05
「よう、ハルダー」
まるで旧友に会ったかのように、グラファトは軽く手を挙げた。警戒心剥き出しのハルダーと対照的な男の雰囲気に、ディサドがますます困惑した顔をしている。
「無事にここまで来たんだな。ま、おまえならそれくらいは大丈夫だろうって信じてたぜ」
「何の用だ」
「そう警戒するなよ。今日は何もしねえ。忠告に来ただけだ」
ハルダーは数歩前に出た。背中で荷馬車をかばい、剣を抜く。
「物騒だな。そんな危ないもん、しまってくれよ。俺は今日は本当に忠告しに来ただけなんだぜ」
グラファトは、戦う意志がないことを示すように、両手を広げた。だがハルダーは剣を構える。
「もう少し行ったところで、リューアティンの国境警備隊が待ち構えてる。お尋ね者の誰かさんに似た娘とその連れが、ヴェンレイディールへ行く運び屋を探してたって通報が昨日届いたらしい。まったく、誰か知らねえがよけいなことしてくれやがったよ」
いかにも忌々しいというように、グラファトが顔をしかめる。
「ここへ来る途中に迂回路があったんだ、気づいてたか? 難所だから人はほとんど通らねえ。警備隊もそっちは警戒してねえ。その道を行きな。俺の言うことなんか信用できねえだろうが、本当のことだ」
「どうしておまえがそこまで教える」
「ハルダーたちに無事ヴェンレイディールへ行ってほしいからに決まってるだろ?」
グラファトはまったくもって信用できない、うさんくさい笑みを浮かべる。ハルダーは剣を構え直した。
「俺は嘘は言ってねえよ。ま、信じるか信じねえかはおまえ次第だけどよ。忠告はしたぜ。せいぜい頑張りな」
そう言って、グラファトは森の奥へ歩いていった。その姿が木々に隠れて見えなくなってから、ハルダーはようやく剣を鞘に収めた。
「ハルダー。あの男、何者なんだ。あいつの言ったことは本当なのかい」
「……あいつはイフェリカを狙っている傭兵だ」
え、とディサドが声を高くする。イフェリカは不安げな表情で、黙ってハルダーを見ていた。昨夜で否定できたとは思っていないが、ディサドはイフェリカが王女だとますます確信を深めるに違いない。こうなってしまった以上は、もうしかたがない。ハルダーはあきらめるのではなく、腹をくくった。
「それより、ディサド。通報があったとかあいつが言っていたが」
「俺じゃない! 絶対にしないと言っただろ!」
ディサドは慌てて首を横に振る。通報したのはおそらく彼ではないが、一応確かめておきたかった。何人もの運び屋に声をかけていたから、誰かが通報したとしてもおかしくはない。
「警備隊が待っているというのは、本当でしょうか」
グラファトを信用する理由が、ハルダーにはない。ないが、無事にヴェンレイディールへ行ってほしい、という言葉はある程度本当だろう。どこまで本気で言ったのか定かではないが、先日も似たようなことを言っていた。
「ディサド。迂回路というのは本当にあるのか」
「あ、ああ。あるけど、本当に難所だ。この大きさの荷馬車がやっと通れるくらいの幅しかないし、危なっかしいところも多い。遠回りになるけど、ヴェンレイディールには行ける。関所も、今はもうないはずだよ」
では、そちらを行った方がいいかもしれない。グラファトの忠告の真偽と関係なく、関所では荷物を調べられるのは確実なのだから。
「でも、ほとんど通る人がいないから、たぶん道は荒れてると思う。途中に吊り橋があるんだけど、それもどうなっているかわからない。俺が最後にその道を使ったのは、もう何年も前なんだ」
ハルダーは小さく舌打ちした。途中で道が途切れている可能性があるのでは使えない。
「このまま進もう。イフェリカ、それでいいか」
「ハルダーが決めたのなら、私はそれについて行きます」
「ディサドは?」
「俺は、二人がそう決めたのなら、従うだけだよ」
関所までもあと少し。嘘か本当かわからないが、関所に着く前には警備隊もいる。予定より早いが、イフェリカには荷物の中へ隠れてもらうことになった。
街道から見えにくい場所がないかと荷馬車を進め、左右を見回す。だが、都合よくは見つからなかった。これ以上進めば、いるかもしれない警備隊と鉢合わせする可能性が高くなる。道の端に荷馬車を寄せ、その陰でイフェリカを袋の中へ隠すことにした。袋に入ってもらったあとで、ハルダーとディサドで荷台に載せるのだ。
イフェリカが入る二種類の大きさの袋を、ディサドが積んであった荷物の一つから取り出す。折り畳んだ袋を広げて大きさを確かめ、小さい方をイフェリカに渡した。両手で袋の口を広げる。
「……思っていたよりも小さいのですね」
「ごめん、それしかなくて。本当にごめんね」
イフェリカの率直な言葉に、ディサドが慌てる。樽に入るときよりも体を丸めないといけなさそうだ。
「イフェリカ。ほかに方法はないんだ」
「申し訳ありません。他意はないのです。つい、口をついて出てしまって……」
今度はイフェリカが慌てて繕う。ディサドに何度も謝るイフェリカに、早く入れと促したとき、遠くから聞こえる音があった。
はっと顔を上げ、進行方向へ視線を向ける。規則的に響き、そして近づいてくるのは馬蹄の音だ。一頭ではない。複数いる。旅人か商人か、それとも警備隊か。
「ハルダー」
イフェリカの声は頼りなく、小さかった。ディサドも顔色を変えている。
「おい。そこで何をしている」
最悪だ。道の向こうからやって来たのは、リューアティンの騎兵だった。ただ、三人しかいない。警備隊本隊ではなく、様子見に出された斥候だろう。
ディサドがすかさず荷馬車の前に出た。
「どうも、お勤めご苦労様です」
「何をしているんだ」
「ご覧の通り、休憩中です」
ハルダーとイフェリカは、騎兵たちから見れば荷台の陰だ。樽や麻袋のおかげで、イフェリカは彼らからは見えないだろう。ただ、ハルダーは見えている。さりげなく、イフェリカを背後に隠した。
「運び屋か」
「はい」
「これだけの荷物に三人もいるのか」
「盗賊が出るという噂もあるので、護衛を雇っているんですよ」
「盗賊は我々が制圧した」
「用心深いのは商売人のさがでして」
不愉快そうな表情の騎兵たちに、ディサドが愛想笑いをする。一応は納得したらしい。ふんと鼻を鳴らし、ハルダーをじろりと睨む。彼は見るからに傭兵然としているから、護衛と言われても疑わないだろう。しかし、イフェリカは傭兵には見えない。
案の定、ハルダーの陰に隠れるイフェリカを見咎めた。
「護衛にしては、そっちの奴は小さいな」
「こいつは魔術師なんだ。体は小さいが、腕は確かだ」
ハルダーはすぐさま答えた。嘘はついていない。今は使えないだけだ。
さっさと去ってくれ。荷物を見たければ見ればいい。イフェリカにはこれ以上関心を持たないでくれ。
「そっちの。頭巾を取れ。顔を見せろ」
だが、イフェリカはすぐには動かなかった。騎兵が声を荒げる。
「早くしろ」
仕方なしに、イフェリカは頭巾を下ろした。取り乱さず、落ち着いているように見える。
騎兵たち三人は、まじまじとイフェリカの顔を見ていた。格好から、男と思っていたのだろう。
「――手配書の王女に似ているな」
一人が言った。別の騎兵が、懐から何かを取り出す。広げられたそれは、手配書だった。騎兵たちはそこに描かれている顔と、イフェリカの顔を何度も見比べる。
「やっぱり似ているな……」
「おい。おまえは、この王女か」
騎兵が手配書をこちらに見せる。それで素直に答えると思っているのだろうか。だが、イフェリカならはいと答えるのではないかと、ハルダーは気が気ではない。騎兵たちがどうなんだと重ねて言うが、イフェリカは黙ったままだった。
「まさか、違いますよ。一国の王女が護衛なんてするわけないじゃないですか」
ディサドがおどけた口調で言うが、騎兵たちに、おまえは黙っていろ、と一喝された。
「黙っているのなら、やはり本人か」
「隊長は王女を直接見たことがあると言ってたよな。呼んでくる」
一人がやって来た方向へ馬の首を巡らせた。警備隊がこの先にいるということか。
グラファトの言ったことは本当だったのか。ハルダーは歯軋りする。癪だが、グラファトの言葉を信じる方がよかったというわけだ。だが、ディサドが言っていたように、迂回路が安全とは限らない。
馬がいななき、乗っていた騎兵が悲鳴を上げた。走り出そうとする馬めがけてハルダーが放ったナイフは、左後ろ脚の付け根に刺さっていた。
「貴様、何をするか!」
馬上の騎兵が怒声を上げる。ハルダーは剣を抜き放った。麻袋を握りしめているイフェリカに、鋭い声でささやく。
「荷馬車に乗れ」
「え」
「早く!」
この声は、ディサドの耳にも届いた。彼が振り返る。イフェリカは戸惑いながらも荷台に乗る。その間に、ハルダーは道へ躍り出た。ディサドの横を通り抜けるとき、短く言った。
「迂回路へ」
視界の端でディサドが頷いた。
騎兵二人が槍を構えた。ハルダーは左右から突き出される槍をかわしながら、なんとか槍の間合いの中へ入ろうと試みる。
「くそっ」
毒づいたのは、振り落とされた騎兵だ。懐から取り出したものを天高く放り投げた。悠長に見ている余裕はなかった。何かといぶかしんだ直後、昼間でも思わず細めるほどまばゆい光が音もなく降り注ぐ。魔術具の照明弾だ。
光が収束する前に、その騎兵は剣を抜いた。声を上げてこちらへ向かってくる。
「馬車を追え!」
馬上の一人が槍を引き、荷馬車へ馬を向かわせる。荷馬車はまだ向きを変えている途中だった。ディサドが馬を急かしている。イフェリカは荷台の縁に掴まり、こちらを見ている。
ハルダーは繰り出される槍を弾き返した。身を翻して、再びナイフを放つ。武器ではなく日用品として使うそれは、しかし馬にかすり傷を負わせただけだった。
ディサドたちの前に、騎兵が躍り出る。そちらへ向かおうと足を踏み出しかけた。だが、もう一頭の馬が行く手を阻み、振り落とされた騎兵が雄叫びを上げて斬りかかってくる。
振り下ろされる刃を受け流す。勢いあまって前につんのめる騎兵の腕に柄頭を叩きつけ、背中に肘鉄を打ち込む。
うめく声と槍の穂先が耳をかすめた。頬に痛みが走る。次いでイフェリカの悲鳴。ハルダーが負傷したのを見たのだろうか。だが、ハルダーには荷馬車を見やる余裕がない。馬上の騎兵が、更に深い傷を負わせようと突きを繰り出す。
戦場において歩兵と騎兵が同じ槍を持っていたとしたら、馬に乗って突撃してくる騎兵の方が有利だ。迫り来る馬の巨体と速さにおののいている間に、歩兵の体に槍が突き刺さる。
だが今は、騎兵の優位性は戦場ほどではない。馬で駆け回るには道が狭く、倒すべき相手はハルダーほぼ一人だ。
穂先と、騎兵の槍を持つ手元をしっかりと見つめる。ハルダーの腹に狙いをつけた鋭い切っ先が飛んでくる。手元がわずかに動いた。腹と見せかけて胸を突くつもりだ。左足を引いて体を左に開いてかわす。体すれすれのところを勢いよく過ぎる槍を、左脇で挟み、更に手で掴む。騎兵が槍を引こうとしたが、ハルダーにがっちりと掴まれてできない。騎兵は槍をあきらめて手を離した。素早く剣を引き抜く。だが抜ききる前にハルダーは前に踏み込んで、馬の横腹を凪いだ。暴れる馬と振り落とされる騎兵に巻き込まれる前に、跳ねるようにその場を離れる。
飛びすさったついでに、起き上がろうとしていた先ほどの騎兵の顎を蹴り上げた。その足を荷馬車に向ける。
槍ではたき落とされたのか、ディサドが地面にはいつくばっていた。騎兵の槍が、イフェリカに向けられていた。馬が数歩踏み込めば届く距離。イフェリカの顔は青ざめ、固まったように動かない。
「それ以上近づくな。離れろ!」
ハルダーは声を張り上げる。
「貴様こそ動くな! これが見えないのか!」
馬上の騎兵が鋭く睨む。ハルダーの足がぴたりと止まる。
くそ、と口の中で呟いた。騎兵はイフェリカに槍を突きつけたまま、ハルダーを注視している。
「照明弾を見た本隊がもうすぐ駆けつける」
そんなものの到着を悠長に待つつもりはない。左手を腰の後ろへ回した。魔術具の入った小さな物入れが、そこにくくりつけてある。
「動くなと言っているだろう!」
その動きを見咎められた。目くらましの閃光弾や、恐ろしいほどの速さで生長して体に絡みついて動きを封じる植物など、この場を切り抜けるのに使える魔術具はいくらでもあるのというのに。
騎兵越しに、ディサドが立ち上がるのが見えた。騎兵はまだ気づいていない。ディサドに大した怪我はないようだ。馬も無事だ。御者台に上がり、馬を走らせれば不意を突かれた騎兵に隙ができる。問題は、気づかれずに御者台に上がれるかだ。
だが、ディサドの取った行動はハルダーの予想と違っていた。歯を食いしばり、強く地面を蹴り出して、馬に体当たりを食らわせたのだ。
体の大きくないディサドでも勢いをつけて全身でぶつかれば、何事かと馬は驚く。人の何倍も大きい体を持つ馬に対して、無謀すぎる体当たりだ。だが馬が動揺したおかげで、穂先がイフェリカから離れる。
「イフェリカ、こっちへ!」
この隙を逃すまいとハルダーは駆けた。イフェリカが荷台から飛び降りる。騎兵は忌々しい声を上げ、槍でディサドを激しく殴った。イフェリカの足が止まり、それを振り返る。
「いいから、逃げて」
ディサドは胸を押さえ、痛みに顔をゆがめながらも声を絞り出す。イフェリカは後ろ髪を引かれるような表情で、再び走り出す。
「待て! 止まれ!」
動揺する馬をなだめながら騎兵が叫ぶ。この局面で立ち止まる者などいるわけがない。叫んだ直後、騎兵は槍を担ぐように構えた。
「伏せろ、イフェリカ!」
投げるつもりだ。相手が王女だとほぼわかっているくせに。騎兵が振りかぶる。イフェリカの足がもつれ、地面に倒れ込む。手から槍が放たれる。ハルダーはイフェリカまであと数歩。ディサドも走ってくるが、もっと遠い。どちらも間に合わない。
鈍い音が響いた。
槍は、イフェリカのすぐそばに地面に突き刺さっただけだった。イフェリカの元にたどり着いたハルダーは、すぐさま槍を引き抜いた。騎兵がしたように槍を投擲する。槍は馬の胸の辺りに命中した。だが、ハルダーが槍を取ったときに、騎兵は馬から飛び降りていた。剣を抜き、こちらへ向かってくる。
背後からの声と迫り来る殺気に、ハルダーは向き直った。馬から落として放っていた騎兵も突進してくる。挟み撃ちだ。こちらを迎え撃てば、もう一人がその間にイフェリカに斬りかかるだろう。だが、無視するわけにもいかない。
「森の中へ逃げ込め!」
イフェリカに言うと、ハルダーは斜め上から振り下ろされる剣を受け止めた。力で押し返す。相手の前ががら空きになる。そこを、ハルダーは斜めに斬り下ろす。騎兵の皮鎧が裂け、切っ先は体にも届いた。浅い手応えで、致命傷には遠い。だが、痛みを気にせず再び剣を振り回せるほど浅くもない。
その直後に聞こえた悲鳴に、ハルダーは慌てて振り返った。
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