそっちだ。軟弱者」

「どこ行ってたんだ」

 エリオットが聞く。

「ルーベンに会って色々手配した」とアンナ。

「あ、そう」

「興味なさげだな、行くぞ」

「おい、待て」

 二人の間にいるハンスが立ち上がった。

「やっぱ馬鹿だからなのか」とアンナ。

「どういう意味だ」

 ハンスが唸る。

「痛みに鈍感ってことだよ、間抜け」

 アンナが回し蹴り。ハンスが腕で受ける。アンナは反対の軸足を蹴り上げ、今度は受けられた足を中心に逆回転し、蹴りの連続を見舞う。ハンスは顔に蹴りを喰らう。そのままアンナは身を翻して、距離をとった。

「こいよ、ノロマ」

 挑発する。「それでヴァレンシュタインの護衛とはな」

「本気出してやるよ」

 ハンスが腕を捲くった。

 白い虫が二の腕の内側にへばりついていた。六本の足が皮膚と同化し血管のように肉体に食い込んでいる。露になっている胴体は脈打ってカビのようなものが生えていた。

 例の寄生虫――。

「アンナ、なんか、あいつやばいぞ」

「知るか。黙ってろ」

 アンナは身を構える。

「お前ら、赤いローブ着てた魔導士は覚えてるか?」

 ハンスが拳を広げる。炎が出現した。巨大化していく。「あれは俺だ」

「マジかよ」

 火の玉が飛んできた。

 エリオットとアンナは二手に分かれて飛び、避ける。

「逃げるぞ、エリオット」

 アンナが机をハンスに投げつけた。「扉へ走れ」

 今度は置き去りにされるわけにはいかない。必死に走って扉へ突っ込んだ。廊下へ飛び出る。壊れた扉を踏み、先へ。

「遅いんだよ」

 後ろからアンナに叩かれた。

「炎が飛んでくる」

 エリオットは叫んだ。

 狭い廊下の向こうから、渦を巻くように火炎が迫ってきた。

「それいって何とかなんのか」

「いや何も」

「いっぺん死ね」

 前は一本道。このままだと炎に飲み込まれる。

「イチかバチかいくぞ」

 アンナが壁に向かって拳を構える。

「なにする」

「祈れよ」とアンナ。

「わかった」

 エリオットは手を合わせる。渦巻く炎はもうすぐだった。

「いくぞ」

 アンナが気合を入れて、壁に拳を打ち込んだ。壁が崩れる。どこか違う部屋の空間が現れた。二人は顔を見合わせたあと、飛び込んだ。

 炎が飛び込んだ二人の後ろを通過していく。

 ワインの瓶、樽が並んでいる倉庫だった。匂いが独特だ。

「いつも私が働いている」

 アンナは立ち上がる。

「俺も頑張ってる」

「お前は馬鹿面で走ってるだけだ。立て、屋敷から出る」

「そうだ。カテリーナが攫われた」

 エリオットは立ち上がった。

「ということはカレンもか」

「妹はマジに大事だ。早く行かなきゃ」

 二人は走り出した。

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