第一章:亡国の王女と義手の傭兵

01

 人通りの多い大通りを、ハルダーは足早に歩いていた。大市が立つ日ではないが、多くの商店が集まる区画なのでいつ来ても人が多い。ごった返す買い物客をかき分けるように進んでいく。旅人や、よその国から来た商人の姿も少なくない。

 ここリューアティン国は、複数の従属国を持つ大国だ。従属国を含めた政治経済、そして文化の中心地である王都ミファナスは、いつでも人であふれかえっている。

 商人たちのにぎやかな呼び込みの声、行き交う人々は明るい表情で友人たちと言葉を交わし、旅人は活気に満ちた雰囲気を楽しんでいる――。ミファナスで暮らしていると、最近、従属国相手に戦争をしたばかりとは思えなかった。

 ――いや、そうでもなかったな。

 人混みの中に、商人や買い物客とは違う雰囲気を持つ男を見つけた。がっしりとした体格、厳つい顔には、それを強調するような大きな傷跡。人に隠れて見えないが、腰には剣を提げているだろう。

 あれはおそらく傭兵だ。先頃あった戦争では正規兵以外に傭兵も投入された。珍しいことではない。荒事の専門家である傭兵たちは、自分たちの能力を最大限に発揮できる場を常に求めている。そして国が戦をする場合、正規兵だけでは兵力が足りない、正規兵を使うまでもないなどの様々な理由で、傭兵を雇うのだ。

 その戦争が終わって仕事のなくなった傭兵が、次の仕事を求めて、あるいは手に入れた報酬を使うため、まだリューアティン国内に留まっているのだろう。リューアティンが独立を求めた従属国の一つを制圧し、最終的には併呑した戦争が終わってからひと月も経っていない。だが、いずれ見かける傭兵の数は減ってくるだろう。

 もっとも、傭兵の姿がよく目につくと言えば、ハルダーも人のことは言えなかった。彼もまた傭兵だ。戦場に出るよりも、商人の護衛や盗賊退治、その他雑多な仕事を引き受けることが主なので、先の戦争には参加していない。だが、いでたちだけでは他人にその区別がつくわけもないし、結局同じ穴の狢だ。

 ハルダーは、新しい仕事を頼みたいという知り合いの魔術師の店に向かっている最中だった。今はほかの仕事は入っていない。仕事をしなければ金は消えていくばかりだから、依頼があるのはありがたい。だが、その魔術師の依頼は面倒なものも少なくないのであまり気乗りがしないのも事実。が、呼び出されたら応じないわけにはいかない事情がある。

 大通りから、隙間のような細い路地を通って裏通りに。そこから更に細い路地を抜けて、大通りの喧噪がまったく届かない、小さな通りに入った。建物にはところどころ店を示す看板が提がっているが、人の姿はまったくない。ここはいつ来てもそうだ。誰かとすれ違う方が稀で、ここで商売をしている連中は店が潰れないのか、と他人事ながら心配になる。ハルダーを呼び出した魔術師の店も、もちろんそうだ。

「キシル。来たぞ」

 店に入ったハルダーは挨拶もなしに言って、それから軽く瞠目した。先客がいたのである。

 四人入ればいっぱいになってしまいそうな狭い店内は、入り口と店の奥に通じる扉以外の壁に天井に届きそうなほど背の高い棚が並び、その天井からは用途のよくわからない道具や干からびた植物らしきものがぶら下がっている。これのせいで、ハルダーは頭を屈めなければ歩くたびにぶつかってしまう。

 ただでさえ狭い店の中に、これでもかと品物を陳列しているからますます狭苦しい。奥の扉の前には店主でもあるキシルの居場所として机が置いてあるが、その上も常に散らかっていた。数種類の薬草、動物の毛皮らしきもの、妙な色の液体が入った瓶、調合に使う道具、金槌や釘、金属の板……。

 いつものように、キシルはもので埋め尽くされた机に向かい、分厚い本を膝の上に広げている。違ったのは、そのかたわらで椅子にちょこんと座っている娘の存在だった。

 この店に客がいるのは初めて見た。

「ハルダー。相変わらず元気そうでなにより。ツケを払いに来てくれたの?」

 本から顔を上げたキシルが口の端をつり上げる。

「何言ってる。おまえが呼び出したんだろう」

「呼ばれたついでにツケを払おうという殊勝な心がけは?」

 答えなどわかり切っているだろうに、キシルは面白がる目でハルダーを見る。ハルダーは無視して、天井から下がる障害物を避けながら奥に向かった。

 机の前に来ると、娘がちらりとハルダーを見やった。それに気づき彼女を見ると、すぐに目を逸らされた。

 端整な顔立ちの娘だった。こんな怪しげな雰囲気の店を一人で切り盛りするキシルも女で、黙っていれば美人の部類に入る。ただ、店主であるキシルは当然のごとく店の雰囲気と一体化しているが、見知らぬ娘はハルダーよりもこの場に馴染んでいなかった。こんな場末の場所ではなく、明るい日の光の下か高貴な人々の集う場所の方が似合っていそうである。

「頼みたいことってのは?」

 この場にいるということは、娘が関係しているのは間違いなさそうだ。

「その前にまず紹介をしないとね」

 キシルが机の上に無理矢理隙間を作って本を置く。

「これが、ハルダー・サルトバクト。こう見えて結構お人好しなところがあって、わたしの頼みはだいたい聞いてくれる傭兵だよ」

「無理矢理聞かされてるだけだ」

 褒めているんだかけなしているんだかわからない紹介である。

「この子はイフェリカ・イェセス・ヴェンレイディール。魔術師仲間なの」

「初めまして」

 キシルに紹介された娘が丁寧に頭を下げる。だが、それよりも気になったのは。

「……ヴェンレイディール?」

 聞き間違いでなければ、キシルはそう言った。先日、リューアティンに飲み込まれた従属国の名前と同じだ。

「そう。イフェリカは、ヴェンレイディール国の第一王女。一昨年からリューアティンに魔術を学びに留学してるの。知らなかった?」

「ヴェンレイディールの王女って――」

 リューアティンからの独立を求めたヴェンレイディールだったが、武力で負けて独立できないどころか、宗主国に併呑されて国はなくなってしまった。

 独立を求めて挙兵したのは王太子で、彼は処刑された。その父である国王と王妃、また第二王子である弟も刑に処された。リューアティンはヴェンレイディール王族をすべて消すべく、残る一人となった王女を捜している。王女はリューアティンに留学中だが戦争勃発後に失踪し、現在は行方不明とされている。見つけた者には金一封を与えるとして、王女の姿を描いた手配書があちこちにあった。

 ハルダーもそれを目にしたことがある。言われて見れば、キシルの隣の娘は手配書と似た顔立ちをしていた。

「ハルダーには、この子を故郷に連れて行って、家族のお墓探しを手伝ってほしいんだよ」

 ハルダーが驚いているのは顔を見ればわかるだろうに、キシルは何もないようにそのまま続ける。

「今はほかの仕事はないんでしょう。もちろん引き受けてくれるよね」

「断る」

「なんで」

 キシルにとって予想外の返答だったのか、眉間にしわを寄せる。予想外だと思う方がどうかしているだろう、とハルダーは内心でぼやいた。

「なんで、じゃない。ヴェンレイディールの王女を、リューアティンが懸賞金かけてまで捜してるのはおまえだって知ってるだろう」

 正気を取り戻したように、ハルダーは声を高くする。

「本人がいるのに悪いが、そんな王女を連れてヴェンレイディールまで行って、しかも墓を探せ? 無茶だ。危険すぎる」

「へえ、そう。命の恩人であるこのわたしの頼みを断るわけ」

「……依頼人は王女で、おまえじゃないだろ」

「確かにわたしは仲介役だけど、イフェリカの代わりに頼んでるんだから、依頼人も同然だよ」

「あのな」

「義手の整備、このところ怠ってるよね。前回の整備費もまだ払ってないし」

 キシルが目を細め、ハルダーに鋭い視線を向ける。

 ハルダーは言葉に詰まった。まったく言い返せない。

 彼の右腕は、肘から先が義手だった。四年前に、ある仕事で失ってしまった。そのとき傷を治療し、義手をつけてくれたのがキシルだった。

 魔術師のキシルが用意した義手は、腕の形に削り出した木などではない。基礎となる木の棒に、文字を書き付けた布や蔓草や薬草、ハルダーには何なのかよくわからないもの等々を巻きつけて腕の形に整え、掌と指の部分は、職人に特注して作った金属製の覆いで補強してある。手首や指の一本一本にちゃんと関節があり、作り物というのは一目瞭然だが、形は本物の腕とそっくりだった。長袖を着て手袋をはめていれば、まず義手とわからない。そのため、ハルダーは夏でも長袖を着て、手袋を装着していた。今日も、もちろん長袖に手袋だ。

 そして、この義手はただ腕の形を模しただけのものではない。すべての部品にキシルの魔術が刻み込まれている。装着すると、腕と接する面の蔓が生き物のように動いてハルダーの生身の腕を、強すぎず弱すぎず、絶妙な力で絡みついて固定する。そして、まるで本物の腕のように、ハルダーの意志で自由に動かせるのだ。

 治療費と、義手そのものの代金は支払い済みだ。だが、キシルのかけた魔術は徐々に効果が弱くなっていく。定期的に整備しなければ、動かせなくなってしまう。その整備費を払うのがこのところ滞っていた。実入りのいい仕事が少なかったせいだ。キシルはツケにしておくから、いつでもいいから払ってくれ、と言ってはくれる。ただ、今回のように、そのツケを盾にして面倒な仕事をハルダーに頼むことが時々あるのだ。ほとんど脅しである。が、支払わない方が悪いと言われればそれまでである。

「……わかったよ」

「ハルダーなら引き受けてくれると思った」

 手を叩いて喜ぶキシルと、苦笑いを浮かべるイフェリカを眺めながら、ほとんど脅して引き受けさせたくせに、とハルダーはため息をついた。

「じゃ、ここから先は当事者同士で」

 ほら、とキシルに促されたイフェリカが椅子から立ち上がり、ハルダーに向き直った。

「先ほどご紹介に預かりました、イフェリカ・イェセス・ヴェンレイディールです。この度は、私のわがままを引き受けてくださいましてありがとうございます」

 堅苦しく丁寧に言って、イフェリカは深々と頭を下げた。腰に届くほど長い黄金色の髪が、さらさらと流れ落ちる。

「ハルダー・サルトバクトだ。別にただであんたのわがままを聞くわけじゃないのは、わかってるよな」

「はい。現金ではなくて申し訳ないのですが、これでいいでしょうか」

 イフェリカが革製の鞄から、小さな布の包みを取り出して、広げた。そこには、指輪が二つ、ブローチが一つあった。ブローチについている翠玉は、ハルダーが見たこともないような大きさだ。指の爪二つ分は優にあり、小さな金剛石でびっしりと取り囲まれている。明るいところで見たらまぶしそうだ。

 指輪は指輪で、二つとも環は黄金。一つは宝石はついておらず簡素だが、裏側に文字が彫り込んである。もう一つは、これまた大きな柘榴石がはめ込んであり、表面には誰かの横顔らしきものが浮き彫りされていた。

 ハルダーは装飾品に疎いが、それでも一目見て、高価だとわかる代物ばかりだった。

「……お釣りが出そうなくらいなんだが」

 高価なのはわかるが、金銭に換算すると具体的にいくらになるのか見当も付かない。さすがに三つすべては多すぎる、くらいしかわからない。

「あなたが先ほどおっしゃったように、危険を伴う依頼です。ですから、これくらいお支払いしなければいけないと思うのです」

「イフェリカがそう言っているんだから、受け取ったらいいじゃない」

「それにしたって、多すぎる気が……」

「多すぎると思うなら、その分だけ頑張ればいいでしょ。頑張ってイフェリカを無事ヴェンレイディールまで連れて行って、それからわたしにツケを払う」

「……おまえにツケを払うところは、依頼に入ってないぞ」

「いいじゃない、別に」

 まったくよくはないが、これ以上何を言っても無駄なので、ため息だけ返した。

「王女様がどうしても払いたいって言うなら、それでいい」

「ありがとうございます」

 異国の王女とはいえ、イフェリカは一般庶民に過ぎないハルダーやキシルよりよっぽど身分が高い。それにも関わらず、この場の誰よりも、言葉遣いも態度も丁寧だ。育ちがいいとこうなるのだろうか。

「それにしても、どうして危険とわかっているのにヴェンレイディールに戻りたいんだ? 亡命を考えた方がいいように思うんだが」

 処刑された家族の墓参りをしたいのだろう。気持ちはわかるが、そんな悠長なことを言っていられる状況でないのは明白だ。処刑された王族がどのように埋葬されたのか知らないが、探してほしいということは、歴代の王族の墓には埋葬されていないということだ。宗主国に楯突いて処刑されたのだから、当然と言えば当然か。

「……どうしても、やりたいことがあるのです」

 しばらく黙ったあと、イフェリカは絞り出すような声で言った。

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