第四章:王女と幼馴染み

01

 ジノルック・ヴァーンバレスはヴェンレイディールの文官で、土木関連の仕事をしているそうだ。リューアティンに併合されたあと、戦に加わった武官やリューアティンに従うことをよしとしなかった文官は罷免、あるいは投獄され、それ以外の官吏はほぼそのまま、リューアティンから派遣された監視役の元で仕事を続けているという。

「今ヴェンレイディールを統治しているのは、ユヴィジーク王子だ。反対分子を一掃したあとは特別無体なことをするわけでもなく、まあ、リューアティンの意向が当然ながら色濃く反映されているが、粛々と統治している。リューアティン兵もよく統率されていて、民に狼藉を働くわけでもないから、皆も落ち着いているよ」

「……兄のせいで国が荒れてしまったのではないかと心配だったので、そう聞いて少し安心しました」

 一行は迂回路を進んでいた。リューアティンの無傷だった馬二頭を拝借し、イフェリカとハルダーはそれに乗っている。

「ジノルック。あなたも元気そうでよかった。でも、どうしてジノルックがここに?」

「道路の整備だよ。国境近くの道をもっと広くしろと言われていてね。別荘の一つがたまたまその現場に近かったから、そこに移っているんだ」

 一つ、ということはほかにもいくつかあるのだろう。イフェリカと親しい間柄であることを考えれば、別荘をいくつも持つような貴族であっておかしくはない。

「家の者から国境近くで照明弾らしきものが上がったという報告があって、もしかしたら……と思って駆けつけたんだ。本当にイフェリカがいて驚いたけど、安心もしたよ。無事だったんだ、ってね」

 ジノルックは後ろを振り返り、すぐあとをついてくるイフェリカを見た。ハルダーはイフェリカの後ろについているので、彼女越しにその笑顔が見える。

 偶然だというふうにジノルックは言っているが、ハルダーはそうは思っていなかった。

 緊急事態に備えている警備隊と違って、道路工事が仕事の貴族が、いつ上がるともしれない照明弾を本当に偶然に見つける確率は高いとは思えない。イフェリカが帰国するかもしれないから、見張りをたてていたのではないだろうか。事前に、イフェリカがヴェンレイディールへ向かっている、という情報を掴んでそうしていた可能性もある。

 単なる友人を心配して見張りをたてたと言えば大げさだが、イフェリカは王族だ。ジノルックは彼女に好意を抱いているようでもある。

 ただ、それでも、護衛を引き連れて難所の迂回路を通って駆けつけたのは、ほかにも理由があるのではないか、と疑わざるをえなかった。リューアティン兵と戦ったからリューアティンに引き渡すことはないだろうが、油断はできない。

 通る者が滅多にいない、というのは本当らしく、迂回路は難所だった。馬が並んでやっと二頭通れるくらい幅の狭い道も多い。左右が木々に囲まれている場所もあれば、片側が落ちれば真っ逆様というような崖になっている道もあり、古びていつ落ちてもおかしくないような吊り橋もあった。

 冷や汗を垂らしながら迂回路を進み、ようやく普通の道に出たときには心底ほっとした。ジノルックたちにとっても慣れた道ではなく、彼らもまた人心地ついた表情をしていた。

 ジノルックの屋敷に着いたのは、日没間近だった。森に囲まれた邸宅で、工事をしている場所に近いというが、その道らしきものは屋敷からは離れているようだった。迂回路から出たあとに通った道とも違うらしい。現場に歩いていくわけではないだろうから、近いといっても、ハルダーとは距離感覚にだいぶ差があるようだ。

 どこで国境を越えたのかはわからなかったが、ここはハルダーとイフェリカが目指していたヴェンレイディールの地だ。ただ、街道を進んでいく予定だったので、ジノルックの屋敷へ立ち寄ることになったのは予定外だ。まして、屋敷に着いた途端、イフェリカと引き離されたのでは。

 ハルダーが思わず息を飲むほど大きな屋敷に通されるなり、ジノルックが「話がある」などと言ってイフェリカを連れて行ってしまったのだ。追いかけようとしたが、ジノルックには止められ、どこからか出てきた召使いに怪我の手当てをするからと言われ、客室らしき部屋に押し込められた。

 怪我の手当てと言っても、ハルダーは軽傷だ。屋敷に着く頃には頬の傷の出血は止まっていたし、落馬したイフェリカを抱き留めたときに打った背中も、今は少し痛む程度だ。骨を痛めた感じはしないから、明日には痛みも引いているだろう。

 手当てが終わってすぐに部屋を出ようとしたら、手当てをした召使いにだめだと止められた。年若いその娘はハルダーに軽く睨まれると脅えた表情を浮かべた。その娘を押しのけるようにして部屋を出ると、体格のよい男が二人もいて、部屋に戻れと言ったのだ。ハルダーがイフェリカはどこかと訊いても男たちは答えず、いいから部屋で待っていろの一点張りだった。

 ――イフェリカから引き離すための口実か。

 寝台に腰掛けていたが、やがて立ち上がって窓の外を眺める。もうすっかり夜だが、屋敷を取り囲む柵が見えた。その向こうには森が広がっている。夜の底に沈んで、ひどく深い森のように見えた。

 ハルダーが案内された部屋は二階で、屋敷の裏側らしい。調度品は寝台に椅子、小さな机にチェストだけだが、安っぽいものは一つもない。天井から下がるランプは大きく、油ではなく魔術具を使った灯火のようだ。炎もその揺らぎもなく、昼間のように明るかった。

 部屋は、ハルダーの感覚からすると十分すぎるほど広い。イフェリカの様子がわからずただでさえ落ち着かないのに、こんな場所で待たされては更に落ち着かない。窓の外を眺めるのをやめて椅子に座ってみるが、やはり落ち着かず、また寝台に腰掛ける。板のように固いマットに慣れているハルダーには、体全体が沈んでしまうのではないかと思うほど柔らかく、やはり長くじっとしていられなかった。

 いつまで待たされるのかわからないまま、身も心も落ち着かない部屋で待たされるのはかなりしんどい。しびれを切らして扉を開ければ、廊下に足を落とす前に、見張りの男たちに睨まれ低い声で部屋に戻れと言われる始末。ハルダー一人でここへ連れてこられていたなら、男たちをはり倒してでも外へ出たい気分だった。

 待ちぼうけが終わったのは、それからしばらく経ってからだ。時間的に長く待たされたわけではないかもしれないが、気持ち的には半日くらい待たされた頃だった。

 ノックする音に弾かれたように顔を上げ返事をしたハルダーだったが、入ってきた顔を見てあからさまに顔をしかめた。ジノルック一人だったのだ。

「イフェリカはどこだ」

「挨拶もなしに、いきなりだな」

 ジノルックも顔をしかめる。

「手当てをしてくれたことには感謝する。だが、俺はイフェリカに護衛として雇われてる。雇い主のそばにいるのが今の俺の仕事なんでね。彼女のいるところに案内してくれ」

「……イフェリカから、これまでの経緯は聞いた。君が護衛という話もね。たった一人で、彼女を国境近くまで守ってきたことには、我々も感謝している。だから、客人として相応のもてなしは約束しよう。ただし、この部屋から出るのは遠慮してくれ。食事はきちんと用意する。用を足しに行きたいときは、外にいる者に頼めばいい」

「それはたいそうなもてなしだな」

 軟禁と大差ない扱いというわけだ。

「……客人の君には少々不自由な思いをさせてしまうかもしれないが、今はいろいろと大変な時期だから、それを理解してほしい」

「それで、イフェリカとはいつ会えるんだ」

「長旅のあとで疲れている様子だったから、休ませているよ」

「着いて早々、話があるとか言って長話をさせたせいじゃないのか?」

 ジノルックが不機嫌そうに顔をゆがめ、ハルダーを睨む。

「……君がここにいられるのは、イフェリカのおかげだ。彼女がどうしてもと言うから、置いているだけだ。勘違いをするなよ。嫌なら出て行ってくれて大いに結構。君一人でね」

「一人で部屋を出ていいのなら、勝手にイフェリカの居場所探しをするぞ、俺は。彼女はどこにいるんだ」

「安全な場所だ。それから、勝手に屋敷内をうろつくことは許可できない」

 これ以上言うことはないとばかりにジノルックは話を打ち切り、部屋を出て行った。ハルダーは肩をすくめ、ため息をこぼした。

 貴族のジノルックにしてみれば、ハルダーは素性の知れない傭兵で、本当は屋敷に入れたくもなかったに違いない。ハルダーとてここに長居をしたくはない。すぐに出て行きたいところだが、既に夜になっているし、イフェリカが長旅で、しかも慣れない質素な宿屋や野宿ばかりで、疲れているのは事実だろう。数日は、ここでゆっくりする方がいいのかもしれない。

 ただ、その間一度もイフェリカに会えないのは困る。今後どうするか話もしたいし、様子を知りたい。ジノルックに頼んでも、あの調子ではイフェリカと会わせてもらえそうにないから、さてどうしたものか。

 そのとき、扉を叩く音がした。

「ハルダー、私です」

 扉越しのくぐもった声に、大股で近づく。

「イフェリカ……」

 彼女もまた軟禁に近い状態にあると思っていたから、驚いた。そんなハルダーを見て、イフェリカが小さく笑った。

 見張りの男たちは当然いい顔をしていないが、王女であるイフェリカに言われては従わないわけにもいかないのだろう。手短に済ませてくださいとしきりに言いつつ、イフェリカが訪ねてきたのを黙認してくれたようだった。

「ハルダー。傷の具合はどうですか」

 部屋へ入るなり、イフェリカは心配そうな眼差しを、ハルダーの頬に向けた。

「大丈夫だ。とっくに血は止まっていたし、大したことはない」

「そうですか。よかった……」

 安心した表情を浮かべるが、イフェリカの顔には疲労の色が濃く出ていた。ハルダーが椅子に座るように勧めると、素直に腰を下ろした。

「イフェリカ。数日は、ここでゆっくり休んだ方がいい」

 せっかく彼女が、おそらくジノルックの目を盗んで来てくれたのだから、今後のことを話し合いたかったが、イフェリカは明らかに疲れ切っていた。顔色もよくない。慣れない長旅だけではなく、隠れるように逃げるように行動しなければならないという精神的な疲れもたまっているはずだ。

「のんびりしているわけにはいきません。私がヴェンレイディールに戻ってきた、という話はいずれユヴィジーク王子にも伝わるでしょうし」

「だけど、ユヴィジークに見つかったときに疲労困憊していたら、逃げられるものも逃げられなくなるかもしれないぞ。せめて一日は、ゆっくりした方がいい」

 この先、イフェリカの家族の墓探しが待っているのだ。王都近郊ではあるのだろうが、王都シャロザートまで数日はかかる。その間は、またこれまでと同じような旅になるのだ。

「……ジノルックに、戦が起きたあとから今日までのことを聞かれました。ジノルックがどうしていたかも、聞きました。彼は今はリューアティンの命令に従って仕事をこなしているけれど、このままではいけないと考えているようです」

 イフェリカの表情が翳った。

「リューアティンの言いなりのままではいけない、ということか」

 ジノルックは、リューアティンの警備隊と既に一戦を交えている。イフェリカを助けるためで、彼女をリューアティンに突き出すつもりはないようだから、叛意があることは明白だ。

 彼が率いていた男たちは装備がばらばらで一見すると傭兵のようだったが、おそらくは元々ジノルックに仕えている者たちなのだろう。金のため荒事に自ら飛び込んでいく傭兵につきものの、どこか荒んだ雰囲気はなかった。

「ヴァーンバレス家は歴史ある名家の一つで、その祖は王族です。今はもう王家に名を連ねてはいませんが、出自が出自だけに、ヴェンレイディールという国がなくなったことに対する悲しみと憤りは深いのでしょう。取り戻せるのなら、ヴェンレイディールを取り戻したいと、ジノルックは……」

「ヴェンレイディール再興のため、イフェリカにその旗頭になってほしいというわけか」

 イフェリカが小さく頷いた。

 王族のほとんどは処刑され、生死も行方もわからなくなっていた王女が無事な姿を現し、国を取り戻すために立ち上がったとなれば、それについて行こうとする者は少なくないだろう。

「そうなれば、また戦となります。怪我をする人や、ディサドのように命を落としてしまう人もいるでしょう」

 イフェリカの声はかすかに震えていた。目を伏せているのでよくわからないが、涙がにじんでいるように見えた。

「私のために誰かが怪我をしたり、まして死んでしまうのはもう嫌なのです。それに、私ではヴェンレイディールの再興はできません。無理なのです。ヴェンレイディールへ戻ったのは、再興のためではなく、家族のお墓参りをしたいからだと、ジノルックに言いました」

 イフェリカが嫌だと言って、はいそうですかとジノルックが簡単にあきらめるとは思えなかった。本人が嫌がっても、無理矢理引きずり出すのではないか。ハルダーにはそう思えた。

「ジノルックは、家族が埋葬された場所を知っているそうです。私がヴェンレイディール再興のため起つのなら、その場所を教えてくれる、と」

「そんなものを交換条件に使うなんて、嫌な奴だな」

 ハルダーがふんと鼻を鳴らすと、イフェリカが顔を上げた。

「ジノルックの気持ちはわかります。彼も、本当はそんな交換条件などしたくはなかったはずです」

「……それで、イフェリカはどうするつもりなんだ」

 ジノルックのやり方は気に入らないが、イフェリカがその交換条件を飲むのなら、ハルダーには反対できない。雇い主である彼女の意向に従うのが、ハルダーの務めなのだ。

「家族が眠る場所は知りたいですが、私にはヴェンレイディール再興などできないのに、嘘をついて交換条件に応じることもできません」

「イフェリカがそれでいいなら、俺は従うよ」

 むしろ、ジノルックに頼らなくていいので歓迎だった。

「でも、そうなれば自力で探さなくてはいけません。そのときに、またハルダーが怪我をするようなことがあるなら、ジノルックに教えてもらう方がいいかもしれない、とも思うのです」

「だが、そうなると交換条件でイフェリカは戦をすることになる。それは嫌なんだろう?」

「はい。でも……」

「だったら、交換条件なんて飲む必要はない。墓探しも依頼のうちなんだから、俺が探すさ。怪我をするとかそういうことは気にしなくていい」

 イフェリカが困った顔でハルダーを見上げた。

「でも、私のせいでまたハルダーが怪我をするのも、嫌なのです」

「じゃあ、怪我をしないようにする。だから心配するな」

 安心させるように、笑ってみせる。イフェリカはなおも心配そうな顔だった。

「――今日はもう休んだ方がいい」

 ディサドのことがあったばかりだ。ハルダー自身、軽いものの怪我をした。心配するなという方が無理なのかもしれない。

「明後日、夜に迎えに行く。それまでにゆっくり体を休めるんだ。いいな?」

 イフェリカは頷き、立ち上がった。

「私の部屋は三階です。庭側の端の部屋にいます。階段を上がって右です」

 疲れのにじむ顔に微笑が浮かぶ。待っています、と小さな声でイフェリカは付け加えた。

 部屋まで送ろうと思ったが、ハルダーが出ようとすると、案の定見張りに止められた。仕方なく扉の前で彼女を見送る。屋敷のどこにいるかはわかったから、ひとまずは安心することにした。

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